仲間とお客さんと
地球にも人にも優しい農業を
この先もここで

「たとえば、今、『全部化学肥料や農薬を使った慣行栽培にしろ』って言われたら、たぶんすっぱりやめます。農業っていう職業自体には、そこまでのこだわりはないですね。このやり方の農業だからっていうのが一番なので」

こう語るのは、茨城県日立市で農業を営む樫村智生さんだ。

樫村さんは樫村家の三男で、樫村ふぁーむの後継者。農園はお父さんの代から始まり、そろそろ智生さんに代替わりしようとしている。

約60品目、150品種以上の野菜を無農薬・無化学肥料で栽培している樫村ふぁーむ。米は除草剤を一回のみ使用し、特別栽培米として販売している。

「まあ最近はオーガニックとか、自然農法のものが増えてきましたけど、身体にいいからとか安心安全だからとか、そればっかりだとなんかちがうなーと思って。このやり方でやっていて何が一番違うって、圧倒的に味が違うんですよね」

化学肥料を使って一気に成長させた野菜に比べ、有機肥料でゆっくり育てられた野菜は味が凝縮されていてとてもおいしいという。

そうやって育てられた野菜を食べてきたから、樫村家のお子さんは野菜が大好き。長男のいつきくんの好きな野菜はとうもろこしで一度に3本食べてしまうこともあるという。

樫村さんが無農薬・無化学肥料にこだわるのは自分の代だけではなく、ずっと先の未来まで農業を続けられる状態を保たないといけない、という想いがあるから。

「土地だって有限なんですよね。化学肥料をあげました、病気がでます、薬をかけますってやってったときに病気や虫が薬に対してどんどん強くなっていくんです。効かないからさらに強いのを・・・ってやっていくと、もう完全に何もできない土になっちゃう。それだと農業を続けていけないよね、っていうことです。自分の子どもにしろ孫にしろ、これから何世代も続いていけるような農業をしていきたいと思っています」

樫村さん自身も、幼いころは有機農業に取り組むお父さんの姿を見て育った。中学の総合の時間には、農薬の身体への影響について調べたそうだ。

プロ野球選手や消防士など農家以外の仕事を夢見たこともあったが、真摯に有機農業に向き合うお父さんの姿に尊敬の念を抱き続けていた樫村さんは、高校卒業後には家業を継ぐため、農業の専門学校に行く決意をした。

専門学校は寮制。平日は授業に加えてアルバイトをし、週末は深夜2時ごろまで実家の農業を手伝い、日曜日の21時までに寮に戻るという忙しい生活を送っていた。ただ、そんな日々の中で、周りとの意識の差に疑問を感じて専門学校を中退し、家業に本格的に関わるようになったそう。

試行錯誤しながら、自らの道をまっすぐ進んでいる樫村さん。だが、就農当初は仕事を“やらされている”ような感覚もあったという。

「手帳を昔から書いていますが、最初のころに書いてたことを今読み返すと恥ずかしくなりますね」

そんな樫村さんの意識に変化が訪れたのは、本格的に農業を始めてから3年ほど経ったころのことだった。今の奥さまとの出会いがあったり、地域で活躍する人に会ったりと、人との出会いによって、考え方も変わっていったという。

「いろんなきっかけがあって、しっかりしようという思いで仕事をするだけじゃなくて、もっとこうしたい、こうしたほうがおもしろいんじゃないかと、仕事に対して興味を持つようになりました。調べていくうちにどんどん農業の奥深さにはまっていった感じです」

今では農業において大事な作業のひとつである種の発注も一任されている。

「種の選び方にしても、いろいろなものがあるから調べていくうちにおもしろみが出てくるんです。たとえば、コーティング種子という加工した種を使うことで、当初5分以上かかっていたところを1分かからないで播けるようになった、とかってことが結構あって。新しい品種を探したり、今までつくってなかった時期につくってみたり、種に限らず毎年毎年何かしらのマイナーチェンジを必ずするようにしてるんですよ」

樫村さんの今の手帳には種の情報がびっしりと書かれている。

樫村さんは農業をする上で、本当の意味で「顔が見える関係」も大切にしている。

「今スーパーとかで顔だけ見えるじゃないですか。写真載ってて、この人がつくってますよーって。でも、あれだけで実際わかることってないんですよね」

「本当の意味での顔の見える関係って、来たい人には畑に来てもらって、状況を知ってもらうことです。FacebookなどのSNSを通してこういうふうにできてますよって発信して。そうすると農業を身近に感じてもらうことができると思うんです」

樫村さんが大切にしているのはお客さんとの関係だけではない。

同じように農業をする仲間たちとのつながりも大切にしている。

最近は、信念をもって農業に取り組む仲間たちとともにRe:Agriという団体を立ち上げ、勉強会や飲み会をひらいたり、先進地域に視察に行ったりしている。

「農家って仕事が忙しいから閉じこもりがちになるんです。だからみんなで話し合って少しでも悩みを解消できればいいなーと思って」

「ただ農業をやるだけじゃなくて、想いもちゃんと伝えていければいいなと思っています」

今、樫村さんには夢がある。観光農園をやることだ。

「何かを収穫する体験って結構多いと思うんですけど、できればそれだけじゃなくて、種まきとか除草作業とか、いろんな作業があるので、そこにも来てほしいんですよね。そうやって作物ができるまでの流れをちゃんと知ってほしいんです」

「景観作物をつくって景色を楽しんでもらえたらいいなーとも思うし、ちょっとした飲食のできる場所を用意したりお土産なんかも販売したりしたいですね」

景観作物は咲き終わったら畑にすきこんで栄養素にする。人も楽しめて畑にも優しいやり方を考えている。

「来年度あたりからはちょっと大豆をつくって味噌づくりをしたいなって。あとはもうちょっと先になるとは思うんですけど、大麦をつくって麦茶づくり体験とかもできたらいいなっていう妄想もしています」

「ここら辺で観光名所ってあまりないじゃないですか。だから10~20年の間に、ここが観光スポットの一つになればいいなあと考えています」

地域の農業仲間同士では、「有名な観光スポットばかりを周るんじゃなくて、畑に行ったり地元のおいしいものを食べてもらったりするツアーができたらいいね」という話もしている。

「枝豆つくってビール飲んでもらって、バーベキューを組み合わせるのもおもしろいかなー」

樫村さんの口からはアイデアがぽんぽんでてくる。

それはよい未来を創造することを常に考え続けているからだ。

「自分の中で現状維持は退化するものだと思ってるんですよ。ただただ落ちてくもの。マイナーチェンジでもなんでもいいから、少しでも先に進む、前向きにことを進めていく。なるべくプラスに、レベルアップしていける方法を考えるようにしていますよね」

そう語る樫村さんの顔は、とても生き生きとしていた。

地球のこと、仲間のこと、お客さんのことを大切にし、自分自身が毎日少しでも前に進める方法を考え、行動する。そして楽しむことも忘れない。

そんな樫村さんだからこそ創造できる未来がある。

数年後樫村ふぁーむが、そして日立市が、樫村さんとその仲間によってどのように変わっていくのか。明るい、未来を期待してしまう、そんな取材だった。

(取材・編集 児嶋 佑香)

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