場所や肩書にこだわらない
だからこそ見えた夢の叶え方

上野駅から特急で90分。茨城県北部にある日立駅から、南へ車で15分ほど。大甕(おおみか)と呼ばれる落ち着いた住宅街の中に、株式会社ユニキャストはある。

「いらっしゃいませ!」

ログハウスのようなオフィスに入ると、可愛らしい声のロボットが挨拶してくれた。

ユニキャストは、ロボティクス事業を展開するIT企業。コミュニケーションロボットを使った受付システムも、企業向けに提供しているサービスの1つだという。

ロボットと共に出迎えてくれたのは、代表の三ツ堀裕太さん・37歳。

ちょこんと尖ったヘアスタイルに「素敵ですね」と言えば、真顔で「寝癖です」。初対面からさりげなく冗談を挟んでくる、お茶目な人だ。

三ツ堀さんが起業したのは、茨城大学工学部に在学中の2005年。メンバーは自分ひとり、機材はパソコンとプリンターだけ。学生寮の一室がオフィスの代わりだった。

「子どもの頃からプログラマになりたいという思いが強くて。就職活動が待ちきれなくて、早くプログラマになるにはどうしたらいいか?と考えていたんです。仕事を受けるなら法人にしたほうが信頼を得やすいと聞いて、じゃあ会社をつくるか!と」

プログラマへの思いを募らせた背景には、子ども時代の思い出があるという。

「もともとはドラゴンクエストのブームに衝撃を受けて。ゲームで、なんで人間がこんなに喜んでるんだ?みたいな。そのとき、プログラマっていうカッコイイ仕事があるなあ、と思ったのがきっかけなんですね」

当時小学生だった三ツ堀さん。ゲームに熱狂する人たちへの関心から、人を喜ばせるものの裏側に思いを巡らせるようになっていく。

「その頃はまだ、ゲームは子どもがやるものだという風潮で。子どもから大人まで楽しめるものは? というと、ディズニーランドはすごかったですね。たとえばパレードにしても、音がズレたり不協和音になったりしないあたりに、自然な感じでテクノロジーが使われているんですよ。“技術を感じさせない技術力” があるな、と子どもながらに感じました」

小学生のうちから、技術者のような目線をもっていたんですね。

「パレードを見るときも必ずスピーカーの位置を確認して、よく見えるところよりも、聞きたい音がよく聞こえるところを選んだり。今思えば妙な小学生だったかもしれません(笑)」

起業してまず取り組んだのは、企業向けのWebシステムの開発。知人からの紹介で得た仕事をきっかけに、評判は口コミで広がっていった。

「自分がつくりたい!という動機からはじまる仕事は、しばらくなかったですね。お客さまの求めるものを、しっかりと形にしていく。そのことを常に考えていました」

求められたことに応えるうちに、依頼は増えていく。博士課程に進む頃には、大学の後輩たちをアルバイトとして迎えられるほど、組織は拡大しはじめていた。

エンジニアが増えたことで、大学公認の学内オフィスを拡張。事業が成長していくにつれて「そろそろ自分たちのつくりたいものをつくってもいいのでは?」という思いが膨らんでいったそう。

「Webを裏側で支えるシステムって、使う人にとっての感動とは直結しにくいじゃないですか。わあ、ショッピングカートに商品が入った! なんて驚かないし。もう少し、使っている人に直接的に喜んでもらいたいと考えるようになっていきました」

そこで2015年にはじめたのが、ロボティクス事業。エントランスで出迎えてくれた、卓上型の受付ロボットはその一例だ。既に数十社と契約を結び、海外での反応も良好。

ほかにも、移動型ロボットを使った「ショッピングモールで目的地まで連れて行ってくれるロボット」や「ホテルでポーターのように客室まで案内してくれるロボット」など、さまざまなサービスロボットを構想している。

また、地元の若者と企業が交流できるシェアハウス「コクリエ」もオープン。新たな本社オフィスに併設する形で、地域貢献と人材育成の拠点として運営しはじめた。

もともとプログラマになりたかった三ツ堀さんは、いつしか“日立の若手経営者”として注目を集めるようになっていく。

「私はたまたま日立に残って日立で仕事をしていたんですけど、自然と地方派の人、という感じになって。メディアに『ローカリスト』と書かれたこともありました」

そのように扱われることに対しては、どう感じていましたか?

「うーん、そうですね…。一時期は、鼻息荒く “東京vs地方” みたいな構図が騒がれていたじゃないですか。そういうトーンで話しているときには、やはり東京一極集中はよくない、なんて話をしてしまっていたんですけど。よくよく考えたら、別にこだわっていないだけなんですよね」

こだわっていない。

「東京にも月2~3回は電車で行ってますし、今のところ、それで用は足りているし」

「IT業界の若手の間には、“本気でやりたければ東京に行くしかない”という風潮があるんですよ。もちろん、素晴らしい会社や技術に出会いやすいというメリットはある。でも、本当に東京だけが最適な選択なのか?と思って」

ITのメッカといえば、シリコンバレーだ。思い立った三ツ堀さんは、実際にシリコンバレーに子会社を立ち上げることに。

現地に足を運ぶと、決まって聞かれることがある。

「日本のどこから来たの?って。茨城から来たって言うと、茨城ってどこだ?となる。説明が面倒なんです(笑)。だから、向こうにいるときの私は “from Tokyo”、 東京の人間なんですよ」

三ツ堀さんはあっけらかんと笑う。

「世界地図で見れば、東京と茨城の距離は指先ほどしか変わらない。世界の最先端の動きを知りたいときは国内外で最先端の人たちと話せばいいし、たくさんの企業とネットワーキングしたいときは、企業が集まっている都市圏でやればいい。開発をするなら、それぞれが働きやすく住みやすい土地を選べばいい。地方の方が優位な場合もある。目的に合わせて使える拠点さえあれば、それでいいんです」

東京vs茨城、都会vs地方というように、争う必要はない。目的に応じて、その土地の特性や魅力を活かせばいい。

そんな考え方はロボティクス事業にも通じていると、三ツ堀さんは説明してくれた。

「ロボットの中に使う技術も、自社でつくるのは極力やめよう、と。技術を買ってしまったら自分たちの価値がなくなるんじゃないか? って言う社員もいたんですけど、もっと素晴らしいものをつくれる人がいるならば、その技術を提供してもらって、自分たちがさらに付加価値をのせて提供すればいい。私はそう思うんです」

この思想をもとに発表したのが、「UnicastRoboticsプラットフォーム」。ロボットに関するノウハウや技術をパートナー企業間で共有し、自由に活用できるようにする、ビジネス上のエコシステムだ。

「専門家の人たちがつくったものは、ありがたく使わせていただく。俺らだけで最強のAIをつくるんだ!…みたいなことを言いはじめたら、勘違いで終わってしまうこともあるから」

未来の価値をつくっていく。そんな野心的なロボティクスという分野に身を置きながら、一見ドライな考え方を貫いている三ツ堀さん。

「自分が何かを成してやろう」とか、「独自の…」といった考えにとらわれないことで、さまざまな可能性を視野に入れながら、肩の力を抜いて楽しんでいるような印象を受ける。しかも、それが結果的に会社の成長にもつながっている。

お話を聞いている最中にも、何やら新しい機材が届いた。

「ロボットに使えそうな部品を勝手に買って、このへんに置いておくんです。そうすると、興味をもったエンジニアが集まってくるんですよ。また新しい何かがきたぞ、と。10分、20分くらい、こんなことができるんじゃないか? とアイデアを出しあっているうちにエンジニアも乗り気になってくる。じゃあ〇〇さんに任せるよ、といってまた新しい試みがスタートします」

学生寮の一室で起業してから15年。ユニキャストの事業は、日立だけに留まらないスケールになっている。ひとりのプログラマだった三ツ堀さんは今や、数十人をまとめる経営者となり、企業や地域の人々をつなぐネットワークの起点でもある。

今みたいな働き方って、15年前から想像していた部分もあったんでしょうか。

「そうですね…。何年か前に、周りから “完全に感覚派だよね” と言われて。自分は理系で、全部カチッと論理的に筋道立てて生きてきたつもりだったんですけど、直観的にこれだ!と思ったことを正当化するための論理でもあったんだな、と。今になって思います」

目的地に向けていかに進んでいくかは、きっと誰もが悩むこと。わたし自身もこれまで、ひとつの手段を選ぶことは、ほかの選択肢を捨ててしまうことになるのでは?と感じていた。

けれども、三ツ堀さんとお話ししていると思う。目的地が同じなら手段は何だって大丈夫。自分なりの新しい道をつくっていけばいいんだ、と。

(取材・編集 青木 みさき)

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