まちを歩けば、誰に会う
出会いからはじまる
わたしらしい生き方

いまの仕事や住むところ、自分の生き方を変えたいと思うとき。

大きな決断に、足がすくんでしまうことがある。

すでに何かをはじめた方は、その不安や戸惑い、そして、失敗をどうやって乗り越えてきたのだろうか。

今回、お話を伺うのは、あるきっかけでフリーランスとして独立することを決めた柴田美咲さん。

日立市を拠点に、フリーランスのインストラクター・ライターをしながら、まちを紹介する小冊子「ひたちのまちあるき」の制作や、海の清掃活動「まちキレイ隊」を主催するなど、幅広く活躍している方です。

 

日曜日のお昼前の、日立駅。

2011年に建築家の妹島和世さん監修で生まれ変わった日立駅は、ほとんど全面がガラス張りになっている。

真っ青な空に、どこまでもつづく水平線。太陽に照らされた波が、キラキラと輝いている。

日の光が差し込む通路を歩いて、駅併設のカフェへ。

「おはようございます。天気が良くてよかったですねー」

と、爽やかな声が聞こえた。

笑顔で現れた柴田さんは、緊張している私に

「インタビューって緊張しますよね。私も、いつもそんな感じです」

と、優しく声をかけてくれました。

もともとはスポーツジムでインストラクターをしていた柴田さん。今にいたるまで、どんな道のりを歩んできたのか聞いてみる。

「入社してすぐの頃から、ひとり旅によく行ってたんですよね。海が好きなので、沖縄や離島へ」

それは気が向いたときに、ふらっと。

「そうですね。癒しを求めてたっていうか、どうしても気を張ってたのかなあって、今では思うんですけど。インストラクターって、常に人に見られる仕事なんです。だから、気が休まる瞬間がなくって。誰もいない、誰も知らないところに行きたい!みたいな感じで」

地元のことを愛していたり、プライベートと仕事の境目がない働き方をしていたり。旅先では「こういうふうになりたいな」と思える人との出会いがあったという。

「私のことも、肩書きではなく、もう人間まるごとみてくれて。よし、自分もがんばろうって思ったんですよ」

なかでも影響を受けたのは、長野県長野市と山口県萩市で出会ったゲストハウスのオーナー。

「おすすめの店を教えてくれるときも、『店主さんはこんな人でね』と丁寧に話してくれて、人を大事にしていることが伝わってきて。カッコいいなって思ったんです」

目の前の人との関わりを大切にして、人と人をつないでいく。そんなゲストハウスの可能性を感じた柴田さんは、いつか地元でゲストハウスを開こうと考え、日立の街を歩いて回りはじめた。

「たまたまカフェに行ったら、マスターがお客さんを紹介してくれて。ちょっとこういうことやりたいんですって言ったら、そのお客さんも『じゃあやってみなよ。俺、必ず行くから』って言ってくれて。じゃあ、一人でも来てくれるんだったらやっちゃおうって」

青空のもとで、地元の美味しいものとともにお茶する企画「ミサキカフェ」や、ヨガクラス「ミサキクラブ」など。まずはいろんなかたちの場をつくってみることに。

いざはじめてみると、そこからいろんな縁がつながっていった。

「結構、人との会話の中で何気なく言ったことが形になっていくことが多くて。あんまり深く考えすぎず、とりあえずやってみようって思うようになりました」

とはいえ、独立・開業するのは簡単なことではない。お父さんや職場の同僚にゲストハウスの構想を話しても、みんなに反対された。

それでも柴田さんは、その反対を振り切り、丸5年勤めたスポーツジムを退職する。

「迷ったけど、実家に住んでいたので、まあ死ぬことはないかなと。追い出されたとしても、日立だったらなんとか生きていけるかなあと思ったんですよ。楽天的な考え方で申し訳ないんですけど」

なんとかなる。

そう思って仕事を辞めてはみたものの、試算してみると想像以上のお金がかかることがわかった。

「ジムを辞めてからは、週何回かインストラクターのアルバイトをしつつ、体育の教員免許を持ってたので、ちょうど声をかけてもらって学童保育のお手伝いをしていたんです」

「もしかしたら、そういう逃げ道があったから、借金を抱えるっていう大きな覚悟が持てなかったのかもしれない。自分で甘い道をつくってしまったんだと思います」

結局、ゲストハウスをつくる夢は3ヶ月ほどで諦めることになってしまう。

さて、ここからどうしようか?

一般企業で活かせそうな経験やスキルがあるわけではない。ただ、もう一度インストラクターの仕事をするイメージもなかった。

先の見えないなか、思案を続けていたある日。友人から「運動したいから付き合って!」と連絡があった。

「地元の多目的施設で一緒に汗を流して。帰り際に、フロントの方と世間話になったんです。そのなかでポロっと、インストラクターとして勤めていたことを口にしたら、『ここでレッスンをしてくれないかな?」と相談をいただいて」

しばらく悩んで、一度だけ引き受けてみることに。

そして迎えたレッスン当日、魔法が解けたような感覚を味わったという。

「以前よりも、やりがいを感じたんです。インストラクターはもうやらない!と思ってたけれど、ああ、やっぱり楽しいって」

それは、何が違ったんでしょうか?

「今まで、自分が楽しむことを忘れてたんだなあって気づいたんです。ジムで働いていたときは、毎日をこなすことで精一杯だったから。見える景色が変わったっていうのかなあ。目の前を覆っていたフィルターが外れたように感じましたね」

あらためて、インストラクターの楽しさを味わった柴田さん。

地元のお世話になった先輩や友人、まち歩きをしていた時期に知り合った人たちからの依頼も徐々に増えていき、2016年にフリーランスのインストラクターとして独立。さらには、ライターとしての仕事もはじめるようになった。

「やっぱり、手に職があっても、人とのご縁がなかったら、フリーランスとしてはもちろん、インストラクターもしていなかったと思うんです」

悩んだときも、夢を描いて挫折したときも。

旅先や地元のまちを歩いて、誰かと話したところから、何かがはじまった。

実はライターとして活動することになったのも、行きつけのカフェのマスターから、茨城県出身の編集者の方を紹介してもらったことがきっかけだったそう。

「今更ですけど、なんでもやって損はないんだなって、思えるようになりました。ぜんぶつながってるんだなあって」

「これからは、お世話になった方々に恩返ししていきたいんですよ。ほんとに助けていただいたので。今は地元での活動が多いんですけど、旅先でお世話になった方とも一緒に、なにかできたらいいなと思ってるんです」

以前ひとり旅で訪れた鹿児島県下甑島(しもこしきしま)で、イベントのヨガ講師をつとめるなど、柴田さんは一歩ずつその想いをかなえている。

ゲストハウスをオープンする夢は、カタチを変え、人と人をつなぐ場づくりへ。

「なんでもやったもん勝ちなんだと思います」

明るく楽しそうに話す柴田さんの笑顔に、こちらの心まで照らされたように感じました。

(取材・編集 渡部 美帆)

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