ありのまんまを見つめて
そのまんまで生きる

「将来の夢は何ですか?」と学生の頃に聞かれたことを思いだした。当時の私は「何にでも挑戦してみたい」とやる気と希望に満ち溢れ、それはそれは前のめりに答えた。

今の私が同じ質問を受けたとしたら、あのときのように素直に、まっすぐ答えられるだろうか。

何か「やりたいこと」があったとして、今いる環境や周りの反対に潰されそうになっている人や、失敗を恐れて躊躇している人がいたら。茨城県へ移住した篠崎桃子さんを知ってほしいと思う。

 

JR常磐線日立駅の中央口から出て10分ほど歩いた場所に、篠崎さんが友人と共同経営する「立ちより居酒屋manma(マンマ)」がある。

お店の扉を開けると、どこか緊張しているような雰囲気の篠崎さんが迎えてくれた。

お店の営業は夕方から午前3時まで。この日はインタビューのために、いつもより早起きして待機してくださっていた。

「あまりいいお話ができるかわからないですが、なんでも話します。よろしくお願いします」

「このほうが慣れているから」と、カウンター越しにお話を伺うことに。

もともと、茨城県には縁もゆかりもなかったという篠崎さん。なぜ移住して、居酒屋をはじめることになったのだろう?

「わたし、東京のシェアハウスを転々としてたんです。そのなかで、茨城出身の友だちと出会って。ロッキンジャパンに出店するって言うんですよ」

「でも、飲食の経験がまったくない人で。カレーの試作でじゃがいも半分に切ってフライパンで焼いてるのを見て。これはまずいぞと思って手伝うことになり(笑)。そこから茨城に関わるようになっていったんです」

日立に通うようになったきっかけは、オクトーバーフェストの企画運営。その出店者の取りまとめを担っていたのが、日立駅前の商店街を中心に、飲食店の運営やプロデュースを手がけてきた清家さんだった。

「あるとき清家さんから、『琉球フロッグスっていう沖縄の人材育成プログラムのイベントによかったら来てみない?』ってお誘いをいただいたんです」

「琉球フロッグス」とはアメリカ・シリコンバレーでの10日間の研修を中心とする、約半年間の人材育成プログラム。沖縄で10年にわたって運営されてきたもので、茨城でも同内容のプログラムをはじめよう、というタイミングだった。

当初は自身が関わるイメージをもてなかったという篠崎さん。

沖縄で開催されたカンファレンスに同行してみて、驚きや感動、焦りなどさまざまな感情を味わった。そして、自身の価値観と向き合うなかで、若者の未来に大きな希望を紡いでいきたいと感じ、考えも少しずつ変わっていったそう。

「イベントに参加したときに、半年間で圧倒的に成長した学生たちの姿を見て、私も社会に貢献できるような、世の中を本気で変えていける大人になりたい、ってあらためて感じたんです」

フロッグスにおいて大切にされている『井の中の蛙大海を知らず』という言葉。篠崎さん自身、その考えから人生が広がっていった感覚をもっているという。

「自分で可能性を決めつけなければ、どんな立場の人でも可能性を広げていける。そのことにフロッグスは挑戦しているな、ってことを感じて」

「“ハイブリットイノベーター型の人材育成プログラム”っていわれると仰々しい感じがしますけど、根本はすごく熱いというか。人間はこれからどう生きていったらいいだろうか?自分の人生をどう生きていきたいかっていう、ひたすら自分自身と向き合い続ける、そういう人生がテーマみたいな感じなんですよね」

プログラムの対象は、中学生〜大学生。篠崎さんたちメンターは、その成長をさまざまな面から支えていく。

「私はメンターっていうより、サポーターっていう感じでいて。前に立って何か言うような感じではないんですよ。学生さんたちが自分と向き合って、壁にぶつかりながら乗り越えていくプロセスに、ただただ、より添う」

インタビュー前日、常陸フロッグスのプログラムに参加している二人の高校生とお話する機会があった。

印象的だったのは、彼らがメンターの篠崎さんに対して「感謝している」と言っていたこと。慣れない環境下でのサポーターとして、篠崎さんがかけがえのない存在となっていたことが、言葉の端々から伺えた。

こうして篠崎さんのお話を聞いていると、2つの軸を持ってらっしゃるように感じます。

“自分のやりたくないことはやらない”こと。それから“人のために動く”ことも、篠崎さんにとってのモチベーションになっていそうですよね。

「人の役にたっていないと自分の存在価値がないみたいな感覚があるんですよ、私のなかで。純粋に人を楽しませたいって気持ちもあるんですけど、役にたっていないと生きている意味がない、みたいな」

「自信がない子とか、これやったら失敗するんじゃないかって思う子がいたら、背中を押しつつ寄り添える大人になりたい。なんでもやってみないとわからないから。それがあるからフロッグスに関わっているんだと思います」

篠崎さんの言葉からは、“若い世代の力になりたい”という想いが伝わってくる。

そんな想いとはうらはらに、一度都市部や県外に出ていった人たちがなかなか戻ってこない、という現状もある。茨城から若手人材がはなれてしまう要因として、何か思われていることはありますか?

「一番の原因は、後ろ向きな大人が地域に多かったからだと思うんですよ。でも、今の日立は違っていて。若手が頑張ることを積極的に応援してくれる大人たちがたくさんいるんです」

日立には、若手経営者による「翔天隊」という組織がある。常陸フロッグスも、彼らの「茨城の次世代リーダーを育成したい」という想いから2018年に設立されたものだった。

「私も、そういう大人が茨城にいるんだ!って感動したから、日立に移住することを決めたし。次の世代を育てないと、っていう気持ちはすごくありますね」

大切なのは場所ではなく、“生きる選択肢はどこにでもある”と肯定的に考えられるかどうか。そのひとつの道を、次の世代に対して背中で見せられるかどうかだと篠崎さんは言う。

そしてもう一つ、篠崎さんには夢がある。

「将来は海の見える場所でカフェ・バーとゲストハウス、コワーキングスペースとライブスペースが一緒になったような施設をつくるのが夢なんですよ。誰かにとっての居場所になるような場所をつくりたいってずっと思っていて。実はこの立ちより居酒屋manmaは、その第一歩なんです。だから、できたときはすごくうれしくて」

この物件を紹介してくれたのも、清家さん。篠崎さんが以前バーで働いていたことを知って、「ちょうど空く店舗があるから、開業に挑戦してみたら?」とつないでくれたのだとか。

店名のmanmaには、二重の意味が込められているそうだ。

「私、ざっくばらんな“そのまんま”の人間なんで。それから、よく“お母ちゃんキャラ”っていわれるんですよ。母の味を食べられるお店、“まんまご飯”っていう意味も込めてマンマなんです」

「ちょっと笑っちゃうけど、いいなあと思ってて。飾らない素の状態で接していると、相手からも“そのまんまの反応がかえってくるんですよね」

manmaは、篠崎さん自身がありのまんまでいられる居場所でもある。

これまで東京で出会った人たち、シェアハウスで知り合った人、茨城への出張ついでにお店へ遊びにくる友人など、互いの情報交換や交流が生まれる場となっていった。

「あるとき、常陸フロッグスで関わった方が『自分の生まれた場所でなくても、その土地にいる人が好きなら、そこに生まれる愛が郷土愛なんじゃない?』っていう話をしてくださって、むっちゃかっこいいじゃんって。とても心に残っています。そういう意味で私は、日立に郷土愛を感じていますね」

自分が今いる場所や周りの人を好きになれたら、それだけで世界は変わってみえてくるのかもしれない。その土地の魅力や人に触れたら、まずは受け入れてみる。そして、できるだけ前向きに肯定してみる。

そうやって胸を張って過ごしている大人が増えたら、その背中を追ってあとに続く若手もきっと増えていくように思う。

「茨城で有名になりたいって思っているわけではないんですけど。なんだろう、移住してきたからには、出来るだけいい影響を与える人間になりたいって思ってて。発信力をつけるとか、言葉を伝える場所づくりとか、まだまだやっていかなきゃいけないなって思っていますね」

 

「やりたいこと」があるなら、まずやってみればいい。失敗するかもしれないけど、それをみていてくれる人は必ずいて、次の一歩にきっとつながっていくから。

人と地域の魅力にありのまんまで向き合い、過ごされてきた経験や想いと、次の世代に向けて語られた篠崎さんの言葉の数々は、目の前にいる私自身の背中も押してくれたような気がしました。

(取材・編集 山田 里実)

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