金属と向き合い、
つきつめた
その先に描く夢
鍛治屋という職業を知っていますか。
金属を熱したり叩いたりして加工し、さまざまな製品をつくる仕事です。
今回取材をするまで、接点がなかった職業。ただ、お話を聞いていくと、たくさんのヒントを得ることができました。
迷ったときに何をどう選ぶか、天職について、まちづくりのことなど。
ひとりの職人さんの人生に、ほんの少しだけ併走してみましょう。
茨城県日立市は、山と海とがとても近い距離にあるまち。海に面した駅から少しのぼっていくだけで、山深いエリアまで行ける。
今回伺う工房は、日立駅から内陸へ車を走らせ向かった。
駐車場に着き、工房への小道を進んでいくと、木々の向こうからかっこいいロックが聴こえてきた。
いったいどんな人なのだろう…?と想像が膨らむ。
工房へ入ると、鉄を加工するための道具や機械がたくさん。
その中から「こんにちは」と顔を見せてくださったのが、今回インタビューをさせていただく鍛治職人の宇田直人さん。作業の様子も見せていただきながら早速お話を伺う。
鍛冶屋になられたきっかけについてお聞きすると、開口いちばん、こんなことをおっしゃった。
「鍛治屋になったのは、まぁなりゆきでこうなったって感じが強くて…」
なりゆきで…?
「将来自分がやりたいことと、それを職業として成立させるにはどうするかと考えたときに、鍛冶屋っていう選択が自分には1番だったという感じかな」
どういうことだろう。じっくり話を聞いていく。
ドイツで修行した経験のある宇田さん。ドイツといえば、鍛治職人の本場。軒先の看板や建築物など、街じゅうに美術鍛造がたくさん存在しているという。
そんなドイツでの生活を振り返って、宇田さんはこんなふうに話す。
「言葉だって喋れないし、友だちだっているわけじゃない。今みたいにインターネットもないから、誰とも何も話さず、永遠に工場と家の行き来みたいな。徐々には友だちもできてきたけどね」
「結局そこまでいろんなものをぶっちぎっていく人しか、あの当時は海外修行に行かなかったんですよね。だからもう、ほんとにそれしかなくなるから、誰だって上手くなるよね」
ドイツにいた4年弱の間に3箇所の工房に入り、さまざまな道具の使い方や技術を習得した。当時の経験が現在に大きな影響を与えているという。
何かひとつのことをここまでやり抜ける人は、いったいどれだけいるだろう。
「やりたいことはたくさんあるし、チャレンジしたい気持ちもある。だけど…」
そんなふうに思ってしまう人も多いのでないか。
宇田さんは続ける。
「どういう風に削ぎ落とすか。ほんとに自分がやりたいことは何なのか」
「普通こういうわけのわからん職業で食べていくって、大変だと思うんですよね。だけどやれてるのは、結局いろんなもんを削ぎ落としているから。これしかやってないですからね、僕は」
『削ぎ落とす』
そんな宇田さんの言葉には、潔さを感じる。
情報にあふれた今の時代、いろいろな誘惑や、外部の世界が輝いて見えることも多い。そんななかで、自分のやりたいことを見出し、それ以外を削ぎ落としていくことはとても難しく思える。
宇田さんの歩んできた道のりも、決してまっすぐではなかったそうだ。
「僕は大学受験で4年浪人したんです。そのときに予備校の先生が、『10年後の自分を考えてみたらいい』って言ったんですよね。たとえばアーティストや作家になりたいんだったら、そのための準備を今すぐスタートさせてないと、10年なんてすぐに経ってしまうって」
宇田さんがドイツに行こうと思ったのも、10年後を見据え、今自分にできることを考えてのことだった。
ちなみに美大を目指した当初は、グラフィックデザインを専攻しようと思っていたそう。「グラフィックデザインとか、面白そうだし、かっこいいし」と笑う宇田さん。
しかし、さまざまな経験を積むなかで、金属という素材や小ロットでのものづくりの面白さを実感し、金属工芸にのめり込んでいった。
ドイツから戻った当初は、現地で学んだ技術を、日本の空間にどのように落とし込んでいくかが課題だった。
「大切なのは、『技術的なもの』と『感覚・センス』、あとは『それを買ってくれるお客さん』。その3つが揃ってはじめて、ベストな仕事ができると思う。いくら自分がいいものだと思っても、そのよさを同じように分かってくれるお客さんがいなければ、仕事は成立しないから」
普通の仕事は、ミスが許されない。その一方で、自分のできることをプレゼンする場と捉えて、チャレンジされているのが、個展。宇田さんは個展を“実験の場”と表現する。
常に新しい提案ができるように、個展で新しいものを示し、訪れた人の反応をみながら自分の引き出しを増やしていく。その積み重ねがあってこそ、お客さん一人ひとりに対して最適な提案ができるという。
工房でのお話を一旦切り上げ、最近リフォームされたというご自宅にも案内してくださった。日本家屋にどのように金属が馴染むのかが気になる。
玄関を入ってまず一番に目を引かれたのが、この金属の屏風だ。
和柄の青海波を連想するような大きな輪の模様と、金属素材の組み合わせが和室に馴染んでいて素敵だった。
ほかにも小物入れやアクセサリーなど、大小さまざまな作品が並んでいる。
モダンでありながら、和風の家にも合う。宇田さんの作品には独特の雰囲気がある。
多種多様な作品は、どのようにつくられていくのだろう。
「作業の段階で迷うことはあんまりないかな。迷うとしたらデザイン。形をつくったあとも、図面上と実際に製作したもののプロポーションは少し差が出る場合もあるから、その微調整をしていく。これは大きな鉄工場ではやらないし、やれない作業だね」
宇田さんの考える“いい作品”ってどういうものですか。
「自分がいいと思うものは、お客さんもきっといいと思ってくれる。そこにあまりズレはないと思うんだよ。ただ、お客さんのことはよくよく考える。自分では『いたこ方式』って呼んでるんだけど」
いたこ方式…?
「注文仕事は、お客さんが実現したい想いを代わりに形にするということだよね。お客さんはきっとこういうことがやりたいんだって、お客さんに乗り移った気持ちで考える。だからいたこ方式」
オーダーを受けたら、まず実際に設置する場所に足を運び、お客さんともしっかり話す。
自分の目と耳と足を使って、しっかりと雰囲気を捉えるからこそ、その場所に違和感なくマッチするものがつくれるのかもしれない。
宇田さんは今後について、「夢はドイツの親方のように日本でも街をプロデュースするような大きな仕事がやりたい」と話す。
街をプロデュースするって、どういうことでしょう?
「ドイツでは、街を丸ごとプロデュースするようなこともあるんだよ。たとえばガードレールとか、街の照明とかを全部デザインする。だからその街に行くと、同じようなデザインのもので統一されているの。すごいよね」
ドイツは日本と比べて工房の規模が大きく、職人の数も多いため、そういった公共事業のようなことに取り組めるケースがあるのだそうだ。
時間と手間をかけて、いいものをつくり続けている人は今でもたくさんいる。しかし、その一方で大量生産化が可能になり、似たようなものであふれた世の中になりつつある、とも言える。
こんな時代だからこそ、その土地に根付くものや、その土地でしか生み出せないものの価値を再認識し、それをまちづくりにつなげていけたらとても面白い。もしも日立のまちがそんなふうに変わっていったら…と想像すると、なんだか楽しみだ。
人生のさまざまな現実に突きあたるたび、“これしかない”という状況を自らつくることで前進してきた宇田さん。たとえそれが“たまたま”だったとしても、その都度自分なりの決断を積み重ねることが、他人に真似できない結果を生むことにつながっているのだと感じた。
何が正解かは、誰にもわからない。自らの選択を正解にしていく作業こそが大切なのだろう。
(取材・編集 村崎 理恵)
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