わたしは「旅のひと」
人生の先輩から学んだ話

晴れた日。茨城県日立市の住宅街。

家と家とのあいだにひょっこりと水色のかわいらしい建物が現れる。ここは、小さな洋菓子店です。

お店の名前は「アトリエマドレーヌ」。

扉をあけると、柔らかい笑顔のマダム、上野昭子さんが出迎えてくれました。

「どうぞ、まずはかけてください。荷物は大丈夫? 空いてるところに置いてね」

作業台のうえには、おいしそうなプリンが並んでいる。ありがたくいただきながら、キッチンの一角でお話を聞くことに。

 

「周りの人は、私のことを『旅のひと』って言うのよ」

そう、上野さんは語り始めてくれました。

「昔は、お菓子が今の日本みたいにブームではなかったのよね」

上野さんの若い頃の話。50年ほど前の話だ。

「今はもうお菓子は氾濫しているけども。昔は本当にないですよね。当時住んでいた自由が丘には、『モンブラン』と『風月堂』っていうお店しかなくて。そこまで散歩がてら行って、ケーキを買ってくるか食べてくるか。それくらいでした」

そうなんですね。今から考えるとイメージが湧かないです。

そこからお菓子づくりに興味を持ったキッカケって?

「母がお菓子づくりをしていたんです。それに父も、家に知り合いを招くことが多くて。幼いころから、お菓子をつくっては振る舞っている様子を見ていました」

「私自身も、大人になってから知り合いが開いていた料理教室に通うようになって。そこから少しずつ興味が芽生えていったんだと思います」

結婚を機に、自由が丘の自宅を離れて日立市へ。

その後も趣味としてお菓子づくりは続けていた。

「当時の日立には、生クリームが売っていなかったんですよ。それがカルチャーショックだったね。お菓子屋さんもほとんどないから、ケーキを食べたければ、自分でつくるしかなくて。材料の生クリームは、近くの牛乳屋さんから取り寄せていました」

まだまだお菓子が大衆のものではなかった時代から、ずっとお菓子づくりに取り組んできた上野さん。

オーブンはなんと、軽自動車が買えるほどの本格的なものを以前から使っていた。「車ではなにも稼げないけれど、オーブンはいつかお店をひらいたときに役に立つから」というのがその理由。旦那さんの退職金を使って購入したそうだ。

「東京から知り合いのプロの人たちが遊びに来たりすると、『上野さん、こんなにいろんな道具が揃っているんだから、店をやらなければいけない』って言われるんですよ。そのころ、結婚式の引き出物としてお菓子を頼まれたりしていた時期でもあったから、『そろそろ店を名乗ってもやっていけるのかな』って思い始めて。それで開業することにしたんです」

ご家族は開業に対して、反対したりしませんでした?

「娘からは、『なんで今?』って言われました。主人も仕事の関係で別の場所にいたし、子どもたちも親元を離れたところだったので、タイミングがよかったんですよ。でも娘たちがなかなかOKを出してくれなくて」

粘り強く質問や心配ごとに応え続けて、なんとか開業できることになった。

「娘たちも面倒くさくなったんでしょうね」

と上野さんは笑う。

「うちの子たちも、そういう感じで世話していないから」

そういう感じ?

「子どもを誘導したり、こうしたら?ああしたら?勉強したら?何とかしたら?ということをしないようにしているんですよ。私はその子の将来を保証できないから」

家族って、心配しすぎてしまうことも多いけど、上野さんのお子さんに対する向き合い方は、ちょっと違っている。

「子どもの選択に対して、心配することはあまりないですね。ただ、何か迷っているときは、次の道を提案してあげることもある。迷うことはかわいそうなことだと思うから」

お子さんの選択を応援し、そっと背中を押して送り出してきた。

それは、誰より上野さん自身が「自分で決めること」を大切にしているからなのだそう。

「学生時代にフランスへ留学に行ったときも、大使館まで行っていろいろと調べて、寮も押さえて。もう事後承諾よね。お願いだから行かせてって」

「私自身がそんなだから、子どもたちもそれはあちこち飛び回りますよね。ふふふ」

子どもであっても、ひとりの独立した個人として関わっていくような感じ。子どもは子ども、自分は自分。

「当然、別の道を行っているし、私はその子じゃないんだから。お金の面とかいろんな面で、あんまり子供に干渉しない。だから、通信簿も自分から持ってきたときしか見なかった」

じゃあ、勉強しなさい!とかもあんまり言わなかったですか?

「言われてもうちの子どもたちはやらなかったと思う。だって5人もいるし。うふふ」

だからこそ、お子さんはのびのびと自由にされているんですね。

「自分の思う通りに生きているのよね。5人いても、それぞれ全然違う道を歩んでいるし」

周りの人がなんと言おうと、移り住んで環境が大きく変わろうとも。上野さんは、お菓子づくりをやめなかった。

そんな自由な生き方が、彼女を『旅のひと』と呼ばせているのかもしれない。

ちなみに、今後やりたいこととかって、ありますか?

「あまり決めてないし、どこにいるかもわからない」

上野さんは、これからも自由に生きていくのだろう。それが彼女の生き方だ。

 

自分は自分、人は人。

身近な家族であっても変わらない上野さんの姿勢に、人生を楽しむ秘訣を教わったような気がします。

上野さんにとってのお菓子。私にとっては、なんだろうな。

(取材・編集 大前 佳乃)

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