好奇心が引き寄せる人とモノ
海辺に穏やかに佇む
70歳の料亭

“料亭”と聞くと、どんなイメージを抱きますか。

格式高く、足を踏み入れづらい―これがわたしのイメージです。ところが、今回訪れた料亭「三春」は、ちょっと違っていました。

確かに少し緊張もするけれど、ふらっと遊びに来ても温かく迎え入れてくれそうな。あたたかな雰囲気を感じる場所でした。

この記事では、そんな「三春」のストーリーをお届けします。

 

インタビューをさせていただいたのは、女将の渡邊映理子さん。グレーのニットに好きな作家さんのエプロンをまとい、いきいきと作業されている姿は、なんだかとてもかわいらしい。

「三春」は日立駅から徒歩5分の場所にある。予約制のコース料理が食べられるほか、併設されている「cafe miharu」の喫茶利用も可能だ。

せっかく来たのだからと、事前に予約していたランチをまずいただくことに。

ひとつひとつ丁寧につくられた品々をいただくうちに、実家でごはんを食べているかのようなくつろいだ気分になる。窓からは穏やかな空や海がすっきり見えた。

食後、あらためて渡邊さんに話を伺う。

「三春は昭和25年生まれなのね、なのでもう少しで70歳くらいになります。この建物の中に住まいがこっそりひっそりあるんですよ」

三春を立ち上げたのは、渡邊さんのお祖母さま。もともと料亭としてはじまったそうだ。

「子どもの頃は芸者さんたちが来て、『出前を取るけど一緒に食べる?』って妹と可愛がられていました。当時、目の前の通りは全部花街だったの。芸者さんのお部屋ではプチ賭博。ふふふ」といたずらっぽく笑う。

結婚後は自宅でパン教室を開いたり、ケーキ屋さんで勤めたりする傍ら、三春を手伝う程度だった渡邊さん。

女将として切り盛りする契機となったのは、東日本大震災だった。

「そこの道から向こうの海側は、揺れでやられてしまって。建屋は残っていたんだけど、再建はできないような状態だったから、全部潰して駐車場に。ずっと見晴らしがよくなっちゃった」

窓から見える景色には、そんな背景があったんですね。

「親はがっかりして、どうしたらいいのかわからない状態になって。なにかできないかなって考えたときにあったのが、笹巻ご飯で」

もち米のなかにうなぎを入れて笹の葉で巻いた一品は、以前から常連さんの間で人気だった。

実は震災の直前、日立駅のリニューアルに伴うオープニングセレモニーのときに、お土産として用意くれないかと相談があったそう。なんでも、前市長がこの笹巻ご飯のファンだったのだとか。

「店はしばらく営業できなくても、笹巻ご飯を通販で売ろうと思ったの。親は『勝手にやったら?』という感じだったし、震災前まで板前をやっていた妹は東京に引っ越しちゃったので。で、そこから“売るためにはどうすればいいんだろう?”と考えはじめたら、気づくことが山ほどあって。それをひとつずつクリアしていって…」

商品をどう包むか、どんな箱が必要なのかなど。ひとつずつ進めていくと、次第に軌道に乗ってきた。

「デパートのお中元やお歳暮で出せるようになったタイミングで、いとこからアドバイスをもらったの。『ブログを毎日書きなさい』って。わたし、ネットが大嫌いで興味もなかったから、ほんとに大変だった。ブログに慣れてきたら、『今度はFacebookよ』『Instagramよ』って言われて、またやるの…って」

「けど、それをしている間に少しずつお客さまが『見ましたよ』って言ってくれるようになって」

こうして笹巻ご飯の人気が高まっていくなかで、半壊したお店も片付き、さらにお客さんを呼ぼうと始めたのが、料亭の2階を活用したカフェだった。

もともとお店をやりたい気持ちはあったんですか?

「自分がやりたいっていう風にはまったく思ってなかったんだけど、ここで生まれ育ったから、やっぱり、なくなっちゃうのはやだなって思ったんですね」と、穏やかに力強く語る渡邊さん。

いざはじめると、地域内外からいろんな人たちが訪ねてきてくれた。

この日も、展示販売のために大阪から来たというアーティストの方がいらっしゃっていた。

「せっかくの出会いですもの」と、その方とわたしたちを引き合わせてくださる渡邊さん。

「なにもしなければ通り過ぎてしまうけど、それってやっぱりもったいないじゃない?」

さりげない橋渡しがあるだけでこんなにも心地よい時間を過ごせるのかと、こっそり感動する。

「人と人とをつなげるのが大好き。だって自分の大好きな人を紹介して、そこからまた新しいつながりができていくって素敵じゃない?」

そう話す渡邊さんの表情は、本当にうれしそうだ。取材中も、自身の好きな物事についてとても楽しそうに話をされていた。

「会いたい人とかいいなと思ったものがあれば、とことん追求するというか。それを大変だとは思わないの」

たとえばInstagramを見るなかで、気に入った投稿があるとする。もし海外の方の投稿で、その国の言葉が分からなければ、“ハートマーク攻撃”で興味があることを伝えるという。

「この人素敵って思ったら、まず自分から近づいていく。なんていうのかな、アンテナが一緒っていうか、同じにおいのする人とはつながれるようになっているって、わたしは思うんですよ。そのちょっとしたアクションをするかしないかで自分の人生が変わるから、しないのはもったいない。最近すごくそう思うんですよね」

確かにそのとおりなのだけど、相手はどう思うだろうと想像して、結局尻込みしてしまう人も少なくないと思う。

そう伝えたら、こんな言葉が返ってきた。

「たぶんそこがわたしは欠落していて、相手がどう思うかじゃなくって、自分の気持ちを先に出しちゃうのかもしれない。そんなことより、この人ってどんな人なんだろう?っていう興味とか好奇心が勝っちゃう」

率直に、うらやましいと思った。こんなに素直に、自分の感情を表現できることに。

「でも、みんながそうじゃなきゃいけないってわけではまったくなくて。その人それぞれのコミュニケーションの仕方があるから」

好きなものをとことん追求する。そんな話を聞いてから、あらためて室内を見渡してみると、調度品や内装のデザインなど、随所に渡邊さんの“好き”があふれているように見えてくる。

きれいに飾られていた石はすぐ近くの海岸で拾ってきたもの。ほかにも、カフェでワークショップを開いた際につくった、一本の針金でできた蟻や、韓国で見つけてきたある漫画のキャラクターそっくりの置物など。宝物を探すみたいに、何時間でもいたくなる。

「発掘するのが大好き。…いや、発掘するっていうと上から目線だな。なんだろう…あたしこれ好き、ってものを見つけるのが楽しいのかな」

渡邊さんのお話は、順風満帆に楽しくやってきたようにも聞こえる。けれども、女将としてここを切り盛りしていく覚悟をもったのは、約1年前のことだという。

「震災から8年かかって、ようやくここを守ろうと思えるようになった。それから気持ちも軽くなって、楽しくしようとか、思うように。ま、それまでも楽しくやってたんですけど… 自分がやるんだったら、やりたいことだけ選んでこう、って」

三春の三代目女将になったのも、成り行きといえばそれまでだけど、目の前の“好き”を大切にし続けたことで、自分の足元も少しずつ豊かになっていったのだろうな。

渡邊さんは、「三春はパワースポットなんです」と言う。インタビューを通じてその変遷をたどっていくうちに、そのパワースポットは渡邊さん自身なんじゃないかな、と思った。

(取材・編集 西山 千尋)

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