歩幅が合うと、楽になる
「はじめまして」のはじめ方

紅葉も終わり際、色褪せてきた山々を眺めながら、襟元に顔を埋める。

初雪でも降りそうなグレーの空の下に、季節外れの花のようなピンクの旗が見えた。旗には「日立中里フルーツ街道」と書いてある。

東京駅から常磐線特急ひたちに乗り、海岸沿いに北上すること1時間40 分。青い海を望む日立駅から車に乗り換え山側に向かって30分ほど行くと、ここ、茨城県日立市中里地区に着く。

新宿高島屋のデパ地下で働いていた渡邊友貴子さんは、5年前、大学時代の恩師に誘われて2泊3日のフィールドワークでこの地を訪れた。

「都市部の若者を茨城県北に呼んでアイディアをもらう、みたいな企画に誘われて。そのときにここのキーパーソンのおかあさんに会ったんです。『また遊びに来ますね』なんて言ってたら、後日彼女から突然電話がかかってきて」

フィールドワークをきっかけに、茨城で仕事を探す決意を固めていた友貴子さん。ちょうどデパートを退職することを決めたばかりのタイミングだった。

「彼女が私の母校を訪れたときに教授からそのことを聞いたみたいで、『私はあなたがどういう人かまだわからないから、とりあえず履歴書を持ってきてほしい』と言われて、言われるがままに訪ねていったんです。ジーパンにパーカー、スニーカーにマスクという格好で」

それはもちろん、遊びに行くつもりで。

「そうですね。そしたら市役所に連れていかれて、『この子が私の推薦してる子なの』みたいな感じで紹介され。そのまま地域おこし協力隊になることになりました(笑)。私は彼女を“中里のビッグマム”って呼んでます」

任意団体を立ち上げ、農業体験の受け入れなどを行ってきたビッグマム。以前から中里地区に地域おこし協力隊として来てくれる人を探していたという。

「彼女は、自分の子どもたちが生まれ故郷を思い出したときに『頑張ってるね』っていう地域でいたい、という話をしてくれて。すごく素敵だなと思ったんです。私に対しても『面倒見るから』みたいな感じで」

通常、地域おこし協力隊は一地域あたりに3〜4人配属されることが多いものの、当時の中里地区に着任したのは友貴子さんただひとりだった。

「はじめの半年ぐらいはビッグマムにぴったりついて、いろんなところで守ってもらいました。ただ、前職のデパートが一分一秒を争う仕事だったので、早く何か成果を残さなきゃ…と焦ってしまって」

着任まもないころから、地区の取り組みに対して積極的に改善案を出していった友貴子さん。ところが、周りの人たちからは批判的な声もあがったという。

「そのときにビッグマムから『あなただったらどう思う?』って言われて。『見ず知らずの若者からいきなりワーッて言われたら、ムカつくでしょ』って。確かにそうだなと思ったんです。自分のエゴに、地域の人たちを巻き込んでいたんだなと」

「人には人の、地域には地域の歩幅がある。その一歩めは、自分がまず何者かをわかってもらうことなんだとわかりました」

それからは、行事に顔を出したり、自治会の人たちと一緒に付近のマップをつくったり。その過程で地域を知りつつ、自分はどこから、何のために来たのかということも、なるべくオープンに語っていった。

次第に、ビッグマムのもとから離れても関われる人の輪が広がっていったという。

「リンゴ部会、ブルーベリー部会、ブドウ部会といった果樹ごとの部会との関わりもそうですし、あとは教育体験を受け入れる特例があって、民泊協議会と連携して県内外の大学生や交換留学生を呼んだり。多岐にわたるちっちゃな仕事へとつながっていきました」

今では「おとうさん」「おかあさん」と親しみを込めて呼べる人も増えた。SNSの投稿からも、地域にすっかり馴染んで楽しみながら活動している様子が伝わってくる。

「とはいっても、応援してもらえることばかりじゃないですよ。リンゴ部会で年に1~2回、農家さんからリンゴを1000個買って日立駅前で無料配布してるんですけど、1年目はリンゴ農家さんから『何のためにやるんだ』って言われることも多かったです」

「でも2年目3年目ぐらいになってくると、『もらったリンゴが美味しかったからって買いにくる人がけっこういるんだ』とか、『テレビとか新聞を見て来てくれた』みたいな話が出てきて。折れずに『まあまあ、そんなこと言わないでやろうよ』みたいに続けていくと、結果があとからついてくるというところはあります」

それってつまり、愛嬌と忍耐力みたいなものなんですかね。どちらか片方に偏っても、成り立たないような気もします。

「そうですね。あとはキッチリしてるより、『あいつはなんかヌケてっから、やってやんねーと』みたいな隙が大事で。私は朝が弱いねぼすけキャラで、『どーせ寝てんだろ』みたいによく言われます(笑)」

暮らしの面では、どうですか?

「一人の時間がないと無理だっていう人は、けっこうキツイでしょうね。土日だろうがなんだろうが、地域の人は家に来るので」

「何かあったときに相談に乗ってくれたりとか、朝起きたらごんぎつねがいろんなものを置いていくみたいに白菜があったりとか。本心でいやなこと言う人はあんまりいないし、いい人が多いです」

そんな友貴子さんは昨年、地域おこし協力隊の3年間の任期を終えた。

「ありがたいことに、県の観光協会をはじめ、いろんなところから声をかけてもらいました。それを聞いたビッグマムが、市に『何とかつなぎとめてよ』って言ってくれて。住む場所は変えないって伝えていたんですけど、仕事も日立で続けてほしかったみたいで。結局、市が“中山間地域活性化専門員”というポストをつくってくれて、今は週5で働いています」

協力隊時代の仕事を引き継ぎつつ、市役所の仕事に加え新しい取り組みもはじめているという。

たとえば、ビッグマムが代表を務める任意団体「夢ひたちファームなか里」と共同で、中里地区の農業や料理、伝統文化を体験してもらうイベントを年6本開催したり。ここに来る道中でも見かけた「日立中里フルーツ街道」の旗やロゴ、Webサイトなどを東京農大と一緒につくり、中里の果樹をプロモーションしたり。

さらに、母校である東洋大学の授業も受け入れている。友貴子さん自身がそうであったように、フィールドワークをきっかけに移り住む人も出てくるかもしれない。

協力隊を卒業したタイミングで、苗字は「與沢」に変わった。

「なんにもロマンチックなことはないんです(笑)。リンゴの無料配布のとき、ちゃんといいものを配りたくて選別はリンゴ農家さんにやってもらったんですけど、いつも手伝いに来てくれたのが彼で。そこからいろいろ話すようになったのがきっかけですね」

夫の巧さんが営む「源ちゃん農園」には、もともとファンがついていて、生産量が足りないような状態だった。

友貴子さんも営業担当として、土日を中心に手伝っているという。

「『休みないじゃん』とかよく言われるんですけど、別に強制されていないので、プレッシャーも疲れも感じてないんです」

「この辺には飲食店がないので、リンゴ狩りに来てくれるお客さんの滞在時間が短くなっちゃうんですね。なので今年は、カフェのような場所を整備できればいいなと思っていて」

昨年の秋には、「むとうりんご園コンサートといちにちカフェ。」として、1日限定でプレ開催。

「リンゴの木の間で農家のおとうさんたちの金管五重奏コンサートがあって、地元の大工さんがつくってくれたサンルームでカフェもして。集客も評判もよかったです」

「でも、カフェ担当が私だけで忙しすぎて死ぬかと思ったので、県の農業普及所の偉い人に向かって『このお皿洗ってきてください』とか『もっと早くできませんか』とか、敬語使いつつも失礼なこと言う、みたいな」

さっぱりとした笑顔で、友貴子さんは話してくれた。

馴染みのない場所に行ったとき、初めての事に挑戦するとき、自分をひとりぼっちだと感じたとき。まず、歩幅を合わせてみる。

もしも不安になったら、そんな友貴子さんの言葉を思い出したいと思った。

(取材・編集 割貝 晶子)

「地域を編集するゼミ in 日立」を通じて生まれたコラムは、ほかにもあります。こちらからどうぞ。

ゼミの模様は、こちらのレポートから。