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空が明るくなってくるころ、生地の様子をのぞくところから仕事がはじまる。朝日が差し込む工房でこねた食パン。焼きあがるころには、隣の食堂で昼ごはんの仕込みをする音が響きはじめる。
窓の向こうでは、畑でハーブを植える姿が見える。収穫の時期を迎えたら、ハーブを使ってどんなパンをつくろうか。
そんなことを考えていると、あっという間に開店時間。今日もいちばん乗りのおばちゃんが「おはよう!」と扉を開けて、部屋いっぱいにひろがったパンの匂いを吸い込む。
これは、徳島・神山にできたパン屋「かまパン」で働く日々を想像したもの。

今回募集するのはここでパンをつくる人。そして食堂で働く人。
地域でつくったものを、地域の人が食べる。
神山の農業を守り次の世代につないでいくこの取り組みは、地域の人に接する場ができたことで、大きく動きはじめました。

3月にグランドオープンを迎えたかまパンで働く職人の1人、塩見さんが東京に来ているというので、話を聞かせてもらうことに。
向かったのは、塩見さんが以前働いていた富ヶ谷のルヴァンというパン屋さん。

「もともとは小学校の教師をしていました。でもずっと続けるイメージができなくて。好きだった魚の研究をしようと、沖縄の大学院に行ったんです」
学生として研究をしながらアルバイトをはじめたのが、宗像堂というパン屋さん。
卒業したら沖縄を離れようと思っていたけれど、さらに半年ここで働きながら過ごすことになった。
「パン屋の仕事を辞めるのが、寂しくなったんです」
寂しかった。
「それまで、仕事ってしんどい気持ちと引き換えにお金をもらうような感覚がありました。それが宗像堂では違った。たのしい気持ちじゃないといいパンができないからって、みんな健やかに働いていたんです」
将来のことを考えて、不安に感じることもあった。それでも自分がよく働くための手段はパン屋なんじゃないか。そう信じて次の場所に選んだのが、ルヴァンだった。
「オーナーの甲田さんは、本当にたのしそうに働く人でした。ルヴァンに携わる人たちもそう。自分にとっては、パンの仕事ってそういうことなんだろうなって」

いよいよ独立しようかと思っていたときに声をかけられたのが、フードハブ・プロジェクト。
最初は参加するつもりがなかったのだそう。
「移住しようと思っていたわけじゃなかったので。何度か声をかけてもらったんですが、ずっと断っていたんです。でもこの関係が切れるのはもったいないような気がしてきて。自分の店の準備をしながら、月の半分でいいならって」
当時はまだ、どんなパンをつくるのか決まっていなかった。塩見さんはハード系のパンをずっとつくってきたから、神山でもそういうパンをつくるものだと思っていた。
「お店を建てているときに、近所のおじちゃんが声をかけてくれるんです。こんなのが食べたい、って言われるパンはどれもやわらかいパンで。期待されていることと、やろうとしていることが違うことに気がついて」
農業を応援するために、育てたものを地域の中で食べる。そのためにフードハブ・プロジェクトがつくるのは、どんなパンなんだろう。
みんなで相談をしながら、地域に合わせて、今は歯切れの良いやわらかいパンを中心につくっている。

たとえば食パンは、よくスーパーで見かけるふわふわしたものとは違って、ずっしり、もちもちしていて食べごたえがあり、酸味を感じる。
「毎日食べられるような、シンプルなもの。酸味も乳酸菌など身体にいいものから来ているので、おいしいと思うんです。この地域の人にとって今までこういうものを食べる機会はあまりなかったかもしれないけれど、おいしいって言ってもらえたらうれしいなって」

自分のお店は薪窯を使える山の中と決めていたけれど、最近はシャッター商店街の中にある物件も見るようになった。
「農業が衰退して耕作放棄地が増えてしまうという課題からはじまったフードハブの、街バージョンというか。そういうところに自分がいて、人が集まるようなパン屋をつくれたらおもしろいだろうなって。それは自分の中で大きな変化です」
農業チームが育てている小麦を使い、自分たちで石臼をひいて「神山カンパーニュ」をつくることや、干し柿など神山で育った果物を使った酵母づくりなど。神山でしか味わえないパンをつくるため、やりたいことはたくさんある。
「ここにはいい食材がたくさんあります。野菜はどれも味が濃いんですよ。すぐそばで採れた、本物の食材をパンに使えるのはおもしろいですね」
パンごとにつくり方は異なるけれど、中心に使うのはうどんにも利用される四国産の中力粉。低温長時間発酵をさせるのに、かまパンでは、いわゆる天然酵母の自家発酵培養種とイーストを両方使うものもある。
「僕は今までイーストを使ったことがなかったんです。一緒にやっている笹川さんとは経験してきた製法が真逆でした。だからこそ、ここにしかないパンができているかもしれませんね」
おだやかで慎重派の塩見さんに対して、笹川さんは情熱的でまずはやってみるタイプ。経験や性格はまったく違うのだけれど、お互いにパートナーと呼べるほど、尊敬し合う仲なんだそう。
そんな笹川さんに会いに、いよいよかまパンへと向かいます。
徳島空港からは車で1時間ほど。
山間を走る通りに面した食堂「かま屋」では、まだ11時だというのにたくさんの人が並んでいる姿が見える。
その横にあるのが「かまパン&ストア」。作業が一段落するのを待って、お話を伺います。

「小さいころからの夢を叶えてパン屋になりました。なったものの、独立したいのか、働き手でいいのか。この先どうやっていこうか、わからなくなった時期もありました」
3軒のパン屋で経験を積んだあと、独立を考えた。けれどどんなパン屋にするのがいいのか、ピンとくるアイディアが浮かんでこなかった。
「東京ってパン屋がたくさんありますよね。その中でどういう特徴を出すのか、自分はなにをしたいのか迷っちゃったんです。パンだけではなくて、プラスαでなにかできないか、考えるようになりました」
そんなときに知ったのが、フードハブ・プロジェクトでのパン職人募集だった。
「東京にいるよりも、今後の自分のビジョンを描ける可能性が高い。そう思ってからはあっという間に、こっちに来ることを決めました」

日常的なパン。
「たとえば学校から帰ったあとに、毎日お小遣いを握りしめて50円のプチパンを買って食べるとか。うちの妻も、双子の子どもたちを保育園に迎えに行く前に毎日パンを2つ買っていきます。これって、日常じゃないかなって」
「それと妻が『旦那さんのパン、おいしいよね』って周りの人に声をかけてもらうんです。おいしいって言ってくれる人が身近にいる。誰か知らない人ではなくて、知り合いが食べるパンをつくるって、いいなって」
具体的にどんなパンをつくっていくのかは、塩見さんと、前回の取材で話を伺った料理長の細井さんと相談をしながら決めていく。
ハムがなくなってしまい、ベーコンで代用してパンを焼いたとき、細井さんに指摘を受けたことがあった。
「ハムとベーコンでは味も違えば、油の量もちがう。おいしいものって、ちゃんとおいしい理由というか、ストーリーがある。ちゃんと考えながら神山の味をここでつくっていこうよって。そうやって一緒に考えていく人がいることは、うれしいですね」
かま屋では細井さんを中心に、今4人のスタッフがお昼ごはん、そして夜のおばんざい居酒屋をまわしている。
12月からかま屋で働いているという中野さんにも、話を聞かせてもらいます。

「料理の仕事をしてみたら、おもしろかったんですよね。食べた人がおいしいって言ってくれるのがうれしい。でも経験がなくてできないことがたくさんあるから、くやしい。そう思って、ここまで続けてきたんだと思います」
定食屋や居酒屋など1年に1回ほどのペースで職場を変えつつも、料理からは離れずにやってきた。いろいろな人の元で働くことで、さまざまな料理の考え方があることを知った。
「東京でしか働いたことがなかったんです。同じ料理をするにしても、ちがう土地に行ってみるのもいいかなって思っているときに、ここの募集を見かけました」

東京以外で暮らすことは、はじめてだったけれど、不便さも楽しみながら暮らしている様子。
「農業チームが直接野菜を持ってきてくれて、それを調理する。育てている人の顔が見えるっていうのはすごく新鮮だし、気持ちが伝わってくるんです。夏くらいには、こういう野菜ができるんだな、とか想像するのがすごく楽しいです」
オープンしたばかりのかま屋には、待ち焦がれていた地元の人や徳島市内からやってくる人もいる。今は、13時には100食が完売してしまうような日もある。
「毎日献立を変えているから、同じことを繰り返しているようで、違うことをしているんです。その日の朝採れたものを使うのがやっぱりいちばんおいしいので、当日に献立を変更することもあります。ちょっと手間はかかりますけど、とても勉強になりますね」

この営みは、にじむように神山の日常になっていくはず。
自分の経験を活かして、ここでやってみよう。そう思ったら、まずは神山を訪れてごはんとパンを食べてみてください。
みなさんが食べるものを大切につくる姿を見て、私はとてもうれしくなりました。
(2017/4/4 中嶋希実)