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あれからもう6年。日々取材をしていると、東日本大震災をきっかけに自らの人生を省みるようになったという話をよく聞きます。
自分が本当に大切にしたいものとは何なのか。これからどんな人生を歩んでいくべきなのか。
悩んだり不安を抱えながらも、仕事や住まいを変えたりして、次への一歩を踏み出している人たちがいます。
福島・会津でお会いした折笠さんは、親から継いだ焼き鳥屋さんを2011年まで営んでいました。
震災後に新たな会社を立ち上げることを決意し、太陽光発電システムや蓄電池などを扱う会津太陽光発電株式会社を創業。同じ志を持つ会津電力株式会社と合流し、再生可能な自然エネルギーを軸にした多角的な事業展開を計画しています。
目指すのは「福島の自立」です。
その大きな目標に向けて、単にスタッフというより、同志のような存在を求めています。
もし、震災からのモヤモヤをまだ抱えているなら、ぜひここで一歩を踏み出してほしいです。ノウハウを学んで地元へ帰り、自然エネルギーで起業したい人も大歓迎です。
営業担当と、施工管理・電気設計を担当する人の募集です。
会津太陽光発電株式会社の事務所は、会津若松駅から車で5分ほど。
中へ入ると、代表の折笠さんが迎えてくれた。
「この会社を立ち上げたのは2012年の2月。震災から1年くらいですね。それまでやっていた居酒屋のほうは売却して、エネルギーをやろうってはじめたんです」
折笠さんは以前、郡山で大手電機メーカーの営業として働いていたそう。
その後、地元の会津へ戻り、実家の焼き鳥屋さんを継いでいた。
地域を盛り上げようと地産地消を掲げて、おいしくて安心な食を地域の人たちに届けていた。
「そうしたら地震になって、原発事故が起きた。放射能のことは知ってはいたけど、目に見えなくて匂いもないのに非常に危ないものなんだと聞いてですね。地元の食材を扱っていたので、これは自分のお客さんに食べさせていいものなのか、やっぱり知らなきゃまずいよなと思って勉強しはじめたんです」
知っての通り、当時は情報がとにかく錯綜していた。
自分できちんとした情報を掴もうと、折笠さんは様々な立場の人や専門家から話を聞き、本も読み漁った。
そのなかで分かったのは、やっぱり放射能はとても危険だということ。そして、福島の深刻な状況は長年にわたって続くであろうということだった。
「とあるセミナーで先生がこんな話をされたんです。ロンドン産とチェルノブイリ産の野菜、どちらを食べたいですか?って」
「チェルノブイリの事故はもう30年くらい前のことです。それでもみんなロンドン産がいいよねとなる。それとまったく同じことに福島はこれから向き合っていかなきゃならないと」
地元・会津においても、基幹産業である観光と農業が大打撃を受けていた。子どもの甲状腺ガンは、今でも福島全体で大きな問題となっている。
「子どもの命を守るために県産のものを避けたいという親御さんがいる一方で、地域を復興させたいという想いで頑張っている農家さんがいる。そこで変な話、住民同士の対立が起こったりしちゃうんです」
「みんな本当に苦しい思いをしている。それをまたどこかで事故が起こって、同じ思いをさせるっていうのは絶対やっちゃいけないんですよ」
原発に依存せず、持続可能な社会を子どもたちに残すためにはどうしたらいいのか。
折笠さんが出した結論は、地元に新しい産業を増やしていくことであり、その核となるのが再生可能エネルギー事業だった。
「ただ、当時は自分がやろうとは思っていなかったんです。すごく悩んで、これから居酒屋をずっとやっていくより、再生可能エネルギーをやっていったほうが地域にお返しできるかなと思って」
そうして太陽光発電の会社を立ち上げてみたものの、折笠さんには経験も実績も何もない。まず太陽光パネルを卸してくる会社を見つけるまでが一苦労だった。
そもそも雪深い会津で太陽光発電ができるのかと、まわりからは冷ややかな目を向けられていた。
「みんなから無理だって言われたし、実際にいろんなハードルがあったんです。でも、やり方を考えれば絶対にできるはずだと」
たとえば、空き地に太陽光発電パネルを並べる「野立て」という設置方法。雪に埋もれないようにするためには2m以上の高さのある架台を設置しなければならなく、普通は頑強なコンクリートでつくられる。
ただ、費用がとてもかさむため現実的な手法ではなかった。そこで折笠さんは、コンクリートに代わるものとして建築現場の足場資材として使われる単管パイプに着目。
ほかにも様々な工夫を凝らして実験を繰り返し、雪国でも効率よく太陽光発電ができることを証明した。
起業から1年経たないうちに、今度は同じ志を持つ仲間たちと出会うことができた。その中心となるのが喜多方市にある大和川酒造の代表・佐藤彌右エ門さん。
一緒に会津電力株式会社を立ち上げ、会津太陽光発電株式会社が設計・施工した太陽光発電システムを会津電力株式会社が運用し、電力の供給・販売を行うという役割分担をしている。
つまり2社は一心同体。
「だんだんと僕らの考えに賛同してくれる人が増えて、地元の自治体や金融機関、企業や個人の方からも出資いただき、太陽光発電所は57カ所にまで増えました」
「今後は風力・水力・バイオマスなど、いろんな自然エネルギーをやろうと計画しています。単に販売するだけじゃなくて、エネルギーを付加価値にしていろんなことをできないかと模索しています」
たとえば、100%自然エネルギーでつくるワイン。すでにワイナリーをつくる計画が進んでいて、ぶどうの苗木は順調に育っているという。
建築会社や行政と協力して、小さなコミュニティでエネルギーの自給自足ができる「スマートマイクログリッド」というシステムの普及も目指している。
そういった新しい取り組みに加え、地域の困っている人に自然エネルギーを役立てる方法も考えているそう。
もし原発から近いがために代々受け継いできた畑を手放さざるをえない農家さんがいたら、そこで食用ではなくエネルギーに転換可能な作物を育ててもらったり、太陽光発電所を設置したりして、収入の助けにしてもらう。
また、ほかの地域で誰かが自然エネルギー事業をはじめるときの参考にと、発電に関する実験データをできる限り公開している。
実際に手法を真似して、山形や新潟で事業をはじめた人がいるそうだ。もっと全国に広まっていけば、原発に依存しない社会をつくるのも夢ではないかもしれない。
「太陽光発電は本当にはじめの一歩で、僕らの真の目的は地域の自立なんです。会津や福島がよくなって、日本が元気になってくれたら本当に最高だと思っています」
「そして、僕らにもできるんだということを、まわりの大人や子どもたちに見せたいんですよね。チャレンジする大人がどんどん増えて地域が面白くなれば、子どもたちは残ってくれると思う。だから一緒にチャレンジしてくれるような方に来ていただけると、本当にありがたいと思っています」
現在、社員は10名ほど。会津電力株式会社も5名と小規模なので、まだまだこれから。やるべきこともたくさんある。
ときには地道に営業活動をすることもあるし、そのなかで「地域の自立」という大きな目標がときには見えづらく感じることもあるかもしれない。
営業部係長の鈴木さんは、こう話していた。
「これまでの約5年で地域がよくなっているかというと、正直そこまでです。けど、まだまだなんだろうなって。現状で満足してもしょうがないので、もうちょっと頑張らなきゃと逆にモチベーションにしています」
営業の仕事は、土地や住宅に太陽光発電を設置したいというお客さんからの問い合わせがやってくることからはじまる。
まずは現場へ行き、お客さんの要望を聞きつつ周辺環境も考慮し、最適な発電システムの導入方法を提案する。
「お客さまはうちの理念に共感したからというより、太陽光発電で収益を上げたいとか、エネルギーを自給したいという方が多いです。なので、基本的に相見積もりをされています」
「屋根に穴を空けずに設置できる工法があるとか、アフターケアもしっかりやりますとか、そういった売りをご説明しながらも、やっぱり一番は気に入っていただくために丁寧にコミュニケーションすることが大切ですね」
仕事で大変なことは?
「うちはやることが結構毎年変わるんです。それこそ住宅用と発電所用のシステムって全然違う。太陽光発電パネルも蓄電池も年々新しい商品が出たり、法律も変わっていくので。みんなで勉強会を開いたりもしていますけど、常に新しいことに取り組んでいく気持ちがないと難しいかもしれないですね」
鈴木さんは会津美里町の出身。
高校を卒業したあと専門学校へ通い、東京電力で働いていた。
「東京には憧れで行ったんです。それなりに楽しかったんですけど、通勤とかで毎日せかせかしている自分がいて、息苦しくなってしまって。こっちに帰ってきたらすごく安心感がありました。あっちのほうが給料はよかったんですけど、それだけじゃないよなって」
「僕の同世代でも、外へ出て帰ってこない人が多いです。やっぱりこっちに仕事がないというのが一番だと思うんですけど、うちみたいな会社があるので。これから来てくれる若い人や新しい人たちと一緒に、地域をもっとよくしていきたいと思っています」
ほかのスタッフの方にも話を聞くと、日本で廃棄される太陽光発電パネルをリサイクルして、アジアなど海外へ輸出することもやってみたいという話があった。
ここでの取り組みは福島のみならず、日本全国や世界中へも広げていけるかもしれない。今回加わる人も中核メンバーとして活躍できる環境が十分にあると思う。
福島の自立を目指して。さあ、これからだ。
(2017/9/8 森田曜光)