群馬・福島・新潟の3県にまたがる尾瀬国立公園は、植物の楽園ともよばれています。
その福島県側の玄関口が、檜枝岐村(ひのえまたむら)です。人口約500人の村ですが、国内外から年間約4万人が訪れます。
一方で、担い手不足や人口減少といった課題に直面。観光を支えてきた民宿や地域の営みも、変化の時期を迎えています。
入り口であるこの場所を整えていくことで、人の流れも、地域の未来も変わっていく。

尾瀬と、その玄関口である村を次世代につないでいくために。今年の秋ごろ、新たな団体が生まれます。
今回は、その立ち上げから運営を担う仲間を募集します。
たとえば、空き家を活用した地域拠点づくり、ワークシェアといった、村をよりよくする取り組みを企画・運営。移住者や地域おこし協力隊、村民、外部のサポーターなど、異なる立場の人をつなぎ、協働できる場やプロジェクトをつくっていきます。
檜枝岐村は、観光を主軸としてきたまち。外からの人を受け入れる土壌があります。
500人のうちの一人だからこそ、自分を活かせる場面も多いと思います。
檜枝岐村は、日本百名山にも選ばれた2000m級の会津駒ヶ岳をはじめとした、豊かな原生林に囲まれている。
栃木・那須塩原や福島・新白河、郡山から車で2時間ほど。今回は、那須塩原から向かうことに。
車で進んでいくと、ところどころ雪で通行止めになっていた。特別豪雪地帯に指定されているこの村の厳しさを、道中から感じる。
赤い屋根の民家や民宿が並ぶ集落が、檜枝岐村の中心地。
よく晴れて澄んだ冬の空気。空と雪、屋根の色がくっきりと目に入ってくる。

まずは、ゲレンデが目の前にある道の駅「尾瀬 檜枝岐村 山旅案内所」へ。
話を聞いたのは、役場職員の星満(ほしみつる)さん。これから立ち上げる組織の発起人だ。
「遠かったですよね、ありがとうございます」と、穏やかに迎えてくれた。

「檜枝岐村は、村民の心にゆとりがある村だと思うんです。280年ほど続く『檜枝岐歌舞伎』は、江戸時代に歌舞伎が禁止されていたときもこの山奥で続けられてきました」
「お金がない、お客さんが来ない、とか。気持ちの余裕がなかったら、歌舞伎なんて続けられないと思うんです」

尾瀬と歌舞伎をこれからも守っていきたい。
そう話す満さんは、檜枝岐村で生まれ育った。
「中学生のとき、野球部がなくて。先生に話したら、教育委員会に通してもらえて創部できたんです。子どもたちが想いあるならやったらいいじゃん、っていう村の寛容さが好きなんですよね」
「でも村には高校がないので、中学校を卒業したらみんな村から出ちゃうんですよ。今の子どもたちにも、この村のあったかさ、よさを伝えたいし、恩返しできたらなって」
尾瀬国立公園のほか、村内には渓流釣りや、整備されていない山を滑るバックカントリーなど。季節折々、自然豊かな土地を楽しむ人々が国内外から訪れ、その流れは今も続いている。
かつて「尾瀬バブル」と呼ばれた時期には、村内に40軒ほどの民宿があったという。
ただ、現在は民宿の数も半減し、人口はおよそ500人に。地域の担い手は減少。
「5年前に役場に人口対策担当ができて、その担当になりました。気づいたのは、人口対策の幅広さ。子育て、仕事、住まい、暮らし… あらゆることが含まれるんですよね」
「職員もだんだん減っていくなかで、行政だけでは対応しきれない。でも、民間に丸投げすることでもないなって。そこで中間支援団体を立ち上げる構想が生まれたんです」
今回募集するのは、満さんと一緒に中間支援団体を立ち上げる仲間。
とはいえ満さん自身も、団体の立ち上げははじめてのこと。まだ固まりきっていない部分も多い。

何か参考にしている事例はありますか、と聞くと紹介してくれたのが、熊本県南小国町の「SMO南小国」。地域活性化・DMO組織で、観光や移住、仕事づくりなどに横断的に関わる、地域の仕掛け人のような存在だ。
「『地域の人事部』や『しごとコンビニ』という取り組みをされていて。地域で不足している人材の採用から育成までを担ったり、ワークシェアリングの仕組みをつくったり。地元企業や行政、移住者や住民と関係を築きながら、いろんな働き方の選択肢をつくられている組織なんです」
「檜枝岐村はというと、村の中心産業が観光、特に宿泊業。高齢化で担い手は不足しています。ただ、繁忙期だけ手伝ってほしいというニーズはあっても、通年雇用はむずかしい。スポット的に働ける仕組みをつくることで、この村に合った形で人手不足を解消できるかもしれません」
小さなコミュニティづくりや地域活性化への興味関心、観光業界での経験などが活きる実践の場になるかもしれない。
「檜枝岐村は、あるもので楽しむ精神を持つ人が多い。新しく加わってくれる方とも、遊び心を大切にしながら村の未来を一緒につくっていきたいです」
新たな団体には、村外から関わるサポーター的存在も。
それが、一般社団法人地域・人材共創機構のみなさん。東北の中山間地域などを対象に、地域づくりや人材育成を支援している団体だ。
代表の石井さんは、檜枝岐村も含まれる福島・奥会津地域の7町村を対象に、政策や人づくりのアドバイザーを務めている。
定期的にオンラインで相談に乗ってくれるなど、伴走してくれる存在。

「檜枝岐村は自治的で、反骨心のようなものを感じる地域なんですよ」
「たとえば、村の公衆浴場の入浴料は、観光客は1000円、村民は100円。日本でインバウンドが注目されるよりずっと前から設定されているんですよね。歌舞伎をみんなで守り続けてきたように、自分たちの暮らしと誇りを、自分たちの手でつくってきた村だと思うんです」
最近では、役場の若手職員による「企画屋」というチームが発足。村を面白くするためのアイデアを出し合っている。
新しく入る人は、この「企画屋」にも入り、アイデアを具体的な事業やサービスへ実装していく役割を担うことになる。
たとえば、こんなアイデアの種がある。
民宿は住居と一体になっていることが多く、事業承継が難しい。そこで空き家を改修して、新しくゲストハウスやシェアハウスをつくること。
夏になると、早朝に尾瀬へ向かう車中泊の登山客が多いが、朝食をとる場所がない。移動式で朝食を提供する仕組みをつくれば、観光客に喜ばれ、村の新たな収益源にすること。
現在、村役場が担っている道路管理や草刈りといった業務を、新しい団体でアウトソーシングとして請け負うことで、確実な仕事をつくること。
これらの種を整理し、優先順位をつけ、ビジネスとして成立させていくことも中間支援団体のミッションだ。

足元にあるものを大切にしながら、外に目を向けることも必要。参考にしているSMO南小国にも、村役場の職員と地域・人材共創機構のメンバーで視察に行ったという。
さまざまな地域に入り、コンサルティングや官民共創の仕組みづくりに携わってきた石井さんから学べることも多いと思う。
「参考にする部分と、檜枝岐村の独自の良さがかけ合わさるといいなと思っています」
実際に、村役場の若手職員たちが自発的に動き出し、自分たちの“アジト”のような場所をつくろうと、空き家となった民家を大人の遊び場に整備しようと動いている。そうした挑戦に新たに立ち上げる団体が支援していくという。
こうした取り組みは、全国的にも見られるようになってきている。しかし、檜枝岐村のような小規模な地域で、行政の若手が主体的に場を立ち上げ、別の団体が企画や運営にどう関わるかは、まだ試行錯誤の段階にある。
新しく加わる人は、その立ち上げから担う大事な存在。
「全部を一人でやる必要はないですよ。関心のあることや得意なことを活かしながら、事業をゼロからつくっていくことを楽しんでほしい。大事なのは、好奇心だと思いますよ」
誘いあうことで村の創造性が高まる。地域おこし協力隊の萩原さんも、まさに起点になっているように感じる一人。
移住して1年ほど。委託型の協力隊で、「Oze Nature Interpreter」という、尾瀬の豊かな自然や歴史、環境保護のストーリーを伝える活動をしている。
移住や暮らしについて、身近な相談相手にもなってくれると思う。

「檜枝岐村のことを深く知りたいので、冬の間は村民の方へインタビューしていました。地域おこし協力隊の同期の方がいるんですが、これからは一緒に活動をしていこうと、いろいろ話して実現に向けて動いています」
「委託型の協力隊として個人で活動するなかで、イベントの企画や調整、予算の使い方とか、一人で担う部分も大きい。孤独を感じることもあるからこそ、相談し合える仲間の存在は大きいなと思いますね」
群馬県出身で、幼いころから自然に親しんできた萩原さん。
自然環境科がある高校に進学し、その後は尾瀬のビジターセンターで働いたり、山小屋でアルバイトしたり。10年ほど、尾瀬で働いていた。

「社会人になってから群馬の片品村に住んでいたんですが、反対側の檜枝岐村のことってあまり知らないなって。Oze Nature Interpreterをはじめたときに、この村をもっと知りたいなって思ったんです」
役場に問い合わせたところ、「この村で活動してみませんか?」と声をかけてくれた。協力隊の仕事や住まいも見つかったことで、流れに身を任せて移住を決めた。
「村には何度か訪れたことがあったので、観光客向けのオープンさは知っていたのですが、住んだらどうだろう?と正直不安な気持ちもありました」
「移住してすぐ『協力隊のまいちゃんでしょ』って声をかけてもらえて。移住者でも受け入れてもらいやすい環境だと思います」

集落がまとまっていて、主要な施設は徒歩圏内。暮らしの面も不便を感じることは少ない。
「スーパーもコンビニも近くにないですが、商店や農協で買いものはできますし、Amazonやコープも指定日に届くんです」
冬の大雪も、見方を変えればここでしか味わえないもの。不便な場所だからこそ残っている文化や風習も多い。
「『出作り小屋』と言って、村の中心部から離れた畑を耕作するために建てられた季節的な仮住まいがあって。今は不要となり取り壊されるので、ほとんど残っていない。インタビューをしていると、そういう時代もあったんだと勉強になります」
残った出作り小屋は、いまではバンガローとして使われているものもあるという。
この村にあるもののなかから、新しい営みが生まれていく余地はまだ多い。暮らしてみて見えてくるものも、きっとあるはず。
檜枝岐村は、決してアクセスはよくないけど、観光に支えられたオープンさがある。
地元の人も、尾瀬を守りたいと集った若者も、変化に前向き。おもしろい地域として残っていこうとしています。
次世代につなぐ一歩としての挑戦。まだ柔らかい部分も多いですが、外から来る視点を受け入れてくれる人たちが待っています。
(2026/03/16 取材 大津恵理子)


