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ナリワイは炭焼き職人

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

なんとしてでも、ここで生きていく。

地方に移住した人たちにお会いすると、そんなたくましさを感じることがよくあります。

のんびりとした田舎暮らしを思い描くのは楽しいけれど、現実は仕事を見つけて、ご飯を食べていかないと生きていけません。

今回紹介するのは愛媛県内子町で生きていくための仕事。茶道で使う炭をつくる炭焼き職人に弟子入りして、ゆくゆくは独立を目指してもらいます。

(2撮影:井上佐由紀) のコピー (1) いつかはどこかへ移り住みたい。手に職をつけて生きてみたい。一度でも考えたことのある人は、ぜひ読んでみてください。



松山空港からバスで1時間ほど揺られると、愛媛県内子町に入った。

JR内子駅のある中心街を抜けて、さらに車で山合いを進むと、30分ほどでのどかな里山が広がる。ここが今日の目的地、石畳地区だ。

IMG_7735 あたりにはクヌギの林が広がっていて、その間をぬうように清流が流れ、家が建っている。

このクヌギを使ってつくられる質のいい木炭は「伊予の切炭」と言われ、かつては内子を支える一大産業だったそうだ。

「この地域は昔から、燃料としての炭焼きをさかんに行なってきました。でも、戦後プロパンガスが出てきたことで炭は不要になってしまった。たくさんいた炭焼き職人もみんな辞めてしまいました」

そう話すのは、生まれも育ちも石畳地区だという寳泉(ほうせん)さん。町役場の職員でもあり、石畳地区を元気にするためにさまざまな活動をしています。

IMG_7678 今回の職人の募集も寳泉さんの発案です。

「内子の炭は、茶道の先生方からは非常に評価されていて需要があるんです。でもつくり手がいない。ここで今、技術を受け継いで、伝統産業を守りながら地域の担い手になってくれる人がほしいんです」



「炭焼きの技術を受け継いだ内子町の唯一の職人」そう言って寳泉さんが紹介してくれたのは武藤浩次さん。今回は彼の弟子となる人を募集する。

なんとなく年配の方を想像していたのだけど、武藤さんは今年で41歳。地元の人からは「こうちゃん」と呼ばれている。

IMG_7708 11年前に、群馬から奥さまとともに移住をしてきたそうだ。

移住を考えたきっかけは、印刷会社に勤めていたことだった。昼夜問わず仕事があり奥さまともすれ違う日々。周りには身体をこわす人もいた。

「仕事して稼いだお金で、仕事のせいで壊した身体を治療する。それにすごい違和感を感じてて」

「生きるために仕事をしてるんだから、必要なだけの現金を稼いで自分に違和感なく生きていきたいと思ったんです」

はじめは農家をやろうと、夫婦で移住先をさがす旅に出た。そのときに訪れたのが内子の石畳地区。住民たちが大切に残してきた里山の風景が印象的で、2人ともすっかり気に入った。

炭焼きとはどうやって出会ったのでしょう。

「移住してから、農家で研修を受けてたんです。その空き時間に、炭焼き職人の大木さんの家に手伝いに行くようになって」

「それまで炭のことなんて全然知らなかったんですけど、食だけじゃなく燃料もつくれるんだなって思いました。そこでつくられていた炭もすごく綺麗で。単純につくってみたくなりましたね」

大木さんがつくっていたのは炭といっても、茶道でつかう茶道炭。バーベキューで使うものとはまったく違っていて、その美しい見た目から菊炭と呼ばれることもある。

(1撮影:井上佐由紀) (1) 茶道の作法の中には炭手前という炭を組む演出があって、美しくゆっくりと火が渡っていく菊炭はとても大切な存在だ。

大木さんは内子町の燃料炭の需要が減ったことをきっかけに、単価の高い茶道炭をつくりをはじめた人。その技術は大手のデパートでも取り扱われるほどだったそうだ。

「最初は山からクヌギの木を切り出す手伝いをしました。ずっとパソコン作業の仕事をしていたから、山の中で身体を動かすのは新鮮で楽しかったですね」

炭づくりは、山でクヌギの木を育てるところからはじまる。質のいい7、8年ものに育てた木を、切り出して炭焼き窯で焚き、炭化させる。

炭化させた木をカットしたものが切炭。製品として発送される。

木の切り出しから炭化させるまでは、幹が乾燥した冬の間に行なうので、冬場は毎日忙しい。

手伝いをはじめて数年。遊びに行く感覚で通ううちに、いつのまにか作業を覚えていた。

そんな折に大木さんが病気で引退することに。一緒にやっていた弟子たちも炭焼きを辞めてしまう。

断らないといけないほど需要はあるし、武藤さんは自分の生業にできるチャンスだと思った。

「職人として本腰を入れようと決めたのはそのあたりから。炭焼き職人という仕事に夢を描いてたわけじゃなくて、ここで生きていくためにやっていくことを決めました」

それからは、大木さんの窯を借りて炭焼きの仕事を続けてきた。

IMG_7817 淡々とした武藤さんの話を聞いていると、流れるように職人になったように思えてくる。苦労はなかったのでしょうか。

「炭焼きの作業自体を覚えるのはすぐできるんです。でも仕事は大変ですよ(笑)」

「“炭焼き職人”というと、窯で火を焚いてるイメージが強いと思いますけど、あれは作業のうちのほんのいっときだけ。他の日はずっと山にはいって集材してる。体力面が一番きついんです」

冬から春にかけての5ヶ月ほどは、晴れている間に木を運び出さないといけないから、休みがないこともある。でもここで頑張らないと、その年の収入がなくなってしまう。

Aitan036 「僕は田舎暮らしに理想郷を描いていたわけじゃなかったから受け入れられた。それが良かったんでしょうね」

武藤さんが炭焼きに関わりはじめて10年。「生きていくために仕方なく」なんて言うけれど、続けてこられた理由はそれ以外にもあるようだ。

「僕ね、本当に飽き性なんですよ。でも炭焼きはゴールが見えないから続いてる」

ゴールが見えない。

「毎回同じように焼いているつもりでも、木の状態や火の大きさ、気候といったいろんな条件が少しずつ変わるから、同じ出来にはならないんです。どうしたらいいんだろうってずっと考えていられる」

職人の技術力は、1回の窯焚きで美しい菊炭をどれだけつくれるかで測れるそうだ。武藤さんは、その量を増やすためにずっと試行錯誤している。

「新しく入る人は、はじめは量をつくれないかもしれないけど、3年あれば独立できると思う。販路は紹介もできますしね」

「命に関わることは言うけど、僕はなるべく自由にやってもらおうと思ってます。見てやって覚えていく感じになると思います」

この茶道炭、全国的に見ても職人が減り続けているのが現状だ。つくることができれば需要があるから生業にできる。

「直販しているお客さんたちに『大事に使います』とか『つくり続けてください』と言われるんです」

「今はこの技術をもっと伝えて、多くの人にお茶炭を提供できたらいいなと思ってます」



この日は武藤さんに連れられて、作業場にも案内してもらった。

作業場にある炭窯で火を焚き、できあがった木炭を切って発送の作業をする。

その軒先に腰をおろして、製品の箱詰め作業をしていたのは大木朝子さん。

炭職人の大木さんの義理のお孫さんで、4人のお子さんを持つお母さんだ。ここ5年ほど武藤さんの作業のお手伝いをしてくれている。

IMG_7831 「武藤さんは気遣い屋さんですね。おだやかな人ですよ」

作業場は、外と中の仕切りがないので夏は暑く冬は寒い。立っているだけで汗が吹き出てくるけれど、鳥のさえずりやセミの声が響いて、のんびりとした健やかな空気が流れている。

朝子さんはここで、炭焼きと加工以外の作業を手伝っているそうだ。着火剤になる枝を集めて束にしたり、できあがった炭をお客さんに発送したり。冬場の忙しいときには、山で木の運び出しも手伝う。

IMG_7838 新しく入る人は、まずは朝子さんと同じ仕事をするイメージだという。

「武藤さんがきれいな炭をつくってくれているから、ここで傷がつかないよう扱いには気を使いますね」

毎日それぞれの作業を淡々とするという2人。仲間になるのはどんな人がいいでしょう。

「私たちともだけど、地域の人と馴染んでくれる人ですね。あとはやっぱり体力がある人かな」



移住するとなると地域の人との関わりも気になるところ。武藤さんが、奥さまの裕子さんを紹介してくれた。

IMG_7772 裕子さんはにこにこと朗らかで、料理が得意。石畳に来てからできたお子さんは、今は保育園に行っているとのこと。

「古民家でのんびり野菜を育てて暮らす。田舎への移住というとそんなイメージを持ってたけど、最初はしんどかったですよ」

最初に住むことを決めた家はボロボロで、定職もなかったから生活はギリギリだったそう。

「大変なときに助けてくれたのは地元の人たちでしたね。野菜を持ってきて『何か困ったことあったら言ってや』って言ってくれたりしてね」

石畳地区の高齢化率は50%以上。地元のお年寄りたちはすごくパワフルで、よろこんで生活の知恵を教えてくれる。家を建てることに決めたときも木材を無償で提供してくれたりと、本当によくしてもらっているそう。

けれどそれは、武藤さん夫婦が積極的に地域にとけ込もうとしてきたからかもしれない。

2人が移住するときに決めたルールは、地域の集まりごとにはかならず参加するというもの。そこで地元の人たちと話すたびに、生活しやすくなっていったという。

水車まつり2 「地域の人は移住者のことを、『いつかどこかへ行ってしまうんじゃないか』って不安に思ってる。だから私たちは、よく『夫婦で石畳に嫁に来た』って言うんです」

「定住する覚悟って必ず伝わります。信頼関係ができれば、みんなが本当に協力してくれるところだと思う」

車で内子の中心街まで行けば何でもそろうし、学校も病院もある。家族で移住するのにもおすすめの場所とのこと。

みんなが親戚のように接してくれるから、子どもたちも人見知りをしないんだとか。

「あと発見だったのは、田舎暮らしってすごく忙しいってこと」

「地域の行事もあるし、毎日畑の手入れをしたり、採れすぎた野菜の保存方法を考えたり、薪を割ったり。天気で左右されることも多いからとっても忙しいです」

すると、隣で聞いていた武藤さん。

「仕事も暮らしも忙しいし大変なことはあるけど、生きていくためだから全然違和感はないですよ」

「こういうところに住むなら、会社員みたいな生活を期待してもしょうがない。みんな自分で生産して、生きるために仕事を組み立てて生活してる。なんとしてでも生きていくって気持ちさえあれば、きっと生きていけると思います」

IMG_7764 (1) 自分の手でたくましく。心の用意ができたら、内子町に飛び込んでみるのはいかがでしょうか。

(2017/9/6 遠藤沙紀)

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