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こころ耕す大地へ

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今回はズバリ、農業で自分の身を立てたいという方に読んでほしい記事です。

舞台は鳥取県大山町

中国地方最高峰である大山(だいせん)のふもとには、ミネラルを豊富に含んだ大地が広がり、豊かな漁場である日本海へとつらなっています。

今回募集するのは、そんな大山町の主軸産業である農業の担い手。農業のプロフェッショナルである「アグリマイスター」のもとで3年間の研修を経験し、農家として独立を目指す地域おこし協力隊を募集します。

経験はなくても大丈夫。農業を本気で学びたい人には、またとない機会だと思います。


羽田空港を飛び立った飛行機は、1時間20分ほどで米子空港に到着。

そこからレンタカーで1時間ほど東へ進み、大山町を目指す。

町内に入ると、何台もの風力発電機の姿が見えてくる。遠目からだと小さくても、近づけばかなり迫力を感じる大きさだ。

その向こうに大きくそびえる大山…が見えるはずだったのだけれど、あいにくの曇り空に隠れてしまっていた。

国立公園にも指定されている大山。標高1729mは中国地方最高峰で、四季折々の姿が登山客に人気のスポットだという。

「大山町は、農業をするにはすごくいい環境だと思いますよ」

そう話すのは、地域おこし協力隊を経て今年の6月に就農した國吉さん。

自宅におじゃまして話を聞いた。

「まず土がいいですね。黒ボク土というんですが、かつて大山が噴火したときの灰が積もり、そこに生えた植物が腐食してできた黒い土で。ミネラルが豊富なんです。少し酸性なので、育てにくい野菜もあるんですけどね」

黒ボク土によって濾過された水もおいしい。大手飲料メーカーでも、大山の水が使われているという。

山で採れるきのこや、イノシシなどのジビエ、海の幸も豊富。取材に訪れた11月末にはカニが解禁になり、これまたおいしいらしい。

何気なく淹れていただいたお茶も、どこかホッとする味でおいしかった。

「ジャックと豆の木のモデルになっている、ナタマメのお茶です。口臭予防や鼻詰まりに効いたり。ポリフェノールも多く、抗酸化作用も高いので、免疫力があがったり、美容効果もあります」

「しかも普通にうまいんですよね。うちの子はお茶が嫌いなんですけど、これだけはすごく飲むんですよ」

奥さんとお子さんの家族3人でここに暮らしている國吉さん。

岡山県出身で、高校までは機械関係の勉強をしていたものの、大学の途中で農学部に編入。卒業後、農業体験や食育を広めるNPO法人に2年ほど勤めていた。

大山町に来ようと思ったきっかけはなんだったのだろう。

「嫁さんがもともと鳥取の出身で、いつか帰りたいと話していたんです。ぼくはぼくで、農業体験の仕事をするうちに、自分で農業がしたいなと思うようになって」

そんなある日、テレビで協力隊の特集を見かけ、ネットで検索。鳥取県内でもいくつか自治体の募集があるなかで、大山町の募集が目にとまった。

「狩猟でまちを盛り上げるとか、農業関係でも商品企画や加工のお手伝いなど、どれもぼくには実感がわかなくて。そんななかでも大山町は、農業を学んで独立できる具体的なイメージが湧いたんですよね」

大山にも一度登ったことがあり、いい場所だということは知っていた。

前職のNPOのみなさんの後押しもあり、スムーズに決断できたという。

協力隊に着任して最初の3ヶ月間は、「アグリマイスター」のもとを1週間ごとにまわり、研修を受ける。

アグリマイスターとは、大山町が独自に認定した農業のプロフェッショナルのこと。

つくる作物もこだわりも、それぞれ異なる農家さんたち。3ヶ月の研修は、実際の仕事体験を通じ、どの人のもとでどんな作物をつくりたいのか、自らに問いかける期間になる。

「大山町で主につくられているのは、ブロッコリーと白ねぎと梨です。最初の1年間、ぼくは白ねぎを中心にいろんな作物をつくっている農家さんのところで勉強させてもらいました」

ひとつの作物に絞って育てる農家さんもいれば、いくつかの作物を並行して育て、道の駅に売り出すなどしている農家さんもいる。

ブロッコリーやトウモロコシもつくりたいと思った國吉さんは、2年目に別の農家さんのもとでも学んだそう。その方も、お米や大豆を並行して育てる農家さんだった。

「複合経営ですよね。頭のなかはものすごくごちゃごちゃします(笑)。ただ、自分には合っている気がして。つくるものが違えば作業も違うので、飽きないんですよ」

そのあたりは、人によって適性や好みもあると思う。実際にアグリマイスターのみなさんとお話をするなかで、自分に合ったやり方を見つけていくのがいいかもしれない。

また、町内でも地区によって年代や雰囲気が異なるそう。

「このあたりの大山地区は若手の農家さんが多くて、和気藹々とした雰囲気でやっています。中央の名和地区は30代後半が盛り上がっていて、お互いに意識し合っている感じだけど飲み会もよくあったり。東の中山地区は高齢の方が多く、職人気質な雰囲気。やっぱり技術の高さは感じますね」

それぞれの地区に特徴があって面白い。しかも排他的なわけではないから、お互いに農作業の手伝いをしたり、いい技術や情報は取り入れたりしている。

國吉さんは、作業場や農地などの環境が早い段階で整ったため、2年を過ぎた時点で独立を決めたそう。

いろいろと順調なように見えますけど、大山町に来て大変だったことやギャップはありませんでしたか?

「NPOに勤めていたときの無農薬栽培がぼくのベースにあって。無農薬で野菜をつくりたいって想いを持って来たんですが、このあたりは慣行農法が基本なんです。肥料も農薬も使って、農協に納める方法ですね」

そう簡単でないからやめておけ、という思いやりもあってのことなのだけど、意見が食い違う難しさはあるという。

「自分の手が空いてきたら、無農薬でつくったり、売り先ももっと探していきたいですね。やっぱり、稼いでいるけれど体を壊してる人もいるから。すぐには認めてもらえなくても、健康に働ける農家のあり方を見つけていきたいです」

まずは大山町の農業を知り、受け入れるところからはじまるような気がする。

その先に自分の目指す農業があるのなら行動すればいいし、出る杭は打たれる、というような環境でもないと思う。実際に國吉さんは、この環境を活かして何ができるかを考えながら、のびのびと農業に向き合っているように感じた。


続いて、梨のアグリマイスターである米澤さんのもとへ向かう。

冗談をはさみながら、梨づくりに対する想いを熱く語ってくれた。

年間を通して、やるべきことは絶えずあるという。

「1週間も経てば、梨はまったく違うものになっていく。だから、どれだけ木を観察できるかが大事なんですよね。同じような顔をしてるっちゃしてるんだけど、よく見れば違っている。微妙な心の動きも観察しなさいよって」

変化に気づいていくことがまず大事なんですね。

「そうですよ。技術を修得できるのは、とんでもねえ先の話。まずは隣で作業を見て、実際に自分でもやってみる。そうして気づく目を持つことからだよね」

野菜づくりのサイクルは数ヶ月〜1年と、比較的融通がききやすい。対して果樹は、木を植えてから数十年先までのサイクルを見通す必要がある。ある意味安定した収入が得られるとも言えるのだけど、ちょっとしたミスや自然災害が命取りになる危険性もはらんでいる。

それでも米澤さんは、どんなに重要な作業も研修生に任せることにしているそうだ。

「摘果作業とか剪定は、みんなやらせたがらないんですよ。誰でもできる袋がけとか草刈りばかりで、大事な部分を抜きにして教える。だけど、それではいつまでも成長できない」

「はじめは誰でも0からのスタートなんだから。信用するしかないですよね。そのあとどれだけカバーできるかは、こっちの実力です」

自然に従う仕事のリズムも、実践しながら覚えていくことになる。

「明るいうちに働いて、暗くなったら終わり。雨が降って作業にならない日は休むぞというふうに、梨屋さんはルーズなところがあるね。そのかわり土日は関係なかったり。決して楽ではないですよ」

梨以外にも、たとえばブロッコリーは収穫に最適なタイミングを逃さないため、一気に成長する日中を避けて夜間に収穫作業をする時期があったり。作物の種類や季節に応じて、働き方を柔軟に変えていく必要がある。

天候など不確定要素も多いから、一定のリズムを崩さず働きたいという人にとっては厳しい環境かもしれない。


米澤さんのもとで梨づくりを学んでいるのは、どんな方なのだろう。

地域おこし協力隊の田中さんにも話を聞いた。

高校、大学と農業を専門に学び、ホームセンターで植物関連の仕事をしていた田中さん。

國吉さんと同様、大山には何度か登ったことがあったそう。

「地元は鳥取市で。大山の近くで農業ができたらいいな、と思って探していたら、たまたま見つけたんです」

3ヶ月間、いろんなアグリマイスターのところを回った結果、梨づくりの面白さと人柄に惹かれて米澤さんのもとで研修することに。

来年の3月で丸3年を迎え、4月からは独立する予定だ。

「1年目はたくさん失敗もしました。たとえば、摘果作業であまり実を間引かず、多めに残してしまったんです。そうすると、収穫時に一つひとつが小玉になってしまい、味も乗らないことがよくわかって」

「次の年はその反省を活かして、大玉の梨ができたときはうれしかったですね。一個ずつ解決していく達成感があるというか」

とはいえ、米澤さんは「技術を修得できるのはずっと先の話」とおっしゃってました。

不安はないですか?

「農家はひとりの経営者だと思っとる人もおるでしょうけど、実はそうじゃなくて。周りの農家さんや地域の人と関わりながらつくっていくんですよ。飲み会や地域行事を通して積極的に関わっていくと、『いい農地があるんだけど』って話をいただけたり。チャンスが広がるんです」

「米澤さんも遠くにいるわけじゃないので、わからないことがあったら、怒られてでもとにかく聞こうと決めてます(笑)。手遅れになってからじゃ、しょうがないですから」

たしかに田中さんの師匠である米澤さんの言葉には、いろいろな学びがある。

最後に、印象に残った米澤さんの言葉を紹介します。

「人間の心次第で、なんぼでも梨は変わってくるんだよ。目先の儲けを追っかけても仕方がない。人が喜ぶ技術を身につければ、そこに人は集まるわけだから。それを一生懸命教えたいですね」

農作業という意味でも、農業の置かれている現状にしても、就農するという選択は楽なことばかりじゃないと思う。

けれども取材を経て、苦労話も笑い飛ばせるみなさんの健やかさ、明るさが何より印象に残りました。

このまちで農業に携わるということは、自分の心も耕すことにつながるのかもしれません。

(2017/11/30 取材 中川晃輔)

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