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「まだ何もしないうちから『できない』と言うのが大嫌いなんです。それでは何もはじまらないじゃないですか。できるようになるにはどうしたらいいかを考えて、まずやってみる。そこが原点だと思っています」そう話してくれたのは、株式会社源(みなもと)の代表、舩木さん。
源は、山梨県小菅村にある、道の駅こすげと温泉施設「小菅の湯」、アスレチック施設「フォレストアドベンチャー」という3つの施設が連携し、1つの会社として2017年に立ち上がりました。

飲食・サービス業という枠にとらわれず、地域の資源をどう生かし、村に循環をもたらすか。そんなふうに考え、まずは行動していくことが求められています。
多摩川の源流部にあり、東京にも近い小菅村。
ここには、変化を起こして何かを生み出そうとする空気が満ちているように感じました。
新宿から特急列車に乗り、山梨の大月駅へ。
ここから車に乗り換え。ゆったりとしたカーブを描く細い谷間を進んでいくと、窓の外にはすぐ山が迫って見える。
春になると新緑が溢れ、秋は赤や黄色に色づくそう。季節によって、山の表情は移り変わっていく。
森がきれいに間伐されているのも印象的だった。
まずは道の駅にあるレストランで、昼食をいただく。ここでは薪焼きの手打ちピザやパスタなど、イタリアンが楽しめる。
選んだのは小菅村産のヒラタケというきのこに、じゃがいも、そして山女魚(ヤマメ)のアンチョビがトッピングされたピザ。
山女魚のアンチョビなんてはじめて食べたけれど、臭みもなくすっきりとしたアクセントになっている。きのこの香りも引き立ってとてもおいしい。

立ち上げの先頭に立ってきたのが、小菅村の村長であり、源の代表でもある舩木さん。気さくに話してくれるはつらつとした方。
さっそく舩木さんに、源が立ち上がる経緯をうかがう。

「目と鼻の先にこれだけの施設がありながら、それはないだろうと思って。ここでいっちょ3つの施設を連携させることで、訪れてくれた人により楽しんでもらおうと考えた。会社が誕生して、ようやく1年になるところです」
舩木さんは、もともと小菅村役場に35年勤めていた。その後早期退職して、予約制のお蕎麦屋さんを開業しようと準備をしていたそう。ひょんなことから村長選に出馬し、今では2期目を迎えた。
「いつも、『こうだ!』という答えを決めていないんですよね。まずやってみて、もしまずかったら軌道修正してけばいい話。たぶん、考え方が天の邪鬼なんだな」
そう言って、役場の職員として働いていたときのことを話してくれた。
「この村で豊かな水を育む森林は、村の総面積の95%を占めています。その山を整えるための枝打ちや間伐が大変なんです。林業の担い手も減っていくなかで、専門にやってくれる人だけじゃなく、他の人たちにも手伝ってもらったらいいんじゃないかなと考えて」
一緒に働く人たちにアイデアを話してみると、みんな口を揃えて、「そんな危ないことをわざわざやらせる必要はない」「何かあったとき誰が責任を持つんだ?」と言ったそう。
でもいつのまにか、地域から有志が集まり、木こり倶楽部が結成された。
今では、切った間伐材からベンチをつくったり、薪にしたり、燻製料理をつくるのが当たり前になっているんだとか。

小さなことでも、まずやってみることで新しい反応が生まれていくのを目の当たりにしてきた。
「いろんな仕掛けをしながら地域を盛り上げていこうというのが、私の考えです。今では村の若い人たちが、ユニークな企画を考えてくれています」

「今、最高に面白いですよ。ただ、人口730人ほどの村だから、慢性的に人手が足りなくて」
「そのなかでも、村のいろんなことをつなげていくというのが、源という会社のこれからの役目。これから加わる方とは、意見をキャッチボールさせながら、ともにアクションを起こしていきたいです」
そんな舩木さんたちと伴走するように、事業展開を進めているのが、株式会社さとゆめ。
持続可能な村づくりに向けて一緒になって道の駅を立ち上げ、現在も古民家再生事業など、さまざまな施策を提案・実行している。
今、道の駅の飲食部門に入っているのが、さとゆめでフードコンサルタントを務める稲垣大介さん。
普段は都内をはじめ、いろいろな地域の飲食店や生産者のもとを回って仕事をしているそう。

4年前ごろには、日本全国の自治体とひと月ごとにコラボレーションして、地域の食材を使ったレストランを運営していたそう。
そうしたなかで、さとゆめから声がかかる。培ってきた力を活かしながら、一緒にやっていきたいと仲間に加わった。
道の駅の事業には、オープニングに向けたサービス研修のサポート役として参画し、現在は新商品の開発やスタッフ管理、戦略的なイベント提案をしている。
レストランで食べた山女魚のアンチョビは、稲垣さんが開発を進めていったものなんだそう。
「地元の漁業組合さんから、山女魚を塩焼きにして、道の駅で活用できないかという声が寄せられていたんです。ただ、塩焼きのままでは、イタリアンのメニューには合いません」
小菅村に潤いをもたらしながら、いろんな層のお客さまに楽しんでもらうためにはどうしたらいいだろう。
「イタリア料理に欠かせない食材って何だろうというところから考えました。そしたらアンチョビじゃないか?!と思いついて。今まで海で獲れるカタクチイワシからしかつくられないと思っていたけど、もしかしたら川魚でもできるんじゃないかな?って」
開発に向けて調べていくと、大分県の日田市では鮎を発酵させて醤油をつくっていることがわかった。山女魚でもできると確信し、もう一人の開発メンバーはスペインに渡ってアンチョビの発酵方法を学ぶことに。
するとアンチョビというものは、内臓などに含まれる消化酵素によって発酵することがわかった。
「ただ、山女魚の内臓や頭部などすべて入れると、ネガティブな香りになってしまうんです。身の部分だけでは発酵しないから消化酵素は必要。どの部位の酵素がいいのか、6回7回とつくっては失敗の繰り返し。それも、発酵には2、3ヶ月かかるんです」

「肝臓と塩で漬けてできあがったアンチョビは、旨味やねっとりとした口当たりは残しつつ、癖がない仕上がりになりました。おそらく日本全国で、山女魚のアンチョビをつくっているのは小菅村だけですので。ここでしか味わえないものができたと思います」

課題を解決するために挑戦する。すると新しいアイデアにもつながっていく。
それにしてもどうしてそこまでして、挑戦するんでしょうか。
「はじめからできない、って考えたくないですから。そうなると、知恵を絞るしかないですし、失敗しても次につながると思うんです」
その言葉からは、柔軟さとどっしりとした構え方が感じられる。
そんなことを考えていると、稲垣さんはこう続けた。
「地方に行くと、お金をかけてテーマパークを建てる、というような事例も多くみられます。でも僕は、ハードやスキームだけで、ふるさとの想いを形にすることは絶対に無理だと思っていて。やっぱり食べるとか飲むという密接な関係があってこそ形にできると思うんですね」
密接な関係。
「食べたり飲んだりすることって、小さなエンターテイメントと言いますか。毎日毎日、暮らしのなかに起こせるようなものだと考えていて」
、長崎で関わっている農家さんとのエピソードをしてくれた。
そのおじいさんは、小さな畑で無農薬・無肥料で生姜だけをつくっている方。でも、なかなか地域の人に食べてもらう機会がない。そこで稲垣さんは、生姜のシロップをつくって、かき氷とジンジャエールにして夏祭りに振る舞おうと提案した。
「夏祭りでは、地域の人が『甘いのにピリッとしていていいね』とか、『地元のおじいちゃんがつくってくれたものなんだね』と喜んでくださっている様子を見たんです。それを見て、こういう食の形って小さいけれど長く続いていけるものだなと思ったんです」
「せっかく生産者が思いを込めてつくった良いものだからこそ、加工方法や見せ方を変えることで、人々の印象に残るものになる。どんな人にどう楽しんでいただくかを考えながら、食の形を変えて小さなエンターテイメントを起こしていきたいです」

「最初から用意されているものは少ないです。すべてが整っているわけではないし、人手も足りていないのが現状。そのなかで、どれだけできるかだと思います」
決められた枠のなかだけで仕事をすればいいのではなく、自分で仕事をつくっていくこと。それは難しいことだと思うけれど、稲垣さんのお話を聞いていると、いろんなことが生まれていく予感がする。
「舩木さんは、村のためになることだったら何でもやってみろ、って言うんです。まわりから何と言われようと、まず挑戦しろ、って」
舩木さん自身、今も新しいことに挑み続けている。そんな人が身近にいるからこそ、みんな挑戦するのかもしれない。

一人ひとりの行動が、まわりの人たちにも影響していく。
この村に変化をおこしていくことにつながる仕事だと思います。
(2017/12/12 取材 後藤響子)