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「無謀なことでも、できると信じていればできるんです。頭で考えているのと体験するのとではぜんぜん違うから、まずはやってみないと。まだまだ戦いは止まりませんよ。誰と戦ってんねん、って感じだけどね」そう話してくれたのは玉木新雌(たまきにいめ)さん。「tamaki niime」の代表を務める方です。

特徴的なのはやわらかな着心地と鮮やかな色彩、そしてどれも1点ものということ。
綿花を育てるところから、糸を紡ぎ、染め、織り、縫って販売するところまで。すべてを自分たちで行っています。
すべてをゼロからやるからこそ、自由にものづくりをすることができる。
今回中心に紹介するのはパタンナーと販売スタッフの仕事。同じ志を持ち働ける人を募集しています。
新大阪から在来線を乗り継いで、1時間半。
車窓からの景色は郊外の団地から、山が近い風景に変わっていく。
たどり着いた「日本のへそ公園駅」は無人駅。ICカードが使えないなんて考えてもいなくて、車掌さんに渋い顔をされてしまった。

扉を開けると、たくさんの色が目に飛び込んできた。

その横の部屋では、黙々とミシンに向かうスタッフの姿。
階段を上がると太陽の光が差し込むスペースがあって、カフェや食堂として利用することができる。
掃除が行き届いているからか、どこも空気が澄んでいて気持ちがいい。
「私、人見知りなんです。話をしなくても正直につくっていることが伝わるように、工場のスペースをガラス張りにしました」
そう言ってこの場所を紹介してくれたのが玉木新雌さん。
清々しいくらい正直に、今考えていることを話してくれる。

あるとき、たくさんの服のなかでも、よく着るものとそうでないものがあることに気がついた。
「なにが違うんだろうと思ったら、着心地がいいんだって思って。朝から夜までずっと肌に触れ続けるものが気持ち悪かったら、1日中気分がよくないでしょう」
大阪でパタンナーとして働いたあと、自分のブランドを立ち上げるために独立。それから4年ほど、なかなか方向性が定まらない時間が続いたそうだ。
「自分らしくリラックスしていられる服で、自由に生きたい。着ているかどうかわからない、空気みたいなものが完璧だと思っていて。デザインやパターンも大事だけど、なにより生地。でも独立したての私に、別注で生地をつくってくれるところなんてなかったんですよね」

江戸中期から続く播州織は、糸を先に染めてから織るのが特徴の1つ。
ストライプなどの柄を出しやすく、シャツ地の生産地としては今も国内随一のシェアを誇っているそうだ。
「西角さんはどの生地も1点もので、おもしろかったの。でも柄が細かすぎて同じに見えるから、もっと大柄のほうがええんちゃいます、って。勝手にアドバイスしたんです」
特にオーダーをしたわけではなかったものの、1週間後、「つくってみたから見においでよ」と電話が入った。
「見にいったら、言った通りにおもしろくなってたの。生地をつくれるんだ!ってうれしくて。私は生地でいく!って決めちゃった」
ふふふ、とおどけながら話をしてくれる玉木さん。これ!と決めたらまずはやってみるタイプのよう。

「縫ってシャツをつくるとか、形にしなきゃって常識にとらわれてたんだけど。ある日、布巻いたらショールになるやんって。ショールでやっていこうと決めてからは、あっという間にいろんなことが動き出しました」
「織り機を譲ってもらったり、建物を紹介してもらったりして。これは自分たちで織れってことだなって。西角さんの年齢も考えると、まずは自分が継ぐ、自分ができるようになるほうがいいと思ったんです」
そうして2016年9月にできたのが、この「tamaki niime Shop&Lab」。
「日本のものづくり、特にファッションは現場がなくなるっていう危機感があって。ここさえ残れば紡いでいける、次の世代に渡していける。そういう使命感を持っています」

そうしてできた布地でつくるものはすべてが1点もの。
糸を変える作業が必要なので、本来であれば1日に何百枚とつくれる機械でも、1日8枚しかつくれない。
「これが私に似合うスペシャルな服だと思って選んだのに、人とかぶったら嫌でしょう?ターゲットは老若男女。カラーバリエーションをつくれば、黒人さんであろうが白人さんであろうが、似合うものが見つかるから」
これまではほとんどの作品を1サイズのみで展開してきた。
バリエーションを増やすためにも、そこに縛られずに作品をつくっていきたいと考えているそうだ。

どんなふうに作品が生まれていくんだろう。
「絵を描くのが苦手だから、パターンを引きながら、いや、むしろ縫製しながら考えるのかな。実際に生地を触りながら、あれこれ考えていくのが好きなんです」
今は山下さんという男性スタッフもパターンをひいている。
めんどくさがりで直線をつかうことが多い玉木さんとは対象的に、山下さんは曲線をつかった線を引くことが多いそうだ。
「お互いにルールがあって、どっちが間違っているわけでもない。パターンをひけるというよりも、どうしたら着心地がいいかを意識できる人がいい。そういう人って、考え方が線にでるから」
「トップブランドだと、パタンナーがデザイナーなんですよ。絵だけではなくて、ちゃんと形にするところまでの技術力を問われる。うちが求めているのは、多分そっち側なんだと思います」

これからは役割を明確にしつつ、効率も考えたものづくりをしていきたい。
「そのためにも、自分で線を引きつつ、チームを引っ張ってくれるような人がいたらいいなと思っていて」
「私とやっていくから頑固だと難しいでしょうね。やわらかい人がいい。心からいいものづくりをしたいと思っている人であれば、年齢は問いません」
販売チームを引っ張ってくれている人、として紹介してもらったのが藤田さん。

「そうですか?20代の新卒で入ってきた子もいれば、40代のスタッフもいます。お客さんは60代の方が多いこともあって、もっと幅広い年齢層のスタッフがいてもいいんじゃないかと思っています」
実家が自転車で行ける距離にあるそうで、帰省がてらふらりと立ち寄ったのが転機になった。
催事で人手が足りないと聞き、トントン拍子で手伝うことが決まったそうだ。
「自分の生活にぱっと風穴が空いたっていうか、自分の生活がおもしろくなる予感がしたんです。ほんの数日のつもりだったんですが、もう6年半も経っちゃいましたね」
今は、1ヶ月の半分は展示会で全国を回るような生活をしている。
たくさんのファンがいるブランドになったものの、tamaki niimeのことを知らない人に出会うことも少なくない。
「1日中、とにかく作品のことを話し続けるような日もあります。手に取ると、やわらかくていいわねって笑顔になってくださるんですよ」

「お客さまに色を合わせていくのは、カウンセリングに近いかもしれません。好きな色が似合う色とは限らなかったりもするんですよ。かける言葉選びにも、正解があるわけではなくて。日々修業だなと思います」
接客以外の仕事でも、手取り足取り教えてもらうというよりも、まずは自分でやってみるところからはじまることが多い。
「すぐ横につくっている人がいるから、ほしいと思ったものがすぐ届く。新鮮なお野菜みたいなんです。常にいろいろなことが変わっていくので、変化を楽しめる人が合うと思います」
お客さんがお店にいない時間でも、展示会の準備やタグ付けなど、スタッフは肩書きの垣根なく常に動き回っている。

そんなある日、玉木さんが「今年はウールを使った作品づくりをしない!」と宣言したことがあったそう。
「ウールを混ぜたショールは秋冬の売れ筋で、楽しみにしてくださっている方も多いんです。だからスタッフみんなで反対して(笑)」
将来的にはウールを使わずコットンのみで、やわらかく温かいショールをつくりたいと考えているものの、スタッフの意見を取り入れ、今もウールを混ぜた作品を販売している。
人気の作品なのに、どうしてそんなことを言ったんだろう。
玉木さんにも話を聞いてみる。
「作品をつくる過程でもゴミがでるし、これだけものが溢れているなかで、むやみに消費を増やしたくない。みんなを引っ張っていく立場として、この先どうすんねんって悩んだ時期があったんです」
この仕事で生きていくためには、関わる人が幸せになるようなビジネスでありたい。
そう考えているときに出会ったのが、ヨガの「動物にも迷惑をかけない」という思考。
それから玉木さんは、動物性のものを使わずに生活できるか挑戦をしはじめた。
「今ベストだと思っていることをやってみる。私たちも、やってみないとわからないから。でもそれがいいことだとわかったとき、共感したり、こういう考えもありだなって思ってもらえたら。ちょっとずつ世界は変わるんじゃないかと思うんです」
綿花を育てることが派生して、農業にも取り組んでいる。今後はより広い分野のものづくりをしていくこともあるかもしれない。
玉木さんの探求は、どこまでも深く、そして広く続いてく。

今日のメニューはなんと焼肉。みんながお肉を頬張る横で、玉木さんはサラダとキムチを食べている。
これだ!思っても、人に押し付けるというわけではない。そんなやわらかな姿勢が、tamaki niimeが提案している自由さに重なる。
気になったらまずは、ここで働く人たちに会いにいってみてください。
やわらかさの中に、強い灯火があることを感じられるんじゃないかと思います。
(2018/3/23 取材 中嶋希実)