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足もとの宝をいかし
暮らす宿とともに生きる

島根県大田市、大森町。

最盛期には世界の銀の3分の1を産出し、20万もの人があたり一帯に暮らしたといいます。

その繁栄の中心にあった石見銀山(いわみぎんざん)の名前を、歴史の教科書などで目にしたことがある人は多いかもしれません。

ただ、終戦直前の1943年に閉山を迎えると、人口はたちまち減少。現在は約400人の住民が暮らしを営む静かな町となりました。

木造家屋が連なり、田んぼや山林の間を川が流れる。コンビニも信号もない里山での暮らし。

この地での生活は一見、不便で遅れたもののようにも映ります。

けれども、経済発展の一方で生まれる衝突や環境への負荷に違和感を感じている人は少なくないと思う。

もしもこれまでの延長線上にはない、これからの生き方・働き方を探っているのなら。そのヒントがここ大森町にはあるような気がします。

今回は「暮らす宿 他郷阿部家」を運営し、この地から新たな価値観を発信していく人を募集します。

 

島根・出雲空港から高速バスと電車を乗り継ぎ、およそ1時間半でJR大田市駅に到着。

そこからさらにバスで20分ほど移動し、木造家屋が立ち並ぶ大森町へ。

町の中心部、表通りから少し奥まったところに、他郷阿部家はひっそりと佇んでいる。

築230年の武家屋敷を再生した、1日3組限定の宿。

ボロボロの状態から、新築を建てる以上の時間とコストをかけて再生したという。

内装やインテリアには地域の学校や住居で使われなくなった廃材が多く使われ、空間全体にどっしりとした趣が漂っている。

玄関をくぐると、主である松場登美さんが出迎えてくれた。

登美さんがこの町にやってきたのは、今から38年前のこと。

夫の松場大吉さんが生まれ育った大森町に移り住み、子育ての合間に登美さんがつくったパッチワークの小物を売り歩くところから商売をはじめた。

売り上げは順調に伸びていき、1994年には日本のものづくりをテーマにしたブランド「群言堂」を設立。全国に店舗を展開しつつ、創業の地である大森町から“根のある暮らし”を発信してきた。

なかでも、他郷阿部家は象徴的な空間だ。

「大げさな言い方をすれば、阿部家は『こういう暮らし方をすれば世の中はよくなるのではないか』というひとつのサンプルみたいなもので。まだ理想の形にはなっていないけれど、10年経ってようやく脈打ってきたという感じがしています」

ようやく、ですか。

「そうですね。わたしが来た当時は誰もが出ていく時代で、廃墟の町でしたから。それでも直感的に、ここは素敵な町だと思った。経済発展に取り残されたおかげで、歴史と自然が共存した景観、お互いに支え合うコミュニティがある」

「都会が悪いとか、便利なものを否定するつもりはないんだけども、『みんながそれをやったら地球はどうなるの?』っていうレベルの暮らしをやりはじめているわけじゃないですか。だから、この町からわたしたちが発信できることのひとつは、“発展だけが人類の幸せではない”ということだと思うんです」

たとえば山菜を採りにいったり、堆肥をつくって畑を循環させたり、建具を直したりすることも仕事のうち。

毎晩の食卓を、登美さんは宿泊客とともに囲む。

阿部家でのさまざまな“暮らしごと”は、派手ではないけれど、噛みしめるような幸せにしっかりと紐づいている。

「町の人だけの小さな輪で盆踊りを踊ったり。うちの社員が亡くなったときには、ご家族もお招きして、茅葺き屋根の社屋でその人を思い出しながら食事会をしたり。ここでは、そういうひとつずつの経験がヒューマンスケールというか。すごく人間的なんです」

イタリア・ピエモンテ州の小さな村から「スローフード」のムーブメントが全世界に広がったように。

登美さんは“根のある暮らし”をより多くの人に伝えていきたいと考えている。

町内で改修した空き家は10軒を超え、今年4月には一棟貸しの宿「只今加藤家」をオープンした。

「まだまだ道半ばで、今のところ宿単体ではほとんど利益は出ていません。でも事業としてやる以上、経営が成り立ってはじめて目的を達成できる。いつか文化が経済を上回るときがくると信じて、この宿を続けています」

 

そんな登美さんと一緒に他郷阿部家をつくりあげてきたのが、マネージャーの小野寺拓郎さん。

やさしい笑顔が印象的で、みんなからは「拓さん」と呼ばれている。

30歳のとき、料理人になることを決めた拓さん。

和食の料理屋で修行後、東京・西荻窪にある群言堂のお店Re:gendo(りげんどう)で2年間働き、会長の松場大吉さんに呼ばれて大森町にやってきた。

「妻は東京出身で、最初渋っていました。でも、ぼくはもともと子育てするなら東京より田舎がいいなと思っていたので、この町で暮らしているイメージができてしまって。登美さんからも『一度家族で泊まりにおいで』と言ってもらったので、一緒に来てみたんです」

「そうしたら、来たときは晴れていたのに、急にひょうが降ったり、大雨になったり。1泊2日の間にいろんな景色を見せてくれて。朝起きたら雪景色。それを見た嫁が『ここに住みたいな』って言ってくれたんですよね」

それから5年。

現在は町内の空き家を購入し、3人のお子さんと奥さんと一緒に楽しく暮らしている。

実は拓さん一家のほかにも、子育て世代の移住者は多い。

「ここ3年ほどベビーラッシュで、町内で20人ぐらい赤ちゃんが生まれて。それもあって保育園が増築され、今までなかった学童もできた。待機児童も出そうな勢いです(笑)」

「あとは、子どもが保育園で熱を出したときに町の人が看てくれたり、2番目の子が生まれたときはおぶりながらここの風呂掃除をさせてもらったり。会社ぐるみ、まちぐるみで子育てを応援してくれるので、ありがたいですね」

ここでは仕事と暮らしが地続きになっているだけでなく、地域と会社の境界も曖昧なのかもしれない。

他郷阿部家で働くなかで、拓さんは自身の意識の変化を感じているという。

「たとえば、鍋の取っ手が壊れたら自分で木を拾ってきて直すとか。なんでも直そうという考えに変わりました。この空間も廃材を再生して使っているので、自然と影響を受けているのかもしれませんね」

ふと、登美さんが知人から教わったというこんな言葉を思い出す。

「遊びを極めると仕事になる。仕事を極めると遊びになる」

もちろん、その境地に至るのは並大抵のことではないし、登美さん自身もまだ道半ばだと言っていた。

最初から実践できなくとも、同じ価値観を共有して前に進める人が求められているのだと思う。

 

ここからは、暮らし紡ぎ係の松島周(あまね)さんにも話を聞く。

今回募集する人は、周さんの後任になる。

「仕事のかたわら、器をつくったり畑をやったりしていた父が、蕎麦屋になると言い出して。わたしはこれまで父や母の言うことにあまり耳を貸さなかったから、手伝いたいなと思って。今回わがままを言って他郷阿部家を卒業させてもらうことになりました」

もともとは島根県にある全寮制の高校に通っていた周さん。

3年生のとき、進路に悩む周さんに先生が勧めてくれたのが、登美さんの著書だった。

「少しでも世の中をよくしたいという想いがその本にあふれていて、感動してしまって。お手紙を書いたんです。それからすぐに『いつでもいらっしゃい』と返信が来て」

冬休みの3日間、インターン生として阿部家の仕事や暮らしを体験し、ここしかない!と感じたそう。

入社後は、拓さんと一緒に料理担当を1年経験したあと、宿の予約管理や受付、接客などを行う“暮らし紡ぎ係”として働いてきた。

9時から30分ほど朝礼を行い、そのあとは全員で掃除。12時から15時は中休憩で、昼ごはんをつくって食べたり、昼寝や読書をしたり、ギターを弾いたりと自由に過ごす。

15時になると、料理担当は仕込みを開始。暮らし紡ぎ係はチェックインの受付や案内、竃でご飯を炊くなど、調理補助のような役割も担う。

夕飯は、登美さんと泊まりに来たお客さんが一緒になって食卓を囲む。お客さん同士が知り合えるように紹介したり、料理の説明やサーブをしたり。

1日3組限定とはいえ、予約の管理やメールの返信など細かな作業も含めるとなかなかの仕事量になりそうだ。

「登美さんの考えや暮らし方に共感していらっしゃるお客さまが多いので、期待に応えなきゃというプレッシャーはかなりあります。掃除ひとつとっても、最初はここのレベルに追いつくのに必死でした」

高校を卒業してすぐにここで働くって、とても濃い経験ですよね。

「そうですね。都会にいても出会えないような人が日々いらっしゃるので、刺激になります。人との出会いも小さな仕事も、一つひとつに楽しみを見出せる人に来てほしいです」

この日の夜に食事をご一緒させてもらった方々は、第一線で活躍するカメラマンやデザイナー、長く円満別居生活を送っているご夫婦など、経歴や職業もさまざま。

そんな人たちと大皿から取り分けて食べるご飯は、大きな家族になったようで一層おいしく感じる。

これから阿部家を旅立つ周さん。

ここで働いていて、よかったことってなんですか。

そう訊ねると、ひっそりと小声で教えてくれた。

「ここのスタッフのみんなが好きなんです。はじめて入社させていただいた会社で、ずっとつながっていたいと思えるような人たちに出会えたことがわたしの誇りです」

田舎で1日3組限定の宿をゆったりと営む。

そんなイメージを持ってやってきたら、きっとついていけなくなると思う。

みなさん常にテキパキと動き回っているし、目の前のことにどんどん取り組む。

“根のある暮らし”というのは、その土地に根づくことを意味するようにも聞こえる。もちろん、大森町という環境を好きになることも必要だろうけど、それ以上に“どこでも生きていけるような自分の根っこを育てる”ことの大切さを、この言葉は意味しているのかもしれない。

 

最後に、登美さんの言葉を。

「みんないずれ年をとって、100%死ぬわけでしょ。だけど、死というゴールを目的に生きているわけではないので。そのときそのときを自分らしく、楽しく、情熱を持って。そういう仕事を通して人は成長すると、わたしは信じています」

他郷阿部家のみなさんと話していると、自分自身のことが照らされるようで、自然と背筋が伸びる。

根のある暮らしを実践する人が増えていったら、たしかに、世の中は少しずつよくなっていくのかもしれません。

「いいなあ」という憧れだけではなく、この宿に呼ばれていると感じたら、その感覚をぜひ大事にしてほしいです。

(2018/9/13 取材 中川晃輔)

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