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島根県・石見銀山。そのふもとにある人口わずか400人の大田市大森町で、衣料品・生活雑貨のお店「群言堂」は生まれました。
会長の松場大吉さんと所長の松場登美さんご夫妻が、手づくりの雑貨や小物を売り歩いたことが事業のはじまり。
運営会社の株式会社石見銀山生活文化研究所は、今年で設立31年目を迎え、群言堂のお店も、全国に展開しています。

ほかにも、石見銀山に咲く梅の花の酵母を配合したスキンケア商品や、島根県の会社が地元の食材でつくったお菓子など。
当たり前に謳われてきた経済発展の流れから外れた、石見銀山での営み。群言堂は、自分たちが大切にする「根のある暮らし」をさまざまな方法で発信し続けてきました。
関東や関西をはじめとする各店舗で、群言堂の暮らしを伝えていく人を募集します。
今回訪れるのは、群言堂の東京事務所。地下鉄神保町駅を降りて、オフィスや大学のある通りを5分ほど歩いていく。
事務所が入るのは、「東方学会本館」という建物の3階。中に入ると、歴史ある大学のような雰囲気を感じる。
廊下の一角にあるドアを開けて挨拶すると、スタッフさんたちが気持ちの良い挨拶を返してくれた。
最初にお話を伺うのは、山形店の店長・永田さん。この取材のために、昨日山形から来てくれた。

大森町にある他郷阿部家は、築230年の武家屋敷を再生した宿。
昔ながらの日本家屋で過ごし、主である登美さんと一緒に四季折々の料理を囲む。暮らすように、静かな時間を過ごすことができる場所。

「そういう仕事に触れるうちに、私は食べることが好きで、“生活”を大事にしていきたいんだって気づいたんです。そんなときに日本仕事百貨で他郷阿部家の記事を読んで、すごく興味を持ちました」
「ここの暮らしってどんなだろうとか、どうして石見銀山でやっているんだろうとか。就職というより、お会いして話を聞いてみたいという気持ちが大きかったです」
面接ではじめて訪れた冬の大森町。他郷阿部家は、薪ストーブからパチパチと火がはぜる音が聞こえる、とても静かな空間だった。

「登美さんは、畑違いの分野から来た私に、『経験や職歴で人を見る会社もあるかもしれない。でも私はその人にしかない魅力を大事にしたいと思うので、あなたを採用しました』と言葉をかけてくれて。そのときに、この会社で頑張っていこうと思いました」
大森町に移り住み、宿の仕事に一年間取り組んだ。
そこから、群言堂の店舗に移ることになる。
「地元が山梨なので、やっぱり家族の近くに居たいなという思いもありました。それに阿部家には、古くからの群言堂のお客さまがいらっしゃることも多くて。群言堂の空気感や、どんな方々に会社が支えられているのかを、きちんと知りたいなと思ったんです」
最初に勤務したのは、高尾店。
群言堂を長年育ててきたベテランのスタッフさんたちと一緒に過ごし、彼女たちの会社に対する思いやお店での振る舞いを学ぶことができた。

「知識を叩き込むのではなくて、自分なりの言葉でお客さまに伝えられるように、と教育をしてくださりました。なので、実際に自分が何度も着るうちに感じたことを、素直にお伝えするようにしていきました」
その後、日本橋と新宿の店舗を経験し、現在の山形店へ。
「店舗によって、忙しさやお客さまの雰囲気も全然違います。でも、どのお店でも根っこの部分は一緒なんです」
根っこの部分。
「関わったすべてのお店で、スタッフの方それぞれが、自分たちが今いる場所を楽しんで働いていました。それに、年齢が高い方も元気で好奇心旺盛で。こんなふうに歳を重ねていきたいと思える人たちばかりでした」
場所や年齢にとらわれることなく、いま自分の足もとにあるものを大切に、日々の暮らしや仕事を積み重ねていく。
そんな姿を、先輩たちから感じることができた。
「それが、創業したふたりの話す“自分の暮らしをデザインする”ってことなのかなって。自分がいま持っているものをいかして、生活していくこと。それは、どこでどんな仕事をしていても、きっと変わらないんだろうなと思います」

「山形店は、新月から満月までの間オープンします。なので、毎月営業期間が変わります」
新月から満月まで…?
「はい。2週間お店を開けたら、次の満月が新月になるまでの2週間は、洋服や雑貨を取りはらってワークショップや展示をします」
季節ごとに植物を使ったリースをつくったり、年末にはしめ縄をつくったり。山形の作家さんと合同の企画展も行った。
「コンビニがある時代とは思えない営業形態ですよね。利益だけじゃなくて、文化的なことを大事にする会社じゃないと、こういうお店はやらないだろうなと思います」
「ただ、遠方よりお越しいただいたにもかかわらず、『お店が閉まっていて残念だった』というお声が多く聞かれました。それもあって、3月末からは月の満ち欠けに関係なく営業させていただくことになりました」
より多くの人と出会うなかで、群言堂が大切にしていることを伝える機会もきっと増えていくんだと思う。

「たとえば今日の気温は過ごしやすいなとか、少し寒いかなとか。ちょっとしたことに気づけるようにしたいですね。自分がそう感じたら、お客さまも同じだと思うので」
群言堂には“接客とはこうあるべき!”というマニュアルがないそう。なので、接客でもお店づくりでも、自分たちでいろいろなことに気づく必要がある。
とくに大切にしているのが、掃除。
「お掃除をしていると、些細なことに目を向けられるようになるんです」
「山形のお店だったら、もともと古い蔵だから蜘蛛の巣ができやすい。毎日お掃除をすることで、それにすぐ気づくこともできます。登美さんがお掃除を大切にするのも、いろんなことに気づけるからなのかなと思います」

こんなふうに働く人たちの手によって、群言堂のかたちがつくられてきたのかなと思った。
大吉さん、登美さんの考え方は、島根から離れた店舗で働くスタッフにもしっかり根付いているように感じる。
丸の内店で店長として働く外島(としま)さんからも、そんな印象を受けた。教えてくれたのは、2年前の採用面接のときの話。

大きな船の横についていれば安定は得られるけれど、自分たちはその道は選ばなかった。時代の流れに逆行して、小さな船で自分たちだけの川に入ってみたら、その先で桃源郷に行き着くことがある。
面接でもそんな話をしてくれた。
「私は、社員1万人以上の会社を辞めたばかりのときで、自分のことを言われているように感じました。大きい船で安定を得ようとしたけれど失敗してしまったんだなって」
「昔を思い出したのか感動したのか、実はちょっと泣いてしまって。大吉さんはいまだにそのことを覚えていて『お前はすぐ泣くからな』って言われます(笑)」
外島さんのいる丸の内店は、東京駅の近くにある商業施設KITTEの中に入っている。
立地の良さもあり、年配の方から若い方、外国の方までさまざまなお客さんが訪れる。常時5人ほどのスタッフがいる丸の内店は、お客さんもスタッフも特に多い店舗のひとつ。
話のなかで垣間見える外島さんの様子は、ちょっと大変そうでもあった。
「以前の会社は終電が続くような時期もあったので、もっと自分の生活を大切にしたいと思ってこの会社に入りました。でもお店はやっぱり忙しくて。半年前に店長になってからは、自分の時間とのバランスがちょっと取りにくくなってしまっています」
「スタッフには長く働き続けてほしいから、今の状況を変えていきたくて。人事の人たちとも改善しようと話している最中です」
小さな意見にも耳を傾けてくれる会社だから、一緒に良い方向を目指していきたいと、外島さんは話していた。

え、登美さんも?
「そうなんです(笑)一緒に食卓を囲んだり、テレビを見たり世間話をしたり、すごく楽しい時間でした。登美さんご自身も楽しかったみたいで、去年の誕生日カードに『あのときが忘れられない、楽しかったわ、また来てね』って書いてくださいました」
毎年社員には、大吉さんと登美さん、本社の人事スタッフたちから、メッセージ入りの誕生日カードが届く。
「スタッフの一人というより、人としてのお付き合いをさせていただけているなと思います」
これから入る人も、4泊5日で大森町に滞在し、群言堂の本店や他郷阿部家などをまわる研修がある。
会社が大切にしてきた考え方や、創業の土地の雰囲気を肌で感じることができると思う。

「永田も言っていたように、群言堂には接客に関する細かなマニュアルがありません。一人ひとりがそれぞれのやり方で、群言堂らしさを表現していくことになります」
「お客さまには、スタッフとの他愛もない会話を楽しみにしている方も多く、時にはお客様から多くの学びもあります。言葉遣いや対応方法に細かい決まりはないので、どんな接客がいいのか自分で考えて、のびのびやってもらえたらと思っています」
石見銀山から続くものを根っこに持ちながら、自分なりに群言堂を考え、表現していく。
そんなふうに働く人たちが、自分の場所で日々を積み重ねていくことで、群言堂のかたちがもっと磨かれていくのかもしれません。
(2019/01/08取材 増田早紀)