求人 NEW

互いの文化を持ち寄って
漁村に生み出す
ぼくらのCoworking

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

「ぼくらは複数の仕事を掛け持ちしながら、自分たちの心地よいあり方をつくろうとしている対等なメンバーなんです。だから仕事を与える、もらうという意識はなくて。自分のスキルや経験を生かしながら、一緒につくっていこうって思っています」

それぞれが抱える「もっとこうなったらいいのにな」という想い。それを自分たちの手で形にしていこうと動き出した人たちに出会いました。

舞台となる三重県・南伊勢町は、海と山に囲まれた一次産業の町。

漁港は日本有数の水揚げ量を誇り、海沿いにはみかん畑が広がる。地元の人の多くが自分の田んぼでお米をつくっています。

38ある集落にはそれぞれ異なる文化が根付き、豊かな自然が何よりの魅力です。

一方で町には映画館や、夜遅くまで作業に集中できるようなカフェはありません。

そこで今年、町内の地域おこし協力隊やフリーランスが集まり、新たに「BUNKAJIN PROJECT」が始動。その第一弾として、町内にコワーキングスペースをつくることになりました。

今回は一緒にスペースを運営してくれる仲間を募集します。

編集やデザイン、プログラミングなど何かしらフリーでも活動できるスキルを持つ人に来てもらえたらうれしいとのこと。

まずは中心となって動いている3人の、想いや考えを知ってほしいです。



名古屋駅から、特急電車で1時間半。

宇治山田駅は伊勢神宮への参拝客で賑わっている。ここから南伊勢町までは、さらに車で1時間ほど走る。

最初に向かったのは、プロジェクトの発起人である漁師の伊澤さんのもと。

「良かったら、海に行きませんか。漁場を見てみてほしくて」

その言葉に甘えて船に乗り込む。海の中を覗き込むと、底に生える海藻まではっきり見えるくらい透き通っている。

「海にも季節があるってことを、こっちに来てすごい実感して。ヒロメという海藻があるんですけど、12月に種をロープにつけて海に垂らしておくと、3月にはいろんなところから生えてくるんですよ」

「それを見ると、春がきたなぁって思うんです」

東京の大学を卒業してすぐ、南伊勢町へ移住。鯛の養殖をする会社で漁師をしながら、ライターとして地域の魅力を発信している。

そもそもどうして南伊勢町で暮らすことにしたんだろう。

「大学生になって一人暮らしを始めて、自分が食べるものがどんなふうにつくられているのか、全然知らないなと気づいたんです。そこから全国の生産現場をまわって、自分の目でいろんなものを見てみたいと思うようになりました」

秋田や山形で田植えと稲刈りを手伝ったり、高知の養鶏場を訪ねたり。京都では農家民宿に一ヶ月住み込んで、ひたすら薪割りをしたこともあった。

「最初は別に、そこで就職とか考えていなくて。もともとは新聞記者志望だったんですよ。大学は憲法とジャーナリズムが専攻でした。でも、なんか空虚な感じがしてきて」

空虚な感じ?

「なんだろうな。たとえばマスコミ研究会で、週1で作文を書く課題があったんです。トルコでテロがあったとか、トランプ大統領がこんな発言をしたとか。書いていても全然自分が実感していることじゃない」

「でも生産の現場で働いている人に出会うと、ちゃんと自分の手を使って、足で歩いている感じがしたんです。かっこいいと思ったし、僕もそんなふうに自分で自分のことができる人になりたいと思いました」

縁あって今の会社を紹介してもらい、インターンを経て漁師として就職することを決意。

「最初の1ヶ月くらいはしんどかったですね。俺ら現場の人間だからって言われて。俺らと君は違う世界、みたいな空気が強かったんです。でも海の人はあっけらかんとしてるし、朝5時から四六時中一緒にいるからすぐに仲良くなりました」

もともと書くことが好きだったという伊澤さん。南伊勢での出来事をFacebookで発信していたそう。

するとそれを読んでいた地域の人から、地域おこし協力隊に応募して町の魅力を発信してみないかと声をかけられた。

期せずして、漁師とライター、2足のわらじを履くことに。

現在は月に1本、町の広報誌と三重のwebマガジンで記事を執筆。さらに隔月で、中日新聞で連載もしているのだとか。

ところがいざ活動を始めてみると、この町には集中して作業できる場所がなかった。

「ないことも楽しめばいいけど、これからも住み続けたいなら、本当に必要なものは自分でつくっていかないといけないなと思って」

町内にも、自分と同じように作業場所を探している人がいるかもしれないし、豊かな自然のなかでインスピレーションを得ながら働きたい町外の人もいるかもしれない。

多様な人を巻き込めれば、南伊勢を知り、訪れるきっかけにもなるはず。

「そうして地域や集落の垣根を越えて、お互いの文化を持ち寄って。いろんな情報や人が行き交う場所がつくれればいいなって。『BUNKAJIN PROJECT』と名付けて動き始めたんです」

まずは活動の拠点となるコワーキングスペースをつくる。すでに場所も決まっているそう。

訪ねたのは内瀬という地区。ペンションだったという建物は、床を張り替えればすぐに使えそう。窓の外には海が広がり、集中して作業することも、のんびりと考え事をするのにも向いていると思う。

4月からこの場所を借りて、事務所兼会員制のコワーキングスペースとして運営していく。新しく入る人にはこの場所の運営リーダーとして、使い方のルールを決めたり、必要な備品を整えたりすることから一緒に始めてほしい。



「私の家、ここのすぐ隣なんです。だから働く上でも暮らしの面でも、困ったことがあったらなんでも聞いてください」

人懐っこい笑顔でそう声をかけてくれたのが西岡さんです。一緒にプロジェクトを進めていくメンバーのひとり。

「今はみんなで町外の施設に視察に行ったりしながら、どういう場所にするか手探りで考えている状態で。その過程も一緒に楽しんでもらえたらうれしいですね」

西岡さんはこのプロジェクト以外にも様々な仕事を兼任している。

協力隊として働く株式会社みなみいせ商会では、広報として通販サイトの運営などを担当。さらに前職である保育園のコンサルタントも個人事業主として続けているというから驚きだ。週のうち2日ほどは、東京や名古屋など町外で仕事をしているそう。

「忙しいけど、気持ち的な余裕は大きくなったんですよ。全部つながっていて、今は担当している保育園でみなみいせ商会のイベントを企画しています」

充実している様子が伺えるけれど、最初は移住に不安があったと振り返る。

「その頃は名古屋で仕事をしながら、大学院に通っていて。そのときに教授から紹介されたのが南伊勢町でした」

「でもまわりからは、仕事がこれからさらに楽しくなるっていうときに、そんな過疎地に行ってどうするの?って言われて。キャリアアップできないし、情報もないし、人にも会えなくなるよって。私もそうなのかなって思って」

だけど、実際に町に来てみたら杞憂に終わったという。

「確かに都会は情報量が多いけど、そのぶん流れていってしまうものも多くて。こっちでは自分でほしい情報を選ぶスタイルに変わったんです。なんとなく、ではなくちゃんとほしい情報を取りに行って、会いたいと思う人に会いにいく。それは良かったなと思います」

何よりも移住の決め手になったのは、町の人たちとの出会いだった。

「みんな自分の町をどうしていくか、本気で考えていて。すごいと思える人は都会にしかいないっていう幻想は完全に崩れました。ここには本当に想いがある人たちがいる」

「うちの旦那さんもその人たちに惹かれたみたいで、16年いた会社をあっさり辞めて移住を決めちゃったんです。それには私のほうがびっくりしちゃった(笑)」

このプロジェクトには、役場はもちろんみかん農家さんや大工さんなど、様々な人が手を貸してくれている。今後に向けて、コワーキングスペースに続く第二の場づくりも計画中だそう。

具体的には、コワーキングスペースから歩いて5分ほどの場所にある空き家でイベントやカフェスペースの運営を考えている。家の前には広めのスペースもあるので、BBQや映画鑑賞会、読書会を開いても面白そう。

コワーキングスペースが会員制のプライベートな空間なのに対して、こちらはより町内外に開かれた場所として運営していきたいそうだ。

「もちろん、まずはコワーキングスペースの管理運営をしっかりやっていくところから。そっちが落ち着いてきたら、この場所の構想も一緒に考えてほしいんです。2年目からは、構想をまとめて実際に手をつけ始めていきたいですね」

町内外の人たちと使い方を考えたり、リノベーション作業をしたりしながら、一緒に場をつくっていくことになると思う。



地域の人と外の人を結び、場づくりを進めていく。

その中で欠かせないメンバーが西川さんです。

3人の中で唯一、この南伊勢町が地元の方。贄浦(にえうら)という集落で暮らしている。

「別に嫌いやなかったけど、子どもの頃はこんな閉鎖的なとこにおっても、という気持ちはあったね」

就職を機に京都へ。SE、DTPオペレーターとして12年間過ごした。

「京都に行ったらいろんなものがあって刺激的で。でもスーパーには季節関係なくものがいっぱいあって、夜なのに明るくて。だんだん、なんか変やなって」

「そうしてぽっと田舎に帰ってきたときに、昔のものを大事に使って、旬のものをしっかり味わって。そういうことが贅沢やなと思えるようになった。豊かさみたいなものをすごく感じ取ってね」

そして、三重にUターン。印刷会社、県内タウン情報誌の制作・編集を経て、今はフリーランスとして贄浦でDTPの仕事を始めたところ。地元への愛は日々深まっている。

「私はね、やっぱり贄が好きなんやと思う。なんか不思議なんやけど、これから町が衰退していくのをなんとかしたいし、それをほかの人にやられたら悔しいっていうか。使命感なのかな。勝手にやけど」

まずは自分のできることから始めようと、西川さんは贄浦区長に直談判。集落のオフィシャル広報として情報発信をさせてもらうことにした。

日本酒女子普及委員会を立ち上げ、三重の美味しいお酒をSNSで発信したり、町内の道行竈地区で酒米を栽培し日本酒をつくるプロジェクトに参加したりもしている。

「でもね、3人でもよく言っとるのが、都会の人だけがきて町から浮いてしまう場所をつくるのはやめようやって」

「デザイナー、SE、ライター、地域の漁師さん、みかん農家さん…。みんなで混じり合って、ここでいい仕事がしたいんですよね。それで南伊勢で面白い軍団おるよって言われて、仕事頼んでもらえたりしたらすごいなと思ってて。そういうのをつくりたいかな」



取材を終えたあとは、みなさんと一緒に食卓を囲む。この日のメインは、伊澤さんが育てた鯛のキムチ鍋。

役場の人や、西岡さんの旦那さん、伊澤さんの会社の人。そして最近南伊勢に引っ越してきた人までどんどん輪に加わって、宴は遅くまで盛り上がりました。

一人では難しくとも、この人たちと一緒なら始められる。そんないい予感がしました。

(2019/2/25 取材 並木仁美)

おすすめの記事