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「人に教えてもらって協力しないと、農業はできないんだと知りました。一緒に汗を流すのが楽しいんですよ。ここでは田舎で暮らすこと、田舎で生きる術を学んでいるんだと思います」そう話してくれたのは、かみなか農楽舎で日々を過ごしている研修生。

研修生は半年から2年の間ここで農業を学び、農業を仕事にしていくことを目指します。独立する人もいれば、農業法人に就職する卒業生もいるそうです。
ここで学ぶのは農業の技術であり、田舎で生きていく術や暮らし方。農業に関心のある人には、いい入り口になると思います。
向かうは福井県若狭町。
東京から新幹線、特急列車を乗り継いで3時間ほどで敦賀(つるが)へ。さらにローカル線で40分ほど揺られると、上中(かみなか)駅に到着する。
車で迎えに来てくれたのは、かみなか農楽舎の八代さん。
「春休みなもので、一番下の子どもも一緒にいいですか。にぎやかですみません」

もともと研修生としてここへ来て、そのまま働いているそう。
10分ほどドライブすると、でかみなか農楽舎に到着した。

建物の裏には畑と田んぼが広がっていて、ちょうどじゃがいもの植え付けをしているのが見える。
「もともとはぶどう園だったんです。町の活性化のために、一過性のものでなく、本当に必要な場所をつくろうという話が出て。それがかみなか農楽舎のはじまりです」
当時、相談役になったのは縁あってつながった大阪の設計会社。地元から人が出ていって後継者に悩んでいる一方で、都会には農業をしたい若者がいることを教えてくれた。
若者が研修生として学ぶ場をつくり、この町の農業を担う人を育てたい。
行政と地域の人たち、そして民間企業が加わって3者共同で2011年に立ちあげたのが、かみなか農楽舎。
「都会からただ移住したのでは、田舎の文化に馴染まないで出ていってしまう。ここで農業について勉強しながら、2年間地域の一員として生活することがベースになっています」

農楽舎の敷地内にある田畑に加えて、地域の方から預かって耕している田んぼでも米をつくり、運営の費用にあてているそうだ。
「基礎は教えられても、何百通りとある農業のすべては教えられません。ここでは経験をつんで、地域で生活して。自主性を育んでもらえるような仕組みをつくっています」
「昔は独立志向の人ばかりでしたが、最近は農業法人に就職する方も増えています。農楽舎では町内の農家と研修生のドラフト会議みたいなこともしていて。交流会っていう名の、飲み会なんですけどね」

その金額で毎月生活して、2年後に独立することができるものですか。
「ここの共同生活では、ほとんどお金を使わないんです。農楽舎で寝泊まりして、育てた野菜を使って食事をつくります。独立する場合には助成金なども利用して、100万から150万円くらいを資金にはじめる人が多いですね」
卒業生の約半分、27名が若狭町で農業に関わる仕事をしている。
農楽舎では卒業生と定期的に会う機会をつくって、その後を見守る役割も担っているそうだ。
「お金に困って農業を離れたっていう人は聞きませんね。新築で家を建てる人もいれば、子どもが3人、4人といる人もいて。みんな生業と生活のバランスをとりながら、やりくりしているんだと思います」
今研修生として学んでいる中村さんも、将来若狭町に残って農業に関わっていきたいと考えているそう。
ちょうど1年目を終えるところで、最近はヤギの世話担当にも就任したそうだ。

小さいころから自然が好きで、大学では生物学を学んでいた。園芸サークルの研修で訪れたのが、かみなか農楽舎だった。
「ちょうどお祭りの準備をしている時期でした。昼間に稲刈りをして、夜は祭りの練習をして、終わったらみんなでお酒を飲んで。その生活がすごく楽しくて、農業を仕事にしようと思ったんです」
農業を学ぶ機会は全国各地、さまざまな場所で用意されている。
かみなか農楽舎を選んだ決め手は、集落のなかに入って一緒に暮らす経験ができることだったそう。
「研修とは別に草刈りをしたり、行事の準備も協力してやります。僕はそういう時間が好きなんです。農楽舎の方、地域の人たちと一緒に暮らしている感じがしています」
地域と関わる機会も多く用意されていて、玄関に野菜や魚が置かれているのはよくあること。
クリスマスの日に作業を終えて軽トラックに戻ると、助手席にケーキが置かれていた研修生もいたんだとか。
なかには人との距離感に煩わしさを感じて、離れていった人もいる。田舎で暮らすことが肌に合うかどうか、確認するための2年間にもなるんだと思う。

日々身体を動かしながら、失敗から学ぶことのほうが多いと話してくれた。
「田植えの前に、土を平らするんです。自分でもがんばったつもりだったんですけど、稲の育成に合わせて水の調整をしていたら、水が溜まってしまうところがあって。やってしまったと気づいても、途中でどうすることもできないんですよね」
結果として収穫できる米の量が少なくなったり、米の質が落ちてしまうことも。小さな失敗が、自分の生活に直結する仕事でもある。
農楽舎の人たち、卒業生、そして地域の人たちに教えてもらいながら、ひとつひとつ経験しているところ。
「誰だかわからないやつに土地を貸したくないじゃないですか。だから集落のなかに入っていかないといけないし、一緒に暮らしていかないといけない。ここは田舎者を育てる場所、生きていく術を学ぶ場所だと思っています」
農楽舎をあとにして、町内で独立している卒業生にも話を聞かせてもらうことに。
島光(しまみつ)さんは2年間の研修を経て若狭町で就農。今は奥さんと、3人の娘さんと一緒に暮らしている。

思い切って会社を辞めたのが30歳のとき。
自分で食べるものを自分でつくりたい。そう考え、農業を学ぶことにした。
「農楽舎では一般的な農法を教えてもらいつつ、自分が興味のある方法でやらせてもらえます。僕は自然な循環のなかで米をつくりたくて。農薬や化学肥料を使わない稲作を中心に、野菜や発酵食品もつくっています」
卒業後は若狭町を離れる人もいる。
島光さんも地元に戻ることを考えていたものの、卒業のタイミングでトントン拍子に農地や家が見つかって、ここで生きていくことを決めた。
「3年くらいしてやっとリズムや規模感がつかめてきましたね。これ以上量を増やすと忙しくなりすぎて、なんのために働いているのかがわからなくなってしまうから。自分たちはこのラインでいいねっていうのが、ようやく見えてきたところです」

「自分たちの目の届く範囲でやっていきたいんです。食べてくれる人とつながっていないと、食べるものをつくっている意味がないような気がしていて」
自分たちで直接販売することも、農薬や化学肥料を使わないで米を育てることも、とても手間のかかること。
それでも自分の働きによって、健全な循環をつくる一役を担いたいと考えている。
「資源のこととか、地球の課題ってたくさんありますよね。ちょっとでも世の中がよくなるように、ちゃんと伝えたいんです。買うことは、選択することだから。先の世代のためにも、できることをしていきたいですね」

島光さんのように農薬を使わない米づくりに挑戦している人もいれば、効率を優先して広い農地を管理している人も。野菜や果樹を育てている人もいるそうだ。
自分がやりたい農業に取り組みながら、それぞれに地域の方から預かって管理している農地もあるんだそう。
「面倒を見きれなくなった土地を預かって、荒れないように米をつくっているところもあります。そこはやりたい農法ではなくて、ある程度の効率も考えた減農薬で育てているんです」
「この地区に入れてもらった僕らには、田んぼを守るっていう役割もあって。体力的に、20年後も同じようにできているかはわかりません。でも僕らが楽しそうにやっていたら、農業やってみようと思う仲間が増えて、協力していけるんじゃないかな」

この土地で農業をするのに、大変なことはありますか。
「場所によっては風が強くて、うちは台風でビニールハウスが傾きました。正直なことを言うと、原発が近い土地だということも気にならないわけではないんです」
すると、隣で聞いていた奥さんも意見を聞かせてくれる。
「よその話だと思っていたけど、そういう問題にもちゃんと向き合って考えるようになったよね。よかったことは、子育ての環境です。地区の人たちが一緒になって子どもを育ててくださる感じがするんです」
若狭町の保育所はすべて自由保育。子どもたちが管理されず、自然のなかでのびのびと過ごせる環境は、子育て世代がここに残る理由のひとつになっているそうだ。

「うちの子ね、野菜の旬を知ってるんですよ。食卓にナスが並ぶと喜んだり、もう大根の季節になったの?って聞いてきたり。田んぼをかけ回って、自然の変化を感じられる。すごくいい環境で暮らしているなって思います」
関心があれば、まずは若狭を訪れてみてください。
応募をするとまずは1週間ほどインターンシップとして、農楽舎での生活を体験することができるそうですよ。
(2019/3/27 取材 中嶋希実)