求人 NEW

おもろくて、しんどい
この醤油を伝えるために
いま、できること

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

「和食が世界遺産に登録されたことを、喜んでいたらダメなんです。それはつまり、今後なくなる可能性が高いっていうことですから」

熟成された醤油の香りに包まれた蔵のなかで、そう話してくれたのは、小豆島に150年以上続くヤマロク醤油の5代目・山本康夫さん。

木桶を使った伝統的な製法で約3年かけてつくる醤油には、この蔵に代々息づいてきた150種類もの菌がつくりだす旨味が込められている。

現在、こうして木桶でつくられる醤油は全体の消費量のわずか1%。たとえその担い手がいなくなっても、醤油はなくならないと思う。けれどもそれは、和食の味わいがひとつ失われることになるような気がします。

今回募集するのはこのヤマロク醤油で、仕込みから、製造、木桶づくり、販売・出荷まで、醤油づくりに関わるあらゆる仕事を担う「ゼネラリスト」。

かつて職人は一つの仕事を極めるスペシャリストだったけれど、現代のつくり手の仕事は本当に多岐にわたります。

今、目の前のことだけでなく、和食の置かれた現状や次の世代のことも考えて。そんな広い視野を持てる人を探しています。



香川県・高松港から、たくさんの観光客が乗り合わせるフェリーに乗って一時間ほど。穏やかな瀬戸内の海を渡っていく。

草壁港から車で10分ほどで、ヤマロク醤油に到着。この日は土曜日ということもあって、午前中から蔵にはたくさんの見学者が訪れていた。

迎えてくれたのはヤマロク醤油5代目の山本康夫さん。

さっそく薄暗い蔵のなかを案内してもらう。たくさんの桶が並ぶ蔵は、普段使う醤油とは違う、コクのある香りがする。

「醤油は冬場に仕込みをして、春から夏にかけて発酵させていく。2年半かけて熟成したものを絞って出荷しています。工業的なタンクでつくる醤油は3ヶ月で出荷できるんですけど、桶で仕込むと時間がかかるんです」

かなり年季の入った桶もある。表面に結晶しているように見えるのが、おいしい醤油を生み出す菌。

「蔵ごとに菌の生態系が違うので、それぞれに特徴ある香りの醤油ができる。味は、社長の性格に似てくる気もします。先代のときは味が濃かったのに、真面目で控えめな息子さんに代替わりしたらあっさりした味になったりしてね」

山本さんのつくる醤油はどんな味なんですか。

「うちのは濃厚でまろやか。料理人が和食に使うより、家庭でちょっとつけたりするほうが使いやすいです」

この蔵元に生まれ育った山本さん。お父さんも同じように醤油づくりをしていたものの、子どものころ、家の仕事についてあまり意識することはなかったという。

「大学進学で家を出て外でご飯を食べたとき、醤油がしょっぱくてびっくりしたんです。塩辛いだけで、全然うまくない。そういえば、ばあちゃんが畑でつくった野菜は甘かったなとか、島を離れてみて気づくことが多かった」

地元に戻る決心をしたものの、お父さんからの返事は「蔵は継がんでいい」とのこと。

「30歳を目前にして実家に戻って、決算書を見たときにその意味がわかりましたよ。とても食べていけないと思いました」

伝統的な製法の蔵元では、桶の数以上に生産量をふやすことはできない。そこで、それまでつくっていた安い醤油の製造はやめ、すべての桶で熟成期間の長い醤油を仕込みはじめた。

製造が軌道に乗り、売り上げも9倍にまで伸びたころ、今度は醤油づくりに欠かせない「桶」をつくる職人さんがまもなく廃業することを知る。

「そもそも桶って100年以上使えるものだから、私の代はなんとかやっていける。でも桶をつくる人がいなくなると、50年から100年後には醤油だけじゃなくて、味噌・酢・みりん・お酒、和食の基礎調味料は全部、伝統的な方法ではつくれなくなってしまう」

そこで山本さんが考えたのは、自ら桶をつくること。幼馴染の大工さん2人を誘って、関西へ桶修行に出た。

「ほんとうは、桶以外の選択肢もあったんですよ。木製のタンクとかね。でも、醤油屋が桶屋もはじめたら、なんか『おもろい』でしょ。むっちゃしんどくても、おもろかったらやる。それがうちの判断基準です」

その後、山本さんは毎年1月に小豆島で行う木桶づくりを公開するようになった。

全国の醤油屋さん、酒屋さん、さらには料理研究家や百貨店のバイヤーなど、おいしい調味料を残したいという思いを持った人たちが集まって、一緒に木桶づくりを体験する。

取引先、仕入先、先輩、後輩。普段の立場も、桶づくりの間は関係ない。みんなで体を動かして、休憩にはまかないの醤油ラーメンを食べる。

醤油をつくる職人としての技術だけでなく、「おもろい」を伝染させて、人を巻き込んでいく。それもゼネラリストとしてのスキルなのかもしれない。

「自分で桶をつくれる人が全国に増えれば、木桶でつくった調味料の市場が大きくなる。技術はなるべくオープンにして、みんなで質を競えばいい。自分の蔵のことだけ考えていると、一時的に売り上げが伸びても、息子か孫の代に廃業することになりますから」

息子や孫の代のために。そう思ってはじめた桶づくりは、先代が自分たちに託した思いを知るきっかけにもなった。

「桶のタガに使う真竹を探していたとき、近所のおっちゃんに『アホか!お前の死んだじいちゃんが植えたやつがあるじゃないか』って怒られて。全然知らなかったんですけど、うちの祖父も、将来桶を直すことを考えて、島に竹を植えていたらしいんです」

「昔の日本人ってみんなそうだったと思うんです。日本に100年以上続く企業がこんなに多いのは、いつも先々のことを考えて手を打ってきたからだと思います」

蔵を出て、外の椅子に座って話を聞いている最中、「ちょっとすみません」と席を立った山本さん。

3分ほどして戻って来られたので訳を聞くと、駐車場がわからず困っているお客さんを案内してきたとのこと。

道路に背を向けて座っていたのに、よくわかりましたね。

「こういう感覚、ゼネラリストにはすごく大切なんですよ。私はよく、集中と没頭は違うっていう話をするんですけど、ひとつの作業をしているときでも、背後の足音に気づけるとか、ほかに2つくらいの作業を並行してできるとか。そういう集中力がないと」

生きた菌と向き合う醤油づくり。些細な変化にも気づける細やかさが求められる。

塩分濃度や、発酵の度合い。少しの気の緩みで、長い時間をかけて熟成させた醤油が台無しになってしまう。

社員やパートさんなど、ほかにもスタッフはいるものの、醤油の製造は山本さんひとりで担っている。

簡単に人に任せられないという責任感と同時に、山本さんは、このままではいけないという危機感も感じている。

「たぶん、私の息子が後を継いでくれるとは思うんですが、そのころには私も65か70歳くらい。頭も体も動いてないと思う。だから私と息子の間に入って、醤油製造の仕事ができる“ナンバーツー”のゼネラリストが、どうしても必要なんです」

なるほど。どんな人がいいでしょう…。

醤油づくりは独特な業界だから、ゼロから学ぶ素直さはあったほうがよさそう。生きた菌や食品を扱う仕事だから、責任感も必要だし。

山本さんが、「実はちょっと苦手でフォローしてほしい仕事」ってありますか?今は製造や出荷、経営や広報のようなことまで、かなり多岐にわたる仕事を担っていますよね。

「マネジメントです。私はどうも、崖から突き落とすやり方でしか人を育てられなくて…」

お、おお…。

「この仕事って、ちょっとしたごまかしが後に響いてしまうから、小さいことでも違うやり方をしていたら指摘しないといけない。そういうことが続くと、心が折れてしまう人も多いんですよね」

これまで日本仕事百貨でも、地元のハローワークでも「厳しい仕事」だということを強調してきた山本さん。

たしかにストイックだとは思うけど、そこばかりにとらわれて「子や孫に、本物の醤油を」という大きな目標が霞んでしまうのはもったいない。

厳しいかもしれないけど、理不尽な人ではないはず。一緒に働きたいという熱意のある人はいると思うけどなあ。



長く一緒に働いてきた、パートの皿田さんにも話を聞かせてもらう。

この仕事って、本当にそんなに厳しいんですか?

「うーん。厳しいんじゃなくて『細かい』というほうが合ってるかな。ラベルがちょっと曲がっているとか、常にチェックされている緊張感はあるかもしれない」

「ただ、私たちの仕事ってちょっとしたミスが致命的なんですよ。たとえば賞味期限の印字を忘れたまま出荷してしまったら、いろんな人に迷惑をかけてしまいますよね」

山本さんの右腕として、製造以外のほぼすべての業務に携わっている皿田さん。

最初のころは、作業に没頭するあまり、周りが見えずにミスをすることもあったと振り返る。

「そしたらあるとき、頼まれる仕事が減ってきていることに気がついて。このままでは、私の仕事がなくなっちゃうと思って焦りました。そこから、みなさんの仕事を注意して見るようにしたんです」

作業場に、昨日までなかった板が置いてある。これは、誰がなぜ置いたんだろう。

山本さんが取引先に電話をしている、ということは次に出荷の作業が来るかもしれない。

「自分の作業以外にも気を配れるようになると、私のやるべきことが見えてくるようになる。康夫さんはそれを自分で気づけるようになってほしいと思っているから、具体的に指示をしないんです」

「それにたぶん、人を褒めるのが苦手な人なんですよね。だから、ちょっと負けず嫌いな人だといいのかな。そこまで細かくこだわるなら、全部吸収してやるぜ!みたいな」

皿田さんがヤマロク醤油で働き始めたのは7年前。それまでは東京で編集者として働いていた。

「夫に誘われて小豆島へ引っ越して、家の近くでできるアルバイトを探していたんです。醤油のことは何も知らなくて、履歴書の志望動機にそのまま『家が近いから』って書いて持ってきて(笑)。面接のあとはじめて蔵に入って、あ、ヤバイところに来ちゃったと思いました」

そこで木桶プロジェクトの話を聞き、山本さんたちのつくった新しい桶を見ていたら、自然と涙が出てきたという。

「末端でもいいから、この醤油づくりの役に立てればいいなと思って。木桶も、私も、いつかは形がなくなっていくけど、自分たちの日々の仕事が存在したことで、100年先にも醤油が残り続けていく。それって、やっぱりひとつのロマンだと思うんです」

今日の仕事が、100年後の土台になっていく。

自分の手元から未来へ。少し視野を広げてみると、山本さんが仕事にストイックになる理由もわかるはず。

5代目に学び、6代目を支える。この本物の醤油づくりには、今、そんな「右腕」が必要なのだと思います。

(2019/8/31 取材 高橋佑香子)

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