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うつわにつながる
ものがたり
今日の波佐見から

ものづくりの話を聞くのが好きだ。

特に、日本各地に点在している工芸の産地の話はおもしろい。

歴史や気候、風土などを紐解いていくと、なぜそこでつくられるものが長く愛されるのか、そのストーリーが見えてくる。

先人たちの試行錯誤や、受け取ったバトンの重さ、家族や地元への誇り。

ものを通して人が見えてくるのも、楽しみのひとつなのかもしれません。

今回募集するのは、そんな産地のストーリーを伝える仕事。焼き物のまち、長崎・波佐見(はさみ)町にある西海陶器株式会社で、自社メディアを運営していくPRディレクターを募集します。

自社製品のことはもちろん、焼き物全般のこと、波佐見のまちのこと、自分の視点で切り取って伝えていく編集者のような役割です。

合わせて、商品開発担当も募集しています。ものづくりに興味がある人はぜひ読んでみてください。



長崎空港から波佐見町へ向かうには、高速道路で一度佐賀・嬉野へ出て、もう一度長崎県内へと戻るように走っていく。

佐賀県側に出っ張るように位置する波佐見町。北側は、日本有数の焼き物の産地・有田町に接している。

走ること40分ほど。のどかな住宅街を抜け、最初に立ち寄ったのは波佐見町にある「西の原」というエリア。

公園ひとつ分くらいの敷地に、瓦屋根の趣ある建物が並ぶ。一つひとつがお店になっているようだ。

案内してくれたのは、西海陶器代表の児玉賢太郎さん。

「ここにはもともと大きな窯元があって、並んでいる建物は事務所や工房として使われていました。20年ほど前に廃業して取り壊すことになったとき、西海陶器の会長である私の父が買い取り、活用していくことにしたんです」

2004年ごろから少しずつカフェやショップなどが入るようになり、最近ではギャラリーやイベントスペースなど、いろんなことができる場所になってきた。

なんだかひとつのモールみたい。平日の昼間にもかかわらず、お店を訪れるお客さんの足は絶えない。

一角にある『南創庫』という直営店で、西海陶器の製品を見せてもらうことに。

フォルムの陰影がきれいな白磁、ポップな色の釉薬を差したものや、白地に紺のストライプやボーダーが入ったうつわは、モダンな雰囲気。

マグやオーバル皿、ティーポット。日本の伝統的な焼き物というよりも、色もかたちも、洋食器みたいですね。

「ここにあるシリーズはうちのオリジナルで、北欧で学んだデザイナーの阿部薫太郎さんが手がけたものなんです」

現代的に見えるデザインも、実は「十草(とくさ)」や「こま筋(すじ)」という、伝統的な線模様をアレンジしたもの。

スーパーカー消しゴムを模した箸置きや、アーティストとのコラボレーションなど、ユーモアを感じるものもある。

「もともとの卸し先である瀬戸物屋さんでは、こういうシリーズはなかなか売れなかった。一方で、雑貨屋さんのような新しい取引先が増えているんですよ」

たしかに、私がはじめて「波佐見焼」という名前を知ったのも、雑貨屋さんで見たマグカップがきっかけだった気がする。

もともとの「波佐見焼」って、どんなものだったんですか。

「実は数十年前まで、『波佐見焼』という名前の焼き物は存在していなくて。波佐見でつくられる焼き物も『有田焼』として流通していたんです」

この地域に「磁器」の技法が伝わったのは400年ほど前。硬質な素地に、細やかな色絵を施した焼き物は、「有田焼」として全国に知られるようになった。

波佐見のつくり手たちは、その生地づくりや絵付けなどを分業で担い、いわば裏方としてそのものづくりに携わってきた。

ところが、1980年代半ばごろから産地ブランドの表記基準が厳しくなり、波佐見町で焼いたものは「有田焼」として出荷できなくなった。

400年の歴史のなかではじめて、自分たちのアイデンティティを探すことに。

「波佐見では『くらわんか碗』と呼ばれる日用の雑器がたくさん焼かれていました。大きな登り窯も残っていて、古くから量産体制が整っていたんですよ。そのおかげで、かつては贅沢品だった磁器を庶民も使えるようになったんです」

波佐見のルーツは、日用のうつわにあったんですね。

「そうですね。暮らしに合わせてつくるものを変えてきた産地なので、良くも悪くもプライドがない。バブルのころにつくっていた安い量産品を今見たら、ギャップを感じるかもしれません。ただ、その時代に成長できたからこそ、今の西海陶器があるんです」

「新しいことをはじめても、前の時代を支えてきた人を淘汰するようなことはしたくない。田舎の会社ですし、都会から来て働く人にとっては、古いやり方に感じるところもあるかもしれません。そういうときは、私もなるべく間に入って話を聞くし、うまく一緒にやれたらいいですね」

もともとは窯元だった児玉家。戦争で一度廃業して、戦後おじいさんがリヤカーを引いて焼き物を売り歩いたところから、商社としての歴史がはじまった。

今では従業員数は100人を超え、アメリカや中国にもグループ会社を設立。

最近ではアップルの社用マグなど、OEMを通じて国内外の企業やデザイナーと一緒にものづくりをするまでに成長してきた。

「代表になってから父に言われたんです。『どれだけ事業を広げても、軸は波佐見に置いておけよ』って」

この産地のなかで育ってきた児玉さん。「波佐見焼」としての再出発も間近に見てきた。

自社の利益だけでなく、産地として考えたときに何をすべきか。その思いは、今回新しくはじめるメディアにも共通している。

「11月の公開に向けて現在制作中なんですが、自社の商品を伝えるECサイトと、波佐見のライフスタイルを伝えるウェブマガジンがひとつになったようなイメージです。割合としてはECが1、そのほかが4くらい」

「会社の先輩たちからは『もっと商品売るためのやつ、つくらんば!』って言われるんですけど、私はそれよりも波佐見のまちや人のことを伝えるサイトにしたいと思っていて」

たとえばどんな話題を発信していくんですか。

「この西の原のこともそうだし、うつわって食とも近いから、料理のこととか、レシピを載せてもいい。あと、波佐見はとにかく祭りが多いので、イベントのこと、移住者の声とか…。基本的には新しく入る人の視点で波佐見を切り取ってほしい」

企画を立てたり、取材に行ったり。撮影やライティングができる人なら、自分で記事を書いてもいい。

取りまとめの上手な人なら、ライターやカメラマンと一緒にコンテンツをつくるディレクターのような働きもできる。

「とにかくこれから立ち上げで、やることはたくさんある。もし、本当にECサイトの運営について実務経験のある人が来てくれると、こちらから相談したいこともいっぱいあります。編集もECも、まずはその人の得意なところからはじめてみたらいいと思います」



一緒にメディアをつくっていくスタッフに会いに、西の原から車で5分ほどのところにある本社へ。

「これから紹介するグラフィックデザイナーの林さんは、2年半前に日本仕事百貨の求人で入ってきてくれたんですよ。今では、私が会社のことを相談する一番の相手になっているかな。今回のメディアのことも一緒にいろいろ考えてもらっていて。新しく入る人も一番近くで働くことになると思います」

新館3階の奥にある小部屋を訪ねると、林さんが仕事をしていた。

インハウスデザイナーである林さんの仕事は、自社のカタログやウェブサイトの制作はもちろん、社内の情報整理や商品開発など幅広い。

いろんなものをデザインしているんですね。

「最初はカタログをつくるためにいろんな画像や資料を探していて、社内に点在していた情報を整理していくうちに、そうなっていった感じですね」

名刺やロゴなど会社としてアウトプットするものと、働き方や役割などを可視化することで内側を整えていくデザイン。

そのどちらも担っていくというのは、インハウスデザイナーならではの役割かもしれませんね。

「僕は十数年くらい、社外のデザイナーという立場から仕事をしてきたので、クライアントへの関わり方が断片的だったんです。もうちょっと、ひとつの場所に深く入り込んで、一緒につくる形でデザインに携わってみたいと思ったのがこの会社で働く動機になっていて」

たしかに、私も普段いろんなところへ取材に行かせてもらうのですが、同じように感じることがあります。

ひとつの会社や地域のなかで向き合って、深掘りして伝えていく。

きっと編集者としてメディアに関わる人も、同じやりがいを感じられるような気がする。

「それに、こうして経営者と直接いろいろ話しながら進められるので、デザイナーとしてはコンセプトをつくりやすい。そういう環境もいいなと思っているんです」

林さんの部屋の窓からは、瓦屋根の並ぶ波佐見の町が見える。

「町を歩いていると、知らない学生さんとかおばさんとかが気さくに挨拶してくれるんですよ。東京から来たばかりのころは驚きましたね。僕はちょっと引きこもりなんで(笑)、地域の行事とかにはあんまり参加していないんですけど、ほどよい距離感で接してくれて。いい町だなあと思います」



もう一人、新しいメディアを一緒につくっていくのが末永さん。今は西の原にある生活道具店の「HANAわくすい」で店長をしている。

「今はまだショップの仕事が9割くらいで、メディアはこれからです。私は文章をつくるより、取りまとめとか編集のほうが得意なので、新しく入る人がライティングのできる人だといいなあ」

走り出しは、外部のライターさんやサイトの企画会社と協力しながら、月10本ほどのコンテンツ作成を目指していく。

末永さんは、どんなことを伝えたいですか。

「ものをつくっている人にスポットを当ててみたいです。波佐見焼って、すごく手ごろな値段なんですけど、本当はこれだけいろんな人の仕事を経てつくられているんだ、って伝えたくて」

波佐見焼はほとんどが分業制なので、絵付けや成形などたくさんの人が関わっている。そのの仕事にも光が当たることで、担い手不足解消の糸口になるかもしれない。

「それに、つくり手のことを知ると、同じ食器でも愛着がわいてきますよね」

ものづくりが好きで西海陶器に入ったという末永さん。

ショップの店長として働きながら、西の原のギャラリーやHANAわくすいでの企画展を開催するなどいろんな仕事に携わってきた。

今度はメディアの編集担当として、新しい伝え方に向き合っていく。

「いろいろ任せてもらえる会社なんです。新しいことも、好奇心を持って取り組みたいですね」



脈々と受け継がれてきたものづくりのまちで、さあ、何をしよう。

私だったら、まずは西の原を立ち上げた児玉さんのお父さんにもインタビューしたいな。話を聞いていくうちに、きっともっと気になることが出てくるはず。

これから波佐見へやってくる新しい編集者の人が、ちょっと羨ましくなりました。

(2019/9/26 取材 高橋佑香子)

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