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五感で伝えたい
染め織りのこころ
ものがたりが交わるまちで

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

糸を染める水の冷たさ、土や藍の香り、生地を織りだす機(はた)の音、つくり手の思い。

日本各地の工房を訪ねたり、ときには自分たちで蚕を育てたり。自分自身で体験するからこそ、伝えられる着物の魅力がある。

呉服店として華やかな高級品を売るだけでなく、日本の染織の本質的な価値を探求しながら、「銀座もとじ」は仕事を続けてきました。

銀座の通り沿いに、女性向けの着物を扱う「和織・和染ぎゃらりー泉」と、男性向けの「男のきもの」、大島紬の織り物を扱う「大島紬」という専門特化した3つのお店をもつ株式会社銀座もとじ。

まもなく大島紬店では、沖縄の染織を加えてリニューアルするのに合わせて、新たに販売スタッフを募集することになりました。

日本各地で育まれてきた染織の世界。その奥深さゆえに、身につけていくには時間がかかるかもしれません。だからこそ、やりがいを感じられる仕事だと思います。


地下鉄の銀座駅から地上に出て、銀座三越に面した路地を歩いていくと、織の道具のひとつ「杼(ひ)」をモチーフにした、銀座もとじのロゴマークが見えてきた。

重厚な木の扉の前で深呼吸をして、お店のなかへ。

迎えてくれたのは、創業者でもある代表の泉二弘明(もとじこうめい)さん。泉二さんが身につけている、色の濃淡のきれいな羽織が気になってさっそく尋ねてみた。

「スウェードみたいでしょう。この風合いは『カゴ絞り』という染め方で表現しているんですよ。男の着物は裏勝(うらまさり)といってね…」

と見せてくださった羽織の裏地は、シックな表地とは対照的な華やかな柄。

普段から着物を着ているだけに、その装いも所作もごく自然。

そんな泉二さんが、出身地である奄美大島から東京へ出て、銀座で呉服店を創業したのはちょうど40年前のこと。

「創業のころは、仕入れた着物をお店で販売するだけの日々でした。あるとき染色家で染色史家でもある故・吉岡幸雄さんからもっと現場を見るように勧められて、日本各地のものづくりの現場へ足を運ぶようになったんです」

北海道から沖縄まで、日本各地の風土や歴史が育んできた染織の手わざ。

泉二さんが特に印象深かったと話すのは、山形・最上川のそばに工房を構える草木染織家の山岸幸一さんを訪ねたときのこと。

「山岸さんの草木染めは、畑を耕して紅花を育てるところからはじまるんです。糸も、自分で育てた蚕から取る。夏に摘んだ紅花を使って冬に染めて、早朝の冷たい雪解け水で洗う。色の深みを出すために毎年染め重ね、糸の準備だけで4〜5年かかるんですよ」

「現場に行ってつくり手の方と対話し、歴史や反物に込めた思いを知ると、わーって喜びが湧いてきますね。今度はそれを伝えたいという気持ちになる。目で見て、耳で聞いて、触って感じたことを自分の言葉で伝えていく」

「私たちが販売するのは、単なる『モノ』ではなくてそのものの裏側にあるストーリー。私も、着物を身につけると自信が湧いてきます。それは高価なものだからではなくて、つくり手から力をもらえるからだと思います」

泉二さんは、すべてのスタッフにも同じように直接現場を見に行くことを勧めている。

出張の費用は会社が負担する代わりに、スタッフはお休みの日を使って行く。

自らの意志で行動を起こすほうが何事も身につくから、と泉二さんは言う。

自分の身をもって学ぶことにこだわってきた泉二さん。現在は養蚕農家と直接契約をし、「プラチナボーイ」というオスだけの純国産蚕品種で、一本の糸からこだわったものづくりに取り組んでいる。

「息子が小学5年生のとき『お父さん、着物は何からできているの?』って聞くんですよ。そのときは私自身、一頭の蚕がどれくらい糸を吐くものなのか知らなかったし、お店の営業を半月間休んで実際に蚕の飼育をしてみたことがあります」

「着物はお蚕様や草木染めなど、自然の命をいただいてつくるものだから。そのことを、息子だけじゃなくて、ほかの子どもたちにも見せてやりたくてね」

そんな思いから、泉二さんは銀座の小学校の子どもたちのために20年以上、「銀座の柳」を使った草木染めの課外授業を続けている。

子どもたちの素直なリアクションに、泉二さん自身刺激を受けることが多いという。

「子どもっていうのは素直に、いろんなものを吸収して成長します。着物の仕事も同じで、知識や経験よりもまず素直さ。僕たちは夢を売る仕事ですから、明るく素直に喜びを感じられるって大切なことだと思います」


そんな泉二さんを父にもち、幼いころから和装に囲まれて育ってきたのが、二代目の泉二啓太さん。

「子どものころは、父が着物を着て小学校の行事に来るのが嫌で、着物が好きじゃなかったんです。どちらかというと海外で洋服を学びたくて、『将来後を継ぐための勉強』と嘘をついてロンドンへ渡りました」

自分にとっては見慣れていた着物。

ロンドンの学校で民族衣装について学ぶ授業があったとき、一緒にファッションを学ぶ海外の友人たちは、意外なほど日本の着物に興味津々だったという。

「留学中、一度ミラノで父と会うことがあって。案の定、そこにも父は着物で現れたんですけど、なんだか今までと違って格好良く見えて。自然と受け入れられたというか。はじめて素直に、自分も着てみたいなと思ったんです」

口実だったつもりが、本当に着物の良さを知ることになった海外留学。そして啓太さんは、25歳のときに銀座もとじに入社する。

当時は、浴衣と着物の違いもわからなかったという。

「とにかく現場に行ってこい」という泉二さんの方針から、入社一週間目に江戸小紋作家の故・藍田正雄さんを訪ねた。

そこで、江戸小紋の第一人者として活躍してきた藍田さんが、一時は廃業を考えていたということを知る。

「昭和40年代、だんだん手わざのものが売れなくなって、悔しい思いで日本橋の問屋街を回ったこともあったそうです。もうこれで最後だというときに、やっとその技を認めてくれる問屋さんが一軒だけ見つかって、そこから仕事を続けていく道が開けたんだと話してくださって」

「本物の仕事をしていれば必ず見てくれる人はいる。だから一生やり続ける。そのときに藍田さんが仰った『金は錆びない』という言葉が忘れられなくて」

「自分には着物はつくれないから、“伝える職人”になろう」啓太さんが仕事としての面白さを感じたのは、そこからだったという。

お店で着物を買ってくださるお客さまだけでなく、若い世代や子どもたちにも着物の楽しさを伝えたい。

そんな思いから銀座もとじでは、定期的につくり手を招いてのトーク会や着つけ講座なども開催している。

3つのお店のうち「大島紬」の店内には機(はた)があり、実際に生地が織られていく様子を間近に感じることができる。

「最近は柳染めの課外授業で出会った泰明小学校の子どもたちが、お店にも遊びに来てくれるようになりました。受験とか将来の話をしているうちに『呉服屋さんになりたいな〜』って言ってくれる子もいて、うれしいですね」

ここに来れば、日本全国で生まれた着物のことを知ることができる。

一方で、いろんな人が行き交う銀座のまちから、着物を楽しむ人の声や好みをつくり手に届けることも、啓太さんたちの仕事だという。

「やっぱり着物は着て楽しむファッションだし、どれだけ素晴らしい技術を持っていても時代に沿わないものは売れません。だからこそ、銀座にいて肌で感じる時代の風を産地に届けることって、とても大切だと思うんです」

着物づくりを担う人たちが、きちんと生業として続けていけるように。美しさに惚れ込むだけでなく、ビジネスの感覚を持って橋渡ししていくことも、お店の役割なのかもしれない。


取材の終わりがけに「ちょっと着物を見てみませんか」と、優しく声をかけてくれたのは店長の野田さん。

引き出しを引くと、反物がずらり。大柄な模様の大島紬を見ていると、野田さんは同じ大島紬でも、白地に控えめな柄のものを取り出しそっと肩にかけて見せてくれた。

大島紬には何十もの工程があって…と取材のために予習してきた内容も忘れて、これなら私にも似合うかもしれない、と思わず頬が緩む。

やっぱり着物って、着て楽しむものなんですね。

「特に女性のお客さまは技法のことよりも、自分に似合うかどうかで選ばれますね。私たちもお洋服を見ながら、こんなのがお好きかなっていろいろご提案するんです」

帯なども含めると、お店のなかには数千点近い在庫がある。野田さんたちはその在庫を頭に入れながら提案をしていく。

洋服にはなかなか見られない華やかな模様。柄と柄を組み合わせて、生まれる色と柄の調和を楽しめるのも着物ならでは。

野田さんが銀座もとじで働きはじめたのは今から16年前。

お店に入ったばかりのころは、泉二さんや先輩について接客を学んでいたという。

「入社すると3ヶ月間の基礎研修があるのですが、それ以外にも覚えることはたくさんあります。着物のことはほとんど無知の状態でしたので、社長の真似をして仕事を覚えましたね。社長からはよく、お客さまの顔を見なさいって言われていました」

商品を見ているときの表情で、気持ちの動きを知る。時計を見ていたり、視線が逸れているときは、飽きているということなので、提案の仕方を変えてみる。

細やかな変化を感じながら、お客さんに接していく。

お店で反物を買ってから、仕立てて納品するまでに約1ヶ月。納品後も、着付けやお手入れなどでお客さんとの付き合いはずっと続いていく。

自分に似合う着物を見つけたときの、お客さんのうれしそうな顔を見るのが好きだという野田さん。お客さん自身もいろんなことを考えて、時間をかけて選ぶものだから、深いつながりが生まれるのかもしれない。

「社長を見ていても、お客さまとの約束を守ることをすごく大切にしていることがよくわかります。納期に遅れそうなときは、海外まで直接届けに行くこともありました。そういう誠実な姿勢に共感できるから、ここで長く働いてこられたんだと思います」

「この仕事は、何年もかけて身につけていくものだと思うんです。未経験からのスタートでもいいので、一生の仕事として考えてもらえるとうれしいです。まずは言われたことを素直にやってみるところから、はじめてみるといいと思います」


心からいいと思えるものと、尊敬できる人に囲まれて。銀座もとじで働く人たちの言葉には、たしかな自信を感じます。

どれだけ新しいものに出会っても、まだまだその先に知らないことがある。

奥深いからこそ時間をかけて、自分の目標に向かっていける仕事だと思います。まずはお店で、本物に触れてみてください。

(2019/11/11 取材 高橋佑香子)
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