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あの人、この人、そこかしこ
発酵しているまち

ぷくぷく、ぽこぽこ。

発酵とは、微生物の力を使い、食材の旨みや栄養を高め長持ちさせることができるプロセス。

混ぜたり温度や湿度を管理したり。手間暇かけて育てるほど、おいしい匂いが漂ってきます。

微生物たちが活動しているように、人が動くことでまちを発酵させる。

今回紹介するのは、新潟県長岡市の摂田屋(せったや)・宮内エリア。

県内最古の酒蔵「吉乃川」や、新潟の醤油といえば一番に名があがる「越のむらさき」など。第二次世界大戦の戦火からも免れ、形そのままに蔵元が受け継がれてきました。

そんな地域にとって大きな存在となるのが、「旧機那(きな)サフラン酒製造本舗」。明治20年ごろに吉澤仁太郎が創業し、敷地には国の登録有形文化財に指定されている10棟の土蔵があります。

大切に守られてきた建物と醸造・発酵の伝統を次世代へつなげたい。そんな想いで活動しているのが、「ミライ発酵本舗株式会社」。

今回はここで働く地域おこし協力隊を募集します。

登録有形文化財の1つの米蔵を改装したカフェやイベントスペース、長岡出身の作家をモチーフにした美術館の管理・運営のほか、まちにある空き家を活用するための支援など。

住む人も訪れる人も混ざり合い、化学反応を起こす。そんな仕事です。

 

東京から長岡まで新幹線で1時間半。長岡駅に着くと、朝方まで降っていた雪で地面が濡れていた。3月の下旬、まだ寒い。

駅からは車で10分ほどで摂田屋地区に到着する。

降り立つと、ほんのりと麹のにおい。ここは新潟で一番酒蔵が多いエリアらしく、あちこちに蔵らしき建物が見える。

目指すのは、旧機那サフラン酒製造本舗の敷地内にある米蔵。

2020年に改装オープンし、地元食材を使った軽食など楽しめるカフェスペースを併設していて、展示やイベントも開催されている。

中に入り、カフェスペースでミライ発酵本舗のみなさんに話を聞く。

「最近は、関西や東北のほうの言葉が聞こえたり、地域の方々もよく遊びに来てくれたりするようになって。交流人口が増えているなと感じているところです」

そう話すのは、ミライ発酵本舗の統括マネージャーの斎藤さん。後ろには、お茶をする若者や近所のお年寄りの方たちが会話に花を咲かせている。

歴史ある醸造・発酵のまちに、多くの人が関心を持つようになったきっかけは、2004年に起きた中越地震。

多くの蔵元が被害にあい、復興に向けた活動を住民たちが懸命に続けてきた。そのなかで、あらためて摂田屋や宮内の魅力、資源に気づいていく。

住民の有志による歴史文化の保全活動などの取り組みに加え、エリア全体の再生を担うためにできたのがミライ発酵本舗だ。

コンセプトは、「ミライが発酵してくる場の創造」。

「摂田屋の地名は、室町時代に設けられた旅人などの休息所『接待屋』が由来で。古くから『おもてなし』のまちと醸造・発酵文化の集積がある場所なんです。ただ、それを支えるための人員が減っていますし、空き家・空き地問題など課題に直面しているんです」

「すぐ隣には宮内というエリアがあって、摂田屋の最寄り駅はそこなんです。昔は駅の目の前に大きな工場があって、2つの路線がちょうど重なる駅だったので、非常に多くの人が行き交う場所でした」

宮内エリアは、映画館や銭湯など、古くから人々が楽しめる施設が充実していた。醸造のまち摂田屋と、人々の娯楽施設が集う宮内。2つの地域が協力し合うことで、まち全体が盛り上がっていく。

今では、宮内駅から降りて摂田屋までまち歩きするルートもでき、米蔵のオープンを機に、年間4万人以上が摂田屋を訪れるようになった。

さらに、これまでまちづくりの経験がない住民たちが主体となる新たな取り組みも生まれている。それができているのは、まちと住民の間にミライ発酵本舗があるからこそ。

「2022年に、蔵元さんやまちのステークホルダーたちが集まって、エリアデザインについて議論する“宮内摂田屋メソッド”という会をつくったんです」

「そこで出た意見にあったのが、子どもや学生、住民たちが発酵プロセスのように混ざりつながることの大切さ。持続的なイベントなどを通して交流人口を増やしたり、プレイヤーを増やしたり。そうすることで、新たな価値を見出していく。そんなまちづくりをしようと」

議論の場を経て生まれたのが、地元の学生が企画したイベント「セッタニア」。いわゆるキッザニアを摂田屋に置き換えた体験型イベントだ。ミライ発酵本舗と学生でプロジェクトチームを立ち上げて開催された。

初回の2022年は、地元の醤油やみりんで商品をつくっている団子屋さんが舞台に。

地元の小学生たちが、団子に使われている食材や調味料など学び、製造から販売まで体験した。

「子どもたちがまちの自慢をしてくれるようになったんです。100円玉を握りしめて友達とみたらし団子を買いにきて、『この間、ここで団子をつくったんだ。すごく美味しいんだぞ』って」

「子どもたちが地元の生業を知るって、とても大切で。その姿を見ると、蔵元さんたちもうれしいですよね」

2022年から始まり、昨年も開催。以前は保守的だった蔵元も協力したいと声をかけてくれるようになってきている。

「『今週はそこの醤油屋さんが、あの味噌屋さんが何かやるってよ』って状態が理想で。時間はかかると思っています。蔵元さんたちや、まちの人たちが自ら発案や運営ができるようにつなげていきたいですね」

 

新しく加わる人も、どんどんまちの人を巻き込みながら「自分もなにかしてみたい」と思えるような企画を考え、実行していってほしい。

それをまさに形にしているのが、ミライ発酵本舗のマネージャーを務めている坂詰さん。

今回加わる人にとっては先輩になる方。入社して2年目、管理栄養士でもあり、食とまちをつなげたイベントを企画している。

地元が摂田屋で、大学を卒業後、就職のため福島県へ引っ越すことに。コロナ禍を経て久しぶりに帰省したとき、まちの変化を感じたという。

「以前は、米蔵の前の道路を通るのが怖くて。わたしが学生のころは、観光するお客さんも少なくて、建物も整備されていなかったので、暗かったんですよね。夜は、ばーって全力で自転車を漕いでました(笑)」

「3年くらい前、久しぶりに帰ってきたとき、たくさんの人がまちを歩いていて。すごい新鮮でうれしかったんです」

それまで、病院の管理栄養士として働いていた坂詰さん。健康管理のため、患者さんへ食事制限をし続けることに疑問を持っていた。

「みんなで食を楽しめる方法はないのかって思っていたんです。そうしたら、ちょうどミライ発酵本舗の求人を見つけて。ここでなら自分の想いを形にできると思って、入社することに決めました」

それまで摂田屋の郷土料理を知る機会が少なかったという坂詰さん。地元の人に教わり、摂田屋でつくられた調味料を使った料理教室を開いてみたいと、入社前から企画を考えていたそう。

そして形となったのが、「摂田屋 ばあちゃんの台所」。

講師は坂詰さんがまちを歩き、すれ違った人に声をかけ、摂田屋で料理上手と評判の方を紹介してもらった。参加者は、ご近所さんや子連れのお母さんなど、10人ほどが集まったそう。

初回では3品つくり、そのうちの1つが、「べた煮」と呼ばれる長岡の郷土料理。野菜や魚のアラを味噌と一緒にじっくり煮込んだもので、野菜は講師の畑で採れたものを、味噌は摂田屋でつくられたものを使った。

「わたしが教わりたい、と思ってはじまった企画だけど、参加者さん同士が仲良くなったり、参加者さんのなかで『自分も講師になりたい』って声をあげてくれる人もいたりして」

「すごくうれしかったし、結果的にまちづくりにつながっているのかなと思っています」

蔵元に留まらず、摂田屋の住民一人ひとりが持つ力を引き出して、ここならではの魅力を伝えていく。それがミライ発酵本舗のまちづくり。

近々、坂詰さんはご近所さんたちに誘われ、畑を手伝う予定なんだそう。ここから新たな企画が生まれるかもしれない。

 

最後に話を聞いたのは、長岡市役所の観光・交流部観光企画課に勤める望月さん。

任期中は、長岡市の地域おこし協力隊としてミライ発酵本舗に所属することになる。移住や生活面については、望月さんに頼るといいと思う。

「私は新潟市出身で。幼いころ長岡へよく来ていて、山とか自然があるイメージだったんです。でも実際に来てみて、にぎやかだし、住みやすいと感じています。『発酵=美容にいい』というイメージから、興味を持たれる方は女性が多くて。摂田屋自体も女性がたくましいというか、活躍している印象がありますね」

「摂田屋を目掛けて足を運んでくれる人は増えてきている。なので、これからはほかの地域課題にも力を入れたいと思っていて。協力隊として来てくださる方に手を貸していただきたいんです」

今回協力隊が担うミッションは、坂詰さんのような関係・交流人口づくりのほか、空き家・空き地の活用だ。

実際に、学生や一般事業者などから、空き家や空き地を活用したいという相談も増えている。その相談窓口になったり、起業したあとのサポートをしたりしていきたい。

不動産やコンサルなどの知識や経験があると、大きく役立つと思う。

また今回加わる人は、大正時代の銀行をリノベーションした「秋山孝ポスター美術館 長岡」で助っ人として受付業務を担うこともある。

いろんな施設で、たくさんのお客さんと交流することで、混ざり合い、新しい活かし方を考える機会になりそうだ。

でも、たくさん業務があって一人で担えるか不安に感じます。

「そうですよね。ご活躍いただきたい場はたくさんありますが、すべて一人にお任せするわけではなくて。長岡市もミライ発酵本舗のスタッフも一緒にやっていくので安心してください」

「蔵元さんも協力的なので、一歩踏み出してもらえたらここでしか味わえない経験ができると思いますよ」

これまで受け継がれてきた伝統を残し続けていくには、外からの視点もきっと役に立つ。

新しくやってくる人の新鮮な気持ちを伝えていくことで、新たに生まれる仕事もあると思う。

 

取材を終えた帰り際、斎藤さんが「ちょっと時間あります?」と、カフェの片隅にあるピアノについて話してくれた。

「このピアノは寄贈されたもので。20年くらい放置されていて、打楽器みたいな音だったんです。ここに来たお客さまが弾いてくれて、だんだん音が柔らかくなってきて」

そう言いながら、一曲演奏してくれる斎藤さん。

天井の高い米蔵に響くやさしい音に癒される。

「私たちは『re』『再び』ということを大事にしていて。古い建物を新しく建て替えるのではなく、磨いていくようなイメージ。そんなまちづくりをしていきたいですね」

 

古くなったものでも、人の手が加わることで熟成されていく。

摂田屋のまちの発酵は終わりない、未来へ残り続けるものだと思います。

(2024/03/21 取材 大津恵理子)

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