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着物の世界を
もっとやさしく
たのしく、おもしろく

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「敷居が高くなってしまった着物を、日常に取り戻したいんです。自分の好きな着物を気軽に着られるのって、すごく素敵なことだから」

そう話してくれたのは、たかはしきもの工房の女将、髙橋和江さんです。

宮城県気仙沼市に呉服店と工場(こうば)を構えるたかはしきもの工房は、着物を気軽に、楽しく着られるような商品をつくってきました。

着付けを簡略化して、着物を汚れから守る肌着。ゴムベルトできれいな形をキープする“つけ衿(えり)”、着物や浴衣専用の洗濯ネット…。

およそ80ものオリジナル商品を全国に展開しているたかはしきもの工房。より多くの人に着物の面白さを伝えていくため、新しい仲間を探すことになりました。

募集するのは、Webディレクター、工場のソーイングワーカー、そして本店のスタッフです。



東京駅で一ノ関行きのきっぷを買い、新幹線で北を目指すこと2時間。気がつくと、あたりはすっかり雪化粧をしていた。

一ノ関駅で、JR大船渡線に乗り換える。2両編成の電車は、終点の気仙沼に向かってガタゴトと進んでいく。

1時間半後、気仙沼駅に到着。中心市街地は想像していたよりもにぎやかで、郊外型の大きなお店が並び、車通りも多い。

大通りを一本入った住宅街に、「たかはし」の看板を見つけた。

落ち着いた店構えの呉服店。一体どんな人が働いているんだろう…と緊張しながら戸をあけると、奥から「はーい」と声が聞こえてきた。

「はじめまして! 遠かったでしょう。どうぞどうぞ、座ってください」

明るい声で迎えてくれたのは、女将の髙橋和江さん。こちらの気持ちをほぐすように、よく笑い、気さくに話しかけてくれる。

呉服店であり、肌着のメーカーとしても知られる「たかはし」。そのはじまりは、和江さんのお母さんがひらいた京染悉皆屋(きょうぞめしっかいや)だったそう。

「聞きなれない言葉でしょう。呉服屋さんが着物を売るところだとすれば、京染悉皆屋は着物のサービス業。白生地からオーダーメイドで染め上げるあつらえとか、汚れ落としとか、あらゆる相談事を受ける仕事なんです」

「愛すべき一枚になるようにお見立てして、お客さんに気持ちよく着物を着てもらう。それがうちの原点なんですよ」

和江さんがこの仕事を始めたのは、今から37年前のこと。

少し前まで日常着だった着物は、当時すでに「特別なときに着るもの」というイメージに変わっていた。

店先で売られている着物も、絹製の高級なものばかり。麻や綿でつくられた日常用の着物は、ほぼ姿を消していた。

「どんどん価格が高くなって、着物を着る礼儀や作法ばかり重んじられて…。こんなことが続けば、着物を着る人がどんどん減ってしまうと思っていました」

そんな和江さんのもとには、さまざまな相談が寄せられる。

もっとも多かったのが、着物の汚れについてだったそう。

「その汚れの原因っていうのがね、実は体の内側からにじむ汗なんです。絹の大敵は水分。汗を吸ったらすぐ水ジミになって、メンテナンス代も高くなる。でも、繊細な絹の着物って素人が洗うのはまず不可能なんです」

着物を着るたびに高いお金を払うか、いっそ着物を着ないか…。

ただでさえ着物が手の届かないものになりつつあるのに、これでは誰も着なくなってしまう。和江さんは、強い焦りを感じたという。

「じゃあ、絹の着物を汗から守るしかない。でもいくら探しても、そんな商品は見当たらなかった」

「だったら、もう自分でつくるしかないって思ったんです」

悉皆屋のかたわら、肌着の開発に取り組みはじめた和江さん。

試作を重ねること2年。オリジナルの肌着である『満点スリップ』が完成した。

上半身には、スポーツ用の生地を採用。脇と背中、そして下半身には吸湿性のある防水布がついていて、汗や経血をすぐに吸水するので、着物を汚さずに守ることができるのだそう。

そしてこだわったポイントがもう一つ。忙しい朝でもさっと着られるように、シンプルなつくりを追求した。

「この肌着のうえに“うそつき衿”を重ねれば、直接着物を着付けられるんです。10分あれば、さっと着られるの。日常の着物は、それくらい気軽に楽しんでいいんだよって想いも込めてね」

この肌着があれば、もっと多くの人に着物を楽しんでもらえる。

オンラインショップで販売を始めたところ、評判はじわじわと広まり、やがて着物雑誌で紹介されたり、東京の百貨店の催事に呼ばれたりするように。

たかはしは「着物専門の肌着メーカー」として広く知られるようになった。

さあ、これからもう一踏ん張り。お店も改装して、ハチマキを締め直したそのとき。

東日本大震災が起こった。



家族やスタッフの命は助かったものの、お店は壊滅。

「もうお店は続けられないなって。だってこの瓦礫のなかで、着物が何の役に立つんだろう」

「でもね、ある日、お客さまが一人いらして」

“お店、いつ再開しますか? 洗ってほしい着物があるの。”

そしてその日から堰を切ったように、泥だらけの着物を携えたお客さんがやってきた。

「みなさん『せめて着物だけは…』っておっしゃるんです。ああ、着物はただの衣服じゃないんだ。わたしはそんな特別なものを仕事にしていたんだって」

「企業理念の、きものをやさしく、たのしく、おもしろく。わたしたちはそのために頑張るんだって思えたんです」

和江さんは、震災直後の4月からお店を再開。最終的に、4000着を超える着物を泥のなかから救い出した。

「震災が起こったのは不幸だったけど、その経験をへてわたしたちは強くなりましたし、たくさんの出会いもいただきました。ここ気仙沼で商いをする者として、このまちに貢献したい。ずっと強く思っています」

震災の翌年には、着物の無料配布会を開催。流されてしまった着物の代わりにはならなくても、少しでも元気になってほしい。そう全国の呉服屋さんに呼びかけ、着物を集めたそう。

2013年には廃業予定だった市内の縫製工場を譲り受け、自社工場に。

市内の雇用を生み出しただけでなく、新しいアイデアや商品の微調整をすぐに反映できるようになり、ものづくりの幅がぐっと広がる転機となった。

肌着、うそつき衿や付け袖、補整アイテム…。

着物を日常的に楽しめるようにとつくりはじめたオリジナル商品は、今では80種類を超えている。

30年間低迷を続けている着物業界のなかでも、たかはしは右肩上がりで成長しているそう。

お店や事務所が手狭になってきたこともあり、来年には市内にある2000坪の里山に、工場と事務所、そして店舗を一斉に移転する。

「うちの商品を知って、遠方からここを訪ねてくれるお客さんもいらっしゃるんです。ゆったりとしていただけるように、お茶室やギャラリーもつくって、広く着物のカルチャーを伝える場所にできたらなと」

「そして結果的に、気仙沼に来てくださる方も増えるといいなと思っています」


着物をもっと気軽に、楽しく着てもらいたい。

これからも気仙沼に根を張りながら、その想いに賛同してくれる仲間を増やしたい。

その一つがWEBディレクター。主にECサイトの商品ページと広告の制作を担当することになる。

現在その役割を担っているのが、取締役の齊藤さん。

たかはしでは、自社ホームページと楽天でWebショップを運営している。1日に30~100件あるECからの注文は、売上の35%を占める大切な柱だ。

サイトを見ると、たくさんの写真と詳細な説明文を交えながら、商品を一つずつ丁寧に紹介していることがわかる。

「うちの商品は、どれも『着物って実はここが不便だよね』って実感から生まれたもの。そのストーリーや実際の使い心地を伝えることで、興味を持って購入していただけるんです」

ECサイトに届くレビューや、展示会などでのお客さんの声を参考に、商品情報をこまめにアップデートすることも欠かせないそう。

「たとえば、『和(わ)えもん』という着物用のハンガー。クローゼットに着物をしまえることが売りだったんですけど、販売してみたら『衿がきれいなまま保管できるなんてすごい!』って、わたしたちが思ってもみなかったところでヒットしたんです」

そうとわかれば、ECサイトや広告に載せていた商品説明文をすぐに書き換えて、写真もその特徴にフォーカスしたものに差し替える。

とくにWebは、トレンドや季節によって「引っかかる」ワードが変わりやすい。今後はSEO対策もしつつ、SNSやリスティング広告なども使って訴求していきたいという。

「Web部門は今後、もっと進化させていきたいです。ガチガチにプログラミングができる必要はないけれど、HTMLやCSS、PHPの仕組みや使用方法は理解していてほしいですね」

また、Web以外に紙媒体の広告をつくることもある。デザインにはIllustratorやPhotoshopを使用しているとのこと。
「まず何より先に、着物や商品を身に着けて実感するところからですね。うちの商品は、ちゃんと伝えればきっと役に立てる。自信があるものを売るのは楽しいですよ」



若手のスタッフにも話を聞いてみる。

Webショップの受発注を担当している小松さんは気仙沼出身の方。東京で服飾の仕事に就いたのち、地元に戻ってきた。

「この会社はアットホーム…すぎるかなあ。上下の垣根があまりなくて、みなさんワイワイとお節介焼きです。新しく入る人は、最初は距離の近さにびっくりしちゃうかもしれません」

そう笑う小松さんは、入社してから着物に袖を通す機会がぐっと増えたそう。

「成人式のとき、着物って苦しいなって思ったんですけど、ここで一から着付けを教えてもらったら、全然苦しくないんですよ。動きづらいとか、不便とも感じなくて」

「うちの社長なんか、3年前のクリスマスパーティーのあと、着物でバッティングセンターに行っていました(笑)。着物って何でもできちゃうんだって、印象はすごく変わりましたね」

たかはしでは社員にも着物を楽しんでもらおうと、新年会やビアガーデン、クリスマス会など、お客さんも交えて折に触れて着物を着て楽しむイベントを企画している。

ときには「より多くの人に着物を楽しんでもらおう」と、社外の人に着物を貸して招待することもあるそう。

最初は和装に馴染みのなかった小松さんも、今では和江さんがプレゼントしてくれた着物と、たかはしの肌着を身につけて参加している。

商品の使い心地はいかがですか?

「やっぱりすごく便利ですよ。お客さんが『これは革命です!』って言うだけあるなって。社長から『どう思う?』と相談されることもあるし、社員の気づきがきっかけであたらしい商品が生まれる可能性もあります」

「気仙沼のまちも、あの日からだいぶ変わりました。おしゃれなカフェができたり、若者や学生がまちづくり活動を始めたり。会社もまちも発展中っていう状況を楽しんでくれる人だったらいいですね」

きものをやさしく、たのしく、おもしろく。

気仙沼で颯爽と旗を掲げるみなさんと一緒に、着物の世界をひろげていってください。

(2020/01/21 取材 遠藤真利奈)

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