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まちのお豆腐屋さんの
火を焚き続けるんだ

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地元に帰るたびに、変わりゆく風景におどろくことがあります。

学校の帰り道に立ち寄った本屋さんや、通学の相棒を買った自転車屋さん。その場所に“ある”ことが当たり前だと思っていたものがなくなってしまうのは、どうしてもさみしい。

もちろんその場所を営んできた人の思いや事情もあるけれど、つづけていきたい気持ちがあって、それを待っている人たちがいるのなら、なんとかしたい。そんな思いで動き出したまちがあります。

長野県小海町。八ヶ岳の麓にあり、人口は約4500人。白駒の池や松原湖など、ゆたかな自然に囲まれたまちです。

今回募集するのは、小海町で約80年つづく「小山豆腐店」の後継者。

長年地元で愛されてきたお豆腐屋さんですが、豆腐づくりをしてきたご夫婦が高齢ということもあり、3月で閉店することに。

そこで、豆腐づくりの技術を引き継いで、小山豆腐店の後継者となる人を地域おこし協力隊として募集することになりました。

昔ながらの豆腐づくりを受け継ぎながら、新しい商品や売り方など、より多くの人に届けるためのアイデアをかたちにしていく。ものづくりに興味がある人には、やりがいのある仕事だと思います。

小海町へは、東京駅から北陸新幹線とJR小海線を乗り継いで2時間半ほどで到着する。

この日は前泊し、翌日に小山豆腐店の工場へ向かうことに。

まだ夜空に星が光る早朝3時前。宿まで迎えにきてくれたのは、小海町役場の黒澤さん。仕事場の準備が整うまでの間、話を聞かせてもらう。

「ぼくはこの町の出身なんです。大学のときに京都へ出て、卒業後小海に戻ってきました。やっぱり一度離れると、地元の良さがわかるんですよね。家族や友だちとの距離感が近かったり、ご近所さんとのコミュニケーションが深かったり。それって些細なことだけど幸せなことなんだなって」

役場で働くようになってからは、観光課や総務課など、さまざまな部署を経験した。そのなかで、まちの人口が減少し、事業者数も減りつつある現実を目の当たりにして、危機感を持ったそう。

「昔は商店街に自転車屋さんやたこ焼き屋さんがあったりして、賑やかだったんですよ。でもお店がどんどんなくなってしまって。商売を続けるのがきびしくなったということもあるんですが、つづけたいけど跡継ぎがいなくてやめてしまうところも多かったんです」

「それってすごくもったいないし、まちの人もさみしく感じている。それで、事業承継プロジェクトをまちとしてはじめようって話していたときに、小山豆腐店さんが近い将来やめるってことを聞いて。役場の中で仲間と一緒に考えて、小山さんにも相談した結果、町が主導して地域おこし協力隊で後継者を募集することになりました」

小山豆腐店は、小海町で約80年の歴史を持つ手づくりのお豆腐屋さん。小海町の特産品である鞍掛豆(くらかけまめ)を使ったオリジナルの豆腐も開発するなど、地元の人だけでなく観光客にも人気の商品をつくってきた。

「小山豆腐店さんがつづくことによって、まちの人に希望を持ってもらいたいと思っているんです」

希望、ですか。

「小山豆腐店さんのほかにも、つづけていきたいけど後継者がいないっていう事業者さんはいくつもあって。みんなどうしようもないって、半ばあきらめてしまっている雰囲気がある。そういう事業者さんにも元気になってほしいし、おいしい豆腐が食べられるちょっとした幸せみたいなものを守っていきたい」

「つづけていける選択肢もあるじゃん、ほら大丈夫だよって。そうやって言ってあげられる土壌を、ぼくらがつくっていかないといけない。まちとしても、しっかりサポートできたらと思ってます」

協力隊の任期は3年間。豆腐をつくるための設備はまるごとまちが買い取り、協力隊が使用できる。ただし場所は移転する必要があるため、移転先は現在まちで探しているところ。

地域のスーパーや学校給食など、これまでの販路も活用しつつ、新商品の企画や新しい販路開拓にもチャレンジしてほしいと話す黒澤さん。

そんなことを話しているうちに、豆腐づくりの準備が整ったよう。

「設備も引き継げるし協力隊の給料も出るんだから、こんなにいい話はないね」

そう話してくれたのが、小山豆腐店の小山正城(まさしろ)さん。一緒に豆腐づくりをしている奥さんのアツ子さんにも話を聞きながら、作業を見学させてもらう。

「うちの豆腐は味が濃くてどっしりと重みがあるのが特徴。大量につくってるわけじゃないから、そのぶん良い味が出るように工夫してます」

豆腐づくりは、大豆を水につけて柔らかくするところから始まる。前日から水に浸した大豆を機械に投入してすりつぶし、水を加える。油揚げや木綿豆腐など、つくる商品によって水の量を変え、味の濃さを調整しているそう。

その後蒸気でしばらく加熱し、圧力をかけて絞ったのち、ろ過する。すると、豆乳とおからができあがる。

「どれくらい水を入れるかによって、豆乳の濃さが変わってくるんです。糖度をその都度測って確認していて、たとえば油揚げは少し水を多めに、糖度でいうと8度くらい。木綿豆腐は14度くらいの糖度がちょうどいいかな」

「ちょっと飲んでみる?」と、できたての豆乳を飲ませてもらう。

一口飲むと、ものすごくクリーミーで濃厚な味わい。大豆の味が濃くて、やさしい甘さが口に広がる。

豆乳ができあがると、にがりや塩などを入れてしばらく置き、固まるのを待つ。どれほど入れるかによって味や食感が大きく変わるため、その分量はとても重要だそう。

「企業秘密だけど、新しく来る人にはちゃんと教えるよ」と笑いながら話してくれる。

固まり始めたら型に盛り込み、上から圧力をかけて水分を抜き、固めていく。

蒸気が立ち込める工場内で、てきぱきと作業が進んでいく。だいたい150丁ほどを毎日つくっているそう。

20分ほど経って豆腐が固まったところで、1丁のサイズに切り分け、水にさらしてパッキングする。

よく見る豆腐よりもサイズが大きめで、容器から少しはみ出ているほど。

できたてをどうぞと、固まったばかりの豆腐もいただいた。

ベースには豆乳の甘みがありつつ、塩気が加わってより味わいが引き立っている気がする。すごくおいしいです。

「糖度をしっかり見て、水やにがりの量を調整してるからね。小海町の水道水は八ヶ岳の湧き水だから、おいしい水でおいしい豆腐をつくることができる」

「小海町特産の鞍掛豆を使った豆腐をつくってるのも、日本でうちだけなんです。普通の豆腐だけじゃなくて、そういった特色ある豆腐もつくれるっていうのは、やってて面白いと思うよ」

鞍掛豆は、青豆の一種。小海町で力を入れてつくっている豆で、馬の背に鞍をかけたような模様があることから、その名前がついた。

鞍掛豆は普通の大豆よりもたんぱく質が少なく、代わりに糖分が多く含まれているそう。そのため、濃厚な甘みを持った豆腐ができあがる。

「たんぱく質が少ないから、固めるのがむずかしくてね。商品化するのに1年くらいかかったかな。町営の温泉施設やリゾートホテル、食堂が冷奴にして出しているんだけど、すごく人気があって」

「地元のスーパーを中心に『くらかけまめ豆富』っていう商品名で売ってるんです。せっかく試行錯誤してつくった豆腐だから、このままなくなってしまうのはもったいないからさ。つくりつづけてほしいなと思ってます」

小山さんご夫婦は、3月いっぱいで豆腐づくりを休業。場所が決まり次第まちが設備を移設し、新しく来た人に豆腐づくりを教えてくれる。

最初の1、2年くらいで技術を引き継ぎ、まずは安定しておいしい豆腐をつくれるように。その後は新しい商品や販路のことも考えてほしいと話す正城さん。

これまでは地元のスーパーや学校給食が主な販売先だったけど、たとえばインターネットを使っておいしい豆腐を届ける仕組みをつくったり、豆腐だけじゃなく豆乳やおからを使った商品をつくったり。地元の飲食店と一緒にメニューから考案してもいいかもしれない。

また小海町には障がい者就労支援施設が2か所あり、たとえばおからの活用など、利用者さんたちとの協働も考えているという。できることはいろいろとありそうだ。

「やっぱり努力してくれる人がいいと思うね。なんの仕事でもおなじだけど、人間食べていくためには努力しなきゃいけないから」

「豆腐屋も朝が早かったり、これからの売り方も工夫したりしないといけないから、根気や努力が必要になる。それは覚悟して来てもらったほうがいいね」

つづけてアツ子さん。

「配達に行くとね、待っとったよって、お客さんが言ってくれるの。わたしらはやめてしまうけど、そうやってうちのお豆腐を待っていてくれる人がいるのはうれしくて」

「そういう日常のちょっとしたうれしさをやりがいに感じてくれる人やったらいいね。教えられることはしっかり教えるから、そこは安心してきてくれたらって思います」

小山さんご夫婦や役場の人たち、いろんな人の思いを乗せて動き出したこの事業承継プロジェクト。

最後に話を聞いたのは、昨年から地域おこし協力隊として活動している高橋さん。協力隊の先輩にも、小海町のことを聞いてみる。

昨年夫婦で千葉から移住し、現在は移住定住促進担当として働いている。前職の経験を生かして、デザインの仕事もしているそう。

小海町で地域おこし協力隊として働いてみてどうですか?

「なんというか、単純に臨時職員っていう労働力として見ているんじゃなくて、ひとりの移住者として見てくれているんですよね。だからこそ、外からの視点を生かして活動しないといけないなって思っていて。ここに来て感じたのが、協力隊の落とし穴にはまらないようにしないとってことだったんです」

協力隊の落とし穴?

「自分がそうだったんですけど、小海町のためにって思いながら暮らしていると、小海町のなかだけ見ちゃうんです。起業するなら小海町とか、ご飯食べるなら小海町とか。せっかく外から来たのに、視野が狭くなってしまうのってもったいないじゃないですか。外からの目線を持ち続けることが大事だなって」

「たとえばお豆腐屋さんでも、地元のスーパーにどれだけ多く置いてもらうか、じゃなくて、オンライン上で全国に販売しようとか、東京のレストランで使ってもらおうとか。そういう発想にこそ、協力隊が関わる意味がある。ぼくもアイデア出しやデザインで協力できたらって思ってます」

新しい商品を開発して、高橋さんがパッケージをデザインする、といったこともできるかもしれない。

ひとりですべてを背負っていくというよりは、高橋さんをはじめ、思いを持っているまちの人たちをうまく巻き込みながら、一緒に取り組んでいくことが大切になると思う。

取材の終わりに、黒澤さんがこんなことを話してくれた。

「新しく生まれ変わった豆腐屋さんが、まちの魅力や資源が集まるお皿のような存在になってくれたらいいなと思うんです。まずは地域のなかでつながって、自分の役割を楽しみながら暮らしてくれる人に来てもらえたら嬉しいですね」

なくなりつつある風景を守り継いでいきたい。きれいごとのように聞こえるかもしれないけれど、それがまちにとっての希望になり、ひいてはそこで暮らす人の幸せにつながる。

意味のある仕事とはいえ、なくなりかけている仕事を継ぐというのは、勇気がいる選択だと思います。でもそれだけ、やりがいも可能性もある場所だと感じました。

(2020/3/9 取材 稲本琢仙)

※撮影時にはマスクを外していただいております。

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