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お腹が空いて、無性にパンにかじりつきたくなることがある。大人になった今でもあるけど、10代のころはもっとあった。そして、そのころはとにかくいろんな場所でパンを食べた。
学校のグラウンドで食べていて、トンビにかっさらわれたこともある。
ごく普通のパンだったけど、きっと今同じものを食べたら、そのころのことを一気に思い出すんじゃないかなと思う。
今回紹介するのは、そんな日常の風景をつないでいく仕事。
島根県の沖合に浮かぶ離島、海士町で地元の人に長く愛されてきたパンとお菓子の製造を引き継ぐ人を募集します。
長年ご夫婦でパンづくりを続けてきた山中さんから、いろんなことを教わりながら、新しい「島のパン」の形を模索していくこのプロジェクト。2年前から、隠岐桜風舎という会社が取り組んできました。
製菓や製パンの経験があれば役に立つと思いますが、何よりも、島の暮らしに浸りつつ、これからの届け方を一緒に考えられることが大切だと思います。
島根県にある隠岐4島のうち、ちょうど真ん中にある中ノ島へ。東京から飛行機と船を乗り継いで半日。ようやく、という感じで海士町に到着した。
この海士町、鎌倉時代には後鳥羽上皇がお遷(うつ)りになった島で、史跡も多いらしい。後鳥羽上皇、名前は知っているんだけど…と、学生時代のかすかな記憶を辿りながら、隠岐神社の向かいにある「お土産と手仕事のお店つなかけ」へ向かう。
海産物の加工品や雑貨など海士町のお土産物が並んでいる。お店のカウンターからさらに奥に進んでいくと、機材やオーブンの並ぶ工房が。
靴を履き替えてなかに入ると、「白浪」というお菓子の製造準備が行われていた。
もち米を煎った「寒梅粉」と砂糖を混ぜた生地をふるいにかけていたのが、職人の山中さん。
山中さんのご実家は、もともとこの島で和菓子屋を営んでいた。
「『白浪』はもともと、800年前に都からこの島にご来島された後鳥羽上皇を元気づけるために、何かできないかって工夫されて生まれたお菓子が元になっているんです。うちでは、もう70年くらい前からつくっているかな」
よく撹拌した生地を木型に押し込み、あんこをはさんで成形していく。木型を返すと、うっすらと波形が入った「白浪」の完成。
近づいてみると、真っ白な表面に少し砂糖がキラキラして見える。このシンプルな形を「波」に見立てるのも、なんだか日本らしい感じ方だなあと思う。
先代から受け継いだ和菓子だけでなく、山中さんは自分の代からパンや洋菓子づくりをはじめ、店舗は持たずにパンを島内の商店や学校へ卸す形で届けてきた。
ソーセージを挟んだおかずのパンや、黒豆パン、チョコレートを練りこんだパン…。
今も、日によってローテーションで20種類ほどを製造している。
パンが焼き上がった午後、あらためて工房をたずねると、何ともいい匂いが立ち込めていた。
「昔は島にパンをつくる人がいなかったんですよ。だから私が、みんなにおいしいパンを食べてもらいたいと思ってね」
海士町は人口2,300人ほどの小さなコミュニティ。
いつも買いに来るお客さんが飽きないよう、定番のパンだけでなく、少しずつ変化を加えながら続けてきた。
「中学の学生さんが、学校が終わるとうちへ来てパンを買って、それからまた部活へ行くんですよ。そのころは、揚げパンもつくっていて。放課後にお腹が空いてるところへ、熱々を買って食べるんですから、おいしいはずですよね」
「それで、その子たちが都会へ出て、お盆や正月で島に帰ったときに、『おじちゃん元気か、あのパン食べたくてちょっと顔見にきたわ』って訪ねてくることもあったね」
部活の前に頬張るパン。
遠い離島での話なのに、なぜか自分の思い出と重なるような、不思議な気持ちになる。
最盛期には7人ほどのスタッフがいたこともあるけれど、近年はご夫婦ふたりで製造を続けてきた。
引退を考えるようになった山中さんから、この島のパン事業を引き継ごうと取り組んでいるのが、隠岐桜風舎。
もともと島の歴史や食などの文化を伝えるために、観光協会から派生した会社で、工房の隣にある「後鳥羽院資料館」の運営や、ツアーガイド、俳句・短歌・和歌などの詩歌大会の運営、和食を提供する離島キッチン海士などの運営などを担っている。
どの拠点も、隠岐神社から歩いていける距離にある。これから入社する人は、この桜風舎の一員として、島の歴史や文化のなかでこのパンをどう届けていくかを考えていくことになる。
昨年から山中さんと一緒にパンづくりに取り組んでいる伊藤さんにも話を聞いた。
伊藤さんは6年前に京都の芸術大学を卒業後海士町にIターン。大学では彫金を学んでいたという。
学生のころから「ものづくり」や「手仕事」を身近に感じてきた伊藤さんにとって、山中さんと一緒にパン製造にかかわる今の仕事はどうですか。
「山中さんのつくるパンって、味だけじゃなくて存在が、なんだか愛らしいところがあると思っていて…」
愛らしい?
「そう。なぜか昔から知っているパンみたいに感じるというか。このパッケージとかもすごく好きで」
もともと美術を学んでいたこともあって、そのパッケージを使って雑貨をつくってみたいと考えているのだそう。
ほかにも、先ほどの「白浪」を片手で食べられる携帯食のような、気軽に食べてもらえる商品として若い世代に売り出してみたいなど、ちょっとユニークなアイデアを温めている伊藤さん。
山中さんの味をただ受け継ぐだけでなく、パンを通して今まで出会わなかった人同士がつながるような。あるいは、島の外の人が海士町を知るきっかけになるような売り方や伝え方を模索している。
今特に取り組んでいるのは、パンの販路を広げていくこと。
以前は今より製造量も多く、島のいろんなお店にパンを卸していた。それが近年は港の売店に卸す分しかつくらなくなっていた。
桜風舎として引き継ぎを進めることで製造量を増やし、元の取引先を回って、販売を再開してもらえるように交渉。今は島の10業者にパンを配達しているという。
「昔からのファンの方たちは、『山中さんのパン』として、親しみを持ってくれているみたいです。いつか山中さんが引退されて、完全に私たちだけでやっていくことになったら、どういうふうに受け止められるのかなって思うところはあります」
長年愛されてきたパン。根強いファンがいるからこそ、感じるプレッシャーもあるのかもしれない。
山中さんのパンで育った子どもたちがたくさんいるように、続けていけば、いつかは桜風舎のパンを懐かしいと思う世代が出てくるんじゃないでしょうか。
「そうですよね。バトンみたいな感じですよね」
懐かしさを尊重しながら、今の暮らしに合うパンもつくりたい。
少しずつ新商品の開発にも取り組んでいる。この日も試作品ができたということで、みんなで試食してみることに。
島でとれたキュウリなどの野菜を、さっぱりしたドレッシングであえて挟んだサラダサンド。暑い季節のお昼にはちょうどよさそう。
伊藤さんと一緒にこの試作に取り組んでいたのが、今年の2月に入社した田宮さん。
「自分が離島で暮らすようことになるとは思っていませんでした。ここは本当に、暮らしのたくましさみたいなものを感じますね。草刈りでもなんでも、みんなと助け合って自分でやらないといけないから」
昨年掲載された日本仕事百貨での募集記事を見て、この仕事を選んだ田宮さん。
山中さんの写真を見て、もともとパン職人だったお祖父さんのことを思い出したという。
「僕の祖父はもう廃業していますけど、こういうお店だったら、自分も将来まで年齢関係なく働けるっていうのも素敵だなと思ったんです」
田宮さんは以前、10年ほどお店でパンづくりの職人として働いた経験がある。少しブランクがあったので、今は山中さんと一緒に手を動かしながら思い出しているという。
生地づくりから焼き上げ、さらに、各販売先に配達に行くまで。すべてに関われるのも、小さなお店のいいところ。
小さい島だからか、地域の人も新しく入った「パン屋の田宮さん」のことを知ってくれているという。
「配達に行くと、『田宮さん、どこまでできるようになった?』『あのパンつくらないの?』って声をかけられることもあるんです」
島で暮らしはじめて半年。最近は島の食材とパンづくりを絡めて何かをはじめてみたいと考えている。
たしかに、島には野菜や果物をつくっている農家さんも多いし、コラボレーションができたらおもしろそう。
山中さんも最近、「ふくぎ茶」という島のハーブティを練り込んだパンを編み出して、好評だったらしい。
「これが、そのふくぎ茶ですよ」
と、伊藤さんがお茶を入れてくれた。今朝できたばかりの白浪も一緒にいただく。
白浪を楊枝で切って口に運ぶと、少しふわっとしていて優しい味がする。
お茶で場も和み、取材を終えようかと思っていたころ、伊藤さんが山中さんにある相談を持ちかける。
「山中さん。今度、私があんこをつくってみていいですか?」
実は伊藤さんは取材の前に、ある不安を口にしていた。
それは、パン製造の要である生地の本ゴネやあんこづくりのような工程を、まだ山中さんが一人で担っているということ。いつかは引き継がないといけない大事な部分だからこそ、いつ言い出そうか迷っていた。
「でも失敗したらその日納品する分の白浪がダメになっちゃうし。どうしようか…」
どこか自信がなさそうにしている伊藤さんを見て、山中さんは「そのために、おる」と答える。
自分が見ているから、やってみたら、と。
「和菓子っちゅうのは、あんこが命。教わるより見て覚えたほうがいい。何回かやっとるうちに、こういう色になるとか、こういう固さになるとか掴めるようになるから。いろんなことをやってみればいいと思う」
手探りでいろんなことを吸収しながら、前向きな気持ちをぶつけてくれるふたりを、山中さんはうれしそうに、おおらかに見守っているように見える。
家族でもないし、バックグラウンドも年代もバラバラな3人だけど、そのやりとりを見ていると、なんだか温かい気持ちになってくる。
「私がやってきたものを、全部そのまま引き継いでほしいという気持ちは全然ないんですよ。ふたりはここに来て、この島での生活があって。そのときどきで、やってみたいことをやればいい」
今あるものを未来に残していくために。
守るべき本質がわかっていれば、時代に合わせて新しい発想を加えていく勇気も持てるはず。
まずは工房であれこれ話しながら、そこにある空気を感じてみたらいいんじゃないかなと思います。
(2020/7/21 取材、2021/3/15 再募集 高橋佑香子)
※撮影時にはマスクを外していただいております。