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「コロナ禍によって移動が制限され、自宅+近所が生活圏になっている人も多いなかで。孤独な状態よりも、ほどよい距離感のゆるやかなつながりがあるほうが豊かに暮らせるんじゃないかなと思うんですよね」
そう話すのは、HITOTOWAの関西チームをとりまとめている奥河さん。
HITOTOWAは、同じまちに暮らす人、商売を営む人同士のつながりを豊かにすることから、社会課題の解決やよりよい暮らしづくりを目指す“ネイバーフッドデザイン”に取り組む会社です。
新築・既存のマンションや再開発エリアの企画に携わったり、エリアマネジメント組織の仕組みづくりから立ち上げ、伴走支援を行ったり、団地に常駐してコミュニティスペースを運営したり。デベロッパーや住民、地域の事業者など、さまざまな立場の人たちのつなぎ役として奔走しています。
今回募集したいのは、関西エリアのネイバーフッドデザイン事業に携わるプランナー。HITOTOWAの知見や現場からの声をもとに、デベロッパーや関連企業と一緒になってまちの未来像を描き、形にしていくのが仕事です。
住宅や商業施設、戦略コンサルティングの業界にいるものの、なかなか手応えが掴めずにいる。そんな人にこそ知ってほしいと思います。
(取材はオンラインで行いました。写真は提供いただいたものを使用しています)
HITOTOWAのみなさんは、コロナ禍の以前からテレワークを推進してきた。
今回募集する人も、基本はオンライン。ただ、まちのリサーチや企画したイベントなどで現場に出向くことも多々あるので、関西圏に住んでいることがひとつの条件になるという。
まず話を聞かせてくれたのは、奥河さん。
「肩書きは“執行役員”なんですが、現場もバリバリ回っています」
HITOTOWAでは、各プロジェクトに主担当を置きつつ、必ず複数人のチームで運営するようにしている。奥河さんは、関西のプロジェクトにはほぼすべてに関わっているそう。
これから仲間になる人も、まずは奥河さんたちとともに進行中のプロジェクトに関わりながら、徐々に主担当を任せられるよう成長していってほしい。
さて、HITOTOWAが取り組む“ネイバーフッドデザイン”とは、どういうものなのか。
抽象的な概念よりも、まずは具体例から知ったほうが理解しやすいかもしれません。
「たとえば、今わたしが担当している再開発のプロジェクトは、マンションと病院と広場が同じ敷地にできることは決まっていて。マンション購入者や地域住民の暮らしをよりよくしていくには、どんな機能や仕組みを持たせたらいいだろうか、というデベロッパーのご相談からスタートしました」
どれくらいの年代層の人たちが住むエリアなのか。周辺にほかの公園や病院はあるか。リサーチするところからHITOTOWAの仕事ははじまる。
その先の提案内容は、エリア特性やコミュニティの規模感によって毎回異なるという。
「今回のケースなら、病院のスタッフによるシニア向けの健康コンテンツを一緒につくっていくとか、住人向けの健康診断サービスだとか、災害時には協力し合える体制をつくっておくとか。そういった相互関係があると、暮らしたあとのイメージも湧きやすくなりますよね」
たしかに、それはマンションの販売戦略にもなるし、住む人や地域にとってもうれしいことですね。
「マンションだけ、建てた直後だけよければいいっていうことでもなくて。HITOTOWAは、さらにエリア全体が持続的によくなっていくための仕組みづくりや拠点の整備も行っていきます」
とある別のマンションは、周辺に10を越える幼稚園・保育園が存在するエリアに立地していた。
ただ、なかなかリアルな情報は入ってきづらい。そこで、各園に通う子どもの親に声をかけ、これから入園先を考える人たちとの座談会を開催。これがとてもいい企画になったそう。
「みんな前の年に迷っていた人たちなので、ほしい情報が何かよくわかっているし、友だちが増えるのはうれしいから、どんどんアピールしてくれる。住民さんにも有益な情報が届いて、イベントとしてもすごく盛り上がって」
「翌年も『去年すごく役に立ったから』と、参加者が情報提供者になっていくサイクルが生まれて、コロナ禍でもオンライン開催の形で続いているんです。誰か一人、圧倒的なキーマンやリーダーがいるというよりは、みんなで情報をシェアして助け合いながら続いているいい例かなと思います」
従来のコミュニティ観では、賑わいづくりや活発な人の往来を生み出すことに目が向けられがちだった。
一方で、コロナ禍を通じて生活様式やコミュニケーションの手段が変わり、コミュニティに求められる役割も変化してきている。ご近所同士の、自主的でゆるやかなつながりを生むネイバーフッドデザインの考え方は、今後より重要になると奥河さんたちは考えている。
「子育ての悩みや高齢化の進むエリア特有の問題、いつ起きるかわからない災害。日ごろから助け合える関係性をつくっていくと、そういった社会課題の解決にもつながると思っていて。デベロッパーさんからもいろいろとご相談いただくケースが増えているので、新しいメンバーも一緒に関西でのプロジェクトを広げていけたらと思っているところです」
現在、HITOTOWAのスタッフは15名。業務委託やアルバイト、プロボノで関わる人など含めると約40名のチームへと成長してきた。
行政やNPO、大企業など、一人ひとり異なるバックボーンが強みになっているという。
奥河さんはどんな経緯でHITOTOWAに?
「IT業界の大手企業に入って5年、体調を崩して辞めたあと、まったく別の方向でやり直そうと思って、青年海外協力隊としてセネガルに行ったんです」
帰国後は兵庫県で集落支援に従事。東日本大震災直後には、南三陸町で2年間、仮設住宅のコミュニティづくりや高台移転の合意形成などに取り組み、地元の大阪に戻って自治会をサポートする仕事もした。
「プレイヤーとしてそこに居続けるんじゃなくて、徹底的に寄り添う外部者としてがんばる当事者を応援しつつ、自走できる基盤をつくって徐々に離れる、みたいな。そういう働き方をずっとしていけたら理想だなって思うようになって」
会社としての収益体制を築きながら、それを実現しているのがHITOTOWAだった。
地域住民によって自走していくコミュニティづくり。
その必要性を、防災の観点から感じてHITOTOWAにやってきたのが宮本さんだ。
「神戸出身なんですけど、阪神淡路大震災の2ヶ月後に生まれて。年を重ねるなかで、防災減災がどんどん自分のテーマになっていったんです」
学生時代には東日本大震災で被災した同世代との座談会や関西の学生と行く東北ツアーを企画したり、最初に勤めたNPOでは、震災の教訓をもとにした防災プログラムを実施したり。さまざまな取り組みを重ねてきた宮本さん。
ただ、各地で災害が起きるたびに、無力感と悔しさも感じてきたという。
「ひとりの力だけでは何も守れないし、何かがあってからでは遅い。そう思ったときに、HITOTOWAなら、もっと日常に寄り添う形で課題解決ができるんじゃないかと思って」
暮らしに防災減災の考え方を浸透させるのは、一筋縄ではいかないこと。入社して2年が経つ今も、試行錯誤は続いている。
それでも、いい兆しも少しずつ見えるようになってきた。
「2018年の台風で、浜甲子園エリアに被害があったとき、マンションの住民さん同士のLINEグループがうまく機能して。停電で子どもが落ち着かなくて泣いてる、どうしたらいいんだろうって投げかけに対して、じゃあうちにおいでよとか、ここの水が使えるよっていう情報共有が自然と生まれたんですね」
「そういう話を、今度はデベロッパーの担当者さんに共有すると、そこでも気づきが生まれて。地域のオリジナルマップをつくろうとか、マンション特有の困りごとに応じて防災備蓄品を提供したほうがええやん、っていうふうに発展していく。そうやって新たな仕組みづくりにまで関われるのが、HITOTOWAの大きな強みだと思っています」
最近では、デベロッパーから「全国に展開するマンションに共通の防災プログラムを企画したい」といった相談も受けるように。
各エリア固有の条件に沿ってカスタマイズしつつ、モデルケースをつくって全国規模に普及していくようなことに挑戦できるのも、この会社で働くおもしろさなのかもしれない。
最後に紹介する浅野さんも、おふたりとはまた違ったバックボーンを持った方。
「祖父が建設会社の社長で、空間をつくることには馴染みがありました。それから、身寄りのない人を雇用したり、自宅の一部を開放して社員みんなでご飯を食べたりしていた。豊かな暮らしの環境をハードとソフトの両輪でつくる祖父の背中を見て、こんな人になりたいと思ったのが最初のきっかけですね」
まずはハードをつくれるようになろうと思い、リノベーション会社で施工管理を経験。その後HITOTOWAへ。
実際に1年半ほど働いてみて、どうですか?
「開発とかコミュニティづくりとか、高尚なことのように聞こえるかもしれませんが、ごく当たり前のことを丁寧に積み重ねているだけなんだと気づきました」
「まずは住民さん一人ひとりの声をしっかり聞いて、それを客観的に整理してデベロッパーや行政等のクライアントに伝える。その上でよりよくするためにはどうしたらいいかを考える。“サービスの提供者と受益者”という関係にならずに、ともに実現したいまちの未来像を目指す一つのチームとしていかにやれるかが大事なんです」
住民に交じって被りものをしながらイベントを進行したり、重い荷物を運んだり。ときに何屋さんだろう?と思うようなことにも、フラットに取り組んでいく。
そんな過程も楽しめる人であれば、ひとつの会社に所属しながら、多様な経験が積める環境だと思う。
「働き方も含め、柔軟な会社だなというのはすごく思います。テレワークが基本ですし、仕事の進め方も各自の裁量が大きいですね」
逆に言えば、セルフマネジメントの意識が必要、ということでもある。「自分でやることをつくって、進めていくエンジンは必須」と、奥河さんも話していた。
宮本さんは、入社して一日目にそのことを先輩スタッフから言われたそう。
「仕事振らへんから、自分で見つけて仕事してねって。プレッシャーにも感じたんですけど、その言葉には続きがあったんです。『やりたいことを実現できる会社やから』って」
やりたいことを実現できる会社。
「まさしくそうだなと。今、自分が本当にやりたいと思っていた分野の仕事をやれているので。だから、わたしこれやりたいんです!とか、ここが強みです!って前面に出せる人はウェルカムですね。地域やクライアントのために、一緒にそのやりたいこと叶えていきましょ、って思うので」
昨年の12月で10周年を迎えたHITOTOWA。これからの10年は、さらに新しいフェーズへと入っていくように思います。
一緒に新しい景色をつくりたいと思ったら、ぜひこの輪に加わってください。
(2021/2/15 オンライン取材 中川晃輔)