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地球温暖化が喫緊の課題になるなかで、持続可能性や循環型社会への関心が高まっている昨今。
今の仕組みになんとなく限界を感じて、転換の必要性を感じている人もいると思います。
ただ、「次の在り方」は与えられるものではなく、小さなことでも、自分が参加してつくるものなんじゃないか。そんな予感を抱いているなら、知ってほしい会社があります。
滋賀県東近江市で、菜の花からはじまる循環型地域社会を実践しているNPO「愛のまちエコ倶楽部」です。
地域の農家さんと協働して菜種油をつくり、油の搾りかすは肥料に、廃油はせっけんと、コミュニティバスを走らせるディーゼル燃料に。
資源循環の要を担いながら、新規就農支援や里山の保全活動、民泊の受け入れなど、地域の自給的暮らしづくりと、その発信を行っています。
基盤にあるのは、1970年代に起きた市民運動。ゆるやかな世代交代と事業継承のもと、愛のまちエコ倶楽部の活動は、土地の人の力や歴史的な背景にも支えられているといいます。
今回募集するのは、農作業やプラント操業までを行うNPOの事務局スタッフ。
つくりたい社会を描きながら、具体的な実践ができる仕事です。
近江八幡駅からローカル線に乗り換え、八日市駅で下車。
車でさらに東へ、のどかな農村風景のなかを走っていくと、鈴鹿山脈が近づいてくる。
山裾にどこまでも広がる畑。
うかがったのは、ちょうど菜の花が満開になるシーズン。まぶしいほどの黄色のほかに、白い梨の花もちらほら。果樹栽培も盛んなのかな。
畑のなかに、きらりと光る現代的な建物があった。「あいとうエコプラザ菜の花館」、NPOの拠点になる場所だ。
「あいとうエコプラザ、愛のまちエコ倶楽部、あいとう梨、愛のなんとか…。名前に愛がつくのは、愛東地区っていうこのあたりの地名からきてるんですよ」
事務局長の園田さんが、プラントを案内してくれるという。ぷ、プラント?
「あいとうエコプラザは、半分がNPOの事務室と見学や体験を受け入れる研修室、もう半分が、資源の地域循環をかなえるプラントなんです」
プラントとは、資源を生産する工場設備のこと。
まず見せてもらったのは、菜種油「菜ばかり」をつくる搾油機。
香ばしい匂いが漂うなか、黒い1ミリほどの粒である「菜種」から、黄色い油が搾られていく。菜の花の種が小さな黒い粒であること、そこからこんなに力強い透き通った油が出てくること、はじめて知った。
毎日使うものが、見えるところでつくられているって、気持ちがいい。
菜の花を栽培するのは地域の農家さんで、刈り取るところからがNPOの仕事。
刈り取り、乾燥、搾油から瓶詰め、ラベルを貼って出荷するまで。油のメーカーとしての一貫した生産体制が整っている。
「循環の仕組みがあるだけじゃなくて、そこから良いものが生まれていることに、説得力があると思うんです。『もの』がおいしさや心地よさを通じて、私たちの活動を伝えてくれる。ものづくりは事業としての強みだし、仕事のやりがいでもあります」
プラント内には搾油機のほか、油の搾りかすを肥料にする設備、農家さんから回収した籾がらを「くん炭」と呼ばれる土壌改良資材にする設備、各家庭から回収した廃油をディーゼル燃料にする設備まで揃っている。
食べ物からエネルギーまで、菜の花をめぐる地域ぐるみの循環システム。
いったいどうやって、ここまでの仕組みができてきたんだろう?
「はじまりは、琵琶湖が赤潮で染まった1970年代までさかのぼります。目に見える環境汚染に、当時の滋賀県民の7割が合成洗剤をせっけんに切り替えました。そこから、せっけんづくりのために廃油を集める仕組みができて、さらにバイオディーゼル燃料をつくるようになり、1998年には油から自分たちでつくろうと、菜種の栽培がはじまりました」
「今に至る脈々とした流れがある。その根本には、自分でできることをやろうっていう、滋賀の人の強さみたいなものも関係していると思います。当時せっけんをつくりはじめた婦人部のおかあさんたちは、今も廃油からせっけんをつくってるんですよ」
菜種栽培にはじまる資源循環は「菜の花プロジェクト」と名づけられ、旧愛東町は拠点となる「あいとうエコプラザ」を建設。「愛のまちエコ倶楽部」はその運営団体として、2005年に立ち上がった。
「設立に奔走した当時の中心メンバーは、今も理事として見守ってくれています。一代でバン!と打ち上げるというより、継がれてきたものを継いでいくイメージがありますね」
活動の経緯にも詳しい園田さん、意外にも出身は千葉県とのこと。農業関係の出版社や大手有機野菜の宅配会社で働きながら、もっと直接農村に関わりたいと思っていたとき、このNPOに出会った。
参加したのは立ち上げ後すぐのタイミングで、今年で勤続15年になる。
菜の花プロジェクトを中心に、これまでグリーンツーリズム、ぶどう・なし・お茶・田んぼのオーナー制度、就農支援、農家民泊のコーディネート、まち歩き、縁側カフェ、里山の整備や薪などのバイオマスの活用と、やり過ぎなくらいにいろいろとやってきた。
それでもまだまだ思いついていないこと、違う取り組みの可能性があると感じているという。
「資本主義の歪みや限界が見えてきたなかで、いろんな人が今のシステム以外の暮らし方を求めていると思うんです。やってみたい人をどんどん受け入れて、次の豊かさのために実践するフィールドをつくる。それが、これからの私たちの役割だと感じています」
「食べ物もエネルギーも自給して、“ここなら生きていける”って安心感をつくりたい。お金だけで考えたら底辺に感じられることが、生きることの豊かさから見たら、てっぺんかもしれませんよね。仕事を通じて、社会の価値観をひっくり返したいんです」
一緒にお話を聞いたのは、勤めて3年目になるという伊藤さん。
三重県出身で、Uターンと同時にこのNPOに就職。以前は東京のイタリアンレストランで働いていた。
「菜種油を意識したことはなかったんですが、食べてみたらコクがあって、いいなと。油も自分たちでつくれるんだっていうことを、『菜ばかり』を通じて発信していきたい。個人的には、自分で家を修繕したり野菜をつくったりする人を、まちのなかに増やしていきたいですね」
主に「菜ばかり」の製造と販売を担当している伊藤さん。最近はマルシェイベントでの油の量り売りが好評だという。
そのほかにも、農業体験のコーディネートや行政とのやりとり、会計業務など、仕事内容は多岐にわたる。
「デスクワークはまったくしたことがなかったのに、今は会計までやっている。何でもやればできるもんだと思います。初めてやるような仕事ばかりですが、じっとしてるのは好きじゃないので、刺激があっていいですよ」
今回募集する人の仕事内容も、明確な線引きがあるものではない。ただ、料理に関心の高い伊藤さんは菜種油担当、環境教育の経歴がある人は研修受け入れ担当と、適正に応じて主な担当が決められているそう。
働いているスタッフは、20代から50代までバランスよく5人。一昨年は初めて新卒の採用もあった。
地域内には住居として紹介できる空き家や、元地域おこし協力隊の人が運営するシェアハウスもある。NPOでも、空き家を利用した宿泊機能を持つ地域交流拠点「だれんち」の運営が2022年より始まっている。
京都まで高速道路を使って1時間、名古屋は山を越えて1時間半〜2時間。
東近江は都市圏の間に位置する、昔から人の往来の多い場所だった。
「土地の人からは、近江商人て言葉がよく出てきます。近江商人のとなえた売り手・買い手・世間の三方良しって、今でいうSDGsのことですよね。自分たちのことは自分でっていう自治精神、外に向かって発信していく気風もある。深いところでも、土地に支えられている気がします」と園田さん。
一方で、仕事をする上での難しさはどういうところだろう?
「人とのコミュニケーションのなかで成り立っていく仕事なので、一筋縄でいかないこともあります。あとは、すぐ答えが出ない仕事ってことですね。地域資源を活かして事業化して、次世代につなぐ暮らしも創りつつ、自分たちも食べていかないといけない。そこが難しいところだし、逆に、アイディアを形にしたい人にはぴったりの場所だと思います」
「組織の課題としては、15年活動が続いてきたなかで、もっと行政に対しての提案力を持ちたいと思っていて。ファシリテーションやコンサル的な能力を強めていきたいと思っています」
もうひとりお話を聞いたのは、入社して1年ほどという藤澤さん。
大阪で言語聴覚士の仕事をしていたものの、違う生き方の可能性を探るためにUターン。ワーキングホリデーでの海外渡航がコロナ禍で頓挫し、地元についてあらためて調べるなかで愛のまちエコ倶楽部の活動を知った。
「環境問題、農業、古民家再生やリノベーション、活動を伝える教育的な部分…業務内容が、ちょうど私が興味を持っていること、これから学んで深めていきたいことにぴったりだったんです」
実際に働いてみて、いかがですか?
「想像の何倍もいろいろな分野の仕事をさせてもらっていて、とてもおもしろいです。事務作業と身体を動かす農作業、どちらかだけじゃなくて両方やりたい自分に合っていて」
いろいろな分野とはいえ、すべてが暮らしに繋がるものだから無理がないのだそう。実感のある仕事には、生きている根っこに繋がる安心感がある。
現状の仕事は「だれんち」の場づくりや運営に関わるものが多くを占めるという藤澤さん。「だれんち」は、移住や就農支援の拠点であり、加工品づくりや飲食店営業ができる生業(なりわい)創造の場であり、持続可能な地域づくりについて価値観を共有しながら学びを深める場でもある、宿泊機能を持つ交流施設だ。
「今は立ち上げ直後のタイミングもあって『だれんち』の比重が重いのですが、菜ばかりの営業や広報なんかももっとやっていきたい。意外とまだ地元での認知度が低かったり、どの事業に関しても伸びしろがあると感じています」
意外にも、藤澤さんは労務の仕事がおもしろいのだそう。
「以前は大きな病院で働いていて、上で決められた決定が突然降りてくることに疑問を感じていました。ここでは大変だけど5人のメンバーで労務や経理も全部やって、NPO法人の経営状態や課題を全員がわかっていて、話し合ってルールから変えていける。働いていてほんとうに気持ちがいいんですよ」
それぞれに感じていること、かなえたい暮らし、生きかた。
何も犠牲にせず、理想を描いて挑戦していい。そんな場所だと感じました。
フィールドにはすでに、豊かなものが溢れてる。あとはやるだけ。
何かが湧いてきた人は、ぜひ一歩、踏み出してみてください。
(2021/4/9 取材 2022/10/17 更新 籔谷智恵)
※撮影時はマスクを外していただきました。