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「地方創生の本質は、そこに暮らす人たちがどうしたら豊かになるか。きれいごとではなく、売り上げはその先にしかないと思っています」
そう話すのは、シビレ株式会社の共同代表・佐藤さん。
シビレは、誰もがどこにいても、自分らしく暮らし、働くことをサポートしてきた会社です。
全国の自治体とともに移住フェアやイベント、ツアーの企画・運営をしたり、地域の高校と連携して教育の魅力化に取り組んだり、首都圏に集中しがちなエンジニアやマーケター、事業開発などに携わる人材の転職や複業を支援したり。主に教育や採用の分野で多様な事業を展開してきました。
そんなシビレが、仙台の本社や東京に次いで、新たに「くまもと球磨BASE」という拠点を立ち上げます。
舞台となるのは熊本県多良木(たらぎ)町。今回は、ここに軸足を置いて活動する企画営業スタッフを募集します。
同じく町内で昨年立ち上がった「たらぎ財団」と連携してまちの課題解決に取り組みつつ、より広域の人吉・球磨エリア、さらには九州全域に視野を広げてほしいとのこと。ゆくゆくは九州エリアのリーダーのような役割になるかもしれません。
遠方から多良木町へ、もっともアクセスがいいのは鹿児島空港。
車で高速道路を走り、1時間15分ほど。たらぎ財団の運営するスペース「T_Lab.」に到着した。
ガラス扉には「いらっしゃいませ」の文字。聞くと、もともとここはスーパーだったそうだ。
なかは奥側が財団のオフィス、手前側がコワーキングスペースになっている。今回募集する人も、ここで働くことになる。
まずはシビレを立ち上げた共同代表の鈴木さんに話を聞いた。
もともとリクルートに勤めていた鈴木さん。退職後、OBの会社を手伝うなかで、島根県のエンジニアの移住促進事業に携わったという。
「その事業がはじまった2014年は、いわゆる“地方創生元年”の前年でした。広報活動がうまくいって、3年間でエンジニア65人とその家族を含む100人以上の移住が実現したんです」
ただ、島根県内で受け入れ可能なIT企業は当時20社ほど。やがて採用枠も埋まり、働きたい人がいても受け入れられない状況になってしまった。
単一の地域にとどまらず、もっと自由にまちと人をつなげられないか。そう考えた鈴木さんは、シビレを立ち上げ、全国の自治体と連携してエンジニアに特化したエージェントサービスや、移住フェアやイベントの企画・運営などに力を注いできた。
「地方創生とか移住の文脈よりも、わたしはどちらかというと仕事や働き方への意識が強かったんです。どこにいても、誰もが自分のやりたいことを実現できる社会にしたいなって」
今年に入って、エージェントサービスは「ジブンノ」という名前でリニューアル。移住をともなう転職に加え、複業やプロジェクト単位での関わりしろをつくることで、利用者がより“自分の”軸を大事にしながら働きやすくなる環境づくりに取り組みはじめた。
さらに、創立以来「OFF TOKYO」だったビジョンは「Seamless Japan」に。“東京にこだわらない”だけでなく、地域やエリアの線引きを超えた“縫い目のない”関わりやライフスタイルを生み出そうとしている。
こうした変化は、コロナ禍の影響も大きい。ただ、それだけではないという。
「共同代表の佐藤と出会ったのが2年前かな。一緒に自治体の提案に行ったりすると、『いい人見つけたね』ってよく言われます」
それを隣で聞いていた佐藤さん、何か言いたげ。
「今すごくきれいに話してますけど、はじめは『自治体への提案を手伝ってほしい!』みたいに声かけられて。打ち合わせに行ったら名刺を渡されて、その瞬間から『シビレの佐藤です』って(笑)。自分で立ち上げた会社も経営しながら、半年ぐらいは業務委託で関わっていました」
東北の高校と連携して、教育の魅力化や人材育成に取り組んでいた佐藤さん。
事業領域は違っても、シビレのビジョンには共感するところが多かったという。
「お互い目指している方向が近くて。鈴木はシームレスな働き方を考えるうえで、働く以前の学生時代にもっとこういう経験や価値観の形成ができていたら、と考えていた。ぼくはぼくで、人づくりをがんばってもその先の仕事が…というところに課題感があった。掛け合わせたら、お互いのつっかかりが解消できるかもねという話はしていました」
場所にとらわれず生きるために必要な、仕事と教育と暮らし。
それぞれ不足していたパズルのピースが噛み合い、今年4月には会社を統合して共同代表に。
今では全社15名のスタッフがいて、7割は業務委託やパートタイム。本社は仙台にあるものの、それぞれの持ち場からリモートで働く人が多いという。
今回募集する企画営業の仕事って、どんなものだろう?
「単純にものを売る営業ではないです」と佐藤さん。
「行政の悩みの種や課題感を聞いて、その解決方法を一緒に考える『企画』の部分こそ、我々が関わる肝だと思っています。短期の成果を求めずに、じっくりコミュニケーションをとりながら関係性を築いていってほしくて」
「とくに最初の3〜4ヶ月は、お金を一切意識せず、財団のみなさんの案内でいろんな人に会ったり、まちを回ったりすることに時間を使ってほしい。我々ともコミュニケーションしながら、こんなことができるんじゃない?って企画を見出していけたらと思います」
そう考えるようになった背景には、自身の体験が関係しているという。
それは宮城県南三陸町に関わりはじめたころのこと。
「はじめの1年は、住民票も現地に置いて、1円ももらわずに年間300日ぐらい捧げて関わって。当時ぼくは独立して1年目とかで、必死だったんですよね。何かしないと、すぐに事業をつくらないとって」
「でもそう考えるほど、短期的な目線の話しかできなくて、『お金の話ばっかりだな』って言われたりして。うまくいかないことを、全部地域のせいにしていたときもありました」
コンビニの店員さんが顔を覚えてくれたり、おすそわけをもらったり。そういった一つひとつの些細なことまで嫌になった。
ただ、このままではいけない、とも思ったそう。
「ノートに自分が嫌だなと感じていることを全部書き出して、逆手に言い換えると何か、考えてみたんです。おすそわけの文化は、安心安全につながるし、社会関係資本が強いとも言える。教育の観点からすれば、これはめちゃくちゃいい土壌があるってことだな、とか」
はじめは毎日着ていたスーツも、着るのをやめた。すると少しずつ、事業の歯車もうまく回りはじめたそうだ。
「信念と思い込みは、似ているようで全然違うよなっていうことが、その失敗体験から学んだことですね。ぼくはそうやって一つひとつ、論理的に腹落ちさせていくタイプ。一方鈴木は、もっと感覚的で。『こういうおもしろい人がいるから、会いませんか?』みたいなところからつながっていくことが本当に多いんです」
「営業している感覚は本当になくて」と鈴木さん。多良木町をはじめとする熊本とのつながりも、かなりゆるやかなスタートだったみたい。
「知り合いから『熊本に拠点を出したい』って相談を受けて。自分の大阪出張に合わせて、熊本県の出先機関である大阪事務所をトントンって訪ねてみたんです。そこで県の担当者と知り合って、熊本のおもしろい自治体を案内していただいて」
そのうちのひとつが多良木町。ほかのまちとも関係性は続いていて、今日もこのあと、熊本県内の山鹿市へ視察に行く予定だという。
「わたしたちが地域を変えられるとは思っていないんです。目の前の人が喜んでくれて、シビレの人たちがいてくれてよかったって思ってもらうこと。その積み重ねでしかないので」
いろんな可能性を頭の片隅で描きながらも、まずはフラットに、人対人で関係性を築いていくことがはじめの仕事と言えるかもしれない。
身近に長い時間を過ごすことになる、たらぎ財団の栃原さんにも話を聞いた。
たらぎ財団は、多良木町が100%出資して設立した地域商社。前身となる任意団体は2016年から活動していて、地元産のお米のブランド化や“野菜で野菜を食べる”ドレッシングの企画・販売などに取り組んできた。
「行政では、たとえば何か『買いましょう』と言っても3ヶ月はかかる。民間の立場から、よりスピーディーにいろいろな物事を推し進めていきたいということで財団ができました」
「この1年は、東急エージェンシーやDeNAといった企業とのつながりをおふたりがつくってくれて。プログラミング教育や農業SDGsのワークショップなど、一緒にできることを模索しながら形にしています」
定額住み放題サービス「ADDress」と提携したり、都市部と地方でのデュアルスクールの橋渡しをしたりと、個人でもさまざまな取り組みをしている栃原さん。地域と関わるにしても、新しい企画を考えるにしても、心強い存在だと思う。
「地方って、可能性に対して投資する文化があまりないんですよね。表にも“Challenge for Change”って書いてますけど、新しいことを取り入れて、どんどん挑戦する姿を見せていくことが大事かなと思っています」
シビレのみなさんとは、この1年でたくさんの議論を重ねてきた。ときには19時から夜中の2時に及ぶことも。
「20分ぐらい沈黙のときとかあったもんね。みんなしゃべれない、みたいな」
それも、お互いに譲れないものがあるからこそ。
今回募集する人も、負けないくらいの熱量を持っていてほしい。
「ぼくらのやりたいことは、本当に地域に望まれているのか?と思うこともあって」と佐藤さん。
「もしかしたらエゴかもしれないけど、エゴならなおさら、途中で諦めたりやめたりしちゃいけないと思うんですよね。巻き込んだ人を不幸にさせない、誠実に向き合える人が、やっぱり一番来てほしい人」
「これまでの経験にはこだわらないです。課せられたものを真面目にこなしていくというよりは、ぶつかり合いながら主張してほしいですね」
一方で、多良木に根ざしつつ、ほかの地域で展開しているプロジェクトにも携わってほしいとのこと。そこでの経験が多良木で活かせることもあるだろうし、逆もあると思う。
近々、佐賀県内にも拠点をつくる計画もある。さらには、首都圏に140万人ほどいるとされる移住関心層と地域に暮らす人を結びつけるようなWebアプリの開発も進んでいて、その実証実験も多良木ではじめたいそう。
「正直、多良木はこれまで関わってきた地域のなかで、マーケットとしては一番厳しいと思います。ぼくらはそれを前向きに捉えていて。厳しい環境だからこそ、今後どういう事業を展開して、どんな方向を目指すか、指針になるような拠点だと思っています」
人口およそ1万人、都市部からのアクセスも決していいとは言えない多良木町。ここでモデルケースをつくることができれば、全国の同規模の自治体にとっても可能性が広がる。
ビビッとシビレるような直感が働いたら、迷わず飛び込んでください。
(2021/7/29 取材 中川晃輔)
※撮影時はマスクを外していただきました。