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忘れられないセメントの匂い
受け継いできた左官と人柄

※この仕事は募集終了いたしました。ご応募どうもありがとうございました。

左官とは、主に壁や床に、コテを使って土や漆喰などの液状壁材を塗り上げる仕事。

起源を調べてみると、古くは縄文時代に遡ると言われています。

原田左官は1949年に創業した会社。

左官はもちろんのこと、タイル張りに防水工事、組積工事など、水を扱う湿式工事全般に携わってきました。

特徴的なのは、決められた仕様で工事を下請けするだけでなく、仕様を決めるところから提案していく仕事が多いこと。

壁にコーヒー豆を入れてみたい。古い金庫の質感を出して外壁を塗ってほしい。透ける壁をつくってほしい。

日々、いろいろな相談が届きます。その背景には、先代たちがつくってきた自由な発想と、人と人の関わりを大事に取り組んできた姿勢がありました。

今回募集するのは、工事管理を担う番頭(ばんとう)と見習い職工です。

現場とそれを支える人たち。どちらもやりがいの大きな仕事だと思います。

上野駅から山手線内回りで3駅。西日暮里駅で降りる。

駅近くの学校を横目に、道灌山通りを進んでいく。学生向けなのか、ラーメン屋、カレー屋、惣菜屋とボリューム感あふれるお店が並んでいる。

通りの先にあった交差点を右に曲がると、原田左官の看板が見えてきた。

ドア横のインターフォンを鳴らすと、代表の原田さんが出迎えてくれる。

取材はビルの3階でとのことで、階段を使って移動する。壁や床の一部は、左官仕上げが施されていて、説明が書かれたプレートが貼ってある。

面白い見せ方だなあと驚きつつ、階段をのぼって会議室に入る。

まず話を聞いたのは、代表の原田さん。会社の成り立ちは、原田さんの曽祖父まで遡る。

「曽祖父がなかなかの酒飲みで、当時営んでいた八百屋の家業を潰しちゃったんです」

当時、曽祖父には6人の子どもがいたものの、家業がなくなり、それぞれ違う道を歩むことに。そのなかで、原田さんの祖父辰三さんが辿り着いたのが、左官屋だった。

ところが、辰三さんが肺を悪くして現場を早々に引退することに。そこで、原田さんの父、宗彦さんにバトンが渡される。

「1960年ごろに父が継いで、最初はこの街の住宅左官をやっていました。ただ、私が中学生ぐらいのときから、会社の方向が変わっていったんです」

方向が変わった、というと?

「『左官をやりたい』という女性が、社内で現れたんです」

昔の住宅左官は、目に見える壁や床の仕上げではなく、その下地を塗る仕事がほとんど。一袋50キロものセメントを取り扱うこともあり、力仕事であるぶん男性職人が多く働いていた。

そこに、従来とは異なる発想が持ち込まれる。

そのひとつが、左官材に口紅や化粧品を混ぜて、漆喰に模様をつけたこと。

これまでは、左官で塗ってもその上からペンキが塗られたり、タイルが貼られたり。仕上げの裏に隠れてしまうことが多かったけれど、仕上げとしての依頼が増えていく。

女性職人の起用や新しい表現を模索する姿勢は、メディアでも取り上げられ、仕事の範囲も住宅から商業施設にまで広がっていった。

「幼いころから、左官が身近にありました。うちに住み込みで働いている職人さんもいて、一緒にご飯を食べていた記憶もあります」

「いろいろ思い出はあるんですけど、今でも強烈に覚えているのがセメントの匂い」

セメントの匂い?

「ちょっと湿気た匂いというか。いい匂いではないですけど、いやな匂いでもない。おふくろの味みたいに、思い出すことがいっぱいある」

「高校生ぐらいのときに、家業を継ぐべきか悩んでいたんです。そのときに友達から『その匂いって忘れられないでしょ』って言われて、確かになと。当時いた職人さんたちも、すごく楽しそうに仕事をしている。この場所を終わらせるわけにはいかないと思い、継ぐ決意をしました」

他とはちょっと違う、家の左官屋。

高校を卒業してそのまま継いでも、父が築いてきたものを守ることはできないかもしれない。左官以外のことも知ろうと、大学では経済学を学び、部品メーカーで3年間働いた。そして2000年、原田左官に入社する。

「私が引き継いで、とくに新しいことをやったという感覚はなくて。女性職人の起用も新しい表現を試行錯誤するような社風も、父がつくってくれたもの」

「それらを引き継いでより良くするにはどうしたらいいか?私が取り組んできたのは、その部分です」

パソコンを導入して作業効率を上げたり、職人の教育制度にモデリングと呼ばれる映像学習を取り入れたり。

仕組みづくりに力を入れつつ、施工実績やちょっと変わった仕上げなど、社内の魅力がより伝わるようにホームページやSNSにも力を入れていった。

その結果、社内にはさまざまな種類の仕上げ事例が蓄積されて、職人の技術も安定して高い水準を保てるようになった。

独自の文化を築いてきた原田左官は、いつしか駆け込み寺のような存在になっていく。

「面と向かって言われますよ『困ったからここに来ました』って」

隣で聞いていた番頭の江口さんが、話を続けてくれる。

「あるとき、設計事務所の方からメールで昔の金庫の写真が届いたんですよ。ちょっと黒光りしているような、古びたマットな感じの金庫。外壁をこんなふうに仕上げてもらいたいんですけど、できますか?って相談を受けて」

まず取り掛かったのが、サンプルづくり。

「雨風に耐える材料って、ある程度限られるんですよね。そのなかから、送られてきた金庫のテクスチャーができそうなものって何だろうと話しあって決めたのが、黒っぽいイタリアの左官材でした」

「うちにはコンクリートの打放し風にできる技術があるので、できた左官材と組み合わせて、理想の質感に近づくよう表現していきました」

そのほかにもさまざまな依頼がやってくる。

枯山水のような床・壁を表現してほしい。自社の商品をつかって壁を塗ってほしい。家具にも左官仕上げをしてほしい。

「うちならなんとかしてくれると思って相談に来て下さっているので、ありがたいですよね。今までにないものをつくれるのは、この仕事の醍醐味ですよ」

番頭の仕事は、朝6時ごろからはじまる。事務所に集まり、職人に1日の作業指示を出す。7時半ごろに職人が現場に行くのを見送ったら、現在進めている案件の予定を確認する。

その後は現場の確認やクライアントとの打ち合わせ。翌日以降の材料手配に、事務処理も行う。

何より、職人とのコミュニケーションは欠かせない。

「やっぱり職人さんって、ものすごくクセが強いんですよね」

クセが強い。

「自分だけにしかわからない言葉を使う人とか、酒癖が悪い人とか(笑)。漢字は読めないけど、携帯でつくる報告書はちゃんとつくれるとか」

「変わっているけど、持っている技術も仕事に対する熱意もカッコいい。面白いですよ」

仕事で大変なところも聞いてみる。

「やったことがないことに挑戦するところですかね。どこもできないようなことを相談されることが多いので、先輩社員も知らないことが絶対起こるんですよ」

「そこは難しいかもしれないです。でも、わからないことがあったら周りに相談してほしいですね。俺たちも応えるので」

全国津々浦々、引っ張りだこの原田左官。

現在、月に100件ほどの案件を5人の番頭で同時に進行している。打ち合わせ段階のもの、工事中のもの。いろいろ状況が異なるので、スケジュールやタスクの管理は欠かせない。

「昔は、日曜日の夜でも電話がかかってきて。出ないと怒られるみたいな時代がありましたけど、今は土日休みの現場もかなり多くなってきたので、ほとんどなくなりましたね」

「あとは、お客さんや職人さんに理不尽なことを言われることもあります。それをすべて真に受けてしまうと、やっぱりキツいので。ときには受け流すくらいの気持ちで来てほしいですね」

人とのつながりが多い番頭の仕事。長年積み重ねていくと、嬉しい場面もたくさんある。

入社して30年が経つ取締役の堀越さんが話してくれた。

「若い頃はお客さんに育てられる、みたいな感覚がありましたね。現場の流れとか、ほかの業者の知識とか、仕事としても人としても成長させてもらえる。ありがたいですよね。でも今は逆に、お客さんの若い子を育ててあげる機会が増えました」

「たとえば、若いときから付き合いのある建設会社の社員さんが部長さんになって。そうすると同じ目線で話せるし、その部長さんもうちの若い子を可愛がってくれる。自分もそこの会社の後輩を可愛がるみたいな。大事なつながりですよね」

印象に残っている案件を聞いてみると、ある夫婦の話をしてくれた。

「居酒屋をはじめるご夫婦から相談を受けてね。奥さんは仕事を辞めて旦那さんの手伝いをしようとしていたんです」

話を聞いていくと、奥さんは元ガラス職人だったことがわかる。思い入れのあるガラス、せっかくなら左官材に混ぜてみるのはどうだろうか。提案して塗ってみることに。

「完成したカウンターをみて、奥さんが泣いて喜んでくれたんですよ」

「大きい仕事もやりがいありますけど、ちっちゃい工夫で感動してもらえるのもすごく嬉しいですね」

設計段階から相談を受けることができるからこそ、自分たちの考えたことを伝える機会が生まれる。

責任も大きいけれど、自分の工夫やアイディアで目の前のお客さんに喜んでもらえるのは、やりがいにつながると思う。

できたときの喜びは職人も同じ。職人の横山さんに話を聞いた。

「辛さ=できたときの達成感みたいなところがあって(笑)。一人で何件もの現場も見なきゃいけなかったり、夜通しで2日間通しても間に合うかわからなかったり。そういう大変なことを乗り越えて仕上がったときは、本当にできてよかったって思います」

横山さんが入社したのは、30年ほど前。

「だんだん仕事もできるようになって、現場を任されたことがありました。それで、一人で塗ったら見事に失敗したんですよ」

仕事の内容は、半円形に割られたいくつもの竹が壁に取り付けられていて、その間を塗っていくというもの。場所によっては三角だったり極端に細かったり、塗る形がバラバラだった。

「ある程度流れがわかっていても、なんせ腕がないんで。ボコボコに仕上がっちゃった。治すのが不可能なくらい。すごく怒られましたね、できないなら手を出すな!って」

結局、先輩職人の方々が何とかまとめてくれたそう。

「悔しかったですよね。あともう一つ印象に残っているのが僕の師匠に言われた言葉で」

「残業があったときに、もちろん立場が下なんで僕も残りますと。そしたら『今残ってもらっても足手まといになる。いないほうがやりやすい。でも何年後かには、先に帰る。だからそこまで成長しなさい』って言われて。そこまで言われたら、期待に応えたいじゃないですか。早く一人前になろうと思いましたね」

原田左官が受け継いできたもの。

自由な発想はもちろんだけれど、それだけじゃない。

人と人とのつながりや想いも受け継いできたからこそ、確立したポジションを築いていくことができたのだと思いました。

(2022/1/27 取材 杉本丞)
※撮影時はマスクを外していただきました。

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