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なくてはならない仕事
明治から続く船会社が
未来へ向けて舵を切る

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

離島で暮らす人にとって、船はまさに生活の要。移動はもちろん、生活必需品も船で運ばれてきます。

なくてはならない仕事だし、それはこの先も変わらないと思います。

島根県・隠岐諸島。

島根半島の北方、日本海に浮かぶ諸島で、住民がいる4つの大きな島と、そのほか約180の小島によって形成されています。漁業が盛んで、松葉ガニや岩牡蠣の産地としても有名です。

明治初頭、島民が島外へ向かうには小さな帆掛け舟が頼りでした。波風などの影響を受けやすい舟は時間通りに航海できないし、悪天候によって多くの人が亡くなっていたと言います。

そんな状況をどうにか変えようと立ち上がったのが、松浦斌(さかる)という隠岐の島議会の議員でした。

彼は所有していた山を削って購入費用の半分を出すことで議会を納得させ、蒸気船を購入し、航路を開拓しました。

松浦斌が亡くなって以降、その意志を受け継いだのが隠岐汽船。明治28年の創業以来、島民の生活を支えてきました。

人や物資を運び、島の発展に貢献してきましたが、島内では高齢化や人口減少が進行中。このまま住民や利用客が減ると、船は運航できないし、そうなれば島の生活も維持できなくなってしまう。

そこで、観光を軸に新しいプロジェクトを立ち上げ、隠岐に人々を呼び込もうとしています。

一つは、港のにぎわいを創出するカフェの立ち上げと運営。もう一つは、新船の造船や会員カードの作成、イベントなど船を利用したプロジェクトです。

今回は、各プロジェクトを推進していく人を募集します。

どちらも特別なスキルは必要ありません。大きな目標に向かって、チャレンジしたい人や、地域のために貢献していきたい人。隠岐汽船は、島外からの視点を求めています。

あわせて、各港で切符販売や予約業務を担う事務員も募集します。


向かったのは、隠岐の島。

隠岐諸島で唯一空港がある島で、隠岐汽船の本社もここにある。空港を出ると、一般社団法人離島百貨店の杉崎さんが迎えてくれた。

離島百貨店とは、離島の困りごとを解決するため、物流・人材・観光などさまざまな分野で企業や行政と協働している団体。

杉崎さんは、半年前から隠岐汽船に出向して、主にカフェ・ホテルの立ち上げを担当しているとのこと。

島内をアテンドしてもらうと、海と山の距離が近く、のどかな景色が広がっている。

車窓から外を見ていると、ふとした違和感。あれ、なんだか木の種類が多いような。

「この島は、昔本土と陸続きだった時代に気候変動から植物たちが逃げてきた場所で、独特な植生になっているんです。本来なら南国・北国とバラバラの土地に分布している植物が、この島では同じ場所で見られて」

「そういった独特な景観は、世界遺産よりも国内で認定数の少ない世界ジオパークに認定されているんですよ」

いくつか案内してもらったなかでも、とくに印象に残っているのが岩倉の乳房杉(ちちすぎ)。

うっそうとした森のなかに、たたずむ巨木。標高400mということもあり、ちょっとひんやりとした空気に、聞こえるのは鳥の鳴き声ぐらい。

神秘的な空間に、少し緊張感もありつつ、時間が止まっているかのような不思議な体験だった。

そのほかにも、約800年も続く牛突きの観戦ができたり、豊かな自然環境をつかったカヤックやダイビング、トレッキングにサイクリングなどのアクティビティが盛んだったり。隠岐のことをいろいろと教えてもらった。

その後向かったのは、おき西郷港。真っ青な空と海に、緑の山々が一望できて気持ちがいい。

隠岐汽船の本社は、港から歩いてすぐの場所。入り口で社員のみなさんに挨拶した後、二階の社長室へ案内してもらう。

失礼しますと言って部屋に入ると、代表の木下さんが迎えてくれた。

「隠岐汽船は、明治のはじめに松浦斌(さかる)が蒸気船の購入をしたところからはじまっています。自分の山を削ってまで、航路を開拓したわけで。地域のことを一番に考えておったんじゃないかと思います。人のために財産をつぎ込める人ってそういないでしょう?尊敬してますよ」

購入費用は、現在のお金で約9400万円。その半分を私財で出資するのだから、相当な覚悟があったのだと思う。

木下さんが隠岐汽船に入社したのは、昭和48年。

「昭和に入ってもなかなか経営が厳しかったんだけれど、昭和47年ぐらいかな。離島ブームで団体のお客さんが増えだして。いまじゃ考えられないけど、船乗り場の端から端までずらーって並んでて。その頃が一番よかったね」

「ただ、あのときに高速船を2隻つくったのがよくなかった。行政からの要請もあってつくったものの、採算が合わなくなってしまって。平成18年に負債が会社の資産を超えてしまったんです。その翌年から私が社長を任されることになりまして」

大変な時期に交代されたんですね。

「やっぱり社員の生活が一番大事なので、まずは彼らの生活を守れるように考えました。航路の本数を減らしたり、食堂をなくしたり、最低限のサービスにしたんですね。従業員にも乗客の方にも、辛抱いただいて。5年ぐらいかかってしまったんですけど、黒字に転化することができました」

「そういうこともあったんで、何があっても健全な経営ができるように常に備えるようにしていて。いまもコロナの影響はあるんですけど、それに耐えうる内部留保があるのでひっ迫するようなことはないんです」

現状は大きな困難に直面しているわけではない。ただ今後、島内の高齢化や人口減少が進み、住民や利用客が減れば船は運航できないし、そうなれば島の生活も維持できなくなってしまう。

島民のため、社員のためにも新たなプロジェクトをはじめることに。


まずは、港にできるカフェ併設のホテルについて、離島百貨店の杉崎さんに話を聞いた。

「西郷港の前って、すごく寂しい状態なんですよ。港に降り立った人が『どこのお店もやってないじゃん!』みたいな。この島に限らず結構あるんですね」

「でもそれって、訪れる人にとっては悲しいじゃないですか。この島大丈夫かな?ってなる。そこで、港前のにぎわい創出のためにカフェとホテルをつくることにしたんです」

具体的にどんな場所になるんでしょう?

「1階がカフェ、2階がホテルになっています。カフェは、全国の地域のにぎわい創りのモデルにできるような場所をつくりたくて。島民も島外の方も通いやすく、島の玄関口として隠岐の良さが分かるような場所にしていけたらと考えています」

「ホテルは、ビジネスマン向けのものを考えていて。この島には、建設業や物流関係の仕事で訪れる方が多いんですね。島民の次に多くて、年間を通して来島数の振れ幅も大きくないので、経営のハードルも下げやすいんです」

今回募集するのは、ホテルの一階部分にできるカフェの立ち上げ・経営を担う事業主。

島民も島外から来る人も、気軽に訪れて交流が生まれるようなカフェづくりを任せたい。

内装や設備は杉崎さんたちが進めているので、新しく入る人はメニューや運営を一から考えていくことになる。

「もちろん、全部任せるのはその人に負担が大きすぎるし、最初から毎日営業するのは採算的にも難しいと思っていて。まずは生計を立てられるように、専門家と一緒にフォロー体制もつくっていきます」

営業体制に加えて、最初の3年間は地域おこし協力隊の制度を適用し給与面のフォローもできないか、交渉を進めている最中。

地域の人との関わりについても、杉崎さんの紹介で漁師や行政、地域商店の方とつながれたり、若い移住者たちが集まってBBQや飲み会をする場があったり。公私ともども安心して地域に入っていけると思う。

「ホテルと人材をシェアしてコストを抑えた営業の仕組みや、船と相互送客の仕組みをつくったり。今回経営者になっていただける方には、自分のチャレンジの舞台として活用してもらえればと思っています」

カフェの立ち上げと合わせて進めていきたいのが、新船の造船や会員カードの作成、イベントなどの船を利用したプロジェクト。

「現状は、団体旅行で定番のスポットだけをまわる人たちが多いんです。でも、隠岐の本来の良さって綺麗な自然と素朴な感じというか。これからは、島の魅力をわかってくれる個人客をターゲットにしたくて」

「この地域の観光を引き立てるのって、やっぱり船だと思うんです。特異な景色の島々を船がつないで、それぞれの魅力を一つの商品にできれば、お客さんを呼ぶきっかけになるんじゃないかと考えています」


最後に話を聞いたのは、隠岐汽船観光課の長田さん。

島内生まれ島内育ち。大学を卒業した後、隠岐汽船に入社。現在は観光課の業務をしつつ、杉崎さんと一緒にプロジェクトを進行している。

「新しく入る人には、僕と一緒に観光課に所属しながら船を利用したプロジェクトを企画・運営してもらいたくて」

たとえば、と話してくれたのは、新船造船プロジェクト。

「隠岐汽船が所有する船のうち1隻の老朽化に伴い、数年後を目処にフェリー1隻を新しく造船することになっています。それに合わせて、船自体の付加価値も高めていきたいと考えていて。どんな船だったら乗りたくなるのか、内装やサービスを企画していきます」

「ただの交通手段としてだけでなく、『隠岐汽船のフェリーに乗ってよかった、楽しかった』って思っていただけるような船にしたいんです。“海に浮かぶ、泊まれるホテル”としての船など、前例に縛られない企画ができたらと思います」

もう一つメインとなるのが、ビジネス客を対象にした会員カードのプロジェクト。

大幅に乗船客の増加が見込めないなか、新たな売り上げ基盤をつくっていくための取り組みで、収益と利便性、両方を向上させる狙いがある。

「いまって乗船する際に、毎回個人情報を書いてもらっているんですね。それってやっぱり不便なので、ICカードみたいにワンタッチで乗船きるようにするとか、ほかにも年間費をお支払いいただいた方は、等室が1ランク上がるとか」

今はまだ構想段階だけれど、新しく入る人と一緒に具体的な形にしていきたい。

「隠岐の人ってちょっとシャイというか。でも、内側に熱い思いを持っている人も多くて。僕自身、これまではやってみたいことがあっても、どうせできないだろうって思っているところもあったんです」

「でも、杉崎さんが半年前から関わるようになって。これだけのプロジェクトが動き出しているのを見ると、自分もやっていいんだなと思えるようになったんです。自分の仕事が島民の生活につながっていくので、とてもやりがいのある仕事ですね」

明治・大正・昭和・平成、そして令和。何度も苦難を乗り越えながら、島を守ってきた隠岐汽船。これまでもこれからも、島民のため、社員のためになくせない仕事です。

島外からの強いパートナーを得て、これからは攻めの姿勢に入っていきます。

どちらのプロジェクトも立ち上げ段階なので、不安も大きいかもしれませんが、その先の島の明るい未来を想像できたなら、きっと乗り越えていけると思います。

(2022/5/30 取材 杉本丞)
※撮影時は、マスクを外していただきました。
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