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瀬戸内から
持続可能な社会をつくる

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瀬戸内海に浮かぶ、豊島(てしま)。

日本で初めて国立公園に指定された瀬戸内海国立公園の一部で、穏やかな気候と豊かな自然に恵まれた人口およそ700人の島です。

瀬戸内芸術祭の会場のひとつでもあり、会期中はおよそ14万人が訪れる「アートの島」としても有名になりつつあります。

ここで起きた「豊島事件」をご存知でしょうか。

いまから50年ほど前、自動車の破砕くずや廃油入りのドラム缶など、大量の有害産業廃棄物が豊島に不法投棄される事件が起こりました。

住民の激しい反対にもかかわらず、県はその状況を黙認し、産廃業者は何年間にもわたり大量の廃棄物を搬入。さらにそれらを野焼きしたことで、住民からは健康被害を訴える声も上がりました。

住民たちは、ことの発端となった行政を相手に、廃棄物の撤去を求める公害調停を起こし、調停申立から7年近くかけて、調停を成立させました。

この豊島事件をきっかけに設立されたのが、認定NPO法人瀬戸内オリーブ基金です。

「豊島事件の背後にあるのは、経済優先の大量廃棄社会」だったと、理事長の岩城さんは言います。

同じ過ちが二度と繰り返されないように。瀬戸内オリーブ基金では、豊島事件を語り継ぐ活動のほか、豊島をはじめとする瀬戸内地域の環境保全に関わる活動を展開しています。

そのうちのひとつが、オリーブの栽培活動。今回は、地元の人と一緒にオリーブ栽培・加工をすすめていくスタッフを募集します。

豊島に暮らすことが前提となりますが、農業経験はなくても大丈夫。学びながら技術を身につけていける環境です。

基金のメンバー、地元の人と協力し合いながら、想いを引き継いでいく人を求めています。

 

瀬戸内オリーブ基金の事務所の最寄りは、豊島の家浦港。岡山にある宇野港と、高松港からのルートがあり、今回は岡山から向かうことに。

穏やかな海の様子に癒されて過ごしていると、あっという間に港へ到着。

船を降り、スタッフの方と合流して向かったのはオリーブ基金の事務所。古民家を改装した建物で、港からすぐそばにある。

最初に話を聞いたのはオリーブ基金の理事長、岩城さん。

弁護士として働いていて、普段は大阪にいるそう。この日もオンラインでつないでもらった。

豊島事件の公害調停において、住民側の弁護団のひとりだった岩城さん。オリーブ基金が発足した2000年から関わってきた。

「豊島での出来事はある意味、象徴的な未来だと思っていて」

象徴的な未来?

「自然を破壊するのはこんなに簡単で、元に戻すのはこんなにむずかしいということです。5年前にようやく豊島からすべての廃棄物が撤去されましたが、植生はすぐには戻らない。100年とか200年とか、そのくらいの時間が必要で」

「いまの大量消費社会も、豊島事件と構造は一緒です。便利だから、と後先考えずものを使っては捨てて、環境に負荷をかけている。無自覚な行動が、どこかの誰かを苦しめているかもしれない。そして最後には、そのつけが人間社会全体に回ってくるんです」

便利で快適と感じる日々の生活は、本当に持続可能なものなのか。豊島事件をただ語り継ぐだけでなく、学びとすることで、その原因となった社会のあり方自体を問い直していく。

 

活動のひとつとして取り組んでいるのが、豊島事件に関する資料のアーカイブ。

資料館を案内してくれたのは、安岐(あき)さん。公害調停に住民として長年関わってこられた方で、オリーブ基金の活動にも発足当初から関わっている。

「これは、公害調停するときに立ち上がったご家族の代表名。黒い喪章がついてるのは、残念ながらこれまでに亡くなった方です。もう、だんだんと事件のことを語れる人がおらんようになっていっとる」

「ここに全部黒い喪章がついたら廃棄物の問題が終わるのか?って、終わりませんよ。記憶が風化していくにつれてますます危うくなる。核兵器と一緒ですよ。我々が経験した思いを二度と、どこの誰にも経験させない。我々がいなくなっても、資料が事実を正しく語り継ぐ。そのためにオリーブ基金と協力してこの資料館をつくったんです」

資料館には、当時の新聞記事や事件の年表が壁一面に貼られている。何より目を引くのが、産廃の剥ぎ取り断面。特殊加工されたものが当時の様子のまま、展示されている。

「ここにあるのは3mほどやけど、平均で10mはあったからね。一番高いところでは40m。それだけ積み重なったものを撤去しても、自然は元に戻らんのよ。有害物質が水に溶け込んで土壌を汚しているから、いまはそれの処理。それも何年かかることか」

第二の豊島をつくらない。安岐さんの話は、言葉一つひとつに重みがあって、力がある。

それに突き動かされた人たちもいる。

「100人以上の廃棄物業者を前にして事件のことを話したことがあったのよ。そしたら、講演終わった後にある業者が『安岐さん、私たちになにかできることありませんか』って言うわけよ」

「その業者は、廃車になった車から使える部品を回収していて。『自分たちの親世代のものが豊島に行き着いて、事件に加担していたかもしれない』って。業者にとったら都合の悪い話かもしれんのに、真摯に受け止めてくれてな」

そう話す安岐さんの表情が少し和らぐ。その業者さんからの寄付で資料館の外壁をリニューアルしたり、ともにオリーブの木を植えたりと、少しずつ関わりを広げているそうだ。

 

オリーブ基金では創立以来、環境保全活動をおこなう団体への助成を軸に活動してきた。ここ数年は、みずから環境保護に関する啓蒙活動の企画・運営にも力を入れていて、個人や企業のボランティアも積極的に受け入れている。

今回募集するのは、事件を機に全国から集まった募金で植樹されたオリーブの栽培管理をする人。

数年前までは地元の人が栽培・加工していたけれど、高齢化が進んでいることもあり、栽培管理をオリーブ基金が引き受けることになった。

これまでその役割を担ってきたのが、事務局の清水さん。

新卒で入社し、ときに豊島に住まい、ときに岡山から通いながら4年間勤めてきた方。この3月から産休に入ることになり、栽培管理の業務を引き継ぐ人を探している。

「豊島のオリーブは事件後、事件を忘れないと地元の人と植樹したもので。収穫できたオリーブは毎年自分たちで収穫から搾油、加工までして、食用オリーブオイルとして販売しています」

なかには食用として使えないオリーブを活かせたらと、運営委員と相談するなかでオリーブ石鹸という商品も生まれたそう。企画からデザイン、価格設定まで清水さんが担当した。

「本業で広報を務める運営委員の方に企画のアドバイスをもらったり、会計士さんには価格設定のことを相談したり。完成品ができたときには、売れるか不安もあったけれど、すごく達成感がありましたね」

これらの売り上げはオリーブ基金の活動資金になる。ただ、資金を確保していく以上の価値がこの活動にはあるという。

「オイルや石鹸を手に取ることが、豊島事件やオリーブ基金の活動を知ってもらうことにもつながると思うんです」

「これらで大きな利益を上げていくことはむずかしいですが、当時のことを知る人が減るなかで、豊島で、豊島に暮らす人たち自身の手でつくり続けることが非常に大事だと思っています」

豊島にあるオリーブ園はおよそ1ha。これらを、3人の作業員さんと清水さんで管理してきた。

現場で作業を一緒にすることもあるけれど、事務局のほかの仕事もある。清水さんはこれまで栽培カレンダーに基づいて、作業員さんに作業を依頼してきた。

ただ、作業員さんの高齢化も進んでいる。新しく加わる人には、栽培計画を立て、作業員さんとともに現場作業に加わってほしい。

「オリーブ栽培がさかんな小豆島に研修に行ったり、逆に小豆島の方が豊島へ指導に来たりすることもあります。学ぶ気力があれば技術はどんどん身につけていける環境だと思います」

「体力は必要ですね。夏場には水やりもあるし、刈り払い機であちこち草刈りします。畑の整備でチェーンソーやユンボを使うこともあるし、収穫したオリーブはその日のうちに搾油しないといけないので、朝から晩までみんなで働き詰めになります」

カレンダーでは年間の作業が細かく決まっているので、初めて経験する人でもいつ、何をすればいいのかは比較的わかりやすいと思う。

課題はたくさんあるので、基盤さえ整えば、興味に応じて挑戦もしていける。たとえば、年間の収量を安定させるためのデータ取得と栽培計画の作成や、病気の木の植え替え、除草剤を使わない栽培方法の実践など。

どんな方向に進もうとも大切なのは、作業をともにする作業員さんや事務局との関係。

「寄付で植えられたものだから、責任を持って育てないと!という想いで、最初に作業に加わってくれた島の人がいて、その人が仲間を連れてきてくれて。人と人のつながりで続いてきたものなので、島の人との関係は大切にしてほしいです」

「小さな島なので、プライベートと仕事を分けづらいかもしれません。逆に人との距離が近いから、なにか困ったことがあればサポートしてくれることもある。島の人も私たち事務局もそんなスタンスで歩んできたので、誠実に向かい合ってくれる人に来てもらえるとうれしいです」

 

実際に作業をしている島の方にも話を聞かせてもらった。

長年活動している島の人に誘われてオリーブ栽培に関わるようになったという、美山さん。「緊張するわぁ」と言いながらも、これまでを振り返りながら自分の言葉で話してくれる。

「オリーブの栽培はやったことなかったけれど、実家が農家やし、なんか重なる部分はあるなと思うんです」

「剪定がいちばんむずかしいんですよ。それで育ち方がぐっと変わるから技術もいる。続けているうちにちょっとずつコツがわかるようになってきて、だんだんオリーブの木が好きになってきたね。頑張って成長している姿を見ていたら、可愛く思えて」

清水さんが着任したばかりのときは「おとなしいイメージやった」と、美山さん。

「でも、もう長い付き合いなので、そんな緊張することはないです。オリーブ畑の開墾とか作業を一緒にしたり、ご飯を一緒にしたりするなかで、だんだん人柄も掴んでいけたからね。むしろ最近は怖いね。お酒ばっかり飲んで、って怒られるから(笑)」

清水さんをはじめ、事務局とのエピソードを話す美山さんから、自然と笑みがこぼれる。

新しく加わる人は、どんな人がいいでしょう?

「長続きする人。作業をすべて覚えるのは簡単じゃないので、一つずつ作業を一緒にやっていって、技術を身につけていけたら。研究熱心な人だと楽しいと思う」

「まあ、島を好きになってくれる人が来てくれるのが一番。一人暮らしのお年寄りがいたらちょっと声がけ行こうか、みたいにお互い助け合う雰囲気がある島なので、そのあたりを気に入ってもらえるとうれしいね」

 

オリーブの花言葉は、平和と知恵。

豊島の痛みを祈りに、そして社会がより良くなるように。力を発揮したいという人を、お待ちしています。

(2022/7/7 取材、2022/12/20 更新 阿部夏海)

※撮影時はマスクを外していただきました。

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