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おごそかで、ほがらかな神社

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

「命というものが、草木水にも存在している。自分以外の命に活かされている。人間が中心ではなくて、ほかの生きものと一緒に生きているという感覚を持つべきだと、神道は教えてくれるんです。そうだな、ナウシカを見て感動できる人だったら、一緒に働けると思いますよ」



神社って常に緊張感のある場所なのかと思っていましたが、ここで出会ったのは、肩の力が抜けた、ほがらかな人たちでした。

常陸國總社宮(ひたちのくにそうしゃぐう)は、茨城県石岡市にある神社です。

茨城県が常陸国と呼ばれていた約1300年前、国中のあらゆる神様に祈りを捧げるためにつくられたのがこの神社。

長く続いてきた伝統を大切にしながらも、この場所を活かすことを考え、行動し続けてきました。

さらなる挑戦のために募集するのが、一緒に神社という場づくりをしていく人。

ライブの開催やセレクトショップの運営など、やってみたいアイデアは広がっています。神社のイメージにとらわれず、柔軟に考えて、自分から動いていける人を求めています。

経験や知識は問いません。

まずはこの場所、そしてここにいる人たちを紹介したいと思います。



石岡は、茨城県の真ん中あたりにある町。

車だと都内から1時間ほど。国道6号線を北上していくと、関東平野にそびえる筑波山がだんだんと近づいてくる。

商店街を抜け、常陸國總社宮の駐車場で車を降りると、道端でクワガタが出迎えてくれた。

鳥の声を聞きながら階段を上がり、静かな境内に入る。

まずは神様に、取材をさせていただくご挨拶。

境内のなかには本殿のほかにいくつも建物があって、酒造の神様や火の神様など、それぞれに神様の名前が記されている。

「いらしてくださってありがとうございます。今日はよろしくお願いします」

最初に話を聞いたのは、禰宜(ねぎ)を務める石崎さん。ここで働きながら、研究者として大学で教えていたり、ライターとして活動していたりもする方。

「父が代表者である宮司で、私は跡取り息子として育ちました。当時は神職が父一人で、お参りに来る人はそう多くなかったんです。父が引退するころに交代すればいいかな、くらいの感じで、私自身は研究者を目指していました」

大学で学んだのはヒンディー語や、インドと日本の関係史など。卒業後は出版社で編集の仕事をしながら、大学院に進学するための学費を稼ぐ生活を送った。

お正月やお祭りの時期に手伝いに帰ってきたり、将来を考えて神主の資格をとるために実習を受けたりするようになり、少しずつ神社に対する考え方が変わっていった。

「いろいろな神社を見せてもらうなかで、神社でできることがもっとあるんだと知りました。研究職と両立しながらやってみたいと思って、こっちに戻ってきたのが15年前のことです」

約1300年前、茨城県が常陸国と呼ばれていた頃、石岡は国の中心として政治などが行われる国府が置かれた場所だった。

その国府にある神社として建立されたのが、常陸國總社宮。

国中のありとあらゆる神様が集まっていて、祈りを捧げることができる。

「これだけストーリーがあるんだから、うちの神社はもっとポテンシャルがある。よりきれいな所作で儀式を行うこと、境内が美しく清浄に保たれていること。誰が来てもおごそかな雰囲気を感じられるようなことが、我々にもできるはずだって思ったんです」

帰ってきて最初に取り組んだのは、境内を清浄に保つための草むしり。

さらに編集の経験を活かして、SNSの運営や会報誌を発行することで、神社について知ってもらう機会を増やしていった。

「神道ってアミニズム、自然に宿る神様に祈りを捧げるところからきています。常陸国のあらゆる神様がいるということは、常陸国の自然そのものがこの神社にとっての神様だろうって、奉仕するなかで考えるようになりました」

「この小高い丘から神様が向いている方向を見ると、左側には霞ヶ浦、右には筑波山が見えます。まさに常陸国の中心で、一番眺めのいいところに神社がある。それはすなわち、美しい自然であったり、恵みに対する感謝を捧げる場所なのだと感じています」

大きな転機になったのは、手塚治虫さんとコラボしたお守りや絵馬をつくったこと。

「常陸国風土記に、常陸国の自然、まさにこの場所のことが書かれていて。2013年に編纂1300年を迎えるにあたって、なにかできないかと考えていました」

「常陸国風土記にはヤマトタケルノミコトが登場するんですが、彼が腰掛けられたという伝説の石がこの境内に残っています。ヤマトタケルノミコトって手塚治虫の火の鳥に出てくるよね?ということで、プロダクションに相談してみたら、トントン拍子で話が進んだんです」

ちょうど御朱印ブームが盛り上がり始めたタイミングも相まって、次第に、県外からもこの場所を目指してやってくる人が増えていった。

その後もヨガの講師やミュージシャンを招いてイベントを開催したり、アート作品を展示したり。試行錯誤を続けてきたそう。

「なんでもいいというより、この場所でやる意味があることかどうかを大切にしてきました。神社って昔からずっと同じことをやっているように思われがちなんですが、これまでも時代時代に応じて新しいことをやってきたから続いているはずです」

「なにかしなければという使命感と、おもしろいほうがいいよねっていう自分たちの楽しみとで進んでいます。アイデアがくだけすぎていて、心配されることもあるんですけどね。神道の考えを大切にしつつ、現代の暮らしに合った提案をしたいという気持ちがあります」

参拝者が増え、さまざまな挑戦をする土壌ができつつある今、どんな人を募集するんでしょう。

「この場所の可能性を広げるためにできることは、まだたくさんあると思っています。新しい風というか、仲間が必要なんです」

将来的なアイデアのひとつとして出ているのが、神様が“集まる”場所で、茨城のものが“集まる”セレクトショップを開くこと。

ほかにもこの場所を活かせるアイデアがあれば、積極的に形にしていきたい。

「ゆくゆくは神主さんになりたいという方でもいいですし、ならなくてもかまいません。神様のための場所ってどういうことっすか?ってくらいでも、神社という場所を良くする、おもしろくするっていうことに関心を持ってくれる人だったらいいですね」

想像よりハードルが低くて、なんだか肩の力が抜ける。

石崎さんにとって、神社ってどんな場所ですか。

「真面目に言うと、神様を崇める場所であり、我々は神様にお仕えしている人です。神様という見えないものを信じて、祈りを捧げて、いいことを生もうとする。そこにはすごくポジティブな心意気がありますよね」

「まずは神社に来て、この場所やお祭りを体感してもらう。授与品を手にとってもらう。そういったことを入口に、常陸国、茨城県、神様、風と土と自然に関心を持ってもらえたら。格式と親しみの両方を育てていきたいと思っています」



そんな石崎さんのもとで7年前から働いているのが、権禰宜(ごんねぎ)の橋本さん。

「今昔物語とか説話集とか、昔話に興味があって、文学部に入ろうと思っていたんです。いざ受験っていうときに、選択肢のなかに神道文化学部って書いてあって。こっちのほうがおもしろいんじゃない?って、うっかり丸をつけたら、受かってしまいました」

おだやかな雰囲気の橋本さん。

神道について学ぶなかで、関心が強くなっていったそう。

「大学を卒業してから、一度は別の仕事を選びました。だけど、やっぱり神職をやっておけばよかったなって思い直してしまったんです。もっと知りたいし、知らない人に伝えたいって。大学に相談したら、ちょうど家の近くで募集してるよって話をいただいたのが、この神社だったんです」

「私は大学で、常陸国風土記の勉強をしていました。それで、勤める前に偵察がてら来てみたら、常陸国風土記にまつわる絵馬が置いてありました。これは入ってみるべきなんじゃないかと、そのまま奉職しました」

日々の仕事は神様に毎日のお供えものをする日供祭(にっくさい)にはじまって、掃除、ご祈祷、お供物の発注や会計処理、巫女さんの指導など多岐に渡る。

ときには結婚式で雅楽を演奏したり、お祭りで司会のような役割を担ったり。氏子青年たちの集まり「ひたみち会」の事務局として動くのも、橋本さんの仕事。

祝詞(のりと)と呼ばれる、神様にお祈りするときに奏上する言葉も、自分たちで作文している。

決まった文言を読んでいるわけではないんですね。

「そうですね。最近でいうと、御田植祭というお祭りの祝詞を新しくつくり直しました。今まで田んぼに大勢で集まって田植えをしていたのですが、コロナもあって、今回は境内のなかに小さな田んぼをつくったので、神様に報告したんです。私は常陸国風土記を多くの人に知っていただきたいので、そのフレーズを入れてみたりしました」

思いがけず飛び込んだ神道の世界ではあったものの、仕事を楽しんでいる様子の橋本さん。

神様にお仕えする信仰心みたいなものって、どんなふうに育んできたんだろう。

「今でも『うわー自分なんかがこんな仕事してる。不思議だな』って思うことはありますよ。私たちは神様が見えているわけではないので、本当にいるんだろうかとかと悩むことは、誰でも一度はあるんじゃないかなと思うんです」

「神様は見えないですけど、神社がここにあって、昔から祈ってきた人はいるんですよね。祈りの歴史みたいなものを未来につなげるのが、今の神職の役割なのかなと思っています」



最後に話を聞かせてくれたのは、橋本さんと同じ権禰宜として働いている石塚さん。

「僕の父が、秋田県の神社の生まれです。父は神職をしていませんでしたが、父の実家の仕事をたまに手伝うなかで関心が芽生えました。本屋で働いたり、歯科技工士として働いたりしたんですが、次の仕事を考えたとき、ほかの選択肢が浮かばなかったんです」

実家はここから自転車で10分。

お正月にお参りにきたり、お祭りには遊びに行ったりと、常陸國總社宮は身近な神社だった。

4年前に働きはじめてからは、日々さまざまな仕事に取り組みながら、境内を整備する力仕事や、イベントごとのチラシのデザインなどを担当している。

「波があって、お祭りの多い時期はやっぱり大変ではあります。それでも季節が巡っているのと同じように、仕事が一年周期で巡ってくるのが、なんだか自分には合っているんです」

一つひとつの質問に、丁寧に答えてくれる石塚さん。

仕事のなかで、どんなことをしている時間が好きですか。

「祭典で奉仕しているときは、緊張するけれど好きですね。あとは、境内でいろいろ作業して、ふっと立ち上がったとき。周りに人がいなくて、見上げたら木があって、空が見えて。すごく神社らしい場面だと思います」

「自然は、仕事をしている間は片付けなきゃっていう相手なんですが、ふとしたときに感じられるというか。木の肌とか、砂利の感じとか。信仰とどう結びつくのか、うまく言葉にできませんが、なにか、通じるところがあるような気がしています」

地域の人たちとの関わり、次々とやってくる行事、寒さ暑さのなかでの仕事など、大変なことはきっと山ほどあるはず。

それでもここには、なんだかおだやかで、前向きな空気が漂っているように感じました。

一緒になにかできるかしれない。

そう思ったらぜひ一度、境内に足を踏み入れてみてください。

(2022/7/11 取材 中嶋希実)

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