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「対馬に勝る地域はないんじゃないかって思うんです。自然もそうだし、歴史も人の暮らしも。どこを切り取ってもおもしろいんですよね」
対馬里山繋営塾は、観光を切り口に、地域の「営み」を後世へ「繋ぐ」ことに取り組んできた一般社団法人です。
舞台となる対馬(つしま)は、人口2万8千人弱の島。
北海道と沖縄を除けば、面積は国内の離島のなかで3番目に大きく、東京23区よりも少し広い。釜山までの最短距離は49.5kmで、韓国のまちなみや花火大会が見えるスポットもあるそうです。
大陸との交易の歴史や、独自の生態系、その特殊な環境で紡がれてきた文化や人々の暮らし。この島の「営み」に目を向け、旅人や次世代を担う人たちと繋いでいくコーディネーターを募集します。
3年以内には、ビジターセンターのような機能をもつ拠点の立ち上げを予定しているほか、自然体験や農村体験を主軸とした学童保育の開設準備も進んでいます。
「やりたいこと、やらなきゃいけないことはもっとあるんです」と、代表の川口さんは話していました。
この島に夢中になって、営みを繋いでいくためならなんでもしてみたい。読み進めて、そんな気持ちになってくれる人がいたらうれしいです。
長崎空港からプロペラ機に乗り、30〜40分のフライトを経てあっというまに対馬空港へ。
着陸間際、窓の外に見慣れない地形が姿をあらわす。別世界に来たようで、気持ちが自然と高まってくる。
空港から車で北へ約1時間。対馬里山繋営塾の事務所は志多留(したる)という集落にある。
代表の川口さんは、集落を取り巻く環境や人々の暮らしに惹かれ、ここに拠点を構えている。
出身は青森県。以前は生き物の研究職に就いていた。
「大学で研究にすっかりはまって、ドクターまでとりました。特定の生き物の研究を狭く深くやっていくのは、たしかに楽しいんです。でも、これで生き物や環境の保全に貢献できているんだろうかって、もやもやしちゃって」
生態学の知見を、実社会に還元していきたい。
そのフィールドとして2011年に出会ったのが、対馬だった。
最初の3年間は「対馬市島おこし協働隊」として活動。
農林漁業の体験民泊をはじめ、ツアーガイドや環境教育プログラムの企画・運営など、さまざまなことに取り組んできた。
その軸となっているのが、「営みを繋ぐ」という考え方だ。
「対馬の人たちが、脈々と受け継いできた地域の営みを後世に繋いでいきたい。ずっとベースにあるのは、対馬の人の暮らしです」
事務所がある志多留地域は、とくに営みが“濃い”という。
「お茶を自分でつくったり、山や船を持っていたり。ひとりの人にできることが半端なく多いんですよ」
「海山川が全部コンパクトに集まっていて、目の前のあらゆるものを上手に活かして生きる感覚が自然と備わっている。誰のどういう行為によって自分が生かされているのか、実感を持ちやすい環境だと思います」
かつての日本人は、どのように暮らしていたのか。
どんなふうに自然を捉え、関わっていたのか。
失われつつある文化や風習も、離島という環境だからこそ残っている。
もともとは生き物や環境保全の観点で対馬にやってきた川口さんも、より多面的な「繋がり」を学ぶフィールドとしての可能性を感じている。
「国境の島として果たしてきた役割から平和について考えることもできますし、海辺を歩けば漂着ごみの問題に目が向きます。現場でしか見えないものがあるんです」
「対馬の営みに触れることを通じて、自分と環境、自分と世界のつながりを実感してもらいたい。生(なま)のSDGsを学ぶ場として、こんなに適した土地はなかなかないと思っています」
修学旅行の誘致にも力を入れていて、昨年は100名超の受け入れも経験。
平和学習や環境教育など、学びのコンテンツは今後より充実させていける余地がある。
さらに、これから新たにつくりたいものが2つある。
1つは学童。
みんなで野菜を育てたり、裏山で秘密基地をつくったり、子どもたちがのびのびと過ごせる場所を志多留につくりたい。
そしてもう1つは、ビジターセンターだという。
「対馬では、入山規制や登山中のトイレ事情にしても、自然を楽しむためのルールが整っていないんです。仕組みをつくることも大事だけど、まずは自然に親しむ入り口となる場所が必要だと思っています」
「エコツーリズムの起点としても、今拠点のある志多留は空港や港から遠い。対馬のシンボル的な存在である白嶽(しらたけ)のふもとに、3年以内に新たな拠点をつくりたいんですよね」
2児の母として子育てもしながら、パワフルに事業を推し進めてきた川口さん。直接会ってお話ししてみると、自然体でやわらかな雰囲気がありつつ、内側に熱い想いを抱いていることが伝わってくる。
今回も、熱量やビジョンをしっかりと分かち合える人に来てほしい。
「熱い人が好きな代表ですからね。わたしもたくさん怒られますし、そのぶん、言いたいことも一番言わせてもらっています(笑)」
そう話すのは、新卒で入社して5年目になる藤川さん。川口さんも、「彼女のような人に来てほしい」と信頼を寄せている。
普段の仕事の様子を知るため、島内をガイドしてもらいながら話を聞くことに。
「4〜5人の小さな組織なので、いろんな役割を担ってもらうことになると思います。たとえば修学旅行のコーディネートなら、学校から依頼を受けて行程表をつくったり、体験事業者を手配したり、ガイドもして。最後に請求書をつくって精算するまでを担当しています」
個人や学校などから依頼を受けてガイドする以外に、団体旅行のバスガイドや自社のツアー商品もある。それらの企画やSNS発信なども仕事のうち。
また、繋営塾ではコミュニティバスも運営している。予約対応は主に別のスタッフが担当しているものの、ドライバーの都合がつかない場合はワゴン車を運転することもある。
多岐にわたる仕事のなかでも、とくに今回入る人にお願いしたいことはありますか?
「ツアーのコーディネートをできるのが、今は代表とわたしだけなんです。そこを一緒にやってくれる人がいるとありがたいですね」
車を走らせながら、生き物のこと、風景とその背景にある歴史のことなど、いろいろと教えてくれる藤川さん。
到着した先々でも、紙芝居を片手に詳しく話してくれて、ぐいぐい引き込まれる。
たとえばこんな具合に。
「向こうに見えるのは千俵撒山(せんびょうまきやま)といって、今は木が生えてますけど、かつては全体が草原だったんですね。昔は各家庭で馬や牛を飼っていたので、彼らの食糧となる草を大量にとるために、野焼きをして草原環境を維持していたんです」
「で、ここからちょっとヤマネコの話につながっていくんですけど」
対馬の固有種であるツシマヤマネコ。年々生息数が減っていて、絶滅危惧種に指定されている。
「千俵撒山が草原だったころは、ヤマネコもたくさんいたって地元の人はおっしゃるんですよ」
へえ、おもしろい! でも一体、なぜなんでしょう?
「名前からして山奥にいる印象があるかもしれませんが、じつはヤマネコって里山の生き物なんですね。人の近くに暮らす動物なんですよ」
「あそこが草原であることで、バッタなどの虫もいっぱいいますし、その虫を食べにネズミのような小動物や、キジもやってきます。そのどれもがヤマネコの好物なんです」
ただ、馬や牛を飼う人は減り、千俵撒山を草原にしておく必要がなくなった。結果として、ツシマヤマネコの生息に適した環境はどんどん減っているという。
ヤマネコの暮らしと、人の暮らしは繋がっている。
保全を考えることは、人の暮らしを見つめることでもある。その繋がりに目を向けた好事例のひとつが、佐護ヤマネコ稲作研究会の取り組みだ。
9割が山地に覆われた対馬では珍しく平地が広がる佐護地域では、減農薬でつくった米を「佐護ツシマヤマネコ米」としてブランド化し販売。収益の一部をヤマネコの保全に取り組むNPOに寄付する仕組みができている。
「わたしも感動したポイントのひとつが、地域ぐるみで活動しているところです。自然やヤマネコを守るだけじゃなくて、地域の経済循環や営みのなかにちゃんと組み込まれている」
「保全って、暮らしのなかに根付いてこそ達成できることなんだなということを実感するんですよね」
代表の川口さんと同じく、生き物が好きでこの仕事に就いたという藤川さん。
ガイドの手法は、どうやって身につけたんだろう?
「最初は先輩ガイドの言葉をすべて文字起こしして、覚えていました。そのうちお客さんから質問があって、それについて調べたり話したりしながら、『いやこの順番じゃわからないよな、こっちにしよう』とか。アップデートを続けてきた感じです」
「もともとは歴史が苦手で。学校の勉強とか、全然頭に入らなかったんですよ。でも話さざるをえない状況に置かれて勉強するうちに、おもしろいなって。どんどんハマっていきました」
知識はあとからいくらでも身につけられる。
それよりも、話すことが好きで、人の話を謙虚に聞ける人が向いている仕事だ。
「なんでこう話せなかったんだろう、このお客さんだったらこっちの話をするべきだったよな、とか。毎回反省があります」
オンオフの切り替えも、むずかしそうですよね。
「そうですね。ツアーでお客さんにヤマネコを見せたいから、仕事終わりに自分で見つける練習をしたり。登山ガイドの前に週末登りにいこう、神社の下見に行っておこうとか。それがわたしは苦じゃないんですよ。生活のなかに仕事がある感覚です」
この仕事で、藤川さんがとくにおもしろみを感じるのはどんな部分ですか?
「一般の人の歴史って、次の時代に残っていかないじゃないですか。でもここでは、観光を通じて人の営みを繋ぐことに関われる。そこが一番おもしろいですね」
この日は、体験民宿のひとつである「民泊恵」に泊まらせてもらいました。
川口さんと藤川さん、そして家主の平山さんと一緒に食卓を囲む。
もともと土建業をしていて、今はアスパラ農家が本業の平山さん。廃校の活用に関わったり、地区の区長を務めたり、地元の人と移住者を繋いでまちを盛り上げようと取り組んできた。
そんな平山さんが、ご飯を食べながら話してくれたことが深く印象に残っています。
「ある土木工事の仕事で、浜を整備して。その浜はウミガメの産卵場だったんですね。ただ、翌年からはぱったりウミガメの姿が見れなくなってしまった。自分たちが生態系を壊してしまったんです」
「今、地域のため、保全のために活動しているのは、そういう過去があるからなんですよ」
おいしいもの、すばらしい風景、心おきなく話せる時間。
それもいい。だけど、それだけじゃない。
課題も魅力も、手の届く範囲にゴロゴロと転がっている環境だからこそ、伝えられること、そして自分自身も学べることがたっぷりあると思います。
この営みを後世に繋ぐひとりになってください。
(2023/5/8 取材 中川晃輔)