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人生にはいろいろな選択肢があります。
自分はこれがしたい、と決めている人もいれば、まだわからないけど目の前のことをしている、という人もいる。それは働き方だけでなく、住む場所や暮らしについても同じだと思います。
決めている人も、まだわからない人も。まずは3年間、なにか一つを選んで、試してみる。
そのなかで自分のやりたいことに確信を持つことができるかもしれないし、気づいていなかったやりたいことに出会えるかもしれません。
舞台となるのは、岩手県洋野町(ひろのちょう)。
今回は、木工職人見習いや酪農支援員、空き店舗の利活用担当、観光推進担当、新規事業の企画提案など、ぜんぶで13職種の地域おこし協力隊を募集します。
仕事内容はさまざま。洋野町に興味がある人はもちろん、一つでもおもしろそうだと思ったものがあれば、ぜひ読んでみてください。
洋野町へは、まず東京から東北新幹線に乗って八戸に向かう。
八戸からJR八戸線で海岸沿いを南下すること1時間。洋野町の中心地、種市(たねいち)駅に到着。
まちを歩いていると、海の方向に抜ける道からはきれいな青い光が目に飛び込んでくる。
向かったのは、駅から歩いて5分ほどの場所にある、一般社団法人fumotoの事務所。
fumotoは5年前に設立された組織で、主に洋野町の地域おこし協力隊の活動サポート事業をまちから受託している。
なかで作業している人に挨拶をしながら奥のスペースへ。
「おひさしぶりです。何度も来てもらっているので、会ったことがある協力隊の人が多くなってきましたよね」
迎えてくれたのが、fumoto代表の大原さん。
取材をするのは5回目。5年前に大原さんがfumotoを立ち上げる直前に取材させてもらって以来のお付き合いだ。
やさしい口調で話してくれる方で、いつでも自然体なのが魅力的な人。
fumotoの立ち上げから5年。一つの区切りを迎えているのかなと思ったんですが、どんな感触でしょう。
「そうですね。たしかに一つの区切りかなとは思っていて。引き続き協力隊のサポートはしつつ、ちょっと新しいことなんかも考えています」
「たとえば空き家を使ってお店をつくる、とか。この5年でそんなことも考えるようになりました」
もともと洋野町の協力隊としてまちにやってきた大原さん。
活動中、役場以外にも気軽に相談できる存在があればいいという思いから、協力隊の任期後もまちに残り、fumotoを立ち上げた。
ここ数年は協力隊のサポート以外にも、関係人口を増やすための事業やツアーのコーディネートなど、さまざまな仕事を任されるようになっている。
「ほかの地域の仕事も増えてきています。近隣市町村の協力隊募集をお手伝いしたり、岩手県の地域おこし協力隊ネットワークを立ち上げて、そこで自治体の担当者さんに協力隊を受け入れるための研修をさせてもらったり。任せてもらえるのはありがたいですよね」
協力隊の3年が終わったあとどうするか。大原さんはそこまで一緒に考える必要があると感じているそう。
大学を出たばかりの若い人から、長い社会人経験のある人、デザインや建築のスキルがある人など。さまざまな人が協力隊として移住している。
「やりたいことが決まっている人も、そうでない人も。どちらも来てくれていいと思っていて。どっちもまちを盛り上げるために必要な存在なんです」
募集する協力隊は、全部で13職種。今回は協力隊OGなどを含む3人の方に話を聞くことに。
最初に紹介したいのは、木工職人の下道さん。地元が洋野町で、東京で働いたのち10年ほど前に戻ってきた。
「木工職人になりたいとかは全然思っていなくて(笑)。東京で5年くらい働いて、戻ってきたときに何しようかなっていろいろ探したら、たまたま『大野木工クラフトマン養成塾』というのをまちが開いていたんです」
クラフトマン養成塾というのは、お給料をもらいながら3年かけて、地域の工芸である大野木工の製作技術を学ぶことができるというもの。今回の協力隊募集でいうと、木工職人の枠に近いものだ。
木工に興味をもったのはどうしてだったんでしょう?
「昔から祖母に手先の器用さを褒められることが多かったんですよね。『てどがいい』って。手際がいいみたいな意味なんですけど。それで自分は器用だと思って生きてきたので、木工もできるんじゃないかって」
実際チャレンジしてみてどうでしたか。
「1日目に、まず道具を自分でつくるんですよ。鍛治打ちっていうんですけど、鉄を熱して打って、木を削るための形に曲げていく。それがもうすごいきつくて(笑)。思ったところに打てない。今でも苦手ですね」
「そのあとは、荒く形にしたものを製品に仕上げる作業をひたすらやるんですが、これは結構できている感覚があって。力仕事もあるので、そこは覚悟が必要かな」
卒業後は自宅の横に工房をつくり、主に依頼された大野木工の製品をつくりつつ、デザイナーと組んでオリジナルの作品も製作している。
「やればやるほど今が一番下手だな… って思っちゃうんですよね。経験を重ねることで、下手さがわかってくるみたいな。ああ、まだまだなんだなっていうのをひしひし感じています」
「一番大事なのは道具です。研修中も『道具と段取り』が大事だって、よく言われました。最初はわからなかったけど、独立してからすごく感じますね」
木工職人の協力隊として入る人も、下道さんのように職人のもとで一から学んでいくことになる。
道具づくりから最後の塗装まで、一通り学ぶことができるので、下道さんのように3年後独立することもできるし、それ以外の道を選んでもいい。
下道さんも「いつでも相談に乗りますよ」と心強い言葉をくれた。
「独立するとなると、つくるだけじゃなくて売らないといけないので、コミュニケーション能力が必要になりますね。売り先を探したり、外部の人と協力して作品をつくったり」
「大野木工は基本的に日用品として使うものなので。飾り物じゃなくて、使うもの。その感覚は大事だと思います。やっぱり自分がつくったものをいいって言ってくれて買ってもらえたら、すごくうれしいですよ」
木工職人の協力隊に興味がある人は、下道さんに相談するといいと思う。任期中のことも、任期後にどのように生活を成り立たせるかも、いろんなアドバイスをくれるはず。
洋野町の地域おこし協力隊のなかでもとくに自由度が高いのが、企画提案型の協力隊。自分が洋野町でどんなことができるかを提案し、それを3年間で実行していくというもの。
その企画提案型で今年から協力隊になったのが、山岸さん。
もともと別の地域で公務員として働いていて、退職後はグラフィックレコーダーを副業にしつつ、民間企業で働いていた。
グラフィックレコーダーを副業で続けられる仕事はないか。それがきっかけで協力隊のことを知り、洋野町の協力隊に応募。
洋野町に決めたのには、大原さんの存在が大きかった。
「副業としてグラレコをしながらでもできるよって言ってもらって。あと個人的な思いで、空き家を改修してゲストハウスをしたいと考えていたんです。この辺りは空き家も増えてきたということで、それにもチャレンジできるならと洋野町を選びました」
「埼玉の川越にちゃぶ台っていうゲストハウスがあって、地域の人たちがご飯を持ちよってご飯会をしたりしていて。そういう場所を自分でもつくりたいと思ったんですよね」
山岸さんが企画提案したミッションは、町外の人を巻き込んだ空き家改修ツアーの開催と、改修後の活用。企画書もグラフィックレコーダーのスキルを活かしてつくった。
「いま手を入れている空き家はfumotoの事務所から徒歩3分くらいのところにあって。1部屋の壁塗りと床がだいぶできたくらい。8月からは、資金調達と広く認知してもらう目的で、クラウドファンディングをやろうとしています」
山岸さんのようにやりたいことがはっきりしている人なら、企画提案型で形にしてみるのもいいかもしれない。
洋野町の住み心地はどうですか。
「海が近くて、海岸もきれいだなっていう印象が強いですね。あと、すごく時間の流れがゆっくりしてるような気がしました。首都圏とかはせかせかしてる感じがするけど、ここは人の流れも時間も、すごくゆっくりだなと思います」
「あとは、fumotoさんがあるので、協力隊が活動するための土台がしっかりしているんですよね。大原さんたちの積み重ねのおかげで、ぼくらも活動しやすくなっています」
暮らしについても、食べ物がおいしい、と山岸さん。洋野町はウニが有名だけれど、ウニだけでなく、海鮮全般がおいしいそう。
「海に行こうと思えば10分ぐらいで行けるし、山とか高原も車で走らせれば20分くらいで行ける。自然が好きな人にはすごくいい場所だと思います」
最後に話を聞いたのは、今年協力隊を卒業して、洋野町役場に就職した後藤さん。
もともと空き家活用の協力隊として、3年ほど前に洋野町にやってきた。
「協力隊の前は、ハウスメーカーで設計の仕事をしたり、ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドに行ったりしていました」
「日本に戻ってきて仕事を探していた時期に、日本仕事百貨も見ていて。そこで地域おこし協力隊のことを知ったんですよね。それで、地方に住むのもいいなって思ったんです」
いいなと思った、というと?
「ニュージーランドで1年生活して感じたのが、向こうの人は仕事が一番じゃなく、生活を大切にしているっていうこと。自分のやりたいことをして、自然のなかで日々を楽しく生きている。夏はみんな海に繰り出して、体を焼きに行ったりして。そういう生き方をしたいなと思ったんです」
「地方でなら、日本でもそれに近い暮らしができるんじゃないかなって。あとは海なし県出身なので、一度海の近くに住んでみたい気持ちもありました」
洋野町に来てみてどうでしたか。
「よかったですね。静かなまちだなって思ったのと、大原さんの雰囲気もよくて。初めて会ったけど、すごく自然体な感じがいいなって」
建築士の資格を持っていたこともあって、当時大原さんたちがDIYしていた今の事務所をつくるのにも大活躍した後藤さん。
「3年間はあっというまでしたね。役場に入ろうと思ったのは、まちがつくる建物とかに関わりたい思いがあったからで。今年の4月から働いているんですけど、ここ最近は町主催のお祭りが多くて慌ただしかったです。でも、今までとは違った視点でまちに関われて、たのしいですよ」
最後に、未来の協力隊になる人に伝えたいことはありますか。
「まずは一度来てみて、そのときの直感を信じるのがいいんじゃないかな。まちの雰囲気もそうだし、大原さんやそこで出会う人も。難しく考えずに、いいなと思うかどうかで」
洋野町の協力隊の人たちは、それぞれの暮らしや働き方をたのしみながら、3年という期間を有意義に使っているように感じました。
長いようで短い3年。支えてくれる人がいるなかで、何をするかはあなた次第。
ぜひ暮らしも仕事もたのしんで、いろんなことに挑戦してみてください。
(2023/8/8 取材 稲本琢仙)