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新しいものって、どうやって生まれていくのだろう。
頭でっかちに考えるばかりじゃなく、遊び心も必要な気がします。
内田工業のみなさんは、真面目に仕事をしながら、遊ぶように働いている人たちです。
主な仕事は、公園や遊具をデザインすること。
グッドデザイン賞を受賞した二人乗りミニシーソー「ビーンズ」を始め、数々のヒット商品を世に生み出してきました。
ほかにも、日本で初めて3歳未満児に対応した公園遊具をつくったり、障害も年齢も関係なく誰もが楽しめる公園の商品開発に力を入れたり、防災公園の提案をしたり。
デザインの力で社会課題にも取り組み、これまでにない商品を生み出しています。
今回は3つの職種を募集します。
1つ目は計画課のプランナー。主に行政からの依頼を受けてオリジナル遊具や空間全体をデザインします。
2つ目は商品企画課のプロダクトデザイナー。公園施設の企画と販売促進を担当します。
3つ目は設計課のプロダクト設計職。提案する製品の意匠や材質、構造を具体的に決めていきます。
安全第一を意識しながら、楽しさにも真摯に向き合っていく世界です。
名古屋駅からあおなみ線で3駅。荒子駅で降りる。
この日は、真夏日。改札を出て歩き始めると、日差しと暑さですぐに汗をかく。途中でコンビニ休憩を挟みつつ、10分ほどで内田工業のオフィスを見つけた。
大きなキャラクターたちが遊んでいて楽しそう。
中へ入り、案内してもらった部屋で待っていると、内田工業のみなさんがやってきた。
まずは専務取締役の内田さんに話を聞く。
「僕の祖父はもともと溶接工として働いていて、そのあと独立して立ち上げたのが内田工業のはじまりです」
はじめは主に機械設備の溶接を手がけていた。あるとき、造園屋を営んでいた兄弟から「手先が器用なら、遊具もつくってほしい」と頼まれつくることに。
徐々に遊具を手がけるようになり、今では売り上げの8割が遊具関連の商品になっている。
「基本は行政案件が多いです。うちの営業が役所さんに出向いて『最近、新しい公園を設置したり、遊具の更新をしたりする予定ありますか』って感じで状況を聞きます」
「直接受注することもありますが、コンペティションになる場合も多いですね」
昭和39年に創業し、約60年の歴史がある内田工業。
これまでに転機があったか聞いてみる。
「僕が入社してからだと、2002年にできた遊具の安全規準ですね」
安全規準ができたことで、どのような変化があったのか。
そんなことを思っていると、計画課でプランナーを務める浅井さんが具体的な話をしてくれた。
「安全規準って、決して遊具の面白さを制限するものではなくて。安全な範囲を決めるものなんです」
たとえば、遊具による自由落下は6歳以上で3メートルまでと決められているそう。
「でも途中で小段をつくって地面に落ちるのを防げば、それ以上の高さの遊具がつくれるわけです」
「これなんかも、そうなっていて」と浅井さんが見せてくれたのは、ネット遊具の写真。
一番高いところで5m。いくつものネットを重ねることで、安全規準を満たしている。
「ここは、沖縄美ら海水族館の隣にある海洋博公園で、もともとネット遊具がありました。公園のリニューアルを機にコンペティションすることになって。弊社も参加することになりました」
プランナーの仕事は、クライアントの要望を形にすること。
コンペティションの場合、事前に審査基準が書かれた配点表をもらうので、何を求められているのか、まずはすべて書き出していく。
地域性をどれだけ表すか。遊具の種類は豊富か。安全性や誰もが使えるデザインになっているか。維持管理の頻度はどれくらいか。
現地に足を運ぶことも多く、担当する公園のほか、地域の歴史や文化を調べることも。
「視察のときに、美ら海水族館にも入らせていただいて。ジンベエザメとナンヨウマンタが泳ぐ黒潮の水槽とか、サンゴと熱帯魚の水槽とか。沖縄の海が再現されていました」
「そこから着想して、僕らは沖縄の海をネット遊具のみで表現することにしたんです」
多種多様な遊具ではなく、ネット遊具にこだわったのはどうしてでしょうか?
「その頃はローラー滑り台が流行っていて、提案される会社さんも多いだろうと予想しました。この場所だからこそ、自分たちだからこそ表現できる空間を提案しないとコンペには勝てない。特徴を出すためにもネット遊具に特化しようと考えました」
ネット遊具は、切り貼りしたり、折り曲げたり、重ねたり、いろいろな造形をつくることができる。
ネットをV字形にして波の形を表現したり、木の周りにネットで弧を描いて海流が渦を巻く様子を表現したり。
浅井さんたちのチームは、3,200㎡にも及ぶ広大な敷地を、さざ波、黒潮、大海原、深海の4つのエリアにわけて、それぞれ異なる楽しみ方ができるように工夫した。
ほかにもトランポリンのように跳ねるネットや、沖縄の海が望めるように高さを出したネットなど、遊び心くすぐるデザインがあちこちに溢れている。
デザインが固まれば提案書を作成する。どれだけ優れたデザインでも、審査する人に伝わらなければ選んでもらえない。
どのように公園の魅力を伝えるか、資料づくりも重要なポイントになる。
今回は、安全面はもちろんのこと、さまざまなネット遊具を設置することで、多様な体の使い方や遊び方もできるようにデザイン。
何より沖縄という地域性を活かし、ここでしかできない公園を表現した結果、見事コンペに勝利した。
「沖縄の案件って、当初予算をオーバーしていたんですよ。でも提案した内容を担当者の方がとても気に入ってくれて、追加で工事の予算がついたんです」
そう話すのは、入社12年目の原さん。商品企画課で、公園施設の開発からカタログ作成などを担当している。
「浅井もそうですけど、『うわ、これつくりたいな、どうしたら実現できるだろう』って、相手の要望以上のものを出す人が社内には多いので、すごいなって思います」
美大に通い、プロダクトデザイナーを目指していた原さん。
ところが当時、世の中では大量生産、大量消費が社会問題になっていた。
自分のつくったものが環境汚染につながるかもしれない。
進路に悩んでいたとき、内田工業に出会う。
「公園施設は、依頼があってから製作する受注生産が基本で、つくりすぎてゴミになる心配もないし、メンテナンスすれば長く使うことができます」
「それとデザインの幅がめちゃくちゃ広い。公園にあるものであれば、ほとんどのデザインに関われる。それだけ多様なデザインができる仕事って、なかなかないんですよ。自分にも合っていると感じています」
これまで特に印象に残っている商品はありますか?
「ひとつは、入社してすぐに開発させてもらったパオスライダーという商品です」
パオスライダー?
「3歳から6歳の子どもを対象にした滑り台です。新しい素材を使った新商品の開発を任されて。まだ1年目だったので、動きの大きい遊具は避けつつアイディアを考えていきました」
「パオスライダーは、生まれて初めて体験する滑り台を想定しています。この製品ができるまでは、1m以上の高さがある滑り台がほとんどで。もう少し幼い子たちに寄り添った、可愛らしいデザインのものがあってもいいと思ったんです」
帽子をかぶった可愛らしいゾウの滑り台。
よく見ると、帽子の部分にバーが取り付けられている。これは安全上、取り付けが推奨されているそうだけど、ただパイプをつけているメーカーも多かったという。
原さんは、見た目も可愛く違和感のないデザインにこだわった。
「当時は社内で『こんな低い滑り台、需要ないよ』と言われることもありました。いざ販売となったときは不安もあったんですけど、すぐに売れて」
「こだわったものだから、どうしても値段は高くなるんですね。それでも選んでもらえたことは、デザイナーとしてうれしかったです」
現在、商品企画課は2人。
年間で15商品ほどを開発し、毎年ジャンル別にカタログをつくる。その際は、チームを組んで誰が何をデザイン・設計するのか、人員の振り分けやスケジュール管理など、プロジェクトを進行する役割も担う。
今回新しく入る人にも、ゆくゆくはプロジェクトのマネジメントをお願いしたい。
でもまずは、一つひとつの商品開発に専念するところから。
内田工業では最近、インクルーシブパークと呼ばれる、誰もが楽しめる公園の実現に向けた商品開発にも力を入れている。
ちょうど昨年、製品群をまとめたカタログも出版した。
「日本ではまだ新しいジャンルなので、本当に遊んでくれるのか。カタログを出しても不安で」
あるとき、期間限定でインクルーシブパークを設置する山口県のイベントへの出展が決まった。
イベント当日、印象に残っているのが、手足が不自由なお子さんと連れ添いのお父さん。
「お子さんは自分だけで体を保持することができないので、車椅子にベルトで固定されていて。通常のブランコだと、乗るのもなかなか難しいと思うんですね」
これまでも、落ちないようにベルトのついたブランコはあった。ただ、それでは親子で一緒に乗れない。原さんたちは、親御さんが子どもを抱えて一緒に乗れるようなブランコをデザインした。
「はじめは表情が硬かったんです。ほんとうに遊べるのかなって思ったのかもしれません。でも親子で一緒に乗ってくださって、お子さんもめちゃくちゃ笑っていたんですよ」
「楽しんでいるお子さんを見て、お父さんの表情もほぐれて。見たときはすごくうれしかったし、周りの社員も泣きそうになっていましたね」
内田工業がインクルーシブパークに力を入れようと思ったのは、日本の現状に課題意識を持っていたから。
それまで障害のある子も楽しめる遊具は、海外からの輸入製品が多くを占めていた。
「海外は敷地も広いので一つひとつの遊具が大きい。公園も寄付金で整備されることが多いので予算も潤沢。すでにインクルーシブパークの整備が進んでいる海外製品が強かったんです」
「でも輸入したら高いし、サイズが合わない場合もある。それだったら、うちが日本に合わせた遊具を開発しようってなりました」
日本人の体型や公園の敷地に合わせて、価格も抑えながら、誰もが楽しめるデザインを実現させた。
国内初の3歳未満児に対応した遊具をつくったり、遊んだあとの片付けや重心移動を学べるブロック型の遊具を開発したり。さまざまな視点から、これまでにない遊具をつくり続けています。
ときに、企画部以外で働く社員の声から新しい遊具が生まれることも。
真面目に働き、遊び心に溢れている。
内田工業にしかできない仕事だと思いました。
(2023/08/02 取材 杉本丞)