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型にはまらない
それが伝統
会津本郷焼の文化を受け継ぐ

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

伝統あるものづくりは、つくる過程やデザインにこだわりがあって、伝統を崩さないためにも、決まった型があることが多い気がします。

けれど、今回の舞台となる福島県の会津本郷では、型にはまらないものづくりが伝承されています。

およそ400年前からまちの産業としてつくられた「会津本郷焼」。

まちを歩いていると、水路や地面の土に「じゃらんかけ」と呼ばれる陶磁器のかけらがちらほら。

よく見てみると、さまざまな色や形をしていて、つくり手の個性が現れています。

その柔軟なつくり方は、会津本郷焼ならではだと感じました。

今回は、会津本郷焼の陶芸家として文化を学びながら、窯元で働く人を募集します。

地域おこし協力隊として、任期中は窯元で技法を学び、その後独立する。

お店に並んでいるお皿やコップを手にとるとき、自分だったらどのようにデザインするだろう。

新しい世界に踏み込むのは不安もあるかもしれないけれど、そんな想像をついついしてしまう人には、きっと向いている世界だと思います。

 

東京駅から郡山駅まで新幹線で1時間ちょっと。そこからワンマン鉄道に乗り換える。

1時間ほどで会津若松駅に到着。さらに10分ほど電車に揺られると、目的地の会津本郷駅に着いた。

まずは、会津本郷陶磁器会館に向かう。

中で迎えてくれたのは、会津本郷焼事業協同組合の松田さん。

本郷焼の振興に関わる事業のほか、町内の空き店舗を活用した地域コミュニティ創出に取り組んでいる。

「会津本郷焼の共通点は、この地域でつくられていることくらいで。手にとるお客さんによって、『会津本郷焼』と聞いて思い浮かべるイメージが違うんです」

そう話しながら、窯元ごとにたくさんの器やコップが並べられた館内を案内してくれた。

会津本郷焼は、およそ400年前、会津藩に尾張・瀬戸の焼物師がやってきたことからはじまる。

当時は陶器のみの生産だったものの、その後佐賀の有田で学んだ磁器職人が技術を持ち帰ったことから、会津本郷は陶器と磁器がともに生産される場所になった。

その後、職人たちがそれぞれの窯を築き、絵付けや焼き付けなど、工夫を凝らした焼き物がつくられていく。

「一番古い窯元だと、青磁、白磁、炭化とか種類がたくさんあって、シンプルな仕上がり。2007年にできた新しい窯元では、会津の民芸品の『赤べこ』をモチーフにした器がつくられています」

会館の中を見ていても、焼き物の特徴はさまざま。本当にそれぞれの窯元が自由につくっているんだな。

最盛期は100以上あった窯元は、現在12。担い手不足が進んでいる。

「やっぱりお金を稼げる業界ではないんです。あと、受け入れ態勢が整っていないことも課題だと思っていて」

「まず、窯元さんがちゃんと稼げる仕組みづくりが必要だなって。そのためには、たくさんの人に知ってもらうことが大切ですよね」

たとえば最近は、町外の展示会やお祭りに組合が出店して、窯元でつくったものを代わりに販売や発信をしている。

たくさんの人に見てもらう機会が多くなると、おのずと購入されることも増える。さらに、担い手も増えてくれるとうれしい。

「ほとんどの窯元さんは家族経営で、一人か二人でつくられているところも多いんです。みなさんこの伝統を残していきたい思いはあるけれど、実際に教えるとなると時間的にもむずかしい」

今回、協力隊として来てくれる人は、20〜30人ほどが働いている大きな窯元で学ぶことになるそう。

3年間、学んだあとはどうなるのだろう。

「ゆくゆくは、独立して会津本郷焼を受け継いでいってほしい。けれど、技術を身につけるのに3年だけでは時間は足りないですよね」

「学んだことを、実践できるような場所があったらいいなと思って、まちに寄贈された空き家を借りてシェア工房にする予定です。数年以内には実現できたらいいなと思っています」

制作場所を確保し、窯を備え付けるにも、お金や時間がかかる。また、自宅を作業場にしている窯元も多いので、そこをそのまま受け継ぐこともむずかしい。

シェア工房には、つくり手が作品を制作できる設備やスペースが備えられ、独立後も作業場として使える予定。窯元にもここを拠点に、引き続き技術を伝えてもらう。

今回来てくれる人は、個々で自由にデザインできる会津本郷焼という文化を未来へつなぐ役割なんだと思う。

 

次に向かったのは、受け入れ先のひとつである「流紋焼」。

「流紋焼」の由来は、「流しぐすり釉に意をそそぎ、千数百度に熱せられた窯の中でうわぐすり釉が熔けて流れ、種々様々な紋様を描くさま」なんだそう。

従業員は30名ほどで、直売所と工房が併設されている。会津本郷の窯元のなかで一番大きい工房だ。

中に入ると、粘土の匂いを感じる。

工房の奥の休憩室で話を聞いたのは、昨年の4月から地域おこし協力隊として着任している佐藤さん。

お隣の会津若松市の出身。大学ではデザインを専攻し、卒業後は仙台で商品の企画、広報やポスターのデザインをしていた。

地元の近くで働きたいという気持ちから見つけたのが、会津本郷焼の地域おこし協力の募集だったそう。

実際に働いてみてどうですか?

「一つひとつの作業工程が多いなと感じました。まず粘土づくりからはじまって、そこから成形して乾燥させて、素焼きして…。それに釉薬をかけてまた焼いて、みたいな」

「始めてから数か月程で、一通りの工程は経験できました。ただ、最初は体が慣れなくて全身筋肉痛になりましたね(笑)」

完成品を見ると細かな作業が多い印象だけど、重い粘土を運んだり、何度も練ったりと、実際は体力も必要だ。

週に4日、朝の8時30分から17時すぎまで。窯元の業務しだいで15時ごろから自主制作や練習をすることもできる。

「最近つくったのは」と紹介してくれたのは、起き上がり小法師。

「大学で起き上がり小法師について調べたことがきっかけで、好きになって。焼物でもつくれたらおもしろいかもって、試作してみました」

「ほかにも、元協力隊の人が近くの施設で陶磁器のかけらである『じゃらんかけ』を活用したアクセサリーを売っていて、休みの日はそこでアルバイトさせてもらって。そこでアクセサリーづくりを教えていただくこともあります」

つくり方や仕上がりに共通項がない会津本郷焼は、つくり手の発想によって自由に彩られる。

自分の好きなものと掛け合わせて、新たな作品づくりも楽しめるといいのかもしれない。

今年の6月に「あやめ祭り」、8月には「会津本郷せと市」というお祭りに参加、つくったアクセサリーをお客さんに手に取ってもらう機会があった。

「お客さんの反応が見られるのはうれしかったですね。普段は黙々とつくっている時間が長いので」

つくるだけでなく、それを発信することも協力隊の任務。

自分がつくった作品が届く瞬間を見るよろこびを感じながら、楽しんで取り組んでいってほしい。

どんな人が向いていると思いますか?

「ちゃんと面倒を見られる人でしょうか」

「冬だと粘土が凍っちゃうこともあるんです。凍ると使えないので、凍らせないように布を被せたり、ビニール巻いたり手間をかける必要があるので、子どもを気にかけるようなきめ細やかさは必要だと思います」

 

最後に話を聞いたのは、佐藤さんと同時に着任した竹内さん。同じく流紋焼で働いている。

もともと東京で洋服のブランドを運営していて、現在もデザインの仕事は続けている。

「会津本郷に来るまでは、徳島県にいて。妻がそこの地域おこし協力隊として藍染をやっていたんです」

「彼女が藍染師として独立することになって。それには藍を育てる畑も、工房も必要になってくる。ぼくもデザインの仕事を続けていきたいと思っていたので、それが実現できる土地を探していたら会津本郷で見つかったんです」

大家さんのご好意もあり、すぐに借りることができたそう。

「地元が会津若松で、この地域が陶芸のまちだということは知っていました。せっかくここに来たんだから、陶芸にも挑戦してみたいと思っていたとき、ちょうど協力隊の募集を見つけたんです」

「洋服畑から来たので、陶芸の世界にいる人からすると邪道ですよね。技術もないのに、新しいものつくりたいって、失礼な気がして。まずはしっかり基礎の技術を覚えていっています」

新しいものにも寛容なイメージがある会津本郷焼。しっかりと基本を身につけながら、自分の個性も織り交ぜていけるといいと思う。

「一番好きな作業はろくろです。むずかしいけどそれが楽しいんですよ」

いずれは、陶芸家として仕事をしていきたいという竹内さん。

ほかの窯元さんのもとへ足を運び、話を聞くこともあるそう。

「小さい産地で、何十年とやっている人たちの技術は本当にすごいんです」

「ご近所の窯元さんとも仲良くさせてもらっていて。そこは作家さんおひとりなんです。自分もこれから陶芸家として自立するため、技術のほかにも作品の値づけとか、いろいろ教えてもらっています」

これからここに来る人も、黙々と技術を学びつつ、それぞれの窯元ものぞいてみると、自分に合うやり方が見つかるかもしれない。

「しつこい性格だといいと思います。毎日ずっとつくっていたい、とか、できるまでずっとやるのが楽しいって感じられる人には合っているんじゃないかな」

 

脈々と受け継がれてきた伝統が、形を変えながら次世代につながっていこうとしています。

自分の得意を活かしたものづくりに挑戦したい。そんな気持ちがあれば、つながれてきたバトンを、自由に形づくりながら未来に残していけるように感じました。

(2023/10/23 取材 大津恵理子)

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