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恩送りの森づくり
半林半Xの暮らし

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

“2011年3月11日、東日本大震災がありました。”

“津波であらゆるものが流されました。最後の波が退いた後、街は消えていました。”

“見回すと山があった。集落の森だけは、震災前と同じ姿で残っていた。”

“「山がある、俺たちはやっていける!」「森と共存しその恵みを受容する在り方を、生き方を森が教えてくれる」と念じました。”

“森が暮らしを立てる。”

“助けられた命を、遺してもらった人生を、森で活かそうと決めたのです。”

岩手・大槌町(おおつちちょう)。

釜石市の北にあり、太平洋に面した三陸沿いのまちです。東日本大震災で津波の被害が大きかった地域でもあります。

冒頭の言葉は、このまちで林業に携わっている「NPO法人 吉里吉里国(きりきりこく)」の人たちの言葉。

今回は地域おこし協力隊として、吉里吉里国で働く人を募集します。

森林整備や薪づくりを軸にしつつ、子ども向けの体験活動の提供など、大槌の自然を未来に残していくための活動をしている団体です。

林業の経験は不問。3年間で林業の知識や技術、資格を習得し、任期後は吉里吉里国とも関係性を保ちながら、半林半Xで生計を立てて暮らしていくイメージです。

 

大槌町へは、東京から新幹線とローカル線を乗り継いで5時間半ほど。

東京からはなかなか遠いけれど、途中の釜石線は田畑や山の間を縫うように走っていくので、ぼーっと車窓を眺めているだけでも気持ちがいい。

釜石駅で乗り換えて、少し北上すると大槌駅に到着。

駅舎は新しくてきれい。駅のまわりも整備されていて、建ち並ぶ住宅も新しい。

駅から歩いて10分ほどの「大槌町文化交流センター おしゃっち」へ。

中で迎えてくれたのは、協力隊のサポート業務を受託している「一般社団法人おらが大槌夢広場」の伊藤さん。自身も大槌町の地域おこし協力隊として活動している。

「新しい建物が多いのは、震災の被害が大きかったからなんです。10年以上経って、ようやく町らしくなってきたという感じですね」

「大槌では協力隊のことを『ちおこ』と呼んでいるんです。地域の人もその呼び方で認識しているので、大槌では『ちおこ』がスタンダードなんですよ」

伊藤さんは岩手の北上市出身。専門学校を出たあと、仙台や東京で不動産や経営コンサル、自治体と組んでの協力隊支援など、さまざまな仕事を経験したのち、約2年前に大槌町のちおこに着任した。

現在は、移住定住促進や、ちおこのサポート業務。ほかにも、耕作放棄地を使った無農薬農業をする会社を立ち上げるなど、複数の仕事に携わっている。

大槌町のちおこには、おらが大槌夢広場が中間支援団体として間に入り、地域の各事業者に派遣されるかたちがある。今回紹介する吉里吉里国は、その受け入れ事業者のひとつだ。

「吉里吉里国で働く人には、3年後は半林半Xの『X』の部分を見つけられるようにサポートしています。ほかのちおこも参考にしながら、自分らしい働き方を考えてもらえたらと思ってます」

大槌町では、現在20人ほどのちおこがさまざまな事業者のもとで活動している。

月に一回は、ちおこ全体で集まる場をつくって情報共有をしたり、それぞれにメンターをつけて面談を行なったり、フォローも手厚い。

「個人的には、まわりの声に流されないで、自分のやりたいことに取り組める人がいいなって思います。ちおことして地域を盛り上げていくとなると、ブレずに行動することが必要だと思うので」

「もちろん、やりたいことはここに来てから探してくれてもいい。そんな人が集まってくれたら、このまちはもっと活気がでるんじゃないかな」

 

どんな人がちおことして大槌町に来ているのだろう。話がひと段落したところで、伊藤さんと一緒に吉里吉里国の拠点へ。

「吉里吉里」というのは地名で、「吉里吉里の人たちがこの地域のために立ち上げる団体なら『吉里吉里国』ではないか」と、震災当時のボランティアの人たちが提案して名付けられたそう。

防潮堤を抜け、海が見えたところで、小屋がたくさん並んでいる場所に到着。ここが吉里吉里国みたい。

周りを見るとたくさんの丸太や薪が積んである。重機もたくさんあって、遠くからは機械で作業する音が。

眼前には海が広がり、後ろを振り返るとすぐ近くに山がそびえ立っている。

「いい景色でしょう。まちも三陸鉄道も海も山も一気に見えて、素敵な場所なんです

そう話してくれたのが、吉里吉里国の二代目理事長を務めている松永さん。

「震災のとき、この一帯はかなり悲惨な状態だったそうです。低地にあった家はなくなって、漁師の人たちは職を失って」

「みんなが避難所に集まっていたときに、瓦礫の廃材をどうにかしようという話になったそうで。それを薪にしようって言い出したのが、吉里吉里国の初代理事長だったんです」

震災前は、漁業が盛んな海のまちだった大槌町。ここに住む人たちにとっては、海が大きな価値を持っていた。

けれど、震災後は一変。漁業が力を失う一方で、振り返ると吉里吉里には森林が変わらない姿で残っていた。これからは、森を活かして生きていくしかないんじゃないか。初代理事長や理事たちはそう思ったという。

「避難所の端っこでは、ずっと焚き火がついていたそうです。みんなこれからどうやって生きていけばいいんだろうって落ち込んでいたけれど、焚き火の炎を見ていると、不思議と心が穏やかになったと」

「薪づくりをしようっていうのも、そこからはじまっていて。今でも吉里吉里国は、薪づくりとその販売が活動の主軸になっています」

瓦礫を薪にしていった後は、山に入って間伐をし、森の整備がメインに。自分たちを助けてくれた森林を次世代に残していくため、「恩送りの森づくり」をおこなっている。

「山に入って、病気にかかった木やこれ以上成長が見込めない木を、何十年後かに使えるように手入れしています。木材として売る目的で林業を営んでいるわけではないので、純粋に森づくりをしているんです」

ほかにも、森の大切さを実感してもらうために一般の人向けにチェーンソー講習を開いたり、森林環境教育をしたり。人材育成にも積極的に取り組んでいる。

「薪割り体験とかも、震災当時の話を聞いてもらう時間とセットで実施しています」

「最近だと、東京の学校の修学旅行生を受け入れました。薪割りをして、震災の話を聞いてもらって。その後は薪を使って防災食をつくってみんなで食べて」

都会の子どもたちにとっては、斧を持つことも、薪を割ることも、火をおこすことも初めてのチャレンジ。この経験は、子どもたちにとって将来きっとどこかで活きるはず。

ほかにも、地域の人向けに毎年開催しているのが、2023年で11回目を迎えた薪祭り。

自作のピザ窯でピザを焼いて振る舞ったり、吹奏楽部の子たちを呼んでステージで演奏してもらったり。

震災当時のボランティアの人たちが再開する場にもなっているそうで、地域内だけではない、関係人口の創出にもなっているようだ。

「林業って、専門的知識もいるし、修行も必要で。その入り口のような存在にうちがなれたらいいなって」

「今の大人世代が、子どもたちに『将来こんな森になるから楽しみに待ってろよ』って渡せたら最高だと思っていて。そんな森をつくっていきたいです」

林業の仕事は、その成果が目に見えてわかるようになるには、100年ほどかかる。未来に向けて仕事をするその姿は、素直にかっこいい。

「昔の人たちが植えたものを、ありがたくいただく、無碍にしない。そんなふうに、森を大切に、寄り添いたいって思える人と一緒に楽しくやっていきたいですね」

 

続いて話してくれたのが、実際に協力隊として吉里吉里国で働いているおふたり。

左から川原田さんと大邉(おおべ)さんだ。

川原田さんの出身は横浜。メーカーで働いていたけれど、コロナ禍をきっかけに自然豊かな場所で生業をつくりたいという気持ちが生まれ、大槌町にたどり着いた。

「ほとんど素人の状態で2022年の4月に来て。1からチェーンソーやユンボの使い方を学んで、伐採や薪づくりをしてます。ようやくおおかたの作業ができるようになったかな」

「そのかたわら、サポート役として伊藤くんの有機農業をお手伝いしたりとか。ゆくゆくは、半林半農みたいな感じで、一次産業を生業にしたいなと考えているところです」

一方で、森林に関する知識を得るために、最近森林インストラクターの試験を受けたそう。林業に必須の資格ではないけれど、子どもたちに山を案内するときなどに役立っている。

「大槌って地形的に山が急傾斜なんです。だから重機とかが入りづらいんですよね。農業も山が近いから日陰が多くて不利で。魚の数も減ってるし、漁業関係者も苦しい思いをしている」

「一次産業が非常に厳しいなかで、まちをどう持続可能にしていくか。逆に言えばチャレンジングな場所だと思うんです。そこが面白いところかな」

暮らしの面では、スーパーやコンビニもあるし、降雪量が少ないことも大きなメリット。冬も雪かきや運転で苦労することがあまりないそう。

「実は山好きかって言われたら、そうでもないんですよね(笑)。わたしみたいなゆとり世代の人間が自然と対峙して生業をつくることが、誰かにとっての希望になればいいなっていう、変な意地なんです」

「なんとなく環境問題とかに関心があるくらいでもよくて。とりあえず一緒に木の勉強しようとか、チェーンソー使って薪をつくろうとか。緩やかにでも仲間が増えてくれば、地域は活性化していくんじゃないかなって。そんなビジョンを思い浮かべています」

 

川原田さんの話を時折うなずきながら聞いていたのが、大邉さん。2022年の7月から協力隊として吉里吉里国で働いている。

「半林半Xって川原田さんも言ってましたが、『X』の部分を見つけるのが一つの目標で。猟師をしながらの人もいるし、建設業をしている人もいる。協力隊は3年しかないので。最近はそれを意識しながら、いろんな資格を取ったりしていますね」

大邉さんも森林インストラクターの資格を取得。ちおこの期間を、独立までの準備期間として使っている。

「ツリークライミング体験を子ども向けにやってるんですけど、木に登ると海がわーってきれいに見えるんですよ。ハイジのオープニングのブランコみたいで、あんな体験なかなかないよなって」

大邉さんは、教育に関する活動に関心があるそう。

豊かなフィールドはそろっているので、林業と教育を組み合わせた仕事をつくることをイメージしている。

「いい土地がいっぱいあるので、まずはキャンプ場をつくって、自分で伐った木を薪として売って。人が集まる場所をつくれたら、大人も子どもも楽しめるし、自然に興味を持ってもらえる。そういうのを目指したいなって思っています」

 

多くのものが失われたまちで、さらなる復興を目指す火が灯っています。

特別なスキルや経験がなくとも。このまちで「ちおこ」としてチャレンジする人たちがいることで、まちが少しずつ、いい方向に進んでいるように感じました。

その一員に加わる人を待っています。

1月11日には、一般社団法人おらが大槌夢広場のおふたりを招いて、しごとバーを開催しました。その様子もぜひこちらからご覧ください。大槌町のさらにリアルな部分を知れると思います。

(2023/11/27 取材 稲本琢仙)

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