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ものが生まれる背景には、その土地や住む人たちの生活も深く関わっています。
今は、オンラインショップを通じて、ほしいものがあればどこでも購入できる時代。
けれど、産地を訪ね、つくられる過程を見たうえで購入すると、同じものでも思い入れはぐっと深まるように思います。
長崎・波佐見町。
「やきもののまち」として知られ、その歴史は400年以上にも及びます。
1995年に建てられた中尾山伝習館は、その名のとおり、波佐見焼の技術を習って、伝える場所。やきものづくりの体験のほか、滞在・観光のために宿泊することもできる施設です。
今回は、この伝習館の管理運営を担う人を募集します。
体験に来る人の受け入れや、宿泊棟の清掃など。施設の管理運営をおこないながら、自らやきもののことを学んで、地域に根付いてもらいたいと考えています。
地域おこし協力隊としての雇用で、任期は最長3年間。お客さんが来ていないときであれば、体験用の窯やろくろなどの設備も自由に使えるそう。やきものづくりに関心のある人にとっては、地域とのつながりや技能を培いながら働ける環境です。
窯元に入って修行するのではなく、自分のペースで学びながら、やきものの文化や魅力を伝えていく。そんなことに興味を持った人は、読み進めてみてください。
羽田から長崎空港まで約2時間。空港からは、レンタカーを借りて大村湾沿いを北へ進んでいく。
30分ほど経ったところで海沿いを離れ、内陸へ。波佐見町は県内で唯一海に面していないらしい。
「陶郷中尾山」の看板を潜り抜け、細い路地に入っていく。
このあたりは波佐見焼発祥の地のひとつと言われていて、急な坂道の至るところに20もの窯元などが集まっている。その中のひとつ、光春窯へ。
まずここで、代表の馬場さんに話を聞く。中尾地区の自治会長もしている方。
「わたしはもともと、ここ中尾郷出身で。京都で修行をしたあとに戻ってきて、40年ほど前にこの場所に光春窯をひらきました」
やきものの製造の傍ら、2年前から自治会長を務めている馬場さん。役場が進めている、陶郷中尾山を国の重要文化的景観にするための取り組みにも協力しているそう。
窯業以外にもさまざまな分野で波佐見を盛り上げたり、文化を継承していく必要性を感じている。
伝習館ができたのは28年前。役場と協同で地域全体を陶芸の里にしようと動きはじめたころだった。
窯やろくろを完備しているほか、宿泊棟もあるため、長期滞在も可能。中尾郷自治会が、役場から管理・運営を請け負い、やきものを学びたい、波佐見焼のことをもっと知りたいという人たちに向けて、広く門戸をひらいてきた。
ただ、実際の利用状況を見てみると、観光目的の人がほとんどだという。
役場や観光協会とも話し合いを重ねて、本来の目的である波佐見焼の技術を伝えていく場所にしようと、来年度からは役場が中心となって運営することに。
引き続き、観光客にも来てもらいつつ、本気でやきものを学びたい、波佐見へ移住したいという人たちを呼び込んでいきたい。
そのためには、伝習館の運営方法も見直していく必要がある。これから入ってくる人と一緒に、どんな場や機会をつくっていけばいいか、役場と一緒に考えていきたいという。
「以前、伝習館で『駆け出し陶芸家塾』というイベントをしていたことがあって。全国のやきものに興味がある若者を集めて、伝習館に1週間くらい滞在してもらったんです」
「うちの工房で働いてくれている子も、陶芸家塾がきっかけで入ってくれた人が何人かいて。そんなことも、またやってもらえたらうれしいですね」
役場が主体ではあるけれど、馬場さんも力を貸してくれるとのこと。技術や魅力の伝え方など、知見を教えてもらえるといいと思う。
「波佐見焼ならではの特徴があるので、今回来てくださる方も、どんどん学んでいってほしいです」
役場の方によると、今、伝習館の運営を担っている方は、来年度から新たな道に進む予定。今回募集する人は、その後任となる。
日々の業務は、体験に訪れる人の受け入れと、宿泊受付や宿泊棟の清掃。ときにはお客さんと波佐見のまちを歩くこともあるのだとか。
長期休暇を使って宿泊する人が多いので、夏場やゴールデンウィークなどは忙しくなる。
とはいえ、施設はつねにフル稼働しているわけではないし、その状態を目指しているわけでもない。体験・宿泊の予約がない日には、「駆け出し陶芸家塾」のような企画を考えたり、その広報に取り組んだり。
空き時間には、電気窯やろくろなどの体験用の機器も自由に使えるので、自身の制作を進めてもいい。自分で体験しているからこそ、訪れる人に伝えられることもあるから、この施設をどんどん活かしてほしいとのこと。
宿泊業務に関しては、手伝ってくれる人の雇用も予定している。また、伝習館の運営スタッフ以外にも、波佐見町では数名の地域おこし協力隊を募集中。協力隊同士、それぞれの業務をサポートし合う形を考えている。
自分のやりたいことやビジョンをしっかりと持ちつつ、地域全体のことも視野に入れながら活動できる人だといいと思う。
次に向かったのは、中尾郷から車を走らせて10分弱の場所にある「陶芸の館」。
隣には「やきもの公園」があったり、すぐ近くにはやきもののショップやカフェがあったり。人通りも多い地区。
ここで待っていてくれたのは、波佐見町観光協会の三浦さん。北九州から波佐見に移り住んで、5年になる。
伝習館の運営は、町から委託を受けて観光協会が担う予定。新しく加わる人は観光協会に雇用される形で働くことになる。
基本的には新しく加わる人がメインで運営を考えていくけれど、三浦さんをはじめ観光協会の人たちの知恵も借りながら進められるといいと思う。
「このまちに訪れるきっかけって、まずはやっぱり波佐見焼が一番大きいと思うんです」
「ただ、観光協会としては、まち全体のことも知ってもらいたい。町と協力しながら、自然体験ができるキャンプ場の計画を立てていたり、お土産品の開発にも取り組んでいます」
地域のさまざまな資源を活かして、人を呼び込むことに取り組んできた観光協会。
ただ、これまでは伝習館の運営に直接関わる機会はなかったそう。
「中尾郷にある窯元さんたちから、波佐見焼を受け継いでくれる人が来てほしいという声は、聞いていました」
「一番は、波佐見焼づくりに携わる窯業人材の育成。伝習館を運営していく人が技術を学ぶ場になるといいし、外部からもたくさんの人が集まるような場所になればいいですよね。わたしたちとしては、企画や集客の面で力になれるんじゃないかと思っています」
たとえば、中尾郷にある工房へ声をかけて、週に1回程度、技術を学ぶ陶芸育成の教室を開くとか。企画を考えるうえでも、観光協会のみなさんの知見やつながりは活きるはず。
また、波佐見町には窯業技術センターという専門の施設があり、業務時間外に学べる機会もある。
伝習館にこもるのではなく、外に出てたくさんの人と関係性を築いていく。ものづくりが好きな人にとって、工房から離れる時間は一見もったいないように思えるけれど、そこで得た経験が伝習館の活用や任期後の道につながっていくこともあると思う。
「波佐見には、お世話好きな人が多くて。とくに中尾郷は自治会の行事も盛んなので、参加したらみなさん喜んでくれると思いますよ」
「波佐見の人たちは、頼られることが好きなんですよ」
三浦さんの話を隣で聞いていた、地域おこし協力隊の小橋さんが続ける。移住してきて、4年目となる方。
今、波佐見町の協力隊は小橋さんただひとり。来年度の任期後も、まちに残って活動を続けるそう。
「移住してきたばかりのころは、自分でできることは自分でやるべきかなと思っていたんです。そうしたら『お前は頭を下げなさすぎる。助けたくても、助けられないから、もっと頼みに来い!』って怒られて(笑)」
「そういう考え方もあるんだなって。なので、どんどん頼っていいと思いますよ」
ここに来るまでは、ニュージーランドに25年間暮らしていたという小橋さん。ニュージーランドでレストランなどを経営していたときに波佐見焼に触れたことが、移住のひとつのきっかけになったんだとか。
現在は、波佐見町で古民家活用やキャンプ場の企画運営、波佐見町の情報発信をしている。
「この4年間で、いろんなイベントを開催してきました。今回来てくれる人とも、一緒に何かできるとうれしいなと思っています」
最近、波佐見焼の現状を知ってもらうためのワークショップを開催したそう。
「波佐見焼は量産が基本なので、石膏の型で大量につくるんです。その型が、年間700トンくらい産業廃棄物として出てくる」
「それを減らすために、細かく砕いて農地の土壌改良の肥料にする活動があって。ぼくは植木鉢とか、キャンドルホルダーにつくり変えるような体験教室を開いたんです」
何か企画を立てたいと思ったとき、行政でも地域のなかでも、一緒に考えてくれる人が多いのが波佐見の特徴、と小橋さん。ワークショップの開催にあたっても、さまざまな立場の人が協力してくれたそう。
「協力隊として活動するなら、人脈をつくったもん勝ちだと思います。やきものの文化や手仕事に興味があるとしても、つながりがないと、このまちでものづくりしていくのはむずかしいと思うので」
波佐見焼は、分業制でつくられるのが大きな特徴。ひとつの器をつくるにも、型屋、生地屋、窯元、商社と、バトンを渡すようにして形づくっていく。
得意なことは活かして、難しい分野は人を頼って。そんなふうに成り立ってきた産地だからこそ、ひとりで完結させない意識は何をするにも大切なんだろうな。
400年以上の歴史の中には、この土地の恵みを育んできた人たちがいる。
地域おこし協力隊としての任期は3年。
まずは、このまちの人に頼って、自分の技術を磨く。そこから、どんどん伝えていく。
その時間が誰かの、そして波佐見の活気につながるのだと思います。
(2023/12/21 取材 大津恵理子)