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「今、会社が変わっているタイミングなんです」
取材中、そんな言葉が何度も出てきました。
富士山サーモン株式会社。名前の通り、富士山のふもとで51年間、サーモンを育ててきた会社です。
日々、サーモンの養殖に携わる人を募集します。
働く人は20〜30代が多い、若い職場。みんな未経験からはじめる仕事なので、異業種からの転職も歓迎。
社内ではチームビルディングや業務の効率化を進めているので、これまでの経験や知識を積極的に提案してくれたらうれしい。
自然のなかで存分に身体を動かしながら、次世代の養殖業の仕組みづくりにチャレンジしていきます。
これまで養殖業に興味を持ったことがない人にこそ、知ってほしい会社です。
東京駅から新幹線で50分の静岡・三島駅。そこから車に乗り、富士宮市を目指す。
しばらくして高台から見えるのは駿河湾。さらに走ると、反対側には大きな富士山が見えてくる。
1時間ほどで富士宮の市街地に到着。車窓から景色を眺めていると、思いのほかすぐ到着した。
富士山サーモンの養魚場は、市街地から車で10分ほど山を登った場所にある。
ここまで車で連れてきてくれたのが、代表の岩本いづみさん。おっとりとした雰囲気で、道中もいろんな話を気さくに教えてくれる、話しやすい方。
「うちは昔ながらのタイプの養殖場で、川から水を引き入れるつくりです。すぐそばに湧き場があって、上流にはほとんど人工物がない。純粋な富士山の湧き水で魚を育てているんです」
隣を流れる川からは、ザーッと水が流れる大きな音が聞こえてくる。すぐ近くにはわさび田もあり、本当に水がきれいな土地なんだな、とわかる。
「今は水が少ない時期。冬から春先にかけては、木が芽吹くのにエネルギーを使うので、いくら雨が降っても山に保水されるんです。1年の自然の循環がわかるようになると、おもしろいですよ」
上流から下流へ。この川に並走するように、広い敷地に60面もの養殖池が並んでいる。
最も水が澄んでいる上流には、卵からかえったばかりの稚魚を。成長するごとに下流の池に移動させ、下にいくに連れて魚のサイズが大きくなっていく仕組み。こうすることで、免疫の弱い稚魚に成魚からの病気がうつることがなくなるという。
「サーモントラウト、日本語でいうニジマスは、健康にいいし食べてもおいしい。日本では明治10年から養殖している、歴史ある魚です」
「うちは、アメリカから卵を輸入して、自分たちで孵化させて育てています。稚魚から育てるよりも手間はかかるけれど、ほかの池から病気をもらう可能性がないし、結果的にはこちらのほうがいいんです」
岩本さんのお父さんがはじめた養殖業。富士宮市に2つ、伊豆市に2つの養殖場を持ち、それぞれ異なる成熟度合いの魚を育てている。養殖場の規模は、同業のなかでもかなり大きい。
2007年に代表となった岩本さんは、先代の釣り堀向けに魚を卸す事業から、ビジネスを大きく方向転換した。
「釣り堀の下請けだと、活魚を専用トラックで輸送する必要があって、大変なわりに利益が少ないんです。それに大切に育てても、釣られたあとは廃棄されてしまう。私が代表になってから、一つひとつ営業にまわって、販売先を飲食店中心に変えました」
「あとは餌ですね。安価な餌だと、鶏肉の残渣のようなお肉が使われていることが多くて、魚の体にはあまり合わない。食べ残しやフンで水を汚してしまうんです。やっぱり魚は魚を食べるべきだと思って、国産の魚粉主体の餌をオリジナルで開発しました」
餌の品質は、魚の味に直結する。高級な餌を食べている富士山サーモンは味も上質で、寿司屋さんなど、飲食店からの引き合いが絶えない。
近年はリブランディングを経て、社名ごと「富士山サーモン」に変更。
「下請け業からブランディングをして、自分たちの売りたい値段で売ることができるようになって。生産量は変わらずに、利益率はすごく上がりました。今は、その利益をどう働く人たちに還元するか、真剣に考えています」
「本当に会社が変わるタイミングというか。このワクワクする今を、一緒に味わってくれる方が来てくれたらいいな」
会社の変革のキーマンとなっているのが、岩本さんの息子の修平さん。
普段は、今いる富士宮養殖場から車で15分ほど下流にある、大倉川養殖場で働いている。
修平さんが入社したのは2年前。もともとは大手スポーツブランドのショップで店長として働いていた。
転機は、コロナ禍で海外製品の輸入が止まってしまったとき。自分たちで在庫を持って販売できないことのリスクの大きさを痛感した。
「もともと、ここに入社するつもりはなかったんです。でもあらためて家業を見たときに、自分たちで在庫を管理できる養殖業は、ビジネスチャンスが大きいんじゃないかと思い、転職しようと思いました」
前職でも、在庫管理や売上の分析は得意としていた修平さん。
服と魚では大きく違うけれど、在庫を抱えてお金に変える、その根本の考え方は同じだという。
「稚魚が出荷できる大きさまで育つのに、約2年。いわば2年分の在庫を常に抱えている状態です。餌や出荷量をコントロールしながら、適正量を維持していくのはかなり面白いです」
「自分の経験を活かしながら、長年働くスタッフの技術や知見と合わせて、新しい水産業のあり方をつくれるんじゃないかなと思っています」
毎日の仕事は朝8時ごろ、魚の出荷からはじまる。血抜きをして、1匹まるごと氷を詰めてパッキング。
その後は餌を撒いて、午前中の仕事は終わり。昼休憩後は池の掃除をしてもう1回餌を撒き、17時前後に仕事が終わる。
言葉にするとシンプルだけれど、ひとつの養殖場で100トン以上の魚を抱えているのだから、一つひとつの仕事にはすごく時間がかかる。
たとえば、餌やり。
「同じ月に入荷した卵から、平均100gの稚魚に育ったとしても、そのなかには150gもいれば90gもいます。同じように餌を撒いても、競争で負けて食べられない子が出てきてしまう。なので、頻繁にサイズごとに選別して池を分けて、それぞれがしっかり効率よく成長できるようにしています」
「水面に残っている餌が多いと水が汚れる原因になるので、どれくらい食べられそうか、様子を見ながら撒いていきます。すべて手で撒くので時間はかかりますね、バケツは常に4つくらい抱えています」
水量に対する魚の割合は3.5%。この池であれば、約3トンの魚がいて、そこに与える餌の適正量は1日で30〜40kg。すべての池に撒くと、1日の餌の量は合計1トン近くになる。
思っていた以上に、綿密に数字で管理している。
目の前の魚と向き合うというよりは、俯瞰的に生産を考えていく仕事なんだな。
「おいしい魚を届けることはもちろん大事なんですけど、1グラムでも大きくして、しっかり売上を上げることがマストなので。生産効率を考えることは大切かなと思います」
これまでの社員は、魚の研究をしていた人など、「魚が好き」という理由での入社が多かった。
今回は、魚好きの人のみでなく、異業種から新しい視点を持ち込んでくれる人の入社も歓迎したい。
建て替えたばかりの家具付きの社宅もあり、住居の心配はないので移住者も安心。実際、社員のなかには移住者も多いそう。
商品価値が高まり、経営が軌道に載っている今、会社が次に取り組もうとしているのは、作業の効率化による働き方の改善や、チームビルディング。
外部からサポートも受けながら、会社をよりよくしていこうと取り組んでいる。
「今、うちはスタッフ11人で、ひとつの養殖場には3人前後。会社の土台づくりに関われる経験は、この規模じゃないとなかなかできないと思います。母数が少ないぶん、達成したときのよろこびはきっと大きいんじゃないかな」
「自分が中心となる機会は多いけれど、次を継ぐと決まっているわけではなくて。もっと適任がいるならその人がいいと思っています。自分一人で100%奮闘するよりも、みんなが60%頑張って掛け合わせる会社のほうが強いはずなので。そういうチームをつくりたいですね」
修平さんは、どんな人と一緒に働きたいですか?
「ポジティブな素質を持った人。すっごく前向きじゃなくても、そこは俺らが引っ張っていきたいと思っています。なにか不満があっても、文句を言うだけじゃなくて、改善する方法を一緒に考えていくようなコミュニケーションができたらうれしいです」
「今は、まだあと一歩の状態。前に進む力を一緒に加速させてほしいと思って、誘ったのが山下くんです」
修平さんとともに、チームづくりの中心となっているのが、山下さん。
「学生時代に同じ店でアルバイトをしていて、すごくいい仕事ができたんです。修平と一緒にまた働いてみたい、一度きりの人生だから新しいチャレンジがしたいと思って、ここに来ました」
前職では、新聞社の営業を7年。外回りはあったものの、今の仕事とは身体の使い方が全然違う。
「最初はかなりきつかったです。筋肉がつかない体質なんで、今もパワー的には大変ですね。でも最初は誰だってきついし、やってればだんだん慣れてきます」
とくに大変なのは、魚を池から池に移動するとき。
「フィッシュポンプ」と呼ばれるパイプを通るサイズであれば、機械で吸い上げて移動できるものの、大きくなると一匹一匹を人の手で掬い上げて動かすしかない。
1日でひとり3トンほどの魚を運ぶ、ということもよくある。
「池の面数と、どこにどれだけの魚がいるか。まだ完璧には覚えられていなくて。いつもポケットのメモを見ながらやっています」
「それと、台風や大雨のときは、養殖場に流れ込む水の量を調整しなきゃいけません。普段の水温は11℃だけど、雨水は30℃近い。いつも通りの水量を引き入れると、水温が上がって酸素が薄くなり、魚が死んでしまいます」
豪雨の日は、泊まり込みで見回りをしたり、水門の調節をしたりすることもある。
身体も頭も使うタフな仕事。ただ、そのぶんのよろこびも大きい。
「うちから出荷した魚を初めて食べたときは、すごく誇りに思うというか、やっててよかったなと思いました」
「沼津のサービスエリアにある食堂で、海鮮丼を食べたときかな。もともと、めちゃくちゃ魚が好きなわけではないんですけど、『これが自分たちが育てたやつか、うまいな』って。きっとみんな思うんじゃないかな。自分はめちゃくちゃ感動しましたね」
養殖場を後にし、岩本さんに三島駅まで送ってもらう。
道中、ぽろっと呟いた言葉が印象に残っている。
「毎日単純な仕事なの。でもこれを毎日やらないと、来年売るものがなくなってしまう。この重みがあるんですよね。できる部分は機械化しようと考えているけれど、生きものを育てるんだから、人の想像力は欠けちゃいけないなと思います」
数字も感性も。新たな挑戦も、長年培ってきた知見も。
どちらもリスペクトしながら、この会社はより大きく育っていこうとしています。
自分が手を動かすことが、ダイレクトに会社の未来をつくることにつながっていく。その手応えをはっきり感じられる仕事だと思います。
(2024/4/12 取材 増田早紀)