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夕方、道端で挨拶を交わした人と、夜にスナックで再会する。気づいたらカウンターに座る人たちは顔見知りに。
翌朝、カフェに行くと、昨日のスナックのママとたまたま出会って、一緒に朝ごはんを食べる。
これは、1泊2日の滞在でわたしが体験したこと。
山口県萩市・浜崎町。これが、このまちの日常です。
数珠つなぎのように、人から人へ。自分がだんだんまちに溶け込んで、この土地の一員として「いる」感覚が強まっていく。
そんな生き方を楽しむ移住者たちが、ここには集まっています。
浜崎を舞台に、歴史ある建物を改修して宿や飲食店、イベントスペースなどを運営している、株式会社b.note。
フレンチレストラン・喫茶・ギャラリーの機能をもつ「舸子(かこ) 176」で働く、調理スタッフとサービススタッフを募集します。
経験は浅くても大丈夫。ほかのメンバーとともに、この場所と地域をどう盛り上げていくか、楽しんで考えられる人を求めています。
まずは、このまちで自分らしく生きる人たちのことを知ってください。
瀬戸内海側にある山口宇部空港から、乗合タクシーに乗って日本海側へ。赤い石州瓦の家が特徴的な山あいの集落を抜け、1時間と少しで萩市内に到着する。
タクシーを降りると、潮の香りに包まれる。
「重要伝統的建造物群保存地区」を市内に4つ有する萩市。浜崎はそのうちのひとつで、かつては港町として栄えていた。
今回の目的地である舸子176があるのも港の近く。かつて海産物問屋として使われていた築200年の建物を改修し、2年前にオープン。
以前取材にきたときは、まだ工事中だったこの場所。
中に入ると、まず目に留まる大きなカウンターキッチン。その奥にある客席からは中庭の緑がよく見える。
「この春、前回の日本仕事百貨の記事をきっかけに、和菓子職人が移住してきてくれました。シェフも入ったので、本格的なフレンチを提供できるようになって。この場所をつくったときに思い描いたようなかたちに、やっと着地できた気がしています」
そう話すのは、b.note代表の新井さん。本社のある鎌倉から駆けつけてくれた。
鎌倉の洋館「古我邸」で、2015年からレストランと結婚式場を運営しているb.note。
偶然訪れた浜崎のまちに惚れ込んだ新井さんが、ここで事業をはじめたのが6年前のこと。
土蔵を改修した一棟貸しの宿「閂(かんぬき)168」や、元は金物屋さんだったイベントスペース「廻(かい)69」など、歴史ある建物を改修して新たな場をつくることで、人の流れも生み出してきた。
「ここの人たちって、まちで起きてることは全部自分ごと、みたいな感覚を持っているんです」
「人口が減って建物も朽ちていって、『このままだとまちがなくなる』と心底思うような経験をしたんだと思う。だから僕らの新しい取り組みも受け入れてくれるし、若い人たちが空き家にいるだけで喜んでくれるんです」
これから目指したいのは、自分たちの料理を目掛けて、国内外から訪れる人を増やすこと。
料理は、言葉が通じなくても魅力が伝わるもののひとつだと話す、新井さん。ほかにはない価値を提供できれば、「この店の料理を食べたい」と思う人たちを呼ぶことができる。
食事を目当てに来たけれど、まちもこんなにきれいなんだ。そんなふうに浜崎の魅力を知る人を増やしていきたい。
「言葉や文化が違う、行ったこともない国の人が、わざわざご飯を食べに来てくれる。そういう景色をまちの人たちに見せたいんですよ」
「僕自身が、このまちと人に引き込まれちゃってるから。自分が好きな人たちに喜んでほしいし、驚かせたい。この感覚は、外から浜崎に来て、受け入れてもらった人なら、みんなわかるんじゃないかな」
今回入る人に求めたいのは、まず浜崎のまちを好きになること。そして、今いるメンバーとチームワークよく働いていけること。
「たとえば、まちでお祭りがあるんですよ。うちも出展したらどうかなって提案したときに、いいですねやりましょうって言ってくれる人がありがたい。営業時間を調整したり、特別メニューを考えたり。大変なんだけど、『できません』で終わっちゃう人だと、自分自身も楽しくないだろうなって」
「いろんなことをやる組織だから、必ず誰かとの関わりは生まれてきます。そのときに、みんなに相談しながら実行までちゃんとできる。そういう姿勢で仕事に向かってほしいですね」
人手は足りている状態なので、今すぐに働きはじめてほしいわけではない。
これをきっかけに浜崎に興味を持って、地域との縁をじっくり育てていってくれたらうれしい。
「短い時間を過ごすだけでも、どこか自分の一部がまちに溶け込んでいく感覚があるじゃないですか。100%自分をさらけ出す必要はないけれど、その感覚を楽しめることが第一条件ですよね」
「僕は決して特殊なルートで浜崎の楽しさを知ったわけじゃない。普通に過ごしていれば、楽しいと思える人は楽しいんです。だからこれから来る人たちにも、同じようにこのまちを楽しんで、好きになってほしいと思っています」
現在働くスタッフは5人。調理のほか、菓子製造、ホール、ギャラリーや宿の管理など、横断的に仕事を担っている。
シェフの谷口さんは、今年3月に東京から移住してきた。
舸子176では、それまでカフェ風のランチを提供していたところから、フレンチの経験豊富な谷口さんの入社にあわせてメニューを一新したそう。
「妻の実家の近くに住みたいと思って、萩に来ました。東京と同じようにフレンチの料理人として働けるなんて思っていなくて、移住の大きな後押しになりましたね」
「こっちにきて、食材がおいしいことに驚いて。野菜は一個一個味が濃いし、魚は鮮度がいいから目がきれいで、包丁を入れたときの弾力も違う。東京にいたときよりもおいしいものがつくれている感じがして、楽しいですよ」
ランチは週5日、ディナーは週末のみで、日中は喫茶を営業。一般的な飲食店よりも、ゆったりと働くことができる。
「ディナーのコースは2万円。安くはないし、それ相応のものをお出ししなきゃいけないので、金額分以上の気持ちを込めてつくっています」
「個人的にこだわっているのは肉の温度。温度計で中心の温度を測って、水分が逃げないベストな状態で提供しています」
萩での暮らしはどうですか?
「日の入りの時間が遅いのもあるんですけど、1日が長く感じますね。通勤に片道1時間かかっていたのが、今は5分だし。ディナー営業がない日は夜も空いているので、育児に時間を使えるのも本当にありがたいですよ」
「困るのは、虫がとにかく多いこと。いろんな種類の殺虫剤を常備するようになりました(笑)」
スタッフはほとんどが移住者なので、生活の困りごとなどは相談しあっているそう。
和菓子職人の今安(いまやす)さんは、滋賀県出身。和菓子づくりのほか、盛り付けやホールも担当している。
大学は理系で、植物の研究をしていた今安さん。あるとき和菓子の世界の奥深さに触れ、新卒で和菓子職人の道へ。以前は京都のお店で働いていた。
「前回の記事を読んで、まちに溶け込みながら、やりたいことを形にしているのがすごくいいなと思って。応募したあと実際に来る機会があったんですけど、まちを案内してもらっていると、すれ違う人たちが声をかけてくれるんです。地元の人との共存関係がすごくきれいに成立しているのが印象的でした」
「すぐにでも来たかったんですけど、そのときは自分の技術がまだ足りなかったので、2年間かけてできることを増やして。何度か訪れながら、やっとこの4月に移住しました」
この時期提供している和菓子のひとつが、「四葩(よひら)」という練り切り。
紫陽花の別名で、花びらが4枚であることからついた名前だという。雨粒を模して、砂糖と寒天を煮詰めた露を飾っている。
和菓子がいかに繊細なものか、見た目からも味わいからも伝わってくる。
「和菓子は四季を表現するものなので、自分自身が季節を感じられないと、お客さまに伝わるものはつくれないと思っていて。心にゆとりを持つようにしています」
「早いときは1週間スパンでお出しするものが変わります。この時期を逃したら出せなくなってしまう、というものもあるので、休みの日も和菓子について調べていることが多いですね」
今は、コースの最後に提供するデザートとして、洋風の素材を使ったお菓子を和の技術でつくれないか、試行錯誤しているところ。
この店ならではの挑戦だと思う。
「最初は、フレンチと共存できるのかなっていう不安はあったんですけど、シェフたちからアドバイスもいただけるので、いい刺激になっています」
「ここで働く人たちは、みんな自分の好きなものが中心にあって。フレンチの技法とか、ギャラリーにある焼き物の話とか、多方面からの感性を取り入れて、自分も和菓子を深めていける。ほとんど趣味のように、仕事を楽しめるのはありがたいなと思いますね」
それぞれが自分のやりたいことを軸に持っている。
お互いの持ち味が溶け合うことで、舸子176の唯一無二の魅力がつくられている。
「このまちにいると、自分も何かやってみたいと思うんです」
そう話すのは、1年半前に横須賀から移住してきた大橋さん。萩市内の建築会社で現場監督として働いている。
実は、前回の記事でb.noteの求人に応募。長年建築に携わってきた経験から、新井さんの紹介で、ほかの会社でキャリアを活かすかたちでの移住が決まった。
「古い建築物が大好きなんです。アクセスはあまり良くないし、来るハードルは高い地域だと思うんですけど、そのぶん独自にまちが育っていて」
「博物館的に建物を保存するのではなくて、生活のなかで使いながら保全していく。“生きている”まちで暮らしてみたいという気持ちが強くありました」
舸子176には建物の維持管理で関わっているほか、プライベートで一緒にバーベキューをすることも。
あるスタッフが会社とは別でクラフトビールスタンドを立ち上げたときは、大橋さんが工事を担当したという。
「ひとつの仕事にとらわれない生き方を持っている人が多いので、自分の人生が広がっている実感がありますね。いま自分も、ちょっと家具づくりをやってみようかなと思っていて。このまちでは、会社員というより人として、どう生きるかを問われているような気もします」
大橋さんも、和菓子職人の今安さんも、2年前は違う地域でこの記事を読んでいました。
そこから、今は浜崎で自分の暮らしを営みはじめています。
顔が見える関係性が当たり前だから、窮屈に感じたり、たまには一人になりたいと思うこともあるかもしれません。それでも、このまちの一員であるという感覚は、かけがえのないものとして自分のなかに宿っていくと思います。
単に就職先を見つけるのではなく、自分だけの生き方を見つけに。ぜひ一度浜崎を訪れてみてください。
(2024/6/21取材 増田早紀)