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瀬戸内海に浮かぶ、豊島(てしま)。
清水が湧き出る棚田や、オリーブ畑やレモン畑。おだやかで豊かな自然が広がる、人口およそ750人の小さな島。
瀬戸内海の島々を舞台に開催される現代アートの祭典、『瀬戸内国際芸術祭』の開催地のひとつでもあります。
ここでおよそ50年前に起きた、「豊島事件」。
地元業者によって海岸沿いの砂や土が採取され、その跡地に大量の有害産業廃棄物が持ち込まれました。それらは野焼きされ、「ごみの島」とまで呼ばれることに。
不法投棄を行う産廃業者、それを黙認する行政。豊島の住民たちは意を決して立ち向かいました。
2000年に、廃棄物の撤去を求める公害調停が成立。搬出作業が始まり、現場からすべての廃棄物がなくなったのは2017年のこと。
決着まで実に40年の歳月と、800億円もの莫大な費用を要した、日本最大級の廃棄物不法投棄事件とされています。
失われた緑豊かな環境を取り戻すことで、瀬戸内海一帯を、人と自然とが共存する美しいふるさととして引き継いでいきたい。
その想いから設立されたのが、認定NPO法人瀬戸内オリーブ基金です。
環境保全活動をおこなう団体への助成と、環境教育やボランティアの受け入れなど、環境保護に関する啓蒙活動の企画・運営を軸に活動しています。
今回募集するのは、事務局スタッフ。ボランティアの受け入れを中心に、さまざまな仕事に取り組みます。
豊島に暮らすことが前提となりますが、経験はなくても大丈夫。基金のメンバー、地元の人と協力しながら、想いを継いでいく人を求めています。
豊島は、香川県の高松港、岡山県の宇野港から高速艇 で25分。今回は、岡山から向かう。
船内には、おばあさんから子ども、大きなリュックを背負った旅人の姿も。
20分ほどで港へ到着し島へ降り立つと、かもめの鳴き声が聞こえてくる。
そばにある交流センター で話を聞いたのは、オリーブ基金の理事長、岩城さん。
豊島事件の公害調停において、住民側の弁護団のひとりだった岩城さん。オリーブ基金が発足した2000年から関わってきた。
ふだんは大阪にいるとのことで、オンラインで話を聞くことに。
「豊島事件は『豊かな島を後世に残したい』という想いをもった島⺠たちによって、廃棄物を完全に撤去・無害化するという結果となりました。それは、日本の廃棄物行政の転換点にもなったんです」
転換点、ですか。
「抽象的に言うならば、社会の持続性を考える大きな歴史となった。後先考えずに便利さや豊かさを求め、大量生産・大量消費・大量廃棄を繰り返し、環境に負荷をかけている。いまの社会も、豊島事件と構造は一緒です」
「瀬戸内海は、日本の原風景のような場所なんです。さまざまな海産物に恵まれ、海上交易で⽂化や産業を育んできた。日本の美しいふるさとのひとつとして、次の世代へとつないでいきたい」
豊島事件のような惨事を風化させることなく、二度と起こさないために。
この考えのもと立ち上がった瀬戸内オリーブ基金。豊島事件の意義と教訓を伝えるための環境教育と、豊島を含む瀬戸内海エリアの環境保全と再生に取り組んでいる。
基金の軸となる活動は2つ。
ひとつが、岡山や香川など、 瀬戸内海エリアで環境保全活動をおこなう団体への助成事業。
そしてもうひとつが、「豊島・ゆたかな ふるさと100年プロジェクト」。
不法投棄によって荒廃した瀬戸内海一帯の植生を、もとの豊かな状態にまで自然回復するよう手助けしながら見守る、息の長いプロジェクト。個人や法人のオリーブ基金サポーター がボランティアとして多く参加している。
これから加わる人は、この豊島・ゆたかな ふるさと100年プロジェクトを主導して進めていくことになる。
日々、どう働くのだろう。仕事の様子をぜひ見てほしいとのことで、事務局スタッフのふたりが案内してくれることに。
ひとりが、清水さん。
2018 年に新卒で入社。結婚を機に岡山へ拠点を移し、リモートワークを中心に、月に4回ほど仕事で豊島を訪れている。
実は清水さん、豊島事件の 弁護団をした方の娘さん。豊島へは、幼いころから何度も足を運んでいたんだそう。
まず向かったのが、産業廃棄物が不法投棄された跡地。
ぽっかりと開いた壮大な土地。ごみは、山肌の中腹まであったというから驚きだ。
「想像すると、恐ろしいですよね。ボランティアの活動も、この現場を見学してから始まるんです」
跡地のすぐそばには、フェンスで区切られた、緑が生い茂るエリアがある。
ここはなんでしょう?
「風や鳥によって運ばれた豊島固有の植物の種が、数年の時間をかけて芽吹いた場所なんです。植物が安定して成長するための気候や、土の混ぜ方、成長してから次の植生が育まれるまでのサイクルなどを基金と岡山大学で協力して調査しています」
「仕組みがわかれば、再生の手立ても見えてくる。とはいえ、まだ数年。跡地に緑を植えるとしたら、本来の自然に戻るのは100年、200年先のことになりますね」
自然を破壊するのはこんなにも簡単で、もとに戻すためには、地道で圧倒的な労力が必要であること。
ボランティア参加者は、現場で歴史を学んでから、海岸の清掃や植生の手入れをする。
受け入れは、 年に十数件ほど。気候の安定する春と秋がメインで、多い月には4件のボランティアがあることも。
「自発的に動いていただける方がとても多いので、運営する側としてはとても助かりますね。学んで帰ろうとする姿勢を見るとやりがいを感じます」
これから加わる人が担う役割のひとつが、ボランティアを受け入れるときの、スケジュール作成や民泊の手配。
参加者の作業内容、どこで夕ご飯を食べてどこに宿泊するかなど。地域の人とコミュニケーションをとりながら、一日をコーディネートしていく。
宿泊させてもらう方に名簿を渡しに行くとのことで、ついていくことに。
「今回は、リピーターの方少ないみたいだね」と、島の方。
「そうだね。今回の参加者さんは前回より ゆっくり出発するから、朝は一緒にごはんをつくったり、お話をしたりしてゆっくりして過ごして ね」と、清水さん。
さくっと挨拶だけで済ますこともあれば、1時間近く滞在することも。その場、そのとき、その人に合わせてコミュニケーションをとっていく。
「基本的に、訪問するタイミングはご連絡していないので、いないこともあって。わざわざ電話するよりも、会えたタイミングで『あ!そういえば』って話すほうが、物事が進みやすいんです」
次のお家にお邪魔すると、帰り際になすびを渡される。「もらいます!」と遠慮はいらない。
「子育て、順調?」「子どもって、むずかしいです…」
基金の顔として、ふだんのコミュニケーションはとても大事。人と話すのが好きな人だといいと思う。
島民の方への諸連絡といった準備と並行して、デスクワークも。
助成事業の書類の準備や、豊島事件を語り継ぐための小中学校向けの教材づくり、事件に関する資料のアーカイブなど。
「月に1度、基金の運営委員会が開かれて、 業務の進捗報告をします。そこで大きな方針が固まるのですが、具体的にどんなことをするのかは、現場にいる私たちが決めています」
入職して6 年の清水さん。働き続ける理由はなんでしょう?
「人のために、環境のためにという気持ちで仕事に臨みたいと思っていて。だから、ここで働けること にとてもやりがいを感じるんです」
「それに、働き方の融通がきくこともありがたくて。結婚を機に豊島を出ていくときや、子どもを出産して豊島にいく日数や時間が限られることになっても、仕事を辞める選択ではなく、家庭の在り方に合わせた働き方を一緒に考えてくれました」
仕事の裁量も、暮らしに合わせた働き方も、柔軟に決めていける軽やかさがあるんだと思う。
「この前、イベントを企画したんです」と続けてくれるのが、塩川さん。日本仕事百貨の記事を読んで2022年の11 月に入職した。
「基金の助成団体のひとつに、スナメリという瀬戸内海に生息する小型のイルカを調査している団体があって。団体と一緒に、スナメリの生態を学ぶためのイベントを企画しました」
「これから入る人も、興味があれば企画にチャレンジしてほしいですね。私たちも、サポートしたいです」
もともと、物流の会社で働いていた塩川さん。生き方をあらためて考えようと、仕事を辞めて、車中泊で1ヶ月ほど北海道へ旅行。
次の仕事を探していたとき、日本仕事百貨で瀬戸内オリーブ基金の記事を見つけた。
「公害の影響を受けた地域の再生の過程に興味があったんです。決して勉強していたわけではなく、漠然と知っていたくらいですが」
まさかの、ピンポイントで。
「そうなんです。ただ、水俣や福島原発の問題に興味を持っていたけれど、仕事にするとしたら全身全霊で望む覚悟が必要だなと感じていて」
「その点豊島では、現場は復興していて、語り継いでいくという意義がある。それに瀬戸内芸術祭の会場のひとつといった、公害だけでない側面もある。それらが共存しているのが面白いなと感じたんです」
塩川さんも結婚を機に、これからは関東との二拠点で働くことに。とはいえ、月の半分ほどは豊島にいてくれるとのこと。
これから入る人は、塩川さんの仕事を少しずつ引き継いでいくことになる。
そのひとつとして案内してくれたのが、基金が植生管理として、ツツジを育てている場所。この場所の手入れは、ボランティアにお願いする作業のひとつでもある。
「これ、コナラという木の赤ちゃんです。 いずれ大きくなっていくんですよ」
雑草がなくなれば、自然と 風や鳥が運んだ種の芽がでて 、植生が循環する。自分の力で育つために、手入れをしてあげないといけない。
週に一度、雑草を刈ったり、雨が降らない日が続けば水やりをしたり。
「外の作業、楽しくて。鎌で草を刈っていると、無心になれるんです」と、雑草刈りに夢中の塩川さん。
デスクワークで気が滅入ったときは、気分転換に手入れに来ることも。
「ボランティアやイベントの準備、デスクワークも外の作業も。毎日の仕事を自分で決める スタイルが合っているなと感じます」
デスクワークの合間に、島のおじいちゃんおばあちゃんを訪れて次の計画について話したり、海岸清掃の下見で海沿いを歩いたり。自分で業務の優先順位をつけられれば、進め方は自由。
「日常と仕事の重なりが大きいんです。でも、仕事を持ち越して残業する、みたいなことはないですね。残業しないために、やるべきことは早めに済ます。自由な分、きちんと責任を持つことが大事です」
塩川さんは、どんな人と働きたいですか?
「コミュニケーションと、運転が好きな方です!」
「イベントやボランティア当日、資材を運ぶために運転が必須で。バス、ハイエースが運転できれば、超うれしいです。でも、事故は絶対だめ。島で末代まで言われることになるかもしれないので(笑)」
清水さんは、島のおじいさんと飲むのが好きなこと。塩川さんは、豊島美術館の職員や地域おこし協力隊など、同世代の人とよく話すことを、帰り際に教えてもらいました。
その人がありたいと思う姿次第で、暮らしと仕事のバランスが決まっていくんだと思います。
岡山へ戻り、宇野港近くで宿泊。朝焼けを反射する海と、照らされる島々。
100年、200年先の景色を想像する。
この自然を前にして、何を感じるか。なにか引っ掛かるものがあれば、一歩踏み出してほしいです。
(2024/09/12 取材 田辺宏太)