江戸時代の雰囲気が残る城下町を歩き、ふと目をあげると犬山城が見える。
古民家を改修した宿では、徳川家康も好んで飲んだという荵苳酒(にんどうしゅ)を使ったドリンクや茶懐石など、当時の文化を感じられる体験が。
愛知・犬山といえばお城。それだけではない、町人文化の雰囲気や、当時の建物の細かな造りを存分に感じられる。そんな場所が生まれようとしています。
場をつくっているのは、地元の有志とまちづくりのプロが集まった、株式会社DonDen(どんでん)。
かつて酒蔵だった古い建物と、有力な町民が代々住んでいたと言われる古民家、この2棟を当時の雰囲気を残したまま改修し、宿と日本料理店として生まれ変わらせようとしています。
募集するのは、そこで働く支配人とスタッフ。
基本の仕事は、2棟で8室ある宿のオペレーション。加えて、ホールスタッフや茶懐石などの体験を提供する役割もあります。ゆくゆくは宿の外にも飛び出し、周辺の案内などにもチャレンジしてもらいたい。
犬山に縁がない人でも大丈夫。DonDenの人たちは、地元の官民で活躍する人が集った、ある意味スーパーチーム。
地元のことも宿のことも、相談しながら学び、成長していける環境です。
犬山駅には、名古屋駅から名鉄に乗って30分ほど。まちなかからも犬山城が見えていて、意外と距離は近いみたい。
向かったのが、駅から歩いて10分ほどの小島邸。1棟目の宿になる建物だ。
中に入ると、昔ながらの土間。時代劇でしか見たことがないような帳場もある。
「ここは今も現役の酒蔵なんです。荵苳酒っていう、薬膳酒みたいなお酒を販売していて。犬山城主が将軍家に献上していたもので、徳川家康も好んでいたと伝わっているんですよ。いつもはこの家を継いだ鈴木さんという女性がこの席に座ってお酒を販売しています」
そう紹介してくれたのが、全国各地でまちづくり事業を手がけている株式会社つぎとの平山さん。
DonDenのメンバーでもあり、犬山のプロジェクトを数年がかりで進めてきた。
「2020年くらいから関わっています。事業が整うまで3年ほどかかってしまいましたが、地元との折衝や補助金もうまくいって。あとは工事を終えて、オープンに注力できればと思っています」
平山さんの所属するつぎとは、地域に溶け込み、資金調達や古民家の改修、ホテル運営のノウハウの提供などを通して、宿やレストランなどの拠点を通したまちづくりを手がけている会社。
たとえば、岐阜・美濃の「NIPPONIA 美濃 商家町」では古民家を生まれ変わらせ、美濃の文化である和紙をモチーフとした宿をつくっている。
犬山でも2棟の物件を改修し、宿とレストランにする予定だ。
そもそもの事業の始まりはどういったものだったのだろう。
「この家のオーナーの鈴木さんが、美濃の宿のレセプションに来てくださったんです。建物が活用されるならやってみたいと、直接話して犬山の話が進んでいきました」
当時鈴木さんも、建物の維持管理をどうするかで悩んでいたそう。
現地に入って話を聞くなかで、2棟目の建物も確保。結果、部屋数が計8部屋、1棟目には34席のレストランが入り、2棟目は一部がテナントスペースなる予定だ。
「コンセプトとしては、犬山城を中心にお茶やお祭りなどの城下町の町人が大切にしてきた深い文化を体験してもらえる場所にしたいなと」
「奥がまだ工事中なんですが、この1棟目にはお茶室があるんですよ。あとは今も販売している荵苳酒ですよね。お茶と荵苳酒、そして城。この三つの要素を中心に、歴史文化を体験できる宿にしていきます」
ほかにも検討している体験が、犬山城へ一般開放の時間の前に入って見学できる、というもの。通常では経験できないコンテンツも提供できるようにしていきたい。
「犬山は観光が盛んなんですけど、メインの通り以外は静かで。ちょっと外れた通りにもいい建物や文化財がたくさんあるのに、それを見てもらえないのはもったいない。今回の事業を通して、犬山の観光の可能性を広げたいと思っています」
支配人となる人は、二棟ともマネジメントすることになる予定。周辺には空き家などもあるため、スタッフも含め住まいに関しては平山さんも協力して探してくれるそう。
「行政とのつながりがあるのも、DonDenの社長である石田さんのおかげなんです。元市長で、いまでも精力的に活動されていて」
そんな話をしていると、外でこの建物について元気よく話している声が聞こえてきた。
「観光客の人が建物を見ていたんでね、いろいろ喋っちゃうんですよ」
建物のことを説明し終えて中に入ってきたのが、先ほど話に出てきた石田さん。ハキハキとした口調で話してくれる。
犬山市の元市長で、募集元であるDonDenの社長でもある。
「市長になったのが1995年。そのときの選挙の争点に、城下町のメインストリートを拡幅するというのと、犬山城の近くに高層マンションをつくるというのがあって。それに反対する立場で出たんです」
「道を拡幅すると車中心の道になるから、観光客が自由に歩けない。マンションも景観を損ねるかもしれないじゃないですか。これは僕が市長になって止めなきゃいけないと決意をして、選挙に出たんです」
当時はまだ90年代のバブル期。街を発展させ車社会を促進する、といった考えが強かった。
「古い街並みを残そうとしている地域は昔からあって。北海道の小樽とかね。いろんなところを見に行って学んだけど、とくに衝撃を受けたのは、アメリカのボストン」
「ヨーロッパ風の古い街並みがあるんだけど、そこに『古い建物のないまちは、記憶を喪失した人生とおなじだ』と、まちの標語みたいなものがあって。その通りだなと。歴史と文化を残していくには、建物が大事だと心から感じたんです」
市長になってからは、道路拡幅の取り止めのほか、景観条例の策定や電柱の地中化など、まち並みを残すことに奔走。
「犬山の価値は、城と城下町、これがワンセットになっていること。そしてまちの良さは歩かないとわからない」
「僕はさっきも歩いていた人と立ち話したんだけど、みんなこの家に興味を持っているの。車で通ったら通り過ぎちゃうけど、歩くからこそ気づくことができる。ビルの横を通るのとは違う感覚を持つわけだよね」
日本独特ともいえる、文化や歴史への懐かしさや郷愁。そういった感情を想起させるまち並み。
犬山城とこの城下町にはそれが残っているからこそ、もっと活かしていきたい、と石田さん。
今回つぎとと一緒に事業を進めているのも、「宿」という要素が必要だと感じたからだという。
「人生いいこともそうでないこともある。型にはまった日常から逃避できるのはね、宿なんだ。自宅とも違う、情緒の空間なんだよ」
「砂漠にあるオアシスみたいな存在、って言ったらいいのかな。非日常のなかでゆったりと犬山を堪能してほしいですね」
今回募集する人は、犬山にまったくゆかりがない人でも構わないそう。宿泊業に興味がある人や、純粋におもしろそう、石田さんたちの想いに共感する、という人なら合っていると思う。
「あ、そういえば『DonDen』の意味を説明してなかったね。これはね、歌舞伎用語なんだ。芝居小屋には舞台をぐるっと回す機能があって、場面をガラっと変えるとき、『どんでん返し』というの」
「犬山祭も、車山(やま)と呼ばれる神輿が方向転換するとき、どんでんっていうんだ。それが犬山祭のハイライトでみんな一番力が入るとき。だから犬山というまち自体も、時代に合わせてどんでん返しをしたい。そんな想いがあるんです」
そんな話を熱心に聞いていたのが、おなじくDonDenのメンバーである畑さん。
「レストラン関係の準備とか、いろんなことを手伝わせてもらっています」
石田さんの「このまちをどんでん返ししたい」という想いに共感しているという畑さん。
「まちづくりの手段として、民間企業でビジネスとしてやるっていう手段もあるし、議員という手段もある。僕は議員という道を選ぶチャレンジをしたわけですね」
今回の事業の想いと重なるところがあるんですね。
「もちろん。空き家問題とか、市が抱えてる問題の解決にもなる。400年残ってきたものを壊すっていうのは、やっぱりよくないと思うんです。僕らで、犬山の観光をどんでんしてやろうと。今回のプロジェクトにはガチで参加させてもらってます」
「来てくれる人に一つ伝えたいのは、『まちづくり』っていう言葉を言い訳にしたくないということ。やりがい搾取になるんじゃなく、しっかりと利益を上げて、ちゃんと家族を養えるような給料をつけていきたい。僕らも頑張って、いい会社にしていきたいですね」
宿泊は1泊2食付きで3万5千円ほど。単価は、周辺の宿より差をつける設定にしている
レストランについては、プロの料理人に監修をお願いしているとのこと。
詳しく話を聞かせてもらいに、車で近くの大垣市へ。1時間弱で到着したのが、レストラン「万福」。ここのシェフの河口さんが、今回犬山にできるレストランも手がける。
万福は和食のお店。河口さんは吉兆で修行してきた、確かな腕を持つ方だ。
「異業種交流会で畑さんと知り合って、そのつながりで声をかけてもらったんですよ。ちょうどコロナの時期だったので、これは新たなチャンスかもしれないなと」
今のお店を構えながら、となると大きな決断ですよね。
「そうですね… 最近はいそがしいですが、何か動くことが必要だと思っていて。幸い、大垣のスタッフに店をある程度任せられるので、僕は犬山と大垣を行ったり来たりすることになるかなと思います」
「決断の決め手はやはり犬山城です。観光が盛んな場所で料理を提供できるのは面白そうだなと。大垣ではなかなかインバウンドとかのお客さまは少ないので。高い単価で勝負してみたいっていうのもありました」
ランチは6千円から、ディナーは一番上のランクで1万2千円ほどの予定。器も本格的なものを使い、茶懐石の文化が感じられる体験を提供する。
地元の人にも、ハレの日は名古屋に行って食べよう、ではなく犬山でも特別な時間を過ごせることを知ってもらう。そんな場所にしていきたい。
河口さんはどういう人と一緒に働きたいですか。
「人のことを好きでいてくれる人。そうじゃないと、自分のことも大事にできないじゃないですか。あと、挨拶がしっかりできて、料理が好きな人だといいですよね」
「日本料理に興味を持ってくれたら、僕らがつくったものをお客さまの前に出したときに伝わるものがあると思うんです。どれだけ手間がかけられていて、なぜこの器にこの料理なのか。それは僕もしっかり伝えたいと思っています」
犬山で始まる、もう一つの観光のかたち。
いち早く体験できるのは、働く自分自身です。
肌で感じたことをどう訪れた人に伝えていくか。ともに考えてみませんか?
(2024/11/18 取材 稲本琢仙)