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耕作放棄地のその先
600年の続きは
汗をかき考えることから

※日本仕事百貨での募集は終了いたしました。再度募集されたときにお知らせをご希望の方は、ページ下部よりご登録ください。

2050年までになくなってしまうかもしれない。

そんな「消滅可能性自治体」と呼ばれる地域は、全国1729の自治体のうち、700以上におよびます。

伝統文化やまち並み、何気ない日常もいつかは色褪せてしまう。

ある意味、自然なことなのかもしれないけれど、守り続けた先の景色をつくりたい。そう願い、着々と変化している場所があります。

今回紹介するのは、和歌山県の北部に位置する紀美野町(きみのちょう)。県内でも加速度的に少子高齢化・過疎化が進む町です。

ここにあるのが「中田の棚田」という600年前から続く大きな棚田。5年ほど前までは耕作放棄地でしたが、県内の学生から県外のボランティアまで、さまざまな人の手によって再生されつつあります。

今回は、その棚田の風景を伝える広報担当を探しています。

ミッションは、地域おこし協力隊として、汗をかき棚田の手入れをしながら自らの体験を発信していくこと。

いろんな世代が交じり合う棚田での出来事を種に、言葉で伝えても動画を撮ってみても。イベントを企画してもいい。思いついたことは、チャレンジしやすい環境です。

 

東京駅から新大阪駅まで新幹線であっという間に到着。ここからは、特急くろしおに揺られ1時間ほどで和歌山駅へ。

駅からはレンタカーを借りて山間部へ向かう。車を走らせ50分ほど、山道を登った先にパッと視界が開ける。

「中田の棚田」の文字が書かれた看板を見つけた。

何十にも重なる棚田。日差しが強いぶん、段々の影が際立ってくっきり見える。なんだかマチュピチュみたいだな。

「5年前までは草も木も生え放題だったんですよ。そこを命かけて再生します!言うて。地域おこし協力隊やボランティアで募った棚田サポーターズ、和歌山大学の学生さんとか、いろんな人と協力して再生しています」

そう教えてくれたのは、小川地域棚田振興協議会の会長、北さん。

言いたいことをはっきり伝えてくれるあたたかな方。中田の棚田再生の発起人で、紀美野町内で、農園を営んだりシェアスペースを開いたりマルチに活動している。

「近くまで案内しましょうか」と連れていってもらうことに。

あわせて200枚ほどある中田の棚田。地元の農家さんの田んぼもあれば、北さんや地域内外から集まった人たちと米づくりをする田んぼなどもある。

「2020年に1枚目を復田して、お米の収穫までできました。2年目に4枚、3年目にはこのずーっと下の14枚。これまでに30枚は再生したんかな」

「向こうのほうは、段々になっているのがわからないくらい草が生えているでしょう。ゆくゆくは手を入れていく予定です」

5年前までほとんどが耕作放棄地だった中田の棚田。再生するきっかけは何だったんでしょう。

「15年前、私が大阪から紀美野町に戻ってきたころ、町の人口は1万人ほどでした。そこから年々200人くらい減って、今は8000人を切って。だんだん過疎化が進んでいるんですよね」

北さんが会長を務めている「紀美野町まちづくり推進協議会」では、基幹産業の農業を活かしてまちおこしができないかと話し合っていた。

「農業を通じて人を呼び込むことが必要だなと。みんなの意見で共通していたものが、『昔のようにきれいな棚田にしたい』という声でした」

「私もあらためて眺めてみると、とても感動して。ここがきれいになったらいいなと思ったんです」

ほぼ同時期に、国としても棚田の振興に力を入れる流れができ、紀美野町にも「小川地域棚田振興協議会」が生まれた。

「立ち上げたのはいいけれど、耕作放棄地を一から立て直すにはエネルギーがいります。若い人の力を借りたいと、地域おこし協力隊制度で手を貸してくれる人を探すことにしました」

主に米づくり担う農業担当と、それを手伝いながら広報を担当する協力隊2名を募集。

移住してきた協力隊を中心に、2020年から「中田の棚田再生プロジェクト」が始まる。

そのなかで生まれたのが、「棚田サポーターズ」。月に5回程度、棚田の米づくりをするボランティアで、延べ500人ほど。大阪や奈良など県内外から手伝ってくれる人もいるという。

今回募集するのは、2代目の広報担当。棚田サポーターズや農業担当の協力隊と力を合わせながら米づくりを手伝い、発信していってほしい。

「棚田もお米づくりも、人が関わってお金をかけて美しい景観ができている。ある意味 “舞台”だと思うんです」

舞台?

「コンサートは会場と演奏者がいてそこに対価を支払う。棚田も田んぼがあっていい景色をつくろうと活動する人がいる。今はボランティアで参加してもらっている人がほとんどだけれど、ゆくゆくはちゃんと対価を支払いたいんです」

「棚田づくりを核に地域にお金が落ちる仕組みをつくることで、棚田がこの先ずっと続いていくのが目標。『棚田で人をつなぐ、棚田が時代(とき)をつなぐ』というビジョンを掲げています」

過疎化や高齢化が進むことは避けられない。けれど、たくさんの人が存在を知って関わってくれれば、美しい棚田を残し続けることができる。

体を動かし汗をかきながら、感じることを発信する。それが誰かに届いて棚田とつながる。

頭も体も動かす手ごたえを感じられる仕事だと思う。

「もうひとつ大切にしているのは、米づくりは肥料や農薬を使わずにおこなうこと。手間はかかるけれど自然に負荷がかからない、多くを収穫することに重きを置いていないんです」

「棚田を再生することで地すべりや土砂崩れなどの減災につながるし、景観が観光の一助になる。棚田には多面的な機能があるので、お米づくりだけではなくいろんな体験ができる場所になったらいいですね」

周辺には空き家も多い。実際に紀美野町に移住してきた人でゲストハウスやカフェをつくった人もいるそう。

棚田にいればいろんな人と関わることも多い。つながりが増えていくなかで、任期後に新たにやりたい事業が見つかるかもしれない。

先輩の協力隊が引き続き棚田に関わっているので、暮らしでも仕事でも、困りごとがあればすぐにサポートしてもらえる環境だと思う。

 

「1年で一番盛り上がるのは、田植えの時期。毎年イベントを開催していて、今年は2日間で250人くらい集まりました。田んぼの作業と並行してイベントの広報も必要なのでいそがしいんですけどね(笑)」

そう話すのは、協力隊卒業生の行年(ゆきとし)さん。5年前に広島県から紀美野町に移住してきた方。

新しく協力隊となる人は行年さんの後任となる。

ここからは、棚田の真ん中にある協力隊の活動拠点で話を聞くことに。

「今は棚田の生態系や紀美野町の自然の面白さを軸に、子どもたち向けに自然体験の場をつくったり、イベントを開催したりしています」

学生時代に森林生態学を学び、面白さを伝えたいという想いから、生物の教科書を編集する仕事に就いた行年さん。

移住のきっかけはなんだったんでしょうか。

「もっと面白い教科書をつくりたいと思ったけれど、会社では実現できそうにないなって。自分自身が外に出て、そういう機会をつくろうと思いました」

「せっかく外に出るなら、都会ではなく自然の多いところで。住んでいた広島にも山はあるけれど、知らない場所に行きたい。ちょうど結婚したタイミングもあり、妻の地元の浜松と広島の間で探していたら、紀美野町にたどり着きました」

和歌山県が開催する移住ツアーで紀美野町を訪れた行年さん。田舎で暮らすことも、農業に携わることも未経験。不安をまちの人に話した。

「いきなり農業できるか不安だし、自然の面白さを伝えたい気持ちが先だったので、農業メインで暮らしていくイメージがつかなくて」

「そんなとき、北さんが提案してくれたんです。『ちょうど棚田の広報担当を協力隊で募集する予定だから、3年間でやりたいことの基盤づくりをして、卒隊後は自分のやりたいことをやったらええやん』って。それで移住を決めました」

移住した当時は、1枚目を復田したばかり。棚田サポーターズもいないなかで活動を進めていった。

「協力隊として最初にやったことは草刈りです(笑)。1年目はほとんどが田んぼづくりでしたね。草刈りからお米づくりまで学ぶために、農業指導員について回ったり、代わりにパソコン作業を手伝ったり。いろいろ体験できました」

「体験するから気づくこともあって。一般的な田んぼと違って、棚田での稲刈りに大きなトラクターは使えない。手動の小さい道具で何往復もするから、すごく時間がかかるんですよね」

一方で、労力がかかるということは、いろいろな人が手伝う関わりしろがあるとも言える。

2年目ごろからは、棚田サポーターズの受け入れ体制を整備。「草刈り王決定戦」や「棚田 de CAMP」などのイベントを企画したり、広報用にパンフレットを作成したりと、人を呼び込む流れを本格的な形にしていった。

広報や発信の方法は、真似してもいいし新たにつくってもいいそう。行年さん自身、イベントの企画や文章を書くことも未経験だった。

「いろんな発信方法を考えて試して。田んぼ作業の様子を撮り続けてYouTubeで発信していたら、偶然、大学の研究に使っていただいたこともありました」

「お米づくりのノウハウや地域の文化って、住民の方の頭のなかにはあるけれど、形として残っているわけではない。自分自身は、それを誰が見てもわかるように残していきたいという気持ちが強かったし、毎日田んぼに足を運んだからこそ形にできたと思うんです」

 

棚田サポーターズのみなさんは、どんな人たちなんだろう。

話を聞くのは中地さん。和歌山大学の4年生で、今年度の卒業後も活動に関わり続けるという。

「学部の授業の一環で地域課題の調査や解決に取り組んでいて。1年生のころから関わって、活動のリーダーまで務めました」

「活動するうちにこの土地と地域の人にはまってしまったんです(笑)。今は個人で棚田サポーターズの活動に参加しています」

カリキュラムの一環で学生が訪れたり、卒業論文の研究対象として調査する学生がいたり。地元・和歌山大学との関わりは今後も続いていく。

昨年の12月には学生による活動報告会があった。棚田に集まる人に注目したり、作業音を録音・分析したり、写真で観察してみたり。各々の視点で中田の棚田が描かれた。

「こんな視点があったのか」と、元協力隊の行年さんや北さんなど、地域の人たちにとって発見の機会になったという。

「中田の棚田の特徴は、田んぼづくりに関わる人がほとんど町外の人であること。意外とアクセスがいいので大阪や東京から来られる人もいて。地縁型じゃないコミュニティができているんです」

「日ごろ農作業はしないけれど興味がある、という人たちが集まっている。通い続けることでリフレッシュできるし、顔馴染みも増えて。人生の先輩がたくさんいることも、ここに通う魅力のひとつです」

 

子ども、学生、大人。さまざまな人の感性や知識が交じり合い、守られている中田の棚田。

手を動かして汗をかく。自分たちの行動が目の前の景色を変えていくことを実感できる環境って、なかなかないと思います。

まずは一度、足を運んでみてください。この景色に心が動くか。きっかけは、その気持ちだと思います。

(2024/12/03 取材 大津恵理子)

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