困りごとは宝の山。
現状をよりよくしたいと思っているとき、明るい道筋を提案したり、励ましたり。
そばで楽しそうにサポートしてくれる人がいたら、ピンチはチャンスに変えられる。
そんなサポートをしてきたのが、株式会社咲楽です。旅館やホテルなど宿泊施設に特化したコンサルティングをおこなってきました。
今年の夏、咲楽に声をかけたひとつの宿が、生まれ変わろうとしています。
群馬県の赤城山の麓で営まれてきた温泉旅館「忠治館」。
およそ100年、家族でつないできた忠治館は、昨年の秋に咲楽へ事業承継をし、今年の夏に「愛犬と泊まれる旅館」に生まれ変わります。
今回募集するのは、その旅館で働くサービススタッフ、副調理長、調理スタッフ。
忠治館は新たな開業に向けて改修工事中。オープン前は片付けなどを手伝いながら、サービス内容を考えていきます。
前橋市内などのまちなかで暮らしながら、自然豊かな宿で働きたい。そんな人に、紹介したい場所です。
北千住駅から東武特急「りょうもう」に乗車し、群馬の赤城駅に向かうこと約2時間。ここからは、上毛電気鉄道に乗り換え、前橋方面へ。20分ほどで大胡(おおご)駅に着く。
さらに赤城山に向かって車を走らせ20分。赤城神社の手前の道を曲がり、山道を進む。
ほどなくして見えたのは、ポツンと佇む古民家の建物。奥のほうには、温泉の湯気が漂っている。ここが、忠治館だ。新たな旅館の開業に向けて、現在は休館中。
「いい空気と雰囲気ですよね」
「30年前に建て替えてから、きれいなまま残っていて。新たな宿では、基本的にワンちゃん連れの方がメインターゲットですが、そうでない方も安らげる場所にできればいいなと思っています」
そう案内してくれたのは、咲楽の代表を務める高橋さん。細やかに気遣いをしてくれるおだやかな方。
小規模な宿から箱根や湯河原にある人気の温泉宿など。さまざまな宿と関わり、業務改善、開業支援をおこなってきた。
中庭は1,000平米、鳥のさえずりにひんやりした冷たい風。静かで心地いい空気が流れる。
「この中庭はドックランにして、ワンちゃんが遊ぶそばでお客さんもバーベキューができるようファイヤーピットを置いたり。ラウンジは、今は囲炉裏がありますが、ソファを置いてくつろげるようにしようとか。細かな部分を考えているところです」
「改修工事が始まっていて、今は忠治館のみなさんと片付けをしていて。この前は、調理長と中庭の大きな石を一緒に運んで、けっこう疲れましたね(笑)」
高橋さんを含め、忠治館のみなさんが一丸となって準備をしている。
中は、吹き抜けの天井にピカっと光る床。外から見るより広く感じる。
館内には全13室と離れの1部屋。中庭、大浴場のほか、滝が眺められる露天風呂もある。
「改修もするけれど、建物の外観は大きく変えないですし、家具や内観もできるだけそのまま活かしたいと思っています」
忠治館はもともと、3代目の岡田兵造さんご夫婦と娘さん、調理長の4人体制。ご夫婦は70歳を過ぎ、体力的にも後任になる人を探しているところだった。
そんななか2年ほど前に、咲楽がコンサルタントとして関わることに。
これからも宿を残していきたいという忠治館の思いもあり、咲楽が旅館を受け継ぎ、新たな宿として再出発することになった。
そして今回できるのが「愛犬と泊まれる旅館」。
コンセプトを変えたのはどうしてだろう。
「まず立地がひとつ弱みとしてあって。県内には、草津温泉、伊香保温泉、水上温泉とか有名温泉地がすでにある。赤城山は百名山で、聞いたことはあるけど、ここに旅館があることを知らない人が多いんですよね」
「加えて、前橋駅や大胡駅からここまで使える手段がタクシーくらい。公共交通機関で来られないのも難しいところでした」
コロナ禍以降、集客に困っていた忠治館。咲楽は困りごとを手がかりに、この場所だからできることを探していった。
「今の日本は中学生以下の人口より、犬、猫の数のほうが多いんですよ。そのぶんワンちゃんは家族のような存在になっていて、一緒に旅行することが増えている。宿泊業界を見ていても需要はあると感じていました」
実際に犬連れで泊まれる宿は群馬県で5%。さらに館内どこでも自由に犬が行き来できる施設は、1%しかないという。
加えて、ペット連れの多くは移動手段が車になることがほとんど。
関越自動車道であれば、大泉や練馬インターから、車で90分ほど。公共交通機関を使うより、車を使う人のほうが訪れやすい立地でもある。
「近くには、ぐんまフラワーパークや新しくできた道の駅があって、どちらも犬同伴で入れるんです。ここには中庭もあるし、そこをドッグランにできるんじゃないかなって。ワンちゃんの宿と親和性があるなと」
もともと岡田さんご夫婦が自宅で犬を飼っていたり、旅館に看板猫がいたり。旅館に動物がいることに対して抵抗はなかった。
「もちろん、まったくコンセプトが変わるので、忠治館の岡田さんご夫婦やみなさんから意見をもらいながら決めていきました」
「咲楽として事業を受け継ぐこと自体は初めてで。忠治館のみなさんの雰囲気と咲楽の社風も合ったので、一緒にやっていきたいと思ったんです。これから働く方も、波長の合う方が来てくれるとうれしいですね」
次に話を聞いたのは、支配人の伊藤さん。
サービスのプロを目指し、スイスの学校に留学。ホテルや飲食のほか、大使館のバトラー、ビルのコンシェルジュなど、さまざまな分野でサービス経験を極めてきた方。
結婚と子育てを機に、群馬県へUターン。県内の旅館で支配人を6年勤め、今年の3月に咲楽へ入社した。
「たまたまご縁があって高橋さんと知り合いました。そのときに『世のなかに楽しいを咲かせたい』とおっしゃっていて、言葉だけじゃなく宿泊業界の課題にきちんと向き合う事業をされていた。そんな咲楽の理念に共感したんですよね」
「これからオープニングスタッフとして働いてくれる方にも、仕事だから我慢するのではなく、楽しみながら働けるチームや環境にしたいと思っています」
新たな旅館に向けて、働き方も変わっていく。
たとえば宿泊業界では、朝のチェックアウトから夕方のチェックインまで、中抜けや休憩はあるけれど拘束時間が長いことも多い。
これまでは家族経営でまかなえていた部分もあったけれど、アルバイトやパートを含め従業員も増やす。
今後は負担が偏らないよう、シフト制に変更。朝と夕方で担当が交代し、中抜けをしない体制にしていく。
「サービスの世界一ってなんだろうと考えると、スイスで学んだとか、VIPに向けてもサービスできるとか、そういうことじゃないと思うんです。大切なのは、いかにサービスの引き出しを持っているかだと考えていて」
「たとえば、この旅館は山の中にあるのでカメムシが多い。対策をしてもどうしても客室に虫が出たとか、ワンちゃんが食べちゃうとか、トラブルが出てくると思うんです。そんな場面が起きても、プラスに転換できるよう、みんなで対応を掘り下げていきたいと思っています」
この場所ならではの接客を一緒に考えていきたい、と伊藤さん。プロとしてサービスを長年追求してきた人のもとで、新しいスタイルをつくっていく経験はとても貴重な経験になると思う。
夏は虫が増えるけれど深緑が綺麗だったり、秋は近くの山がだんだんと紅葉していく姿を楽しめたり。まれに猿や鹿など、野生動物とも遭遇するのだとか。
四季の移ろいを感じながら、仕事ができるのもこの場所で働く楽しみの一つ。
旅館がある山の中腹には民家がほとんどなく、新しく入る人は旅館から車で30分ほどの前橋市内や大胡駅周辺で暮らすことになる。
暮らしは、利便性のあるところで。仕事は、自然を感じながら過ごせる場所で。そんな働き方をしたい人にはいい環境だと思う。
「私のことは、サービスを追求してきたサンプルのおじさんだと思ってもらって(笑)。いいなと思うことは取り入れて、各々のサービススタイルを築いていく。そうして個性という花を咲かしてもらえればうれしいですね」
「料理には、山のものを使うようにしていて。最近は薬膳鍋が看板メニューでした」
そう話すのは、調理長の大塚さん。ピシッとした髪型と照れながら笑う姿が印象的。アーティストの矢沢永吉さんが好きなんだとか。
ここに来る前は、前橋のホテルで和食の料理人をしていた大塚さん。忠治館に来てから25年になる。
副調理長として働く人は、大塚さんと連携しながら、新たな旅館に向けてメニュー開発をしたり、これまでの味を受け継いだりしていく。
「ワンちゃん用のご飯とかもつくれたらと思うんですけど、今は片付けに追われていて。どんなメニューをつくるのかはこれから考えていくところなんです」
「ほかにいい案があれば組み込んだり、アレンジしたりしていきたいので、新しく来る人にはどんどんアイデアを出していってほしいですね」
山で採れる山菜をつかったり、ジビエを取り入れたり。山の幸を使った料理をつくりたい人にとっては、チャレンジできる機会は多そう。
「前職ではこだわりがすごく強い人もいましたから(笑)。できるだけ、堅苦しくはしたくなくて。わざわざここに来てくれるんだったら、楽しく働いてほしいです」
取材中、「面白いし、すごく優しいんですよ」、「本当に人柄がいい。懐に入るのが上手い」、「つくる料理がきれい」と、高橋さんやこれまで一緒に働いてきた岡田さんご夫婦から大塚さんの話が出てくる場面も。
新しい旅館へ体制が変化するけれど、忠治館のみなさんからは、新しいことを受け入れてくれる寛容さや追い風にしていくような前向きな空気を感じる。
これまで宿を続けてきた人たちと、伴走してきた人たち。
赤城山のそばにポツンと佇む宿に、これからいろんな人が関わっていく。
どんな場所に育っていくのか。その一員になって景色を眺めてみてください。
(2024/11/01 2025/04/01 取材 大津恵理子)