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「森島くんが来ていろいろ質問してくれるよって、頭も回転しとかないかんやろ。おじいちゃん、気ぃ若うなってな。ずんずん年取っていくはずが、赤ちゃんに逆戻りするわ(笑)」
よく通る声でそう話すのは、和歌山県高野町で農業を営む苗代(なわしろ)さん。80歳にして新しい弟子ができてから、最近はいっそう調子がいいようです。
苗代さんが暮らすのは、高野町東部の富貴(ふき)地区。山間の小さな集落で、人口は330人ほど。豊かな土壌と高冷地の気候を活かして、少量多品目栽培の農業が行われています。
豆、芋、根菜や、菜っぱ類、紫蘇などの薬味、トマトにピーマンのような夏野菜など、この地区だけで八百屋が開けるほど、いろんな作物を育てられる。
かつては「大和当帰(やまととうき)」という漢方薬の材料の一大産地としても知られていましたが、徐々に担い手が減り、近年は苗代さんが町内唯一の生産者に。そこで、後継者となる地域おこし協力隊を募集したのが2023年のこと。
今回はその第2弾として、新たな隊員を募集します。おじいちゃん先生と、先輩の協力隊と一緒に大和当帰栽培に取り組み、ゼロから農業の技術を身につけたいという意欲のある人を求めています。
当帰は比較的換金性の高い作物ですが、収穫までに時間がかかり、同じ土地での連作が難しい。だから、何かほかの野菜も一緒に育てていけるといい。あるいはほかの生業と組み合わせるなど、農業を核とした生き方を3年間で模索してみてください。
高野町の富貴地区は、JRと南海電車が乗り入れる橋本駅から、車で山道を30分ほど走ったところにある。
先輩隊員である森島さんの畑は、役場の支所や郵便局などの近く。当帰の苗のほか、エンドウ豆と、ジャガイモが3品種ほど植えてある。
森島さんは、大阪・堺市出身。家業である洋菓子製造の仕事を20年ほど続けたあと、1年半前に協力隊としてこの町にやってきた。
奥さんと中高生のお子さん2人は、それぞれの仕事や学校がある地元で生活していて、現在は単身赴任中。片道1時間ほどなので、週末は森島さんが家に帰ったり、連休に家族が遊びに来たりしているそう。
「もともと子どものころから農業に興味があったんです。ただ、まったく経験もないし、本当に自分にできるか自信はなくて。ここに応募する前に1年間くらい不定期で、家の近くのブドウ園でバイトをさせてもらいました」
未経験から農業をはじめる人なら、きっと同じような不安を感じるはず。そこで、高野町では今回の募集から移住する前のお試し期間として「インターン制度」を導入。
実際に活動しながら、自分の適性や環境との相性を見極めることができる。
それにしても農業分野の協力隊募集はいろいろあるなか、森島さんは、なぜ高野町の薬草づくりを選んだんだろう。さっそく本題に、と思っていると、通りから森島さんを呼ぶ声がする。
「エンドウ豆、ええ塩梅に芽ぇ出とるな。よう採れたら、森島くんにご馳走してもらお。はい、そしたら頑張って」
声の主は、通りすがりのご近所さん。いつもこうして声をかけてくれるのだそう。
そのあとも散歩中の人や、仕事に向かう人など、代わる代わるやって来ては「おはよう」「何育ててんの?」と一言、二言、声をかけていく。ご近所さんにとって農業を始めたばかりの森島さんは、きっと“放っておけない”存在なのだろう。
みんなに見守られていますね。
「この距離感を、近すぎると感じる人もいるかもしれないけど、私にはちょうどいい張り合いになっています。みんな褒めてくれますし」
誰かが来るたびに、森島さんは作業の手を止めて話に応じる。
畑の仕事だけでなく、地区の役員なども、ここでの暮らしには欠かせない営み。地域の人と顔見知りになることで、協力隊としての活動もしやすくなる。世間話がきっかけで、使っていない道具を譲ってもらうこともあった。
「私は今年45歳で、今から未経験で農業を始めても、長年ひとつの野菜をつくり続けてきたプロには勝てない。それなら、あまりほかの人がつくっていないものに挑戦したいという考えもあって、当帰を選びました。実際は、そんなに甘くなかったですけどね」
2023年の11月から活動を始めた森島さん。最初は、苗代さんの畑を手伝いながら、その一画を借りて、種まきや草取りなどすべて自分でやってみる経験も積んだ。
量は少なくても、最初から主体的に育てる経験を大切にするのが、おじいちゃん流の教え方。
「苗代さんは最初に要点だけ言って、一緒に作業して見せて、じゃあ次は自分でやってみて、わからんかったら聞きにおいで、みたいな感じでした。ずっとつきっきりではなくて」
「あと、半分冗談みたいに『一回、立ち直られへんくらいの失敗したらええねん』って、よく言われるんです。でも実際は、危ないところで苗代さんがいつも手を差し伸べてくださるので、なかなか失敗しなくて」
この取材の前日、森島さんは初めて自分で育てた当帰を出荷した。買い手からの評価もよかったそう。
当帰栽培の特徴は、手作業の工程が多いこと。
11月に収穫してから、根についた土を丁寧に取り除き乾燥させ、お湯に浸けて柔らかくする「湯もみ」を行う。約半年間、地道な作業を繰り返して、春にようやく出荷できる状態になる。
それと前後して春にはまた次の苗を植え、夏の日焼けや乾燥を防ぐため、初夏に敷き藁をする。敷き藁はその後堆肥にして、別の野菜づくりに活かす、というふうに作業は連綿と続いていく。
「苗代さんはよく、『農業は、牛の“よだれ”』って言うんです。初めて聞いたときは『焦らずのんびりやれよ』ってことかと思ったんですけど、そうじゃなかった。要は、切れ目がない。一回やり始めると、やるべきことが次々に押し寄せてくるんです」
「去年の夏に自分でミニトマトやピーマンを育てたときも、日中に収穫したぶんを夜なべで袋詰めして。達成感に浸る間もなく『早よやらな、早よやらな』って作業に追われていました。でも、これがほんまなんやと思います」
晴れの日の日中だけでなく、雨の日にやる作業、夜に家でできる作業、車で街へ行くときに買うもの、そういう段取りを常に頭のなかで整理しながら、1日1日の行動を決めていく。
「苗代さんは、あのご年齢ですけど、今でもすごい量の作物を育てているんです。毎朝5時くらいに起きて、分刻みでスケジュールを立てて。それを見ていたら、自分もちょっとでも追いつきたいっていう欲が出てきて」
「しかも、苗代さんは負けん気も強い。最近は『このままじゃ、森島くんにやられちまう!』って、私を煽り立てるんです(笑)。本当に、そういうところも含めて、先生が苗代さんでよかった。教わったことをちゃんと身につけることが、恩返しになるのかなと思います」
森島さんと苗代さんは36歳違いでふたりとも申年。それも気が合う理由のひとつではないかと言う。あらためて、苗代さんにも話を聞かせてもらう。
「森島くんは、自分の子どもと同じ。ちょっと厳しく、また優しく、叱るとこ叱ったりしてな」
森島さんに言った「牛のよだれ」というのはどういう意味なんですか。
「それか (笑)! もともとは親に聞いた言葉や。牛はいつも口動かして、よだれ出しとるやろ。農業も同じように、細く長く、切れ目なくせえよ、太く短くではあかんっちゅう意味で言うたんや」
農業は、人がどれだけ真面目に努力しても、天候や害虫などの影響で思うようにならないこともある。
蒔いた種がうまく芽を出せば励みになるし、逆に不調のときは畑へ行くのもいやになる。苗代さんの奥さんも隣で、「今まで『もう、やめようか』言うたこと何回もあったなぁ」と、言葉を添える。
それでも続けていれば、予想を超える成果が出る年もある。常に完璧を目指すより、6〜8割くらいで持ち堪えて、また新しい種を蒔こうとする気力のほうが、大切なのかもしれない。苗代さんが「一回失敗してみろ」というのもそのためだと思う。
とはいえ、成功体験がなければ失敗から立ち直るのも難しい。だからこそ、まずは基本に忠実にやってみることが大事だと苗代さんは言う。
「小学校とおんなじや。農業は、毎年が1年生。飛び級なんかは絶対にない」
「まあ、台風で野菜がダメになっても薬草で命つながることもあるし、ええときと足らんときと、長い目で見てバランスをとってやな。会社勤めで決まったお給料もらうのとは違うと思う」
多品目栽培は収益のリスクを回避しやすいけれど、品目ごとに必要な作業のタイミングをずらすなど、スケジュール管理に工夫がいる。
時間や経費、収入、土地の広さに対する収穫量など、いろいろなものの量を見積る感覚を鍛えて、自分の収入設定や働く時間を、自分で決めていく。
この土地で、家族7人を養ってきた苗代さん。働き盛りのころは寝る間を惜しんで働いたという。
「それこそ若いころは“朝星夜星”で畑へ出てな。ほんま、無茶な働き方やった。それでも、80なんぼまで元気でいけるんや。そうやってしてきたら、今、この歳になって、森島くんみたいなええ子が来てくれたしな」
森島さんの任期は、今ちょうど3年間の半分を過ぎたところ。来年の冬には独り立ちする。2年目にあたる今年は、今後の生計の立て方を考えながら過ごしていくつもりだという。
町内には農業以外にも、ものづくりなどで人手を必要としている分野がある。そういう情報収集や、地域の人に向けた発信をしたいと思ったとき、頼りになるのが、近くにある町役場の支所。
この地区で生まれ育った職員さんも多く、支所長の久保さんもそのひとり。
「移住者や協力隊の方に『ここは、景色がいい』って言われても、最初はピンと来なかったんですけど、少しずつ、そうなのかなって思えるようになってきて。いろいろ気づかされることは多いです」
「当帰の栽培もそうですし、森島さんのように外から来られた方が、地域のお祭りのような行事にも興味を持ってくれて。昔からあるものを続けていけるのは、うれしいですね」
小さな集落だからこそ、お互いの協力がなければ生活が成り立たない。支所が閉庁している夜間帯は、住民が救急の手伝いなども行う。森島さんも、週に1日の当番を受け持っている。
教わったり、助けたり。誰かにしてもらったことの感謝を、また別の人に返す。
長い時間をかけてプラスとマイナスを補い合っていく。
仕事も暮らしも、そういう関係で成り立っていることを理解して受け入れられる人なら、ここで自分に合った暮らし方を見つけられると思います。
(2025/4/25 取材 高橋佑香子)