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長野県・木曽の漆(うるし)職人の取材は、今回で3回目。
器を美しく、丈夫にするために、ウルシの木から搔き採った樹液を、木製の素地に塗ってつくるのが漆器(しっき)。器以外にも、神社などの歴史的建造物でも使われています。
漆は、木や金属、陶器など、幅広い素材に塗ることで、美しさと耐久性を与える伝統的な素材。そんな素材を扱う職人の仕事や働きぶりは、時をきざむ文化財そのものです。

木曽漆器の職人見習いを募集します。
塩尻市の地域おこし協力隊として働きながら腕を磨き、将来は独立の道も。過去の記事をきっかけに、先に歩みを進めている先輩もいます。
新宿駅から塩尻駅を経由して、JR木曽平沢駅へ。
駅を降りて広がるのは、重要伝統的建造物群保存地区に選定された町並み。格子窓や土壁が立派な木造の建物と、「漆器」と書かれた看板が並んでいる。

まちの外れにある道の駅「木曽ならかわ」で話を伺うことに。
中へ入ると、お椀や座卓など、木曽漆器の職人さんの作品が展示・販売されている。
迎えてくれたのが、木曽漆器工業協同組合の副理事長を務める山﨑さん。木曽平沢の出身で、ご自身も現役の漆塗り職人。

「高校卒業してから、50年間。ほかにやることなかったからね」と、笑いながら話す山崎さん。
手や爪には、塗りのときについた漆が。
「これでもきれいなほう。洗っても簡単には落ちないし、毎回拭くのもキリがない。年寄りの職人を見に行くと、真っ黒ですよ」
国指定の伝統的工芸品でもある木曽漆器。
乾燥させるのに湿度が必要な漆器にとって、木曽地域は山に囲まれた盆地で、湿気がこもりやすく、漆器づくりに適している。
その起源は、450年余り前から。江戸時代、木曽平沢は中山道の名だたる宿場町・奈良井宿の近くに位置し、多くの旅人で賑わい、木曽漆器は旅人の土産品として愛されていた。1998年の長野冬季オリンピックでは、漆と金属を融合させたメダルを製作したことも。
「木曽漆器の職人は、箸といった小さいものから、座卓(ざたく)や箪笥(たんす)などの大きなものまで、幅広く塗る技術を持っている。みんな、器用なのよ」
木曽漆器の代表的な技法が、木曽堆朱塗り(ついしゅぬり)。
漆を何層にも重ね塗りし、表面を磨いて模様を浮かび上がらせる技法のこと。深みのある光沢と、立体感のある文様が特徴だ。

「漆の塗り方や、表面の磨き方によって仕上がりがまったく違ってくるので、同じ柄はふたつとない。その座卓やお盆を、当時は職人のほとんどが、全国の旅館とかホテルに納めていた。今でも、日本中、九州や北海道の果てに行っても、木曽漆器を見つけることができますよ」
しかし、ライフスタイルの変化に伴い、漆器の販売数は右肩下がり。
安価な家具や食器が普及するなかで、500人いた組合員も、現在では100人を切るほどにまで減少しており、後継者不足が深刻な課題となっている。
「もう多くの職人が集まり、漆器産業が栄えた時代ではない。親の跡を継いで漆器の仕事をするという人は少なくなったね」
「今の若い人たちに、どれだけ漆の価値を伝えられるか。そこに向きあわないと、産地としての課題は解決しないんです」
こうした課題に対応するため、木曽漆器組合では漆塗りの技術を活用した文化財修復や、全国から届く漆器の塗り替え対応といった取り組みを進め、漆の価値を広く発信している。
毎年6月には、市内最大のにぎわいをみせる漆器祭が開催され、蔵出しの貴重な漆器が販売される。昨年は、15000人ものファンが訪れたという。

近年では、海外からの関心も高まっている。
いいものを、適正な価格で買うという価値観が広まれば、必ず目を向けてくれる人がいる。そんな兆しも見えてきている。
「木曽漆器の未来や展望といった大げさなことは言えないけれど、私はこの世界が続いてほしいと心から願っている。地域の歴史や文化と、深く結びついている仕事だから。とても、意義深い仕事ですよ」
次に、地域おこし協力隊の受け入れ先である「伊藤寛司商店」を訪ねる。
ちょうどお店から、買い物客が出ていくところ。

店の横の細い路地を抜けると、奥には中庭が広がり、さらに建物の裏手には作業場が設けられている。
表に販売店、中庭、裏の作業場という一連の造りは、木曽の漆器店が中山道の宿場町として栄えた江戸時代から続く、典型的なスタイルなのだそう。
作業場に入ると、まるで時間が止まったような静けさ。足が床を這うわずかな音すら、はっきりと耳に届くほど。
ここで、4代目の伊藤寛茂(ひろしげ)さんに話を聞く。これから活動する人は、伊藤さんのもとで技術を習うことになる。

作業台に向かい、漆を丁寧に濾(こ)している。質問に対して、一つひとつ丁寧に答えてくれる和やかな雰囲気の方。
「コロナ禍が明けてから、海外からのお客さんが本当に増えたよ。今日も何組か店に入ってくれたし、昨日は外国人のツアーで蔵の見学もあった。手間をかけてつくっていることを理解してもらえると、買ってくれる。店での直接販売は、うちの売り上げの5割くらいを占めているよ」
工房の棚には、さまざまな漆の容器が整然と並び、それぞれの上に、色や産地、配合の詳細を記した紙が置かれている。

「湿気によって漆の乾き具合は変わるからね。本当に繊細だから、その日の気候に合わせて配合を変えたり、最適な漆を選んだりする必要がある」
20代後半まで東京でサラリーマンとして働いていたという伊藤さん。都会での生活に疲れを感じ、故郷である木曽平沢に戻り、塗師の道に進むことを決意。かれこれ25年ほど、職人として働いている。
伊藤寛司商店が誇るのは、約50年前に生まれた「古代あかね塗」という独自の技法。
「従来の漆器の朱は、毎日使うには少し派手じゃない?落ち着いた暗い朱なら、ほかの食器とも馴染んで普段使いしやすいと思ってね」
深みのある朱色は、使い込むほどにツヤが増し、徐々に明るさを帯びていく。その変化が茜空に似ていることから、「古代あかね塗」と名付けられた。

「これ、つくるのが結構めんどくさい色なのよ。職人泣かせの、気難しいやつなの」
苦笑しながらも、漆への愛情のようなものを感じる。現在も木曽平沢にある職業訓練校「木曽高等漆芸学院」に通い、技術を磨き続けているという。
「長年やってるけど、完璧じゃない。先輩職人に聞くこともまだまだあるよ」
「漆と向き合い、手間と時間をかけて漆器をつくりあげる。その価値を理解する人々にとどけていきたい」
単なる生業を超えた、木曽の文化を未来に残すための手仕事。そう言い切る言葉の背景に、強い使命感があるように思える。

これから協力隊で活動する人は、3年間で基本の塗りを習得することを目指す。
下塗り、中塗り、上塗りがあり、全部で30工程。一度塗るごとに乾燥させるので、1日にできるのは1工程ずつ。単純計算でひとつの漆器を塗り終えるのに1か月かかる。
伊藤さんの工房では、最初は中塗りから学びはじめる。中塗りは、下地の上に漆を均一に塗り、表面を滑らかにする工程のことで、仕上げの「上塗り」の基盤になる。
中塗りは、漆器づくりの基礎となる技術であり、初心者が刷毛の扱いや漆の特性を理解するのに適しているのだそう。
「地味な作業をコツコツ続けるから、根気がないとだめ。失敗したらまたやり直しで、同じことを繰り返す」
ときには数百、数千という量を、一つひとつ丁寧に手がけていく。
「根気のほかには、観察力も大事。見本を見せたときにどこに注目するか。漆を塗るとき、俺が肝だと思うのは、刷毛の角度と力加減。だから塗っている面じゃなく、刷毛の使い方とか、腕や手首を見てれば、真似できるし身につく」
「自分がどう会得するか考えれば、どこを見たらいいかわかる。もちろん、ほかにもいろんな要素があるんだけどね」
いまは、工房には30代の弟子を含む2人の職人がいる。そのうち1人は、現在上塗りの技術を学びながら着実に成長しているそう。きっと、伊藤さんの丁寧な指導の証だと思う。
地域おこし協力隊の活動として決まっているのは、週19時間は伊藤さんのもとで漆器づくりを習うことと、漆芸学院に通うこと。
それ以外の過ごし方は自由に決められるけれど、伊藤さんのもとで技術習得に励んだり、ほかの職人の工房に行ったり。自身のスキルアップのために時間を使うことも大切だと思う。
移住者や、職人を目指す人にとって心強い先輩になるのが、竹内さん。
高校卒業後、京都の専門学校で漆芸を学び、漆器づくりに魅了される。一昨年、日本仕事百貨の募集で木曽平沢へ移住した。
現在は、別の工房で漆器職人の道を歩んでいる。

「昨年12月に、東京・丸の内で開かれる、若手工芸作家による展示発表会に行ってきました。お椀や小皿といった日常使いができる漆器をつくって、実際に販売したんですよ」
「職人名義として名刺もできたし、何点か購入していただけて。とても、うれしかったです。道の駅にも置いていただいています」

竹内さんは、現在2年目。任期終了後は、独立を考え、準備を進めているところ。
工房での仕事に加え、漆芸学院に通いながら、自宅の一部を工房に改装して作品づくりに励んでいる。
竹内さんも通う漆芸学院には、さまざまな背景を持つ人々が集い、ものづくりに取り組んでいる。
協力隊で活動する人もここで漆器の基礎から学び、仲間とともに技術を磨きながら、漆器職人としての道をつくっていってほしい。
「この仕事は、漆器づくりに情熱を持って、根気強く取り組める人が向いていると思います」
「私の父は料理人で、職人気質な人なので、一度決めたらやりきるようにと厳しく言われてきました。結局諦めて実家に帰ったら、なんか悔しいじゃないですか。やるって言ったからやるしかないと、覚悟決めて来ましたね」

自分の足で立とうしている竹内さんの言葉に、背筋が伸びる。
「漆芸学院の入学式で先生が話していた、『伝統工芸の世界は簡単ではない。今も残っている職人は、一握りしかいないんだよ』って言葉をずっと覚えていて。『それなら、その一握りを目指せばいい』って思ったんです」
竹内さんには、将来への不安を跳ね返すような力強さがある。
これから入る人も、決して楽な道ではないけれど、日々努力をして技術を磨き続けることで、自分の手で未来を切り拓いていくという、確かな実感があるはずだ。
「木曽平沢の職人さんたちは明るくて、気さくな人ばかりです。ほかの産地だと、職人コミュニティは堅苦しい雰囲気になりがちですが、ここでは全然違う。技術の質問をすれば、期待以上の丁寧な答えが返ってくるので、私も安心して学べる」
「工房でも雑談をよくするし、ときには職人仲間と地元の食事会やイベントで交流するのも楽しい。人のオープンな雰囲気が、仕事の学びやすさだけでなく、木曽平沢での住みやすさにもつながっていると感じますね」
塩尻市の木曽平沢では、伝統的な漆器づくりが今も息づいています。
少しでも興味があれば、ぜひ木曽平沢を訪ね、職人たちのものづくりに触れてみてください。憧れのような気持ちがふつふつと湧き上がれば、今がチャンスかもしれません。
(2025/04/24 取材 田辺宏太)


