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やわらかな水色や淡い茶色で仕上げられた陶器、細やかな草花や幾何学模様が描かれた磁器。
福島・会津美里にある、会津本郷とよばれる地域でつくられる焼物は、同じ産地なのに窯元によって作品の表現はまったく違う。
自由で型にはまらない焼物の産地として、伝統を継承してきました。
今回は、そんな会津本郷焼で焼物を学び、将来独立して自分の作風をつくっていきたい人を募集します。

はじめの3年間は地域おこし協力隊として、ろくろを使った陶器を製作している窯元への所属になります。
個人経営で教える余裕や時間が限られているため、基礎的なろくろ操作ができる人を求めていますが、経験年数は問いません。学校や趣味で少し触ったことがある人も歓迎です。
さらに協力隊期間中は、絵付けや型、磁器などほかの窯元の技術も学ぶことができ、独立に向けての準備できる環境も整っています。
独自の作品だからこそ、会津本郷焼の伝統になる。焼物で生きていきたい人には知ってほしい場所です。
郡山駅から会津若松行きの電車に乗り1時間。ワンマン電車に乗り換えて、さらに1時間ほど進む。
車窓からは田園風景、遠くには磐梯山(ばんだいさん)が見える。会津美里町は、3つの町村が合併した町。米、果樹、ワイン畑や温泉などもある自然豊かな土地だ。
会津高田駅に到着後、役場の方に迎えにきてもらい、会津本郷へ向かう。
「会津本郷陶磁器会館」は、このエリアに現存する12窯元の焼物を取りそろえ、展示と販売をしている。

ここで話を聞いたのは、会津本郷焼事業協同組合の事務局を務める松田さん。まちづくり会社の代表でもある。
「やってみたいことたくさんあるんですよ」と熱量も感じつつ、おだやかで安心感のある方。

会津本郷焼は、およそ420年前、会津藩に尾張・瀬戸の焼物師がやってきたことからはじまる。
当時は陶器のみの生産だったものの、磁器の原料が会津本郷で採れたこと、佐賀・有田で学んだ磁器職人が技術を持ち帰ったことから、陶器と磁器がともに生産される場所になった。
「何が本郷焼なんですか?とよく聞かれるのですが、会津本郷でつくっていることくらいで、共通点がないんですよね。陶器も磁器も両方つくれるので、多様で自由な作風が本郷焼きの特徴です」
「同じ形状のものでも、いろんな技法があるんですよ」と、館内の作品を紹介してくれる松田さん。
複数の窯元がつくったマグカップが展示された棚を見せてもらう。
ろくろでつくった陶器や、型でつくった磁器。表面を釉薬で色付けしてつるつるしたものや、粘土で加工してざらざらしたものも。
同じマグカップでも見た目もつくり方も、組み合わせがさまざま。
「同じ形にすることで窯元の特徴がわかりやすく表現できるんですよね。一つひとつの作品を紹介したパンフレットもつくって販売することで、詳しくない人でもわかりやすい。結構好評なんです」

最盛期は100軒ほどの窯元があったものの、現存している窯元は12軒。年々担い手は減少し、このままだと産地の存続もむずかしい。
そこで2018年から地域おこし協力隊制度を導入。これまでに4名の卒業生が独立し、今年度は5名の現役生が活動している。
今回新しく協力隊になる人は、「陶雅陶楽(とうがとうらく)」という窯元に所属することになる。
どんな窯元さんなんでしょう?
「200年ほど前から家族代々続いてきた窯元さんです。今は次男の大幹(ひろみき)さんがお一人で経営されていて、ご自身の作品づくりもあるので、少しでも経験のある方に来てもらえるとありがたいですね」
「飴釉(あめゆう)と灰釉(はいゆう)という釉薬を使って作陶されるのが特徴で。自然な色ムラもある、手仕事を感じられる作風が素敵なんです。ろくろで一つひとつ手作業でつくる、けれど均一の形。しっかりとこだわりも持たれているので、コミュニケーションも得意な方だといいと思います」

今回は、経験者の募集。通信制の学校に通った経験や、趣味で作品をつくったことのある人など、少しでもろくろに触れたことがあれば大丈夫。
また、空いた時間で学びたいジャンルの技術があればほかの窯元へ見学、体験できる機会もある。その際は、松田さんや役場がつないでくれるそう。
「窯元が減っていて、このままだと産地として衰退していってしまう。本郷焼を守っていくためにも、協力隊の人には窯元で経験を積んだあとは、独立してもらいたいと思っていて」
「でも、場所を見つけたり機材をそろえたりするにはお金も時間もかかりますよね。その負担を減らすことで、焼物を生業にする可能性が広がると思うんです」
自分の作品づくりに自由に取り組めるよう、3年以内には、協力隊が利用できる共同工房を完成させる予定。
3年間は窯元で学び、自分の作風を固めていきたい。そんな人には合う場所だと思う。
次に向かったのは、「COBACO(コバコ)」という複合施設。
松田さんのまちづくり会社が立ち上げた施設で、たばこ屋さんで空き家になっていた建物を、改修してカフェやショップ、レンタルキッチンなどとして使用されている。
中に入ると、協力隊のみなさんがミーティングをしているところ。畳に座ってリラックスした雰囲気。
新しく協力隊になる人も週に1度はほかのメンバーと顔を合わせる機会があるので、相談もしやすい環境だと思う。

「今は、新しくできる共同工房の名前を考えていました。それぞれ所属している窯元は違いますが、仲良いですよ。ちょうど明日からみんなで東京の展示会へ視察に行くんです。複数の展示会を視察して、自分たちが将来出展する際の参考にしようって」
そう教えてくれたのは、協力隊2年目の大友さん。千葉出身で、就職していた大阪から移住してきた。

「この地域の冬は、雪が積もるんです。去年はすごかったですね(笑)。でも、自然が豊かなので休日は趣味のキャンプや釣りに行くこともあります。自然のアクティビティが好きな人も楽しめると思いますよ」
学生のころから化学研究の道を歩んできた大友さん。前職では船の塗料を研究開発していたんだとか。
どうして焼物の世界へ?
「塗料と焼物の釉薬には共通する原料があるんです。塗料の研究開発をしている人が焼物やったら面白いんじゃないかって。研究では、実際に喜ばれているのか実感が持ちにくい。焼物はつくったものを自分で販売できるし、使ってもらえるのも魅力でした」

奥さんが焼物好きで全国の窯元巡りをよくしていたという大友さん。会津美里町を選んだのはどうしてだろう。
「会社に勤めながら、通信制の大学で陶芸を1年間学んでいたんです。でもこのペースだとプロレベルになるまで時間がかかる。会社を辞めて焼物一本で進むことを決心しました」
「そのとき、日本仕事百貨で会津本郷焼の記事を見つけて。協力隊としてお金をいただきながら、地域とのコミュニケーションも取れる。そういった人の繋がりができるのもいいなと思って応募しました」
協力隊の活動は週4日、朝の8時半ごろから17時まで窯元で働く。それ以外では、自主練習をしたり、松田さんのまちづくり会社でアルバイトしたり、イベントへ足を運んだり。各々のスタイルで学んでいるんだそう。
「頭のなかで思い描いた形を、再現するのが想像以上にむずかしくて。窯元の親方から『100個同じ形をつくってみて』と言われてろくろを回すんですけど、OKもらえるのが、はじめは20〜30個に1つくらいでした」
「どうやったら成長するのか、言語化するもむずかしい世界。聞けばもちろん教えてくれるのですが、背中を見てとにかく真似しています」
「良かったら」と、個人でつくった作品を見せてもらうことに。
プレートやマグカップ、金継ぎのような釉薬のアクセントが特徴的。所属している窯元も釉薬を得意としているため、その技術を活かしてつくったそう。

つくり方や仕上がりに共通項がない会津本郷焼は、つくり手の発想によって自由に彩られる。
自分の好きなものと掛け合わせて、新たな作品づくりも楽しめるといい。
会津本郷焼を発信するために、焼物市やお祭りなど地元のイベントへ毎年出展するのも協力隊の任務。その際には、個人の作品を販売することもできる。

どんな人が向いていると思いますか?
「オープンにコミュニケーションを取れる方がいいと思います。窯元さんにも協力隊のみんなにも。学校みたいにカリキュラムがきっちり決まっているわけではない。いい意味で自由ですが、わからないことはきちんと伝えたり。悩みも含めて拙い言葉でも伝えて、うまく関係性を築いていけるといいと思います」
最後に話を聞いたのは、今年卒隊した佐藤さん。協力隊の所属先だった窯元で働きながら、個人で焼物作家として活動している。

「今は地域づくり事業組合に入っていて、そこから派遣されて週4日こちらで勤務しています。残りの時間は、自分の作品づくりに充てています」
「今の収入は8割くらいは工房で、残りの2割が個人活動なんです。作家活動は細く長く、いろんな道があればいいなと模索しているところ。今の仕事のバランスは自分には合っているなと感じます」
2年前に取材したときは、起き上がり小法師やアクセサリーをつくっていた佐藤さん。
「今でもつくっていますよ。絵付けは協力隊の期間中に、別の窯元さんや協力隊の仲間に教えていただいて。卒業後は、全部自分でデザインして、型は瀬戸にある型屋さんにお願いしています。均一に同じ大きさ、同じ形のものを生産できるようになって、だんだん商品性が高くなってきましたね」
地元のお店に置いてもらったり、協力隊期間に出展した地域のお祭りをきっかけに個人でも参加したり。販路も広がりつつあるところ。

昨年には行政が、協力隊が使用できる電気釜を購入。この地域で一番大きな窯元にその窯が設置されているため、新しく加わる人は、自分のタイミングで焼くことができるようになった。
「アクセサリーをつくり始めたのも協力隊のOGさんがきっかけで。『じゃらんかけ』という会津本郷焼のかけらでアクセサリーブランド立ち上げられているんですよね。インスピレーションになって自分もつくりはじめました」
「卒隊してからもお付き合いがあって、昨年は『一緒に展示をやりませんか』と誘ってもらって。会津若松市にあるセレクトショップに展示もできたんです。そこから販売もさせてもらえるようになりました」

独自でデザインや形を考えるのもいいし、コラボして生まれる新しい作品もあるかもしれない。そうやって会津本郷焼の伝統が続いていくんだと思う。
「本郷焼のいいところは、自由な作風だからこそ、思いおもいの作品をつくることができるし、お客さんが『もう少しこうしてくれたら使いやすい』っていう要望にも柔軟に応えやすい」
「窯元さんや独立した卒業生も身近にいるので、相談できる環境もあって。自分一人ではうまくいかなかったことも、ここだから実現できたことはたくさんあると思います」
会津本郷焼の作風は人それぞれ。一方で、みんなで伝統を守り、つなげていこうと機運がどんどん醸成されているように感じました。
自分でつくった作品が、420年の歴史をつなぐことになる。そんな手応えを感じられる仕事はここにしかないと思います。
ビビっときたなら、その直感を信じて一歩を踏み出してみてください。
(2025/09/02 取材 大津恵理子)


