1951年。アジア・太平洋戦争の敗戦からわずか6年後に、一つの組織が生まれました。
名前は「日本機関紙協会 京滋地方支部」。
日本国憲法が生まれ、労働者たちが自分の権利を正面から主張できるようになった時代。職場の労働条件改善と、平和な社会を望む人たちが労働組合をつくり、機関紙を発行して仲間を増やそうとしました。
そんな機関紙での宣伝活動を支援するために生まれたのが、この団体です。
その流れを汲み、70年以上が経った今も京都を拠点に活動しているのが、株式会社きかんしコム。

「この仕事に携わることで、今の社会がより平和になるか、より民主主義的な社会づくりにつながるか」
創立以来、仕事の判断基準は変わっていません。
今回は、企画営業として働く人を募集します。
お客さんの社会運動や事業を前進させるには、どのような宣伝方法をとれば最も効果的か。考えて、提案して、実行する。その一連のプロセスを担います。
経験は問いません。必要なのは、想いと理念への共感。
まずは働いている人たちの声を、聞いてみてください。
きかんしコムの主なお客さんは、京阪神エリアから関東・東海・九州までの労働組合や医療団体に、政党、大学などの非営利団体。つまり、「社会をより良くしようとしている人たち」との仕事に限っている。
京都市南区、久世殿城町にあるビルのワンフロアがきかんしコムの本社。中に入ると、フロア一面を見渡せる。

「昔は壁があったんですが、部署を超えて話しやすいようにとっぱらったんですよ」
そう話してくれたのは、代表の岡本さん。やさしい口調と丁寧な言葉遣いが印象的。
さっそく会議室に移動して、話を聞く。

「きかんしコムは、ウェブサイトや動画、印刷物の制作、SNSを使った広報など、宣伝にまつわるあらゆることを、戦略の立案から成果物の制作まで一貫して担っています」
岡本さんがきかんしコムに入社するきっかけは、大学時代に日本近現代史を学んでいたときのこと。歴史研究者を目指し、大学院に進学した。
「講義のなかで、日本はかつてアジアで侵略戦争をしたのに、アジア諸国に対して戦争責任を十分に果たしていない。だからいつまでも外交問題が続くんだと学びました」
「そのことを知って、今の社会問題を解決する仕事がしたいと思うようになったんです」
博士課程まで進み、論文も途中まで書いたけれど、研究者として身を立てることは諦め、別の道へ。
いくつかの職を経験したのち、ハローワークで担当になったキャリアカウンセラーにこう話した。
「金儲けのための仕事にはまったく興味がない。困難を抱えた人を助けるような仕事がしたい」
すると、「あなたみたいな変わった人に合う会社、一つ思いつくよ」と紹介されたのが、きかんしコムだったという。
企画営業として入社し、2020年には社長に就任。今も一部のお客さんの営業担当を続けながら、組織全体のかじ取りをしている。

きかんしコムの仕事は、簡潔に言うと、宣伝プランの提案から成果物の納品まで。
ただその中身は、一般的な広告代理店とはかなり異なる。
「お客さんの社会運動とか事業をもっと前進させるために、うちの会社と一緒に組みませんか、というスタンスです。仕事をくださいとか、うちのこの商品どうぞ、みたいな営業はしません」
お客さんとは「業者」ではなく「パートナー」として関わる。だからこそ、深い顧客理解が問われる。
「医療団体は社会保障制度を守るためにどういう運動をやっているか、政党やったら今の社会情勢をどういうふうに見て、それに対してどういう政策を出しているか。長年の関係性で、うちはその顧客理解力が優れているからこそ、仕事を任せてもらえる」

「高い企画力や営業スキルも大事ですが、一番はうちの理念に共感できるかどうか。人は選ぶ会社だと思っています。スキルだけあって、理念の部分を割り切って仕事しようとする人は合わないですね」
総勢30人に満たない会社だけれど、社内に労働組合があり、賃上げや賞与の金額は組合との交渉で最終的に決まるそう。会社自体も民主的なあり方を目指している。
政治情勢の勉強、医療制度の動向、労働環境の変化…。営業メンバーはそうした社会の動きを学び、ときにはお客さんに教えてもらいながら、「情勢論議」ができることを目指している。
「僕らの宣伝の力で、お客さんの活動がもっと世の中に知られたら、幸せな人が今よりもっと増える。本気でそう思ってます」
日々お客さんと向き合う現場で活躍している、営業課長の西山さんにも話を聞いた。

入社6年目。きかんしコムとの出会いのきっかけはインターネット検索だったという。
「インターネットで『京都 民主主義 企業理念』って検索したらきかんしコムが出てきて、興味を持ったんです」
もともと教員をしていた西山さん。仕事や将来のことで悩んでいたときに、平和ツアーを企画している会社に就職した友人の話を聞き、先ほどの検索につながった。
西山さんが平和や民主主義に興味を持ったのは、どうしてだったんでしょう。
「大学時代に深くハマっていたのが、大学生協の活動だったんです」
「『自分たちの手で自分たちの生活をより良くする』のが生協という組織なので。そこに民主主義とか平和というものを感じて、だんだんと自分の軸になっていったんですよね。だからきかんしコムの理念にも共感しました」

西山さんが担当している客先の一つが、建築労働者の労働組合。職人さんたちが加入している組合で、定期的に新聞折込のチラシを制作している。
ある年のテーマは「建設国保」だった。建設国保とは建築労働者たちがつくった健康保険で、保障が手厚い。
どうすればこの制度をより多くの人に伝えられるだろう? と、お客さんは悩んでいた。
西山さんは、組合員が建設国保のどこに魅力を感じているか、聞き取りを実施。考えた末に出てきたアイデアが「漫画」だった。
「いわゆるチラシ的に、見出しでガン!ってやってもいいんですけど、それだけだと芸がないと思って。いくつか参考資料を見ていたときに、この展開やったらイケるなって思ったんです」
話の流れや主人公の属性をどうするか熟考し、読んでいる人が「あ、自分のことが言われてる」と感じやすい構成にした。

コマ割りも自分で考え、ネームをつくり、デザイナーに渡して制作。途中、お客さんから服装や背景などの細かな修正も受けながら、仕上げていった。
企画がなかなか浮かばないときは、チーム内の仲間や企画チームに相談。必要があれば、外部のライターにライティングを任せることもある。
「前提としてお客さんが困っている。そこに宣伝のプロとして入って、お客さんと一緒に考えながらつくっていくプロセスが、僕はおもしろいと思うんです」
西山さんは、どんな人と一緒に働きたいですか。
「社会に疑問を持ってる人とか、社会を変えたいなって思ってる人と仕事がしたいです」
「それがないとほんまにしんどいと思うんですよ。仕事の仕方は教えられても、その部分だけは教えることができない。その人なりの問題意識がある人がいいだろうと思います」
最後に話を聞いた日笠さんも、西山さんと同じように、この会社に辿り着く前から「伝えたい」という気持ちを抱えていた。

入社4年目の若手。大学のゼミの先生から紹介してもらったのが、働きはじめるきっかけだった。
ゼミで日笠さんが取り組んでいたのは、ノンフィクションのライティング。
「京都にある朝鮮学校で教育の無償化を求めて運動している学生たちや、さまざまな困難を抱える女性たちの居場所づくりに関わっている人から話を聞いたりしました。関心があることを取材して、編集して」
「生きづらさを抱えた人たちの声を社会に届けたい。それできかんしコムに興味を持ちました」

きかんしコムのお客さんのほとんどが非営利団体。そういった団体を宣伝の力でサポートすることにも、やりがいを感じた。
入社後まもなく担当することになったのが、ある社会福祉法人の25周年記念誌の制作。
この法人は、特別養護老人ホームや保育園、デイサービスなどを運営していて、地域の要望を受けながら施設をつくり続けてきた歴史を持っている。
お客さんのもとにも定期的に出向き、施設の歴史を丁寧に聞き取りながら、ページをつくっていった。

「はじめて濃くて長い期間をお客さんとともにしたので。印象に残ってますね」
こだわったのは、読みやすさ。
文章が多すぎると読んでもらえない。法人に入職したばかりの人でもさらっと読めて、歴史が伝わるようにしたかった。
こういった団体をサポートすることで、地域福祉の向上、ひいては福祉に対する世間の見方がより良く変わっていくことにつながる。宣伝が、社会を変えていく可能性がある。
「お客さんと一緒につくる過程が楽しかったし、やりがいを持って取り組めたなって」
ゼミ時代の経験も活かしつつ、わからないことは先輩にどんどん聞いて吸収していった。
「わたしは、一緒に成長できる人に来てもらいたいなと思います。自分もその新しい人からいろんなことを教えてもらいたい」
「あとめちゃくちゃ本音で言うと、一緒に飲める人ですけど(笑)。コミュニケーションをおもしろがれることが大事だと思うんです。お客さんとはもちろん、社内の人とも」
一通り話したあと、岡本さんがふと話し始める。

「とはいえ、変わってる会社です。本当に平和とか民主主義に関わる仕事ばっかり。めちゃくちゃ勉強するし、お客さんの活動に親近感を持てなかったら、正直たのしくない」
「お客さんへの深い理解や共感が仕事の核心にあることは理解して来てもらいたいですね。営業と、お客さんと、社内の制作スタッフがチームとなってひとつのものをつくりあげる。だからこそ、お客さんの活動がうまくいったときの醍醐味に一度ふれると、この仕事がやみつきになると思いますよ」
平和や民主主義といった言葉は、ときに大きく、遠く聞こえる。
でも岡本さんの口から出てくるそれは、どこか手触りのある言葉に思いました。戦後間もないころから続いてきたこの会社が、今もその言葉を真ん中に置いて仕事をしている。
そのことが、とても静かに、力強く感じました。
(2026/05/19 取材 稲本琢仙)


