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10年後を想像できないことが
不安に感じるか
面白がれるか

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こちらの求人は映像でも紹介しています。ぜひご覧ください。

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毎日、同じことを繰り返したり、言われたことをきちんとするほうが安心に思う人がいる一方で、それでは物足りない人もいます。

今回紹介するのは、毎回新しいものとの出会いがあるような仕事です。10年後はどんな経験を積めているのか想像できないくらい。

ブリュッケはデザイナーの伊藤佐智子さんとともに、舞台や広告、映画などの衣装をつくっている会社。

たとえば、SoftBank、クレラップ、資生堂PriorなどのCM。庵野秀明監督の「式日」や是枝裕和監督「空気人形」などの映画。野村萬斎さん演出の「マクベス」やケラリーノ・サンドロヴィッチさん演出の「キネマと恋人」などの舞台も。

また、展覧会の企画、本の出版など、衣装以外のことが仕事になることもあります。

ブリュッケでクリエイティブマネージャーとして働く人を募集します。

制作のマネジメントということで、スケジュールやお金の管理などはもちろん、仕事の範囲はとても広いですし、クリエイティブの視点から発想を求められます。

毎回異なる仕事を乗り越えていくことを面白がれる人なら、ぜひ続きを読んでください。

 

渋谷駅から国道246号沿いにしばらく歩く。旧山手通りを曲がって、西郷山公園の手前の下り坂へ。大きなお屋敷もあるような閑静な住宅街の中に、ブリュッケのオフィスがある。

呼び鈴を鳴らしてドアを開けると、伊藤さんが迎えてくれた。近況を話し合った後に、早速話を聞くことに。

「前にうちにいた女の子はブリュッケが大好きで。10年後に自分がこうなっているだろうって思うようなところで仕事したくないって言ったんですよね。ブリュッケは10年後の自分がどうあるかがわからない」

自分の10年後が想像できない職場。

この言葉を「未来がない」というようにネガティブに感じる人も多いかもしれない。けれどもそういうニュアンスではない。

伊藤さんは続ける。

「自分の10年後の姿をすごくワクワクしながら捉えていたんですね。だから、そういう人いいなって、そのとき思ったんです」

「何しろブリュッケの仕事は、毎回違う仕事だから。大変なことも多いんですよ。大変なことが起きたときに、それを大変だって言ってネガティブに捉えるんじゃなくて、一緒になって面白がれる人がいいですね。歴代のマネージャーは、ブリュッケでの経験を血や肉とし、自分のブランドをつくったり、町おこしに活かしたり、面白い10年後に繋げている人ばかりです」

 

伊藤さんの人生もまた、想像したものとは異なったほうへ流れていくものだった。

「高校のとき、ananに前衛実験室をつくると掲載されていたページがあって。そこへ自分の作品を持って行ったんですよ。そしたらもう300人ぐらい来ていて、採用されるのは5、6人。私、高校生だったから、まあ無理かなと思ったんですけども。つくったものを見せたら、一緒にお仕事しましょ、って言われたんですよね。それでもう、天にも昇る気持ちで」

けれどもファッション業界の裏側が見えてしまい、ファッションではなく、美学校の図案科に入り、グラフィックデザインを学ぶこととする。

「そのころ、自分で着たい服がなかったから自分でつくっていたんですね。でも洋服のデザイナーになる気は全然なかったんですよ。ただ世の中に着たいものがなかったからつくって着ていたら、あるとき雑誌の編集者の目に止まって。『それ、どこの服?』って言われたんで『自分でつくった』と言ったら編集長に紹介されて」

石岡瑛子さんが若い被写体を探していると言われて会いに行ったこともあった。被写体としては縁がなかったけれども、洋服をつくっていることを話すと仕事を依頼された。

「ちょうどPARCOがオープンするときだったんですよ。『きみって素敵だ。いくつなの。』ってポスターのドレスをつくりました」

「撮影は、モデルがプールに落ちて、それを逆回転で出てくるというものだったんですけども。一着しかつくってないから、やっぱり1回じゃOKにならなかったわけ。それを毎回、ドライヤーで乾かして。そんなことも初めての経験だし、すごく面白かったですよね」

その後も石岡さんとのご縁は続いていくこととなる。仕事がまた次の仕事につながっていく。

「私はグラフィックデザインをやりたかったんだけれども、どうしても川の流れとしては、洋服のほうにと引っ張られちゃう人生だったわけ。だからなりたくてなったわけじゃないのですよ」

 

文学座で上演されるハムレットの衣装を担当したこともあった。

「ちょうどそのころかな?自分の仕事に限界を感じたわけ。自分が引けるラインって限界があって。こういう服をつくりたいなと思ってもつくれない。これではいかんと思って」

カッティングプレタポルテというプロが行く学校へ行くことにした。これまでの作品を見てもらったら入学することができた。

「パターンっていうのは自由なんだっていうことを学びました。だからまあ、なんでも自由なんですよ。やり方っていうのはね。それを学んだのは大きかった」

「でもついていけない。何しろ難しすぎる。先生の言葉も分からないし。結局、これは私のやる仕事じゃないと思って。そこにいた2人の女の子を引き連れて会社をつくったんです」

その中の1人がとても優秀で、なんでも伊藤さんの言うとおりにつくってくれた。

あるときに寝る暇もなく仕事をしていたときのこと。うとうとしてしまった伊藤さんは寝言で「裾ね、あとね、5cm短くして」と言ってしまった。

「私ははっきり寝言を言うので。朝までに全部5cm短くしてつくっちゃって。またやり直ししてもらわなきゃいけない。悪いことしちゃったんです」

あるときはビーズで摩天楼を彩った衣装をつくったことがあった。

「刺繍しても刺繍しても終わらないんですよ。それでね、捗らないからちょっとだけ寝ようと思って。寝るじゃないですか。寝るとね、マラソンしてる夢なわけ。だから、逆に休まらないんですよね」

それなのに続けたのはなぜなんでしょう。

「それは面白かったからなんですよね。突きつけるものが、突き上がるものがあったからやる。ずっとそういう日々でした。それは、一緒に走る人がいたからこそできたことで」

今回もそんな一緒に走る人を探している。

「結局、子どものときに気がついたいろんなことを、一生かかって実現してくんだなって」

「子どものころを思い出したら、いろんなことを思い出せるはずなんですよ。あのときに感じたこと、子どものときに気がついたことを、まあ忘れちゃう人も多いと思うんですけど。それを、実証していくんだと思うんですよね、一生かかって」

 

最近の仕事の話も聞いてみる。これから公開のものはまだ話せないものが多いので、今年の2月まで上演していた舞台『アルトゥロ・ウイの興隆』について。

ドイツの劇作家ブレヒトが、ヒトラーとアル・カポネを下敷きに創作した人物で、シカゴギャング団のボスであるアルトゥロ・ウイを草彅剛さんが演じた。

「演出家と話していて、赤をテーマにすることになったんですね。ただ赤い衣装を着ていても面白くないので、彼らを拘束させたいと思って、黒のゴムで体を縛ったんです」

「それで縛ろうって意識してゴムを役者の前に持っていくと『あ、ここの場所だ』っていうのがスッと、見えてくるんですよね。それは自分の中でも面白くて。最後にね、なぜか、どうしてもゴムで縛れない人がいて」

それは古谷一行さんが演じた政治家ドッグズバローだった。

「彼はギャングの一味みたいになったんですけれど。悪に手を染めたことを非常に後悔している人間だった。善悪で言うと、悪のほうに騙されていったんだけれど、ずっと正しく生きてきた人間なんです」

「彼にゴムを巻けなかったっていうのも、本を読んでいたからなのか、彼から発するものだったのか。ポスター撮りのときって、一発目の写真なので役者も新鮮な気持ちで挑んでくるんですね。だから、新鮮なもの同士がぶつかってできた写真だったと思うんです」

 

ブリュッケの仕事はどれも同じものがない。毎回、新しいものとの出会いとなる。

それをマネジメントするとは、どういうものなのだろう。

現在のマネージャーの牧野さんにも話を伺った。もともとバレエをやっていた方で、その後タイに移住してアートのコーディネートをし、帰国してからご縁があってブリュッケで働くことになった。

「私は負けず嫌いで、できませんって言いたくないので。分かりましたって言ったら、やる方法を考えて、分からなかったら調べたり、人に聞いたりして進めます」

「締め切りがあるので、やりながら考えてくうちに輪郭が見えていく。それで伊藤に確認して。そう繰り返してやっていく感じですね」

スケジュールの調整や、打ち合わせへの同席など、その仕事が完結するまでの流れをすべてサポートしていく。クリエイティブにも関わるし、お金の交渉や請求業務も担当する。あるときはケーキをオーブンで焼くなんてこともある。

以前、在籍されていた方は、年賀ハガキのために、自分でウサギの格好をして、自分で写真を撮って、コラージュしたこともあったらしい。

「やりながら考えていく仕事」をサポートしながら、最後にスケジュールとクオリティを守ることは大変なように思う。

それでも牧野さんが一緒に働いてきたのはなぜなんだろう。

「伊藤がつくりたいものは、良い意味でびっくりするんですよ。普通だったらできないって思って、人は挑戦しないであろうことに向かっていくので。絶対に信じていれば、最後にはいいものができるので」

「目指すゴールは決まっていて。無事に下山できるかどうかってことを先に考えちゃうと、たぶん何にもできなくて。山頂に行って一緒に美味しいおにぎり食べられそうって思ったら、なんか全部楽しくなる」

 

最後に伊藤さんにも、あらためてこの仕事を続けてきた理由を聞いてみる。

「私の場合は特別の一着という依頼が多いんですよね。衣装のデザインというよりキャラクターのデザインです。着た人も衣装によって気持ちが変わるんですよ。衣装の役目って、気持ちを変えることなんです。そして、ヴィジュアルメッセージとして、見る人にとって大切な要素なんです」

「今、つくっている衣装は、1600年代の衣装なんですけど、そういう衣装は、その時代の社会的背景とか縫製の仕方からパターンの取り方から違って、時を遡るのも面白いんですよね」

1つとして同じことはないんですね。

「面白さは尽きません。何事もそうなんですけど、やっぱり好きこそものの上手なれってことはあります。どういう時代でも変わらない価値観を持って仕事をしてきましたが、今こそヴィヴィッドなチームをつくって仕事を続けたいと思います」

毎回、ざっくりとした地図だけを持って、ただ山頂だけを見据えて山に登るような仕事だと思う。ルートは登りながら考えていく。予定の変更は日常茶飯事。しかも、同じ山に登ることはない。

これを大変だと思うか、面白がれるか。

実際にやってみると、また違った感覚もあるかもしれませんが、読んでいてワクワクする人はぜひ応募してください。

(2020/11/10 取材 ナカムラケンタ)

※撮影時にはマスクを外していただいております。

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